懐かしの撮影記・・・「国鉄最後の日」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]
例年、 鉄道界では年度末を控えた3月の中旬に大幅なダイヤ改正が実施され、それを機に運転を開始する新たな列車や車両があれば、逆に引退してしまう車両や列車なども数多く見られます サヨナラ~(´;ω;)ノシ~~~。個人的な印象としては、例年よりも比較的おとなしかったように思う今春の引退劇ですが、それでも先日に拙ブログでお伝えしたような、地下鉄銀座線の01系や京成電車の3500形、JR烏山線のディーゼルカー・キハ40などが長年走り続けた鉄路を去り、さらには国鉄時代の名車・583系も来月に引退を控えています (´・ω・`)ショボン。まさに春はお別れの卒業シーズン・・・(つ゚A`。)ノ゚+。*゚+。卒業。+゚*。そんな数々の「さよなら」が毎年のように繰り広げられてきたこの時期において、もっとも印象深く私の記憶に刻まれているのが、今から30年前になる1987年の出来事 (´ω`)ナツカシス。この年の春はダイヤ改正による列車の廃止などというものではなく、もっととてつもない大きなものが無くなろうとしていました σ(゚ー゚*)ナニ?。それは、北は北海道から南は九州まで、日本全国に路線網が張り巡らされていた国営の鉄道。そう「日本国有鉄道」こと「国鉄」です (゚∀゚*)オオッ!!。
明治時代の鉄道開業(1872年)以降、国営事業として運営・運行されてきた国鉄は、モータリゼーション(クルマ社会)の急速な進展がもたらす鉄道離れや、新幹線等の莫大な建設費、さらには雇用が多すぎると言われた人件費などにより、1970年代には経営が悪化 (´д`;)アウ…。それを運賃の値上げやローカル線の切り捨て(廃止)などによって回復させようとしたものの、かえって利用者を減らす結果となってしまい、巨額の赤字を抱えてしまいました (つω`。) ボンビー。政府は国鉄の再建を断念し、法的に国鉄の分割と民営化を決定 m9(`・ω・´)ケテイ!。今までの国鉄が行なっていた全国画一規模の大雑把な経営ではなく、民営の旅客6社(北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州)と貨物1社による、地域や業種を振り分けた方法での鉄道再建に望みを繋ぐこととしたのです。これが「国鉄の分割民営化」(・o・*)ホホゥ(最近はJR北海道の経営などで、この分割民営化があらためて問題視されていますが、私は鉄道の評論家ではない単なる鉄ちゃんなので、ここでそのハナシに触れることはしません)。
その国鉄を引き継ぐ新会社への移行、いわゆる「JR」の発足は1987年4月1日に実施。つまり前日にあたる同年3月31日が、国鉄にとっての最終日ということになります サヨナラ~(´;ω;)ノシ~~~。しかし、列車の廃止や車両の引退なんかはよくあることですが、経営の大本となる国鉄自体が無くなると言われても、当時まだ学生だった私にはいまいちピンと来ませんでした σ(゚・゚*)ンー…。いつもフツーに使っていた国鉄が、国鉄じゃなくなる!? ( ̄△ ̄;)エッ…。じゃあ、なんて呼べばいいのさ? え?じぇいあーる!? JR常磐線?? JR柏駅??? ウソでしょう・・・ ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \。な~んて、今じゃ日常的に使っているJRって名称ですが、当時はそんな風に変わるなんて、にわかには信じられなかったんです。そんな私が国鉄が無くなることを実感したのは、ゴクミのCM・・・ではなく (´∀`;)ゴクミ…、この電車の顔を見たときでした (=゚ω゚=;)ンン!?。
柏のホームに停車しているのは、
常磐緩行線と地下鉄千代田線を直通する、
「国鉄」の203系。
でも、なんだか違和感が・・・(゚ー゚?)オヨ?。
▲87.3.20 常磐線 柏
