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丹後陸海交通・・・天橋立ケーブルカー乗車記 [鉄道乗車記]

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2024.07.29 丹後海陸交通
絶景!と残念?の天橋立
天橋立ケーブルカー 乗車記
 
 
前回からの続きです。

7月のおわりに数日間の夏季休暇を取得した私は ( ̄∇ ̄)ナツヤスミ♪、“JR全線の普通列車や快速列車が一日じゅう乗り放題”となることでおなじみの「青春18きっぷ」を使い (*・∀・)つ[18]、自宅のある都内から東海道本線の列車を乗り継いで、関西方面へ向かいます ...(((o*・ω・)o。
まずは今年(2024年)の3月に路線の延伸が行われた北大阪急行線(北大阪急行電鉄・南北線)の千里中央と箕面萱野(みのおかやの)のあいだを乗りつぶして当線の完乗を達成 ヽ(´▽`*)ノワーイ♪。
そのあと、大阪から福知山線(JR宝塚線)の快速列車と普通列車を乗り継いで丹波路を北上し、京都府北部および兵庫県北部のいわゆる“北近畿地域”へとやってきました (゚ー゚*)キタキンキ。
ここでの目的は今や数を減らした国鉄型車両の113系のうちの一本に施された、ひと昔前の“福知山色”といわれる車体色を復刻した編成を撮影すること (・∀・)イイネ。その運用を事前に調べたうえで翌朝に舞鶴線の沿線で臨んだ撮影では、蒸し暑さを感じる気温の高さながらも晴天の良好な日差しに恵まれて、のどかな里山風景に映える黄色い福知山色の113系を、田園の稲穂などと絡めていい感じに記録することができました (^_[◎]oパチリ。はるばるここまで来た甲斐のある大満足の成果です ъ(゚Д゚)ナイス。
お目当ての福知山色を無事に撮り終えた私は、舞鶴線と山陰本線を直通する福知山ゆき普通列車に乗り、前日の経路を戻るかたちでふたたび福知山へ ...(((o*・ω・)o。
さて、ここから次に私が向かうのは・・・σ(゚・゚*)ンー…。


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路線や駅、地名などの位置関係が
つかみやすいと思われるので
前回の記事でもご紹介した
北近畿地域のざっくりとした路線図を
今一度ここに貼っておきましょう。
乂ΦωΦ=)エックス!


北近畿地域の交通の要衝である福知山は、JRの山陰本線、福知山線、そして京都丹後鉄道の宮福線、その三線が接続して“X”の文字のように当駅より四方へと路線が伸びている事から、“北近畿ビッグXネットワーク”と呼ばれるこのエリアの中心駅となっています 乂ΦωΦ=)エックス!。
そんな福知山で私は山陰本線からこちらの路線へと乗り換え。


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JR福知山駅の構内の
東側に併設された
京都丹後鉄道(丹鉄)の連絡改札。
券売機できっぷを買って入場します。
(*・∀・)つ[キップ]
▲24.8.29 京都丹後鉄道宮福線 福知山

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福知山の丹鉄ホームは
島式一面の二線構造で
向かって左手に特急列車
右手には普通列車が待機中。
私が乗るのはどっち?
トッキュー?(゚д゚≡゚д゚)ドンコー?
▲24.8.29 京都丹後鉄道宮福線 福知山


JRの路線でのみ有効な「青春18きっぷ」では利用できないため、あらためて福知山の連絡改札口にてきっぷ(乗車券)を買ってから乗車するのは、京都府の第三セクター鉄道(運営は民間企業による上下分離式)で京都丹後鉄道の宮福線 ( ̄  ̄*)タンテツ。
当線のホームにはすでに特急列車と普通列車の気動車(ディーゼルカー)がそれぞれ停車しており、ディーゼルエンジンのアイドル音をカラカラと響かせて発車の時刻を待っています (=゚ω゚)ノ゙ヤア。え?セコい私が乗るのはどうせ特急料金のかからない普通列車のほうだろうって? (´・ω`・)エッ?。いやいや何をおっしゃるウサギさん、ここは優雅に特急列車へ乗ろうじゃありませんか (´∇ノ`*)オホホホホ♪。


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乗車券とあわせて
特急券(自由席)も購入。
特急列車に乗っちゃいます。
(・∀・)イイネ

