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富山地鉄富山港線・・・路面電車南北接続初日 乗車記 [鉄道乗車記]

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2020.03.21 富山地鉄富山港
祝・路面電車南北接続!
開業初日 乗車
 
 
前回からの続きです。
(例のごとく今回も長めの記事となっていますので、ご興味がありましたらお時間のあるときにゆっくりとお読みいただくか、本文をすっ飛ばして写真とキャプションで流れを掴んでいただけたらと思います m(_ _)m)

JRの普通・快速列車が一日じゅう乗り放題となる「青春18きっぷ」を使い、北陸地方へ向かった鉄道旅 (*・∀・)つ[18]。
初日(3/19)は東京から金沢までの列車移動だけに終始し、二日目(3/20)は金沢と能登半島の和倉温泉をむすぶ七尾線(ななおせん)で“乗り鉄”や“撮り鉄”を楽しみながら (^_[◎]oパチリ、ご当地名物の能登前寿司なども堪能 (´ー`)マンゾク。目まぐるしく変わる天候に翻弄されつつも、まずまずの成果を残せて、次の目的地へと移動します...(((o*・ω・)o。
七尾線からIRいしかわ鉄道(第三セクター路線)に津端で乗り換えて、あいの風とやま鉄道(同・以下“あい鉄”と略)へ直通する列車でやってきたのは、越中富山の県都にある中心駅、富山 (゚ー゚*)トヤマ。


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津端から乗った列車が富山に到着。
当駅は近年の改築で高架駅となり、
地平時代の旧駅から大変貌を遂げました。
w(゚o゚)wオオー!
▲20.3.20 あいの風とやま鉄道 富山


富山駅は北陸新幹線の開業(2015年)に合わせて、駅舎や施設の大規模な改築と在来線ホーム(あい鉄とJR高山線)の高架化が長期間で段階的に進められてきましたが (*`=´)┏━>∝∝∝∝ チュィィィィィン…、その工事が昨年(2019年)におおむね完了。新たに高架駅となった下りホームへ私は初めて降り立ちました (゚∀゚*)オオッ!!。そしてこの在来線が高架化されたことによって実現した、当駅におけるもうひとつの“大きな変化”があり、それこそが富山を訪れた私のいちばんの目的です (-`ω´-*)ウム。
ところが、その“変化”が実施されるのは翌日(3/21)からのハズですが、富山駅の改札口を出たところにある構内のイベントスペースでは、何やら気になる催し物が開かれているじゃありませんか (=゚ω゚=*)ンン!?。ちょっくら後ろのほうから背伸びをして、イベントの様子をのぞき見してみると・・・(「゚ー゚)ドレドレ。


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富山駅のイベントスペースで行われていた式典。
背景に設置されたボードには
「富山駅路面電車南北接続開通式(以下略)」
と書かれています。
(゚∀゚*)オオッ!!

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そして・・・
くす玉、ぱっかーん!
(/ ̄ー ̄)/‥∵:*:☆*゜★。::*☆


なんとそこでは「富山駅路面電車南北接続開通式 南北自由通路完成式」なる祝典が行われており (゚∀゚*)オッ!、そしてまさに今、なう、私の目の前でくす玉がぱっかーんと割られたのです 。・:*:・゚’ヾ(´ー`)ノオメデ㌧★,。・:*:・゚'☆。しかも、さらにこのあと、記念電車による「富山駅路面電車南北接続発車式」もあるらしい エッ!(゚Д゚≡゚∀゚)マジ!?。
このような式典があることを私はまったく知りませんでしたが(てっきりコロナの影響で行われないものだと思ってた)、たまたま私が富山に到着したタイミングでちょうど式典のクライマックスに遭遇するとは、これもひとつの“鉄運降臨”と言えるでしょうか (o ̄∇ ̄o)ラキー♪。私は金運やクジ運が決していいほうではないけれど、自分で言うのもなんですが鉄道に関する運だけは強い気がします ヒャヒャヒャ(゚∀゚≡゚∀゚)ヒャヒャヒャ。
 (新型コロナウィルスの全国的な感染拡大が懸念されるなかでの式典開催などについてはいろいろと意見があるかと思いますが、ここではあくまでも私が鉄道趣味としての目線で見た状況、そしてそれを受けての感情を綴っていますのでご理解ください。なお、この時点(3/20現在)で富山県におけるコロナの感染者はゼロでした。今になって見通しが甘かったと言われれば、そのとおりなのですが・・・)


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富山駅高架下の真新しいホームに並ぶのは、
「南北接続発車式」に使われる二本の電車。
(゚∀゚*)オオッ!!
パッと見はどちらも同じ形の電車に思えますが
向かって左は今まで南側で使われていた
富山地鉄富山軌道線用の9000形(9002)で
右は北側で使われていた
元・富山ライトレールのTLR0600形(TLR0608)。
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
ここでは特にテープカットなど行われず、
式典関係者を乗せてゆっくりと走り出しました。
▲20.3.20 富山地鉄軌道線 富山駅

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「富山 つながる、ひろがる。」の
記念ラッピングが施された貸切電車は
富山駅の新ホーム(5番・8番)から
南側へ向けて出発し、
環状線(富山都心線)を一周したようです。
富山駅前へ戻って来たところをパチリ。
(^_[◎]oパチリ
▲20.3.20
富山地鉄軌道線 電鉄富山駅・エスタ前-富山駅


