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懐かしの撮影記・・・余部鉄橋 編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

あおたけ的、懐かしの撮影記
余部鉄橋

東洋一の高さとうたわれた、山陰本線随一の名所「余部鉄橋(余部橋梁)」。ついに今日(16日)、架け替え工事により100年近い歴史に幕を閉じることになりました。最後にもう一度、列車に乗って余部鉄橋を渡ってみたかったのですが、さすがに山陰は遠く、現地でお別れすることは叶いませんでした。

結局私が最後に余部鉄橋を通過したのは、もう6年も前の2004年7月のこと。余部鉄橋の架け替えという話は以前から持ち上がっていましたが、本格的な話題になり始めたのはこの頃ではなかったかと思います。JR西日本から余部鉄橋の架け替えが明確に発表され、「あまるべロマン」という臨時列車が走り出したこの年、私は休暇を使って餘部へと向かいました。鉄道全線の完乗を目指していた「乗り鉄」時代は何度も通った余部鉄橋、しかし列車を降りて外から眺めたことはありませんでした。そこで、このときは「撮り鉄」モードで余部鉄橋を渡る列車の写真を撮りに行ったのです。

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まずはキハ181系「はまかぜ」を撮影。あえて駅裏の「お立ち台」ではなく、鉄橋の高さが解るアングルを探して餘部の集落を歩き回った覚えがあります。しかしご覧のように生憎の空模様で、テンションが上がりませんでした。

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続いてキハ65エーデル編成の「あまるべロマン」。2両なのでこんなフレーミングにしたのでしょうが、橋脚二本では余部鉄橋の魅力が全く伝わりませんね。このときはこれがベストアングルだと思ったのか、それとも天気のせいでやる気が無かったのか・・・。このあと、本数の少ない列車を雨の中で待つのが辛くなり、もう一本キハ47の普通列車だけ撮って早々と撤収。わざわざ山陰の餘部まで来たのに、撮影したのが三列車のみというお粗末な遠征でした。しかし、その帰りに乗った「あまるべロマン」で思いがけない出来事が。乗車してすぐ、検札にきた車掌さんに「写真撮りに来たの? 今日は天気が悪くてダメでしょう・・・」などと話しかけられました。この日の「あまるべロマン」は乗客が少なく、列車全体でも10人程度。少し業務に余裕があったのか、しばらくこの車掌とは話し込み、ついでに彼から余部鉄橋通過記念の「オレンジカード」まで買ってしまいました。程なく列車は終点の香住に到着。車掌に軽く会釈して下車すると、「よかったらコレあげるよ」って手渡されたのは、なんと「あまるべロマン」の乗務員時刻表!

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この日に乗車した列車のものではなく、同年のGWに運転された際のものですが、発駅や時刻はもちろん、使用車種や速度制限まで載っているホンモノ。思いがけずとても貴重なモノを頂いてしまいました。この時刻表は今でも大切に保管してあります。そして結果的に、この列車が私の余部鉄橋を通過した最後の乗車列車となりました。

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その後、余部鉄橋にはもう一度だけ足を運んでいます。しかも前回からわずか二ヶ月後の同年9月。しかし私にしては珍しくクルマでの訪問だったので、鉄橋を渡ることはありませんでした。というのも、このときは前日に仕事で豊岡を訪れていたのです。仕事で借りたレンタカーをそのまま延長し、翌朝5時に宿泊していた豊岡から餘部を目指します。なぜこんなにも朝早くに出かけたのかと言えば・・・そう、このときはまだブルートレイン「出雲」が健在でした。餘部を7時頃に通過する「出雲」、それに間に合うようにクルマを走らせます。目指すは餘部駅裏の「お立ち台」。ちなみにこの日は一緒に豊岡へ来ていた会社の先輩が同行しています。非鉄にも関わらずついてきたのは、一度「東洋一の鉄橋」を見てみたいということでした。早朝出発という点にはかなり難色を示していましたが、「出雲」を逃すわけにはいかず、先輩といえどもコレだけは譲れません。

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お立ち台から撮影した、朝イチの「はまかぜ2号」。この列車はすぐ先の香住で「出雲」と交換していたので、もう間もなく本命がやってきます。まだ「出雲」の廃止が発表される前だったので、お立ち台もまったりムード。この日は祝日でしたが、同業者は5人程度だったと記憶しています。前回は雨に泣かされた餘部ですが、この日は概ね晴れ。しかし雲が多くて露出が安定しません。「はまかぜ」のように列車に日が当たってくれることを願いながら待っていると、鉄橋先のトンネルから長笛と共に赤いDD51が飛び出してきました。

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祝日で増結されていた「出雲」は、堂々の客車12連! その鉄橋を渡る迫力と轟音に圧倒されてしまい、思わずシャッターを押す指が震えていたのを今でも鮮明に覚えています。光は若干薄日になってしまったものの、かえってコントラストが弱まり、いい雰囲気になったのではないでしょうか。赤い国鉄色DD51が牽引する長編成のブルトレを余部鉄橋で撮る・・・贅沢な願いが叶った瞬間でした。そんなブルトレ「出雲」も二年後の2006年3月には廃止となってしまいました。

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「出雲」通過後は、集落の方に下りて普通列車を撮影。日も高くなり、青空が広がってきました。赤い鉄橋と赤い気動車が青空によく映えます。まさに天空を駆け抜けるという言葉がぴったりのシチュエーション。やはり晴れの日の撮影は気持ちいい! 前回とは打って変わってテンション上がりまくり・・・だったのですが、ここで水を差す一言・・・「そろそろ行かない?」。そう、同行していた非鉄の先輩です。私としては天気に恵まれたこの日は一日中餘部に居てもいいほどでしたが、同行者は飽きてしまったらしい。城崎温泉や出石に行きたいと言い出します。ならば、別行動にすればいいようなものですが、この方は一人旅などツマラナイというタチらしくなかなか厄介。しかし、そもそもこの豊岡出張は先輩主導の仕事で、言わば私はお供のようなもの。先輩無くしては、この日餘部に来ることも無かっただろうし、「出雲」も撮影できなかった・・・というわけで、渋々了解。でも、最後にもう一本だけ撮らせてほしいと懇願して撮影したのが次の一枚。

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クルマを止めてあった駐車場付近から広角でパチリ。これが私の余部鉄橋最後の一枚となり、後ろ髪を引かれるような思いで餘部を去ることになったのでした。このときは必ずもう一度撮影に訪れようと心に決めていたのですが、「出雲」の廃止や架け替え工事が本格化して景観が崩れてしまったことがあり、これ以降再び餘部に来ることはありませんでした。
 (ところでこの写真、異常なほどコントラストが強いのですが、デジカメやパソコンのコントラスト調整をいじっているわけではなく、これはフジの「フォルティア」という超極彩度のポジフィルムで撮ったもの。行きつけのラボで試供品としてもらったものですが、この日の空の青さにつられて試しに使ってみたのでした。あ、言い忘れましたが、今回の写真はすべてポジフィルムで撮影したものです。)

何度か列車で渡った余部鉄橋。私の場合そのほとんどが下り列車で、余部鉄橋を渡ることは山陰地方へ入るための儀式のようなものだとさえ感じていました。新しく架け替えられるコンクリート橋の方もいずれは通ることになると思いますが、果たして今度はどんな気分で渡ることになるのでしょうか・・・。ちなみに旧・余部鉄橋の一部は「空の駅」という観光施設として保存されるとのこと。一部でもこの美しい鉄橋が残されるのは嬉しいことですね。



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