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特急「たんごリレー」に使われるのは
先頭車が滑らかな流線形のKTR8500形。
この車両は元・JR東海のキハ85系
その外装や内装は
JR時代とほとんど変わっていない様子。
( ̄  ̄*)ヒダ
▲24.8.29 京都丹後鉄道宮福線 福知山


福知山発、宮津(みやづ)経由の網野(あみの)ゆき、特急「たんごリレー1号」(゚ー゚*)タンゴ。
最近の私にしては珍しく(?)特急列車を利用するのは、ここから先の行程を効率的にめぐるうえで特急が有効だというのがいちばんの理由ですが、実はそれだけでなくこの特急に使われる車両に惹かれたからということもあります。それが元・JR東海のキハ85系で、現・京都丹後鉄道のKTR8500形 (゚∀゚*)オオッ!。
おもに高山本線の特急「ひだ」(名古屋〜高山・富山)や紀勢本線の特急「南紀」(名古屋〜紀伊勝浦)に使われたJR時代には“ワイドビュー”の愛称が付けられて、客室から前方の視界が望める大きな前面窓や、座席を一段高くすることで側窓からの眺めも配慮するなど、利用者やファン(鉄ちゃん)に人気の高かった特急型車両です
ワイド(o ̄∇ ̄o)ビュー(あらためて調べて知ったけど、当系がブルーリボン賞やローレル賞を獲っていないのは意外だな・・・)。
しかし1989年の製造初年から30年以上が経過したことで、後継となる新形式(HC85系)への置き換えが進められ、キハ85系は昨年(2023年)にJRから退役 (´・∀・`)オチュカレ。そのうちの4両(ただし2両は予備部品の確保を目的としたもの)が京都丹後鉄道へ譲渡され、北近畿の地を新たな舞台とする特急列車用のKTR8500形として、今春の3月に“再デビュー”となりました (´ω`)ナルヘソ。


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キハ85系あらため
KTR8500形の車内はこんな感じ。
よく見ないとちょっとわかりづらいですが
座席は通路の床面より一段高く
設置されています。
(*゚ェ゚)フムフム


個人的にキハ85系は記憶にある限り「ひだ」で二回、「南紀」で一回乗ったことがあるだけ ( ̄  ̄*)ヒダ。また撮影のほうも置き換えがすすめられた末期に引退を意識はしたものの、けっきょく高山線や紀勢線へ撮影に訪れることはなく、名古屋駅ホームでの“駅撮り”何かのついでに撮った程度の雑な記録しか残せていません (^^;)ゞポリポリ。
なので、ぶっちゃけ私にとって馴染みのある車両というワケではないのですが、JR時代から“名車”との呼び声が高かった当系にここで乗れるタイミングが合ったのならば、特急券をプラスしてでもぜひ乗車してみようと思ったのでした (-`ω´-*)ウム。


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KTR8500形の前面には
「宮津線開業100周年」を記念した
ヘッドマークが掲げられています。
(*゚▽゚)/゚・:*【祝 100ネソ】*:・゚\(゚▽゚*)
なお“宮津線”は宮舞線と宮豊線を合わせた
西舞鶴〜豊岡の総称(正式な路線名)で
もともとこの区間は
国鉄(JR)の路線でした。

▲24.8.29 京都丹後鉄道宮福線 福知山


ちなみに大きな前面窓からの展望が最大のウリのKTR8500形ですが、福知山発の下り列車で先頭となる1号車は指定席で、自由席券を持つ私が利用できるのは2両編成で後ろ側となる2号車です ( ̄  ̄*)ウシロ。
なお、1号車の指定券はすでに完売(満席)とのアナウンスがあり、状況を伺っていたところによるとどうやら外国人観光客向けの旅行会社がまとめて席を抑えているらしく、発車時刻が近づくとツアーガイドさん(添乗員さん)に連れられて乗り込んだ多くの外国人の方たち(おもに中国系?)で1号車はたしかにほぼ満席となっていました。いっぽう自由席の2号車は空席が目立つような余裕のある乗車率で、このような展開(指定が満席、自由がガラガラ)は意外とありがちなんですよね (。A。)アヒャ☆。
エンジンを震わせたKTR8500形の特急「たんごリレー」は、定刻の8時55分に福知山を発車 (/*´∀`)o レッツラゴー♪。