当時の私が住んでいた街を走る地元の電車で、見慣れた存在の常磐(緩行)線・203系。この電車は地下鉄千代田線という他社路線へ乗り入れることから、車体には国鉄の所属を示す「JNR(Japanese National Railways=国鉄)」のエンブレムマークが掲げられていたのです (゚ー゚*)コクテツ。ところが上写真の203系を見ると、車両前面の右上(運転席上)にあったハズの「JNR」マークが、黒く潰されているではありませんか Σ(゚∇゚;ノ)ノ エッ!?。これはホントに国鉄が無くなるという現実を、愛着のある車両から直に突きつけられたような、驚きと衝撃を受けました (゚ー゚;)マジカ…。
そして迎えた、国鉄最終日の3月31日。「撮り鉄」って言葉も、「葬式鉄」って言葉もなかった時代でしたが、この日はまさに「史上最大の葬式鉄」が繰り広げられようとしています (ノ゚Д゚)ノ オオオオォォォォォォ━━━!!。私も「鉄ちゃん」(って言葉はあった)の端くれとして自分なりに記録を残そうと、朝からカメラを持って出撃しました (*`・ω・´)-3フンス!。前置きがかなり長くなりましたが、ここからは一本のフィルムに記録された当日の写真を、時系列に沿って順にご紹介したいと思います。まさに「ドキュメント・87.3.31」!。ところどころ記憶が曖昧なところもありますが、30年という時の流れに免じて、どうぞご容赦ください・・・。
一眼レフカメラに装填した
36枚撮りのネガカラーフィルム。
【◎】]ω・´)パチッ!、。
最初の一枚目に写っていたのは、
山手線の田町のホーム先端で撮影した東海道線。
165系の普通列車・静岡ゆき(325M)です。
早朝の5時半に東京駅を発車するこの列車、
どうやら私は地元駅(柏)を初発電車で出かけてきて、
まず、この田町を目指したようです。
(*´O)ゞ.。oOフワァ〜ア…。
▲東海道本線(山手線) 田町
田町に入線する京浜東北線の青い103系。
前面には首都圏の各線で共通デザインだった、
「さようならJNR」のマークが掲げられています。
(゚∀゚)オッ!。
ちなみに、露出アンダーのネガを
スキャン時に無理矢理に明るくしているので、
粒子が粗くてザラザラです・・・。
▲東海道本線(山手線) 田町
同じく「さようならマーク」を掲げて、
山手線を走る黄緑の103系。
山手線のヘッドマークは103系だけで
奥に見える205系には付けられませんでした。
▲東海道本線(山手線) 田町
早朝から田町で粘った私のお目当てがこちら。
当時、絶大な人気を誇っていた電気機関車、
EF58 61(ロクイチ)が牽引するお座敷客車の「江戸」。
(☆∀☆)ロクイチ!!。
これも「さよなら国鉄」絡みの特別列車かと思いきや、
鉄道趣味団体のツアー列車(?)だったようで、
東京と名古屋の間を二日がかりで往復しています。
( ̄。 ̄)ヘー。
さりげなく背後に写り込んだ、
モノレールの500形も懐かしい・・・。
▲東海道本線(山手線) 田町
ロクイチを撮って田町から移動。
首都圏の「さようならマーク」集めに向かいました。
マーク…((((o* ̄-)o。
これは品川で撮った横須賀線の113系。
山手線などと同じ、首都圏共通マークです。
(^_[◎]oパチリ。
たしかここで同業者の方から、
「千葉の113には、別マークが付いているよ」
と言う情報を聞いた私は・・・
エッ(゚Д゚≡゚∀゚)マジ?
▲東海道本線(横須賀線) 品川
・・・品川から総武快速線に乗って千葉へ。
ε=┌(;゚д゚)┘チバ!。
管轄が違った千葉鉄道管理局の113系には、
たしかに首都圏共通とは違うデザインの
「さようならマーク」が掲出されていました。
(゚∀゚*)オオッ!!。
ちなみにこのデザインは総武緩行線の
黄色い103系にも付けられていたのですが、
私はそれを記録することはできませんでした。
▲総武本線 千葉
千葉ではマーク付き以外にもこんな収穫が。
向かって左側に停まっているのは、
関西の日根野電車区から千葉の幕張電車区へ転属してきた、
阪和色の113系です。
(゚.゚*)ハンワセソ?。
分割民営化が実施されて会社が異なると、
このような広範囲の転属はほとんど見られなくなりました。
▲総武本線 千葉
千葉でマーク付きを撮ったら、
再び都内へ逆戻り。
ε=┌(;゚д゚)┘トナイ!。
その道すがらたまたま見かけたのが、
両国に停車していた急行形の165系。
今で言うところの偶然の鉄運か!?
(o ̄∇ ̄o)ラキー♪
「友愛号」ってマークが付いていたけれど、
学生の集約臨か何かでしょうか?
