肥薩線・大畑駅・・・MONOCHROME-SNAP [MONOCHROME-SNAP]
スイッチバックを行く列車の写真が撮りたくて、途中下車した大畑(おこば)駅。
狙っていた写真は撮れたものの、次に乗る列車までは約三時間待ち。この何にも無い山間の無人駅でどう過ごすのか・・・でも心配は無用。ここには開業当時から変わらずに佇む立派な木造駅舎があり、その待合室は周りの環境と相まってとても静かな落ち着く雰囲気。ここで読書でもしていれば時間などすぐに流れてゆく。前回訪れたときもそうやって時間をつぶした。私がこの静かな駅で読むために選んできた本は、自分にとって背伸びしたような、ちょっと難しい内容。でもここならば集中して読めそうな気がしていた。
ところが、どういうわけか無人駅のはずの大畑には人影があり、大きな笑い声が響いている。駅舎脇を覗いてみると、そこにいたのは休日を中心に駅で野菜などを販売する地元の方々だった。目が合ったので挨拶を交わすも、予期せぬ出会いに面を食らったのは事実で、これでは本に集中できないなとも思った。しかし、私が初めて訪れたときには既に無人化されていた大畑駅。それは静かだけれども、どこか寂しげだった。ところが今の大畑はどうだろう。いるのは乗客ではないが、人の温もりを感じられる駅本来の姿がそこに見えた気がする。
私は鞄の中から本ではなく、カメラを取り出した。
駅舎の脇に設けられた直売所。
大きな声の主は店頭に集う地元のおばさんたち・・・。
おばさんに「お茶でも飲んできな」と言われて通されたのは駅事務室。
駅が無人化されてからは倉庫として使われてきたこの部屋を、
最近JRの許可を得て、直売所の控室に使わせてもらっているのだそうだ。
私は図々しくもお茶のみならず、お菓子や漬け物、
ゆで卵までいただいてしまった。
事務室内の窓口業務を行っていた場所には、
古めかしい事務用の回転椅子が残されている。
床に置いてある駅名の入った筒は吸殻入れだろうか?
椅子などを珍しがっていると、奥の部屋へも案内してくれた。
今は物置となっているが、この畳敷きの小部屋は宿直室。
かつて鹿児島本線の峠越え拠点として重要な役割を担っていた大畑。
当時は常に鉄道員が泊り込んでいたのかもしれない。
春先の九州とはいえ、高原のこの辺りはまだ冷える。
事務室の暖を取るのに活用されていたのは、薪のストーブ。
このストーブもここにそのままあったものだという。
薪をくべているのは大畑の名誉駅長で、地元の先生。
軒下の煙突から立ち昇る薪ストーブの煙は
今の大畑が無人でないことの証。
やはり人の匂いを感じることができる駅の姿はいいものだ。
駅舎内の旅客待合室には、
壁一面に訪れた人達の名詞類が貼り付けられている。
貼ると出世すると言われているのだが、私に限っては効力が無いらしい。
今年はもう貼るのをやめた・・・。
昔ながらの木造ラッチ。
その向こうに人影があると、駅の温かみが増すような気がする。
大畑の歴史を物語る石造りの給水塔跡。
蒸気機関車時代の大畑は、
峠越えに備えた給水所としての役割が大きかった。
蒸気機関車の名残りはこんなところにも。
機関士が手や顔についた煤などを洗い落とすため
ホーム上に設けられた湧水盆からは
今でも滾々と水が湧き出ている。
駅の周りにたくさん植えられている桜の木。
ここも地元の方々が世話をしているのだそうだ。
満開の時期に訪れてみたいものだが、手軽に来られる距離でないのが残念。
周囲に人家などが無い大畑駅前。
唯一目に付くものといえば駅の向かいにある神社の鳥居くらい。
その鳥居越しに駅舎を眺めてみた。
山道に近い参道を登りきると、やがて木造の社が見えてくる。
こんな辺鄙なところに神社を建立したのには、
運行の安全などを願う大畑駅とのつながりがあるのだろうか?
神社の裏手からは白髭岳が一望でき、手前には満開の梅林。
予想していなかった絶景がそこに広がっていた。
駅へ戻ると、次に乗る列車が山の上のループ線に顔を覗かせている。
もうすぐこの駅ともお別れ。
地元の特産品と共に売られていた木製の鉄道手形。
お世話になったお礼を兼ねて、記念に一枚買っていこう。
「先生、最後に一枚写真を撮らせてよ」と言うと、照れて横を向く。
でもこの飾らぬ笑顔に惹かれた。
大畑駅を愛する友の会の皆さんお世話になりました。
また必ず寄らせていただきます。
写真はすべて、11.03.13 肥薩線 大畑にて撮影。
(RAW現像時モノクロ設定)