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福知山を出た丹鉄の宮福線は
二駅目の荒川かしの木台を過ぎるあたりまで
しばらく山陰本線と並行したのち
やがて進路を北に取ります
コッチ…((((o* ̄-)o
▲24.8.29 宮福線
福知山市民病院口-荒川かしの木台
(車窓から)


京都丹後鉄道、通称・丹鉄(たんてつ)は ( ̄  ̄*)タンテツ、未完成だった国鉄からの建設(日本鉄道建設公団の建設線)を引き継いで1988年(昭和63年)に第三セクター鉄道(三セク)方式の宮福鉄道として開業した、宮津と福知山の間をむすぶ“宮福線”(30.4キロ)と、廃線に指定された(旧・国鉄の特定地方交通線)JR西日本の宮津線を1990年(平成2年)に三セク方式の北近畿タンゴ鉄道(旧・宮福鉄道)が引き継いだ、西舞鶴と豊岡の間をむすぶ“宮津線”(83.6キロ)、その二路線からなり、宮津線は宮津を境に東側の西舞鶴〜宮津が“宮舞線”、西側の宮津〜豊岡が“宮豊線”の愛称で分けられています (・o・*)ホホゥ(本記事冒頭の路線図を参照)。
いまの私が乗っている特急「たんごリレー1号」は宮福線の福知山から宮津を経て、宮豊線の網野まで継走(直通運転)することから、列車名(愛称)に“リレー”が付けられているのですね(なお網野〜豊岡は引き続き快速列車として運行)(´ω`)リレー。


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福知山市内に所在する牧
このあたりは牧正一古墳
弥生時代の集落跡である石本遺跡など
多くの史跡が存在するそうです。
( ̄。 ̄)ヘー
▲24.8.29 丹鉄宮福線 牧(車窓から)


宮福線の開業時には“宮福鉄道”、宮津線を編入(JRから移管)したときには“北近畿タンゴ鉄道”、そして今は“京都丹後鉄道”の名称を掲げている当鉄道 σ(゚・゚*)ンー…。
もとは京都府が運営を担っていた三セク方式の鉄道会社(北近畿タンゴ鉄道、旧・宮福鉄道)でしたが (゚ー゚*)タンゴ、利用者の減少等による経営不振で存続の危機に直面したところを、おもに高速バスのWILLER EXPRESS(ウィラーエクスプレス)で知られるWILLER(ウィラー)が鉄道事業の子会社として発足した、民間企業のWILLER TRAINS(ウィラートレインズ)へ運営および運行を引き継ぎ、その際に名称(通称?)が現在の“京都丹後鉄道”となりました (゚ー゚*)タンテツ。
なお、駅や線路などの鉄道施設、および車両は引き続き京都府の三セク鉄道である北近畿タンゴ鉄道が保有しており、ウィラートレインズはそれを有償で借り受けるという形で運営。このように土地や施設、車両は府や県などの自治体が保有や管理をし、列車の運行業務や乗車券販売などの運営を民間の会社がおこなうものを、第三セクター鉄道の“上下分離方式”と呼びます ( ̄。 ̄)ヘー。
余談ですが私は宮福鉄道時代の宮福線、国鉄時代ではないもののJR時代の宮津線、北近畿タンゴ鉄道となった時代の両線、そしてウィラートレインズの丹鉄と、いずれの時代も一度は全線を乗車しています。


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大江山のふもとに所在する
福知山市大江町の大江は
旧・大江町の中心駅で
私が乗る特急列車も停車します。
( ̄  ̄*)オーエアナ
▲24.8.29 丹鉄宮福線 大江(車窓から)

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緑濃き夏山が眩しい大江山。
前面展望でなくとも
側窓の大きなKTR8500形から
眺める景色は“ワイドビュー”。
ワイド(o ̄∇ ̄o)ビュー
▲24.8.29 丹鉄宮福線 二俣-大江山口内宮
(車窓から)


鉄道運営のちょいとマニアックなお話(?)をしちゃいましたが、特急「たんごリレー」は丹後内陸ののどかな里山を順調に北上してゆきます ...(((o*・ω・)o。
“18きっぷ旅”の普通列車では味わえない快適なリクライニングシートに身をゆだねて、その大きな車窓に酒呑童子の伝説などで知られる大江山の山なみなどをのんびり眺めていると (´ー`)マターリ、やがて列車はいくつかの長いトンネルを抜けて福知山市から宮津市へと進み、景色が山あいから街なみに変わったところでまもなく停車した駅は、丹鉄の路線が集う要衝でウィラートレインズの本社も所在する宮津 (゚ー゚*)ミヤヅ。


