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懐かしの撮影記・・・“昭和”最後の鉄旅をふりかえる。 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

あおたけ的、懐かしの撮影記
改元によせて・・・
“昭和”最後の鉄旅をふりかえる。
 
 

今上陛下のご退位と皇太子殿下の新天皇ご即位にともなう、平成から令和への改元。今上陛下のご退位に一抹の寂しさは感じるものの、今回の改元はお祝いムードの色が濃いように思います ヘーセー♪ ヘ(゚ω゚ヘ)(ノ ゚ω゚)ノ レーワ♪。
昭和生まれの私にとっては、二度目の経験となる改元。では、前回・・・つまり昭和から平成に変わるときはどうだったのかというと σ(゚・゚*)ンー…、昭和天皇の崩御による自粛ムードが強くて、今回のような賑やかさはまったくありませんでした。
・・・というか、当時まだ学生だった私は天皇制や元号についてあまりにも無知で、「え?天皇陛下がかわる代わると元号も変わるの?ええっ?昭和が終わる!? ( ̄△ ̄;)エッ…」などと、改元の仕組みを初めて知ったもの。しかも今回のような事前に「令和」へ変わることが知らされているわけでなく、昭和天皇が崩御されたその翌日から突然に「昭和」が「平成」になるというのです Σ(゚∇゚;ノ)ノ エッ!?。当然ながら「昭和最後の〇〇」などという意識はほとんどなく、結果的にあれが昭和最後だったんだな・・・とあとになって思うことも多くありました (´ω`)シミジミ。
個人的にそのひとつが“昭和最後の鉄旅”。


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券面に花火大会の様子がデザインされた
長岡駅の入場券。
その日付は【64.-1.-4】。


昭和最後の年となった昭和64年(1989年)は、昭和天皇が1月の7日に崩御されたため、元日から7日までのわずか一週間しかなく、今上陛下が即位された8日からは平成元年となりました (・o・*)ホホゥ。そのため、“昭和64年”と刻印された貨幣などをたまたま目にすると、今でもちょっと特別な価値観を抱きます (゚∀゚)オッ!(私にその実際の価値はよくわかりませんが)。そして私が旅の記念に残していた切符類のなかで唯一、昭和64年を表す“64”の年号が刻印されているのが、信越本線・長岡(新潟県)の入場券 (*・ω・)つ[キップ]
このきっぷを買った昭和64年1月4日、冬休み期間中の私は「青春18きっぷ」を使って上越線、北陸本線の乗り鉄旅に出かけており(むかしも今も旅のスタイルが変わらない、“18きっぱー”のワタクシw)、それが結果的に私にとって“昭和最後の鉄旅”となったのです ( ̄、 ̄*)ナルヘソ。

平成最後の日に振り返る、昭和時代最後の鉄旅。なんだか意味があるような無いような記事ですが、当時に撮ったちょっと懐かしい写真をここでご紹介したいと思います (ノ∀`)ナツカシス。



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「18旅」のスタートは
都心と新潟を上越線経由で結んでいた、
夜行快速の「ムーンライト」
(当時はまだ「ムーンライトえちご」ではなかった)。
リクライニングシートを装備(に改造)した、
急行型の165系が使われていました。
格安で効率よく移動できたこの列車、
私はよく利用したっけ・・・。
(ノ∀`)ナツカシス
▲89.1.3 中央本線 新宿

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早朝の長岡でムーンライトから乗り継いだ
信越線の新井ゆき普通列車は
今でいう「一次新潟色」の115系。
ちなみにこの新潟色をよく見ると
同色の特徴ともいえる“青髭”が少ない、
試験塗装編成でした。
(゚∀゚)オッ!
▲89.1.4 信越本線 長岡

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直江津で北陸本線の富山ゆきに乗り換え。
前年に実施された国鉄からJRへの移行により
ご当地色への塗り替えが進められていた時期でしたが、
この413系はまだ国鉄時代のエンジ色でした。
▲89.1.4 信越本線 直江津

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特急の通過待ち(?)の停車中に、
糸魚川で撮った大糸線の普通列車。
キハ58もこんな色だったんだね・・・。
(゚ー゚;)ミドリ…
▲89.1.4 北陸本線 糸魚川

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長岡から4時間かけて富山に到着。
富山で見かけたこちらの475系は
JR化後に塗り替えられた北陸色で、
近年までこの色が見られました。
おなじみの方も多いかと思われます。
▲89.1.4 北陸本線 富山