そう、先述した富山駅における“大きな変化”とは、まさに式典のボードに記されていたとおり「路面電車の南北接続」です。
これまで富山市内を走る路面電車(専用軌道区間も含む)は、富山駅の南側に私鉄の富山地鉄(富山地方鉄道)が運行する富山軌道線(南富山駅前〜富山駅〜富山大学前の市内線と丸の内〜荒町〜富山駅〜丸の内の環状線。なお、これは正式な路線区分でなく、おもな運行形態)、駅の北側に富山市などが出資する第三セクター鉄道の富山ライトレールで運行される富山港線(富山駅北〜岩瀬浜)がそれぞれに存在していましたが、両者は地平に位置するあい鉄やJRの富山駅が壁となって、接することができませんでした ( ̄。 ̄)ヘー。


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富山駅を境として南北に分かれていた
富山市内の路面電車。
路線図の上が北側の富山ライトレール(黄色)で、
下が南側の富山地鉄富山軌道線(水色)です。


それが北陸新幹線の開業を機に在来線の駅も高架へ上げる計画が進められ、その工事の完成によって高架となった富山駅の下が貫通(上記地図の赤い部分)。南北に分かれていた路面電車を高架下でつなぐことが可能となり、すでに北陸新幹線の開業と同時に富山駅への乗り入れを果たしていた富山地鉄軌道線の線路に富山ライトレールの線路を延長して接続することで、南北路線の直通運転が行えるようになりました ミナミ(*・∀・)人(・∀・*)キタ。また、これに先駆けて今年の2月(2/22)には富山ライトレールが富山地鉄に吸収合併され、線路も運行会社も整ったうえで明日(3/21)の接続開業(運行開始)を迎えることとなったのです (´ω`)ナルヘソ。


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これは南北接続の工事が行われる前に
富山駅の北側に存在していた、
富山ライトレール・富山港線の富山駅北停留場。
終点を表す“車止め”が設置されていました。
乂`・∀・´)ストップ!
▲06.8.2 富山ライトレール富山港線 富山駅北

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いまから14年前の富山駅北を発車するのは
「ポートラム」の愛称を持つTLR0600形。
電車の背後には高架化される前の
富山駅北口が見えます。
▲06.8.2 富山ライトレール富山港線 富山駅北

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ひとつ上の写真とほぼ同じ位置から眺める、
現在(3/20)の富山駅北口。
立派な高架駅が完成し、
路面電車の線路も高架下にある新駅のほうへ
敷き直されました。
明日からここを南北直通の電車が走ります。
(*゚v゚*)ワクワク♪


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こちらは接続へ向けた工事を受けて、
一時的に少し離れた位置での仮設駅となった、
現在の富山駅北停留場。
吸収合併により富山地鉄の路線となった、
富山港線のTLR0600形が到着しました。
明日からは高架下の新駅へ移転する形となり、
富山駅北としては本日をもって廃止されます。
サヨナラ~(´;ω;)ノ~~~
▲20.3.20 富山地鉄富山港線 富山駅北


そして、日本国内にある旅客営業鉄道路線の全線完全乗車(完乗)を目指している私 (*`・ω・´)-3フンス!。過去に富山地鉄軌道線も、旧・富山ライトレールの富山港線も、起点から終点までの全線を乗りつぶしているけれど、この南北の路線接続によって延長される部分(旧・富山駅北~富山駅)は新たな乗車対象の区間となります (-`ω´-*)ウム。今旅の私が富山を訪れたのは、これを乗りつぶして完乗を果たすことがいちばんの目的。
ちなみに、いまは工事のために一時的な仮設駅へ移動された富山駅北の停留場ですが、もともとあった正規の位置から今回開業する富山駅高架下の新駅(富山駅停留場)まで、富山市が公表した事業概要図を参考にすると、その延長距離は約90メートルだそうな ( ̄  ̄;)90㍍…。


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富山市が公表している
路面電車南北接続事業の概要図。
南側(下)の第1期が北陸新幹線と同じ日に開業し
(私はその時も当日に乗りに来た・・・^^;)、
今回開通するのは北側(上)の第2期事業。
その距離は約90メートルとあります。
( ̄  ̄;)90㍍…

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接続開業の前、
仮設の富山駅北に掲げられていた、
停留場の変更案内。
富山駅へ直接乗り入れることで、
あい鉄や新幹線からの乗り換えが
とても便利になりますね。
(・∀・)イイネ

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なんだかまわりくどく説明したけど、
つまりはココが「つながる」ってこと。
(゚∀゚)アヒャ☆


たかが90メートル、されど90メートル。歩いても1分とかからないわずかな距離であれ、新たに鉄路が伸びるのは鉄ちゃんのひとりとして喜ばしいことですし、鉄道全線の完乗を果たすためには外せません (*`・ω・´)-3フンス!。そして富山の方にとっては南北の交流を深める重要な90メートルとなることでしょう ミナミ(*・∀・)人(・∀・*)キタ。
思いがけず「開通式」や「出発式」の記念式典を見ることができましたが、本来の運行開始は明日が初日。それに備えて今日はここ富山で宿泊することとします (´w`*)ドツカレサン。ちなみに前日に泊まった金沢と同様、コロナウィルスの影響で宿泊客が減少しているからなのか、富山のビジネスホテルもかなりお安い値段設定となっていました。


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路面電車南北接続の前祝い(?)
カンパーイ♪(〃゚∇゚)ノ凵☆
日本海でとれる新鮮な魚介類など、
魅力的な美食名物が多い富山ですが、
今日はお昼にちょっと贅沢をしてしまったので、
ここではホタルイカの沖漬けと
白エビの天ぷらくらいにとどめておきます。
(゚д゚)ウマー!



3月21日(土)


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前日の朝は雨だったけど、
今日はまずまずのお天気かな?
宿泊したお部屋の窓からは
立山連峰の雄大な山並みが望めました。
(゚∀゚)オッ!