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宮福線と宮舞線、宮豊線が合流する
宮津の手前ですれ違ったのは
宮豊線の下り普通列車。
▲24.8.29 丹鉄宮福線 宮村-宮津
(車窓から)

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“Y”の字を横にしたような
宮津の駅名標。
方向別に路線の愛称で分けると
宮津から右のほうが宮舞線
左上のほうが宮豊線
そして右下がいま進んできた
宮福線となります。
( ̄、 ̄*)ナルヘソ
▲24.8.29 丹鉄宮津線 宮津
(車窓から)



さて、京都丹後鉄道という名称のとおり、京都府北部に位置する丹後半島の一帯に路線が敷かれた丹鉄 ( ̄  ̄*)タンテツ、その沿線で随一の名所であり観光スポットといえば何といっても、宮城の松島、広島の宮島とならんで日本三景のひとつに数えられる、宮津市の天橋立(あまのはしだて)。おそらく、いや間違いなく1号車に乗られた外国人観光客の方たちもそこが目的地でしょう ( ゚ゝ゚)イエス。
でも、鉄道路線に乗ること(乗り鉄)や、沿線で列車の写真を撮ること(撮り鉄)を旅のおもな目的とする私。これまでも観光名所の最寄駅を列車で通りはするけれど、下車せずにスルーしてきたことは数知れません スル────( ̄、 ̄*)=3=3=3────…。
んじゃ、今回も天橋立はスルー・・・かと思いきや、車窓に宮津湾の青い海がチラ見えして天橋立の駅が近づくと、私はおもむろに座席から腰を上げます。え?ここで降りるのけ? (゚ー゚?)オヨ?


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日本海の宮津湾に面した宮津市。
宮津を発車して西進する
宮豊線の車窓からは
家なみのあいだにところどころで
海がちらりと見られます。
|∀・)チラッ
▲24.8.29 丹鉄宮津線 宮津-天橋立
(車窓から)



ちなみに宮福線から宮豊線(宮津線の下り方面)へ直通運転する特急「たんごリレー1号」は、宮津で列車の進行方向が逆向きに変わる、いわゆるスイッチバックによって スイッチバック…((((o* ̄-)o、今度は自由席の2号車側が先頭となるのですが、宮津から天橋立まではわずか一駅の数分間なので、座席を回転したり前方の展望席へ移動したりすることはしませんでした。


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快適な乗り心地の特急列車で
福知山からおよそ40分。
天橋立で下車して
網野へと向かう「たんごリレー」を
ホームで見送ります。
バイチャ!( ゚д゚)ノシ
▲24.8.29 京都丹後鉄道宮津線 天橋立

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京都府宮津市内に所在する
丹鉄宮津線(宮豊線)の天橋立。
(゚ー゚*)アマノハシダテ
2015年に改装した瀟洒な印象の駅舎は
天橋立の白砂青松をイメージした
デザインだそうです。
( ̄。 ̄)ヘー
▲24.8.29 京都丹後鉄道宮津線 天橋立


福知山0855-(丹鉄宮福線 特急たんごリレー1号)-天橋立0933

駅名のとおり天橋立をはじめとする丹後観光の拠点となる天橋立駅 (゚ー゚*)アマノハシダテ。構内に併設された観光案内所は国内外の多くの観光客で賑わっています ヘロー!( ゚ゝ゚)ノ。
ふだんなら観光地より鉄道が優先というあまのじゃく(?)な私がなぜここで下車したのか σ(゚・゚*)ンー…、その理由や目的は追い追いわかることとして、とりあえず駅前から接続する路線バスに乗り込みます ( ̄  ̄*)バス。ちなみに「たんごリレー」の1号車を利用していた外国人ツアー客には当駅で観光バスが用意されていましたが、それでも私の乗った路線バスはほかの観光客でほぼ満席。私は席に座れず立って過ごします (´д`;)人大杉。


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天橋立駅前から路線バスに乗車。
オレンジ色の丹海バスです。
鉄道旅でなく“路線バスの旅”で
気分は太川陽介さん気取り?
いや私のキャラ的には蛭子さんか(笑)
(゚∀゚)アヒャ☆
▲24.8.29 丹海バス 天橋