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接続時間に余裕のあった富山では
改札を出場。
...(((o*・ω・)o
この写真は富山の駅舎と
地鉄の市内線(路面電車)を
記録したかったのだと思います。
北陸新幹線が開業して、
富山駅も大きく様変わりしましたね。
▲89.1.4 北陸本線 富山

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駅に戻り、ホームで列車を撮影。
(^_[◎]oパチリ
小雪が舞う富山を発車するのは、
速達タイプの特急「かがやき」。
専用色の485系が使われていました。
ちなみに「かがやき」の愛称は、
現在の北陸新幹線に採用されています。
▲89.1.4 北陸本線 富山

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私が乗る普通列車(右)を横目に、
次々と先行してゆく北陸本線の特急列車。
当時の同線はまさに“特急街道”でした。
上はおもに大阪と富山を結んでいた
特急「雷鳥」。
下はおもに米原と金沢・富山を結んでいた、
特急「加越」。
加賀と越中が愛称の由来の「加越」、
ヘッドマークのデザインが好みだったなぁ。
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜
▲89.1.4 北陸本線 富山

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敦賀で見かけたのは、
なんと583系の「雷鳥」!
(゚∀゚)オッ!
当時は寝台特急の間合い運用で
昼行特急の「雷鳥」に
583系が使われていたんですよね。
国鉄特急型好きとしては大興奮の
貴重な記録です。
(*゚∀゚)=3ハァハァ!
▲89.1.4 北陸本線 敦賀

0013.jpg
米原ではふたたび「加越」に遭遇。
(=゚ω゚)ノ ヤア
ボンネット型(489系)の「加越」は
ちょっと珍しかった覚えがあります
(そうでもないのかな?)。
▲89.1.4 東海道本線 米原

0015.jpg
そして同じネガのスリーブながら、
場所が一気に飛んで、ここは静岡。
時間の都合で米原から新幹線を利用し、
静岡で東海道線に乗り継ぎました。
東京ゆきの普通列車は165系。
(≧∇≦)シブイッ!
急行「東海」や「大垣夜行」の間合いで
165系が使われていた366Mは
鉄ちゃんにはよく知られた“乗得列車”でした。
(´艸`*)オトク♪
▲89.1.4 東海道本線 静岡


新宿2300-(上越3765M 快速ムーンライト)-長岡0413~638-(信越1326M)-直江津0803~0814-(北陸538M)-富山1024~1109-(268M)-米原1613~1644-(東海道新幹線 こだま450号)-静岡1845~1935-(東海道366M)-東京2242



当時は“撮り鉄”よりも“乗り鉄”がメインだった私(このころは撮り鉄や乗り鉄って言葉はなかったけれど)。とくに明確な目的地があったわけでなく、北陸本線の普通列車にひたすら乗っているだけという単純な行程でしたが ...(((o*・ω・)o、それでも個人的にあまり目にする機会が少なかった北陸の特急列車を見るだけで楽しかった覚えがあります (*゚∀゚)=3ハァハァ!。
また、駅撮り(ホームでの撮影)ばかりの記録ではあるものの、今になって見返すとけっこう貴重な列車が写っていて、試験塗装の一次新潟色115系や583系の「雷鳥」、ボンネット型489系の「加越」など、スキャンしていて思わず興奮してしまいました ε-(°ω°*)ムフーッ!。写っている車両はすべてが国鉄型だけれど、塗装にJR化後のさまざまなご当地色が見られるのも面白いですね ( ̄。 ̄)ヘー。

今から30年前の昭和64年1月、とくに昭和の終わりや改元などを意識せず、ごく自然な状態で列車に揺られていた旅の記録でした。



そして時代は平成から令和へ・・・
“平成最後の鉄旅”や“令和最初の鉄旅”は、また改めてご紹介しようと思いますが、とりあえず巷の“改元フィーバー”(?)に私も踊らされて、「ありがとう平成・ようこそ令和、山手線全駅スタンプラリー」などをやってしまいますた ヒャヒャヒャ(゚∀゚≡゚∀゚)ヒャヒャヒャ。

9303.jpg

スタンプをコンプリートすると、平成時代に山手線で活躍した205系、E231系、E235系がデザインされた、クリアファイルがいただけます ヽ(´▽`)ノワ~イ♪。




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