富山で迎えた旅の三日目 ('-'*)オハヨ。
前日に撮影へ訪れた七尾線では天候が不安定な“春の嵐”に翻弄されましたが (´д`;)アウ…、テレビで見た天気予報によると今日の北陸地方は穏やかな陽気(晴れ時々曇り)らしい ε-(´∇`*)ホッ。
素泊まりのプランだったので朝食はとらず、早朝の6時過ぎにチェックアウトしてさっそく駅へ向かいます。でも、私がやってきたのは路面電車が乗り入れるJRやあい鉄の富山駅でなく、それに隣接した富山地鉄の電鉄富山駅のほう コッチ…((((o* ̄-)o。
あれ?富山駅を通る路面電車に乗るんじゃないの? (゚ー゚?)オヨ?


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JRやあい鉄の富山駅の南側に隣接した
富山地方鉄道の電鉄富山。
私鉄のターミナルらしい頭端式ホームには
いろいろな種類の電車が顔をそろえて、
それぞれに発車を待っています。
(゚∀゚*)オオッ!
▲20.3.21 富山地鉄本線 電鉄富山


西武「レッドアロー」!、東急田園都市線!、京阪特急!(上写真左から)(*゚∀゚)=3ハァハァ!
電鉄富山の改札を入ると、頭端式のホームにずらっと並んでいたのは、各地の大手私鉄から富山地鉄へ譲渡され、この地で活躍を続ける往年の名車たち w(*゚o゚*)wオオーッ!。
富山地鉄こと富山地方鉄道は富山市近郊に路線網を持つ地方私鉄で (゚ー゚*)チテツ、先に路面電車の軌道線をご紹介しましたが、一般的な電車による普通鉄道の電鉄本線や立山線なども運行しており(むしろそちらがメインと言えるか)、地元利用者を主体とした地域輸送のみならず、宇奈月温泉や立山黒部アルペンルートへのアクセスとして観光客輸送にも力を入れている鉄道です (・o・*)ホホゥ。
ホームに並んで発車を待つ各列車のなかで、個人的にはやはり元・西武特急「レッドアロー」の現・16010形に惹かれますが、この列車は私の目的地には行かない立山線の立山ゆき(寺田経由)なので残念ながら見送り バイチャ!( ゚д゚)ノシ、乗車したのは元・京阪特急の現・10030形が使われた、不二越・上滝線経由の岩峅寺(いわくらじ)ゆき普通列車 ( ̄∇ ̄*)オケーハン。それに揺られて10分ちょっと、電鉄富山から5駅目の南富山で下車します。


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「レッドアロー」には乗れなかったけど、
元・京阪特急の転換クロスシートも
じゅうぶんに座り心地がよい座席でした。
(・∀・)イイネ
▲20.3.21 富山地鉄不二越線 南富山


電鉄富山0615-(富山地鉄不二越線603)-南富山0627

その駅名のとおり富山市中心部の南方に位置する南富山は、先出の路線図を参照していただくと分かりやすいかと思いますが、富山地鉄の不二越・上滝線(電鉄富山・稲荷町〜南富山〜岩峅寺)と軌道線(路面電車)の接続駅であり、南富山駅前の停留場は軌道線本線の起点となっています (・o・*)ホホゥ。


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南富山駅前の停留場に
軌道線の路面電車が入線してきました。
富山港線直通の岩瀬浜ゆきは、
「サントラム」の愛称を持つT100形。
(゚ー゚*)サントラム
▲20.3.21 富山地鉄軌道線 南富山駅前


今回の路面電車南北接続における乗りつぶしでは、新たに延長された箇所の部分的な乗車だけでなく、始発駅の南富山駅前から北行の電車で乗り進めて行こうと思い、私はまず南富山へとやって来たのでした (´ω`)ナルヘソ。そしてここからスタートすることにより、私は空いた車内で最前列の席(運転席背後)をキープ (σ゚∀゚)σゲッツ!。これで座りながら延長部分(南北の接続部分)の前方展望がじっくりと楽しめます m(・∀・)m カブリツキ♪。
ちなみに、南北の直通運転をいちばん最初に行う、いわゆる“一番列車”(初発電車)だと、おそらく同じ狙い(前方かぶり付き)の同業者が多くて混雑するのではないかと思われたため σ(゚・゚*)ンー…、私はとくに一番列車へ乗ることには拘らず、南富山駅前から二番目*に発車する南北直通の岩瀬浜ゆきを選択 (#`・д・)っ゙ニバンジャダメデスカ!。これは前方席のキープなどを考えると、いい判断だったかもしれません ъ(゚Д゚)ナイス。
(*なお、南から北へ直通する北行電車は、私が選択した南富山駅前発(4系統)だけでなく、富山大学前のほうから運行されているもの(5系統)や、環状線を周回するもの(6系統)もあるので、正確には南北直通電車としての二番目ではありません。あくまでも私が乗ったのは南富山駅前発の岩瀬浜ゆき二番列車です (´σД`)コマケェナ)

南北直通・・・いや、富山地鉄軌道線本線と富山港線を直通して北へ向かう4系統の岩瀬浜ゆき電車は、定刻の6時37分に南富山駅前を発車しました (/*´∀`)o レッツラゴー♪。


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運転士さん脇の座席がキープできて、
前方の大きな窓から視界は良好!
m(・∀・)m カブリツキ♪
▲20.3.21 富山地鉄軌道線 南富山駅前
(前方の車窓から)

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繁華街の西町付近ですれ違ったのは、
岩瀬浜のほうから南下して来た、
南富山駅前ゆきの直通電車で、
元・富山ライトレールのTLR0600形。
(=゚ω゚)ノ゙ヤア
▲20.3.21 富山地鉄軌道線 西町-中町
(前方の車窓から)

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車内の停車駅案内。
やがて富山駅の先に
旧・富山ライトレールの区間だった、
北側の駅名が表示されました。
こんなことでも南北の接続を実感。
(´ー`)シミジミ