たぶん、国鉄の最終日とは関係ないと思います。
▲総武本線 両国
続いてやってきたのは東京。
静岡からのお座敷客車(ヌマ座)を牽引してきた、
EF58 122が機回し(機関車の入れ替え)中です
(右に見える客車は別列車の寝台特急)。
機関車の正面には新会社のJR東海をアピールする
ヘッドマークが掲げられていました。
(´▽`*)ゲニニ♪。
ちなみにこの機関車が通過している辺り、
現在は東北・上越・北陸新幹線などが発着する、
JR東日本の新幹線ホームになっています。
東京の機回し線、懐かしいなぁ・・・。
(ノ∀`)ナツカシス。
▲東海道本線 東京
慌ただしくも、今度は上野にきています。
ε=┌(;゚д゚)┘ウエノ!。
地平ホームに停まっていた高崎線の211系には、
SLの動輪をモチーフにした高崎鉄道管理局デザインの
「さよならマーク」が付いていました。
(゚∀゚)オッ!。
私はこの列車に乗って、さらに移動。
▲東北本線 上野
上野から高崎線に乗ってやってきたのは、
埼玉県北部、熊谷の先の籠原(かごはら)。
高崎局が設定した国鉄最終日の記念列車が
熊谷と水上(みなかみ)の間を走るとのことで、
それが私の狙いでした。
(*゚∀゚)=3ハァハァ!
ところが、本来いきたかった沿線の撮影地は
列車が通過するまでに間に合わないことが判明し、
仕方なく籠原のホーム先端で妥協しています。
(・ε・`)シャーナイネ。
特別列車の編成はEF60 19が牽引する
高崎のお座敷客車「やすらぎ」。
ヘッドマークが付くって聞いていたのに、
実際はマーク無しですた・・・。
(・・?)アリ?。
▲高崎線 籠原
これは後日、高崎機関区の一般公開で撮影した、
「さよなら国鉄」のヘッドマーク付きの
EF60 19(左)(゚ー゚*)メロンパン。
特別列車にはこんな姿を期待していたのにな・・・。
(・ε・`)チェ。
▲87.4 高崎第二機関区
期待していた特別列車にヘッドマークがなく、
なんだか不完全燃焼で、籠原をあとにします。
ホームに入ってきた上り列車は、
高崎局の「さよならマーク」が付いた115系。
デカ目(白熱球の大型ヘッドライト)がシブい!
(≧∇≦)シブイッ!
▲高崎線 籠原
籠原から都内に戻り、今度は常磐線の北千住へ。
ε=┌(;゚д゚)┘センヂュ!。
ここでは常磐線の中距離電車・415系に掲げられた、
水戸鉄道管理局の「さようならマーク」を記録しています。
(^_[◎]oパチリ。
余談ですが当時の北千住には祖父母が住んでおり、
このときもちょろっと顔を出した覚えがあります。
(=゚ω゚)ノ ヤア!。
▲常磐線 北千住
上野では常磐線の快速電車・103系に付けられた、
首都圏共通の「さようならマーク」を撮影。
ちなみにこのマト9編成は、
全車非冷房だった貴重な初期形で
(中間車8両は1000番台)、
ヘッドマークで隠れていますが、
前面の下部には通風口が残されていました。
赤腕章を付けた車掌さんが、
いかにも国鉄らしいですよね。
▲東北本線 上野
すっかり日が暮れた東京駅で撮った中央線の201系。
この頃になるとだいぶ疲れてきたのか、
かなりテキトーな撮り方をしていますね・・・。
チカレタ…⊂(-ω-`⊂⌒`つ。
当時の中央線ホームはまだ重層化前で、
山手線のホームから中央線が撮れました。
▲中央本線 東京
国鉄最終日はテキトーに撮ってしまった
中央線の201系ですが
数日前にも神田で記録していました。
(^_[◎]oパチリ。
ただし、フィルムは安いモノクロです・・・。
▲87.3.20 中央本線 神田
私はだいぶ疲れが出てきたようですが、
国鉄の最終日はいよいよクライマックスを迎えます。
この日いちばんのメインイベントと言えるのが、
国鉄総裁から各JR旅客会社の社長さん宛に
引き継ぎのメッセージを運ぶという趣旨で、
3/31から4/1にかけて夜行運転された、
特別列車の「旅立ちJR号」。
σ(゚ー゚*)タビダチ…。
同列車は首都圏から新会社の主要駅へ向けて、
6本の列車が設定されましたが
(東京~博多の「九州号」や、上野~札幌の「北海道号」など)
そのなかでもとくに個人的に注目していたのは、
かつての特急「つばめ」に連結されていた展望車、
マイテ49 2をこのために復活させたという、
「旅立ちJR西日本号」(東京~大阪)です。
(゚∀゚*)オオッ!!。
これは是が非でも撮りたい!と、思うも、
当然ながら出発式が行われる東京のホーム上は、
多くのファンや報道陣で溢れかえり、
まさに超激パの状態です。
Σ(`ロ´;ノ)ノ ヌヲォォォッ!