今日は記念すべき路面電車南北接続の開業日ではあるけれど (*゚▽゚)/゚・:*【祝 接続】*:・゚\(゚▽゚*)、一般の人にとっては土曜日の朝6時半ということで、路面電車が走る併用軌道(道路上に敷かれた線路ね)もクルマの交通量はまだ少なめに感じます σ(゚・゚*)ンー…。
そんな富山市中心部を縦に貫く桜橋電車通り(県道43号および22号)を順調に北上する岩瀬浜ゆきの電車は、じわじわと富山駅へ近づきつつあり ...(((o*・ω・)o、それにあわせて私のテンションもぐんぐん上昇 (*゚∀゚)=3ハァハァ!。先ほど富山地鉄の鉄道線に乗った電鉄富山駅の横をかすめると、やがて車窓の右手には高架駅のJR富山駅がどーんと現れて、交差点を右にカーブした電車はその高架下へ吸い込まれるように突入します (゚∀゚*)オオッ!!。


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富山駅前の交差点で信号による一時停止。
ここから右にカーブすると富山駅で、
コッチ…((((o* ̄-)o
左へ分岐する線路は
富山大学前方面に向かっています。
▲20.3.21
富山地鉄軌道線 電鉄富山駅・エスタ前-富山駅
(前方の車窓から)

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JR富山駅の高架下へ進む電車。
「見つけたぞ、あれが富山駅の入口だ!」
σ(゚ー゚*)ジャブロー?
ちなみに富山駅南側のこのあたりは
2015年3月に開通した第1期事業の部分で、
私はすでに乗車済み
▲20.3.21 富山地鉄軌道線 富山駅
(前方の車窓から)

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私が乗っている岩瀬浜ゆきは、
富山駅停留場の8番ホームに停車しました。
( ̄  ̄*)8バンラーメン
東西自由通路より北側の5〜8番ホームが
今回新設された富山港線のホーム。
通路より南側の1〜4番は既存のホームで、
南富山や大学前方面と環状線が発車します。
▲20.3.21 富山地鉄軌道線 富山駅
(前方の車窓から)

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富山駅の構内に設置された
カウントダウンカレンダーが0日となり、
本日の南北接続開業日を迎えました。
(*゚▽゚)/゚・:*【祝 接続】*:・゚\(゚▽゚*)
5・8番ホームの案内やTLR0600形を
0日表示のカレンダーと絡めて記念撮影。
(^_[◎]oパチリ
▲20.3.21 富山地鉄軌道線 富山駅


富山駅の高架下に設けられた、路面電車(富山軌道線)の富山駅停留場。私が乗っている岩瀬浜ゆきの電車が入線した8番ホーム(7番側は降車専用)は今回の南北接続により新設されたホームで、実はここも先述の“新たに延長された90メートル”のなかに含まれます ( ̄。 ̄)ヘー。乗りつぶし対象となる未乗の部分へすでに片足ほど踏み込んだような形ですが、そんな状態のままで数分間の時間調整を行なったのち、あらためて定刻の7時ちょうどに富山駅を発車。残る未乗部分へゆっくりと歩みを進めてゆきます ...(((o*`ω´)┌ ソロリ、ソロリ~。


0043.jpg
時間調整の間に逆方向(南行)の
南富山駅前ゆきと交換。
(=゚ω゚)ノ゙ヤア
この先の富山港線は基本的に単線区間となります。
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 富山駅
(前方の車窓から)

0044.jpg
そして南北の路線をつなぐ役割を果たした、
新たなる延長部分を進みます。
私の乗りつぶし的にはここがクライマックス。
(*°ω°)-3 ムフーッ!
▲20.3.21
富山地鉄富山港線 富山駅-インテック本社前
(前方の車窓から)

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富山駅をあとにして新設部分を進む
T100形の「サントラム」。
開通前の昨日にも訪れた立ち位置で
今日から直通運転を開始した路面電車をパチリ。
(^_[◎]oパチリ
▲20.3.21
富山地鉄富山港線 富山駅-インテック本社前

0045.jpg
かつて・・・というか
ほんの数ヶ月前まではこのあたりに
旧・富山ライトレールの富山駅北停留場がありました。
とりあえずここを通過した時点で
新設された部分を乗りつぶしたことになります。
ヽ(´▽`)ノワ~イ♪
▲20.3.21
富山地鉄富山港線 富山駅-インテック本社前
(前方の車窓から)

0046.jpg
昨日まで使用されていた
富山駅北の仮設停留場を通過します。
スル━━━( ̄、 ̄*)=3=3=3━━━ッ
ちなみにこの仮設駅近くにはあらためて、
「オークスカナルパークホテル富山前」
という停留場が設置される予定。
▲20.3.21
富山地鉄富山港線 富山駅-インテック本社前
(前方の車窓から)

0047_1.jpg
富山駅北側の様子を
ちょっと高い目線で眺めてみましょう。
(「゚ー゚)ドレドレ
日付入りの記念ラッピングが施されたTLR0600形、
この電車が進んでいるあたりに
かつて正規の富山駅北停留場がありました。
そして線路の先(中央より少し右)に見えるのが、
役目を終えた富山駅北の仮設停留場です。
▲20.3.21
富山地鉄富山港線 インテック本社前-富山駅


90メートル・・・いや、富山駅停留場を発車してからは、だいたい70メートルくらいでしょうか σ(゚・゚*)ンー…、新設された延長部分を噛み締めるようにゆっくりと進んだのち ...(((o*・ω・)o、昨日まで使われていた富山駅北の仮設停留場を停まらずに通過して、既存(旧・富山ライトレール)の富山港線区間へと入った岩瀬浜ゆきの北行電車。
これにて、未乗だった延長部分を乗りつぶせたことになりました ヽ(´▽`)ノワ~イ♪。ほんの90メートルであっても、完乗達成にはやはり感慨深いものがあります。+。:.(´ω`)シミジミ.:。+゚。


0048.jpg
旧・富山ライトレールの区間へ入り、
富山駅の次駅、インテック本社前に停車。
当停留場名は近隣に本社を置く
IT企業のネーミングライツによるものです。
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 インテック本社前
(前方の車窓から)


もう目的(乗りつぶし)を果たしたのなら、次駅のインテック本社前で下車してもいいところなのですが、私はそのまま同列車に乗り続けます (*・o・)ノ Go!。せっかく南北の路面電車が接続した記念すべき開業日に、南端の南富山駅前から乗り始めたのですから、やはり最後は北端の岩瀬浜まで行くべきでしょう (-`ω´-*)ウム。
そして、インテック本社前を発車してからしばらく進むと、これまで道路上の併用軌道を走っていた路面電車は、次駅の奥田中学校前の手前で左に大きくカーブして道路を離れ、その先に伸びる専用軌道(ふつうの線路)へと入りました (゚∀゚)オッ!。


0049.jpg
道路上の併用軌道を走ってきた電車は、
奥田中学校前付近で左へカーブ。
o(- ̄*o)))…コッチ
▲20.3.21
富山地鉄富山港線 インテック本社前-奥田中学校前
(前方の車窓から)

0050.jpg
ここから先はふつうの線路が敷かれた、
専用軌道(鉄道線)となります。
見えているホームが奥田中学校前。
(゚ー゚*)ガッコ
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 奥田中学校前
(前方の車窓から)


路面電車が道路上だけでなく、ふつうの線路を走るのはとくに珍しいことではありませんし、東京の都電荒川線(東京さくらトラム・・・だっけ)も、大阪の阪堺電車も、線内には併用軌道と専用軌道の両区間が存在します σ(゚・゚*)ンー…。
しかし、この旧・富山ライトレール、現・富山地鉄の富山港線には、ほかとは違うちょっと面白い歴史や経緯があり、その特徴が奥田中学校前よりも先(北側)の専用軌道区間に表れているのです (=゚ω゚=*)ンン!?。


0051.jpg
鉄道(一般路線)と軌道(路面電車)の
境界駅となる奥田中学校前には、
ホームの岩瀬浜寄りに
鉄道としての起点を表す0キロポストが
設置されています。
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 奥田中学校前
(前方の車窓から)

0052.jpg
奥田中学校前を出て、
単線の専用軌道を突き進む岩瀬浜ゆき。
併用軌道区間よりも速度が上がります。
バビューン!!-=≡Σ(((⊃゚∀゚)つ
(・・・って、最高速度でも60キロだけど)
▲20.3.21
富山地鉄富山港線 奥田中学校前-下奥井
(前方の車窓から)


奥田中学校前の駅を発車すると、今までクルマに注意しながらゆっくりと走っていいた併用軌道でのストレスを発散するかのように、まるで水を得た魚のごとく専用軌道の線路を突っ走る路面電車・・・いや、車両は変わりませんが、その走りはふつうの列車(鉄道線)に近い感覚 バビューン!!-=≡Σ(((⊃゚∀゚)つ。そして前方を眺めると、路面電車の延長上にある専用軌道にしてはやけに、路盤(線路)や架線柱、踏切などの施設がしっかりとしている印象を受けます ( ̄  ̄*)リッパ。
というのも実は、この富山港線はかつて私鉄の富岩鉄道(ふがんてつどう)によって開業(1924年)したのち、戦時中に物資を港に輸送する重要路線として国有化(1943年)されて国鉄の管轄となり、今から14年前の2006年までは国鉄を引き継いだJR西日本の路線として、普通規格の電車や気動車(ディーゼルカー)を使った列車が日常的に運行されていました ( ̄。 ̄)ヘー。ちなみにJR時代の路線名も今と同じ富山港線(とやまこうせん)。


0053.jpg
これはJR時代の富山港線で使われていた、
国鉄急行型車両の475系。
富山駅のいちばん北側に位置した
7・8番ホームが富山港線の専用ホームでした。
(ノ∀`)ナツカシス
そういえば、新たに設置された富山駅停留場も、
7・8番は富山港線ホームですね
(現・7番は降車専用ホームだけど)。
ちなみにこの475系は
今旅の前々回でご紹介したクハ455形の仲間です。
▲05.12.30 北陸本線 富山


しかし、JR富山港線はクルマ社会の発達などによって利用客が著しく減少し、JRからは廃止も示唆されます (´・ω・`)ショボン。そんな当線の窮地を救ったのが地元自治体の富山市でした (`・ω・´)キリッ。
繁華街の南部地域(駅の南側)に対して、おもに工場地帯だった北部地域の活性化と、クルマに頼らず誰もが便利に移動できる公共交通を軸としたクリーンな街づくりを目指すべく、その交通インフラ整備として富山市は富山港線に着目 σ(゚・゚*)ンー…。JR富山駅を発着していたローカル線の富山港線を見直して、北部地域から富山市中心部の市街地へダイレクトに乗り入れられる「LRT」への転換を提案します。ちなみにLRTとは「Light Rail Transit」の略で、郊外ではふつうの線路の専用軌道を走り、都市部では道路に敷設された併用軌道へ直通できる、おもに路面電車タイプの小型車両(トラム)を使った鉄道の形態 (・o・*)ホホゥ。そのLRT化事業は富山市を中心とする第三セクター会社の「富山ライトレール」が経営の主体を引き継ぐことでJRと合意し、2006年に富山港線はJRのローカル線から富山ライトレールが運行するLRT路線へ、国内では前例のない驚きの生まれ変わりを見せたのです w(*゚o゚*)wオオーッ!。
そして転換の際、奥田中学校前(当駅は転換時に新設)から北側(〜岩瀬浜)の郊外区間はJR時代の施設を活かした専用軌道のままで(架線電圧は直流1,500Vから600Vに降圧)、いっぽう当駅から南側は道路を併用軌道に整備したうえ、街中を経てJR富山駅の北口に設けた富山駅北停留場にいたる路面電車となり センヨー(゚д゚≡゚д゚)ヘーヨー、富山港線はその両区間(専用・併用)を直通して走る、まさにLRTスタイルの運行形態となりました(なお、JR時代に線路が敷かれていた富山から奥田中学校前までの部分は、併用軌道区間への移設という形で部分廃止)。
そんな当線の専用軌道(鉄道線区間)の施設が立派なのは、元・JRの路線を引き継いだという経緯によるものだからです (´ω`)ナルヘソ。


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JR時代の富山の駅名標で
次駅に表記されていた富山口(とやまぐち)は
富山港線のLRT転換でルートから外れて、
廃止となった駅でした。
(´・ω・`)ショボン
▲05.12.30 北陸本線 富山

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車内から撮ったJR時代の城川原の駅名標。
“撮り鉄”より“乗り鉄”がメインだったこの頃の私。
富山港線の記録撮影をまともにしていなかったのが
今となっては悔やまれます。
σ(・∀・`)ウーン…
ちなみにこのとき乗った車両は475系でしたが、
日中の閑散時間帯には単行のキハ120形も使われ、
「ワンマン乗車口」はキハ使用時における乗車口。
▲05.12.30 富山港線 城川原(車窓から)

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こちらは現在の城川原。
当駅は今も交換が可能な二面二線構造ですが、
JR時代は線内で唯一の交換可能な中間駅でした。
(LRT化以降の富山港線は当駅以外でも
いくつかの駅で列車の交換が可能)。
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 城川原
(前方の車窓から)


ちなみに今回の南北接続に先駆けて、富山ライトレールが富山地鉄(富山地方鉄道)へ合併されたのは先述した通りですが、もともと富山港線を開通させた富岩鉄道は国有化される前に富山地方鉄道の前身となる富山電気鉄道に合併されており、わずかな時期ながら富山地方鉄道に改称した同鉄道の富岩線(ふがんせん)として属していた歴史があるのだとか ( ̄。 ̄)ヘー。そして、その富岩線時代(1943年)から数えて77年ぶりに、南北接続によって富山港線は富山地鉄の路線に戻ったと鉄道ファンの間では話題になりました (=゚ω゚)ノ゙オカヘリ!(富岩鉄道→富山電気鉄道→富山地鉄→国鉄(鉄道省時代など含む国有化)→JR西日本→富山ライトレール→富山地鉄という変遷)。


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東岩瀬の駅近くで線路脇(右手)に見られるのは
JR時代(国鉄時代?)に使われていた、
プラットホームの名残。
▲20.3.21
富山地鉄富山港線  萩浦小学校前駅-東岩瀬
(前方の車窓から)

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東岩瀬には沿線で唯一、
JR時代に使われていた駅舎や
プラットホームの一部が保存されています。
(゚∀゚*)オオッ!
前方車窓の左側に見えるのが
普通の鉄道車両を使用していたJR時代のホームで、
右側が現行のLRT(低床車)に合わせたホーム。
その高さは全然違いますね。
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 東岩瀬
(前方の車窓から)

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両方のホームの高さを
電車を入れて見比べるとこんな感じ。
(・o・*)ホホゥ
市街地部分を路面電車として走るLRTは
基本的に普通鉄道の車両よりも小型の電車で、
さらに近年はバリアフリーの観点から
乗り降りしやすい低床車を積極的に導入。
そのため、富山港線のLRT化に際しては
すべての駅のホームが低床車の乗降に対応した
低いホーム(左側)へ改築されています。
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 東岩瀬
(開いた踏切から撮影)

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JR時代・・・というか、
富岩鉄道として1924年(大正13年)に開業した
その当時の木造駅舎が今も残る東岩瀬。
(´ω`*)シブイ
当駅の駅名を聞くと個人的には、
鉄道旅行作家の故・宮脇俊三氏の処女作である、
「時刻表2万キロ」第1章のエピソードが思い浮かびます。
私にとってここは
文学舞台を指す意味での“聖地”だなぁ・・・。
(´ー`)シミジミ


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東岩瀬の旧駅舎は現行の駅施設ではなく、
地域の交流施設として残されたものですが、
建物内は自由に入ることができます。
ホーム側の軒下に見られたのは、
先述したキハ用の乗車口案内。
(゚∀゚)オッ!


そんなちょっと変わった歴史の変遷をたどってきた富山港線の専用軌道(鉄道線)を、引き続き快走するLRT仕様のT100形「サントラム」(゚ー゚*)サントラム。
LRTを軸にした街づくりを目指すという富山市のコンセプトを通した目で見ているからか、それとも実際にLRT化で沿線が活性化したのか、私が以前に訪れたときよりも家々やマンションなどが増えて、新たな住宅街が形成されているような印象を受けます σ(゚・゚*)ンー…。いまの状況だったらここを廃線にしようという考えは起こらないでしょう ε-(´∇`*)ホッ。
かつては唯一の交換駅だったことで駅名が記憶に残っている城川原(じょうがわら)や、開業時の木造駅舎が今も残る東岩瀬(ひがしいわせ)などを前方の車窓越しに眺めつつ北上を続けて ...(((o*・ω・)o、富山駅から24分、南富山駅前から乗り通すこと47分、南北接続の初日におけるトラブルなどが発生することなく、直通電車は定刻の7時24分に終点の岩瀬浜へ到着しました (・ω・)トーチャコ。


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港湾地区に流れる運河を渡りゆく
TLR0600形。
当形には港(PORT)とトラムを合わせた
「ポートラム」の愛称が付けられており、
それが富山港線の路線通称としても
定着しています

(゚ー゚*)ポートラム

▲06.8.2 富山ライトレール富山港線
競輪場前-岩瀬浜


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東岩瀬から競輪場前を経て、
電車はまもなく岩瀬浜に着きます。
前方展望で眺める線路の先に
終着駅を示す車止めが見えてきました。
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 岩瀬浜
(前方の車窓から)

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富山市北部の港湾地区に位置する
富山港線の終点、岩瀬浜。
(・ω・)トーチャコ
これは今回の到着時に撮影したもので、
南富山駅前から乗り通してきた、
富山地鉄のT100形「サントラム」が
折り返し運転に備えます。
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 岩瀬浜


南富山駅前0637-(富山地鉄軌道線・富山港線)-岩瀬浜0724


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こちらは今から14年前の2006年8月、
富山港線がLRT化された直後の同駅。
富山ライトレールのTLR0600形「ポートラム」が
停車しています。
南北接続による運行会社の合併で、
現在の当形は富山地鉄の所属車両となりました。
▲06.8.2 富山ライトレール富山港線 岩瀬浜

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上写真よりさらに半年ほどさかのぼった
2005年12月の同駅。
JRの路線として最後の冬に訪れたときで、
雪深い岩瀬浜に475系が佇んでいます。
(ノ∀`)ナツカシス
こうやって時代ごとの定点写真を見比べると
その変化が分かって面白いものですね。
▲05.12.30 富山港線 岩瀬浜

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JR時代の岩瀬浜には、
古びた木造の駅舎が存在していました。
(´ω`)シブイ
富岩鉄道による開業時の岩瀬浜駅は
現在地よりも北西に200メートルのところに位置し、
そこから移転した際の1946年(昭和21年)に
この駅舎は建てられたのだそうです。
▲05.12.30 富山港線 岩瀬浜

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そしてこれが現在の岩瀬浜。
当駅は路線バスとの連絡に便宜を図るため、
電車のホームとバスの停留所が
フラットに併設されています。
ちなみに木造駅舎は
LRT化の際に取り壊されてしまいました。
(・ε・`)ザンネン
▲20.3.21 富山地鉄富山港線 岩瀬浜


ひと昔前のJR時代も、LRT化された富山ライトレール時代も、私は過去に何度か起点から終点まで乗車している富山港線ですが、路線の乗りつぶしにおける個人的なこだわりとして、経営や運行する鉄道会社が合併や転換などで変わった場合はできるだけ乗り直したいと考えており (-`ω´-*)ウム、今回は初乗りとなる南北接続の新設部分(延長部分)に加え、富山ライトレールから富山地鉄の路線となった富山港線もあらためて完乗することができました ヽ(´▽`)ノワ~イ♪。インテック本社前で下車せず岩瀬浜まで乗り通したのはそれが理由で、これにて私の目的は達成です ミッション( ̄ー ̄ゞ)コンプ。


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富山駅へ戻る際に乗車した南行電車は
南北接続の記念ラッピングが施された
元・富山ライトレールのTLR0600形でした。
(゚ー゚*)ポートラム
ちなみに富山地鉄軌道線と富山港線は、
市内電車における均一運賃が
直通で適用されるため、
たとえば南富山駅前から岩瀬浜のように
始発駅から終着駅まで乗り続けても210円。
逆にたった一区間だけ乗っても同額です。
(*´ω`)つ⌒○ チャリーン
▲20.3.21 富山地鉄軌道線 富山駅


岩瀬浜0801-(富山地鉄富山港線)-東岩瀬0804
東岩瀬0834-(富山地鉄富山港線)-富山駅0901
(東岩瀬に立ち寄ったのは駅舎などを記録するため)


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富山港線への直通(南北直通運行)に使われるのは
T100形「サントラム」(右)や9000形「セントラム」、
TLR0600形「ポートラム」といった低床車のみですが、
南側の市内線(南富山〜富山駅〜大学前)では
いかにも路面電車らしいレトロなスタイルの
7000形(左)も健在です。
(´ω`*)シブイ
この電車が富山港線に直通したら面白いのにね。
▲20.3.21 富山地鉄軌道線 富山駅

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南北接続の開業を記念して、
富山駅の構内では県の名産である
チューリップが配られていました。
ドゾー(*・∀・)つY
(私はいただかなかったけど)

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南北に分かれていた路面電車を
くっつけちゃうなんて、
まさに「AMAZING TOYAMA」!
(゚∀゚)アヒャ☆
▲20.3.21 富山地鉄軌道線 富山駅


南北接続の新規部分を含む岩瀬浜までの乗りつぶしを終えて、岩瀬浜や東岩瀬の駅周辺をちょろっと眺めたのち(先にご紹介した東岩瀬の駅舎などの様子はこの時に撮影)、南富山駅前ゆきの南行電車に乗って富山駅へ戻ってきました (=゚ω゚)ノ゙タライマ。
さて、お次は富山地鉄の鉄道線で朝に見かけた元・西武特急「レッドアロー」(16010形ね)でも沿線で撮ろうか、それとも富山から高岡へ移動して、景色のいい富山湾沿いを走る氷見線(ひみせん)を訪れようか (・∀・)イイネ・・・と、まだまだ富山周辺での“鉄分補給”を続けたいところではありますが、惜しいけれど今旅はここまで ( ̄△ ̄;)エッ…。
一昨日(3/19)に東京から金沢までやってきた時と同様、「青春18きっぷ」を手にしている私はこれから、在来線の普通列車をいくつも乗り継いで東京へ帰るつもりです。そうすると、もう富山にいられる時間は残されていないのでした ( ̄、 ̄)ナルヘソ。それでも、路面電車南北接続の初日という記念すべき日に乗車を果たせただけで、じゅうぶんに満足です (+`゚∀´)=b OK牧場!。

さ、東京へ帰るか・・・カエロ…((((o* ̄-)o。


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帰る前に食べたこの日のお昼ゴハンは、
富山駅構内の駅そば屋さんでいただいた
白えび天そば。
ご当地名物の白エビがこんなにのって
530円とは嬉しいお値段です。
ソバ(゚д゚)ウマー!
そして付け合わせのいなり寿司は、
一ヶなんと40円!
駅そば好きにはたまらん名店だなぁ・・・。

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お昼すぎ、
あい鉄の泊(とまり)ゆき下り列車に乗って、
富山をあとにします。
また来るよっ!
マタネ!(=゚∇゚)ノシ
▲20.3.21 あいの風とやま鉄道 富山

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前日に乗った津幡〜富山と同様、
富山から糸魚川まではJRの路線でない
第三セクター鉄道(あい鉄・トキ鉄)の区間なので
「18きっぷ」は使えず、
普通乗車券を買って乗車します。
運賃は1,550円。
(*・ω・)つ[キップ]

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泊では新潟県の三セク鉄道、
えちごトキめき鉄道(トキ鉄)の
日本海ひすいラインに乗り継ぎ。
当線(当ライン?)は電車でなく、
ディーゼルカーのET122形で運行されています。
イーティー(*´∀`)σ
▲20.3.21 あいの風とやま鉄道 泊

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富山と新潟の県境に位置する
市振(いちぶり)付近の車窓に広がるのは
日本海の海景色。
昨日の“春の嵐”と打って変わって
今日は快晴です。
(´▽`*)イイテンキ♪
▲20.3.21 あいの風とやま鉄道 越中宮崎-市振
(車窓から)

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糸魚川(いといがわ)でJRの大糸線に乗り換え。
ここから先は「18きっぷ」が使用可能です。
(*・∀・)つ[18]
接続した南小谷(みなみおたり)ゆきは
キハ120形の単行。
車内は空いていてボックスシートに座れました。
▲20.3.21 大糸線 糸魚川

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海の次は山の景色。
妙高戸隠連山の雨飾山(あまかざりやま)が
雄大な姿を見せています。
(゚∀゚)オッ!
▲20.3.21 大糸線 頸城大野-姫川(車窓から)

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長野県の南小谷でさらに大糸線を南下する
信濃大町(しなのおおまち)ゆきに乗り継ぎ。
ε=┌(;゚д゚)┘ノリカエ!
ここでJR西日本から東日本の管轄となり、
車両はE127系です。
▲20.3.21 大糸線 南小谷

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信濃大町で乗り継いだのは、
大糸線、篠ノ井線、中央東線を直通する、
上り普通列車の富士見ゆき。
ロングランの列車ですが
ロングシート仕様の211系(右)でした。
( ̄  ̄;)ポテロング…
ちなみにこのあと
富士見で乗り継いだ大月ゆきも
同仕様の211系。
▲20.3.21 大糸線 信濃大町

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そして今旅のラストランナーは
大月で乗り継いだ東京ゆきの中央特快。
馴染みのあるオレンジ帯のE233系を見ると、
家が近づいた感覚で気分が落ち着きます。
ε-(´∇`*)ホッ
▲20.3.21 中央本線 大月


富山1247-(あい鉄543M)-泊1333~1352-(トキ鉄1639D)-糸魚川1420~1514-(大糸432D)-南小谷1616~1619-(5433M)-信濃大町1713~1719-(1542M)-富士見1910~1945-(中央446M)-大月2126~2131-(2130M 中央特快)-三鷹2244

往路は東海道本線と北陸本線を乗り継ぐ米原経由で金沢に到達しましたが、復路は変化をつけるために旧・北陸本線を引き継いだ三セク鉄道のあい鉄とえちごトキめき鉄道で富山から日本海に沿って北上し ...(((o*・ω・)o、新潟県の糸魚川(いといがわ)で大糸線に乗り換え ε=┌(;゚д゚)┘ノリカエ!。そして篠ノ井線、中央本線(中央東線)を経て、富山から約10時間の長旅で東京に帰ってきました (=゚ω゚)ノ゙タライマ。

金券ショップで購入した格安価格の「青春18きっぷ」を使って北陸地方を訪れた今旅。能登半島の七尾線では引退が迫る国鉄型車両が記録でき、富山の路面電車では南北接続という歴史的な開業日に立ち会えた、それぞれに目的を果たせて充実した鉄道旅となりました。
ただ、新型コロナウィルスの感染拡大が懸念されるなかでの三連休に出かけたことについては、現在のような強い外出の自粛が要請されていなかったため、自分のなかでまだ危機意識が低かったというのが正直なところ。今となってはそこを反省すべきかもしれません。でも、言い訳や開き直りに聞こえるかもしれませんが、出かけてしまった過去を取り消すことはできず、今できることはこれからでも意識を高めて、不要不急の外出を抑えるのが大事だと思っています。
今旅から帰った翌週以降は私の住む東京都内で知事による外出自粛要請が出され、格安で買った「18きっぷ」はけっきょく今旅での3回分しか使用することができませんでした(残りは“不要不急”でなく“必要”な外出に使う友人へ、500円+カフェラテ一杯で譲渡した)。それでも、購入額の10,080円分はじゅうぶんにモトが取れたので(東京から米原経由の金沢までだけでも、普通乗車券なら片道10,010円)、まあヨシとしましょうか。

コロナウィルスの感染が終息して、ふたたび安心してお出かけできる日が一日も早く戻って来るよう願っています。