気弱な(?)私はそこに踏み入る勇気がなく、
撮影を断念・・・か!? (´Д⊂ムリポ
▲東海道本線 東京
ところが、
「旅立ちJR西日本号」に使用される客車編成は、
出発駅の東京へ回送する前に、
品川で一時的に留置されているとの情報を友人から聞き、
私は急いで品川へ向かいます。
ε=┌(;゚д゚)┘シナガハ!。
すると、そこには・・・
マイテ、イタ━━━m9( ゚∀゚)━━━━ッ!!
鉄道誌の昔の写真などでしか見たことが無かった、
特急「つばめ」の展望車・マイテ49が、
室内灯を点して佇んでいるではありませんか!
これはもう感動、感激、大興奮!!
ε-(°ω°*)ムフーッ!
残り数枚となったフィルムをここですべて使い切り、
私は国鉄最後の日の撮影を終えたのでした。
▲東海道本線 品川
一枚一枚の写真を見返すと、今も記憶が鮮明に蘇る、あの日、あのとき、あの場所 (ノ∀`)ナツカシス。我ながら、一日でよくこれだけ巡ったもんだよなぁ・・・アセアセヾ(*д*ヾ三ノ*д*)ノアセアセ。各地の「さよならヘッドマーク」を集める様は、まるでスタンプラリーでもやっているような感じですね(笑)。一眼レフカメラを使っての撮影は、まだまだ駆け出しの頃で、駅のホームに停車している列車を正面からの「日の丸写真」で撮るという、「駅撮り」ばかり。いま見れば、もう少し記録的に価値のあるような撮り方ができなかったのかとも思いますが、当時の私はこれがベストだと考えてシャッターを切ったのでしょうし、限られたフィルムの枚数のなかで厳選して撮ったものですから、むしろ無駄なものなど一枚もなかったんだと思います【◎】]ω・´)パチッ!。写真のウデは未熟でも、私にとってはどれもかけがえのない貴重な記録の数々。そして何よりもこの歴史的な国鉄最終日と翌日のJR発足日を経験できたことは、鉄道を趣味としている者にとって幸せなことだったと感じています (´ー`)シミジミ。
当時買い求めた「さようなら国鉄」の記念オレンジカードと、
国鉄最終日の日付が入った東京駅の入場券。
ちなみに入場券は記念発行されたものではなく、
当時は窓口でふつうに硬券入場券が買えました。
国鉄の最終日から一夜明け、
翌4月1日からはJRの路線として、
新たなスタートを切った各線。
山手線の103系にも「こんにちはJR」の
ヘッドマークが掲げられました。
▲87.4.11 東北本線(山手線) 鴬谷
ここでちょっと訂正を・・・m(_ _)m
前記事の「189系 特急「かいじ」 撮影記」のなかで私は、189系国鉄色の特急「かいじ」の写真を撮影した際の感想として、「やっぱり国鉄特急色には、国鉄時代にデザインされたヘッドマークが似合うなぁ・・・」などと書いていますが、特急「かいじ」はJRの発足から一年後の1988年3月に誕生した特急列車で、ヘッドマークも国鉄からの流れを踏襲した絵柄や字体を採用しているものの、正しくは国鉄時代にデザインされたものではありません。お詫びして訂正いたします 人( ̄ω ̄;)スマヌ。「かいじ」って、てっきり国鉄時代の末期に誕生したんだと思っていたのですが、実は「北斗星」と同期だったのね (^^;)ゞポリポリ。ちなみに「かいじ」の運行初日(88.3.13)、私は新宿で下りの初列車を記録していました (^_[◎]oパチリ(なのに、間違えている・・・)。
29年前の1988年に撮った運転初日の特急「かいじ」。
とくに出発式などは行われなかったと記憶しています。
それにしても、前記事でご紹介した189系「かいじ」と
見た目がほとんど変わらないのは、
スゴいことだよなぁ・・・。
ちなみに上写真のヘッドマークをよく見ると、
現在の「かいじ」マークにはない、
「L特急」の印(左上)がありますね。
▲88.3.13 中央本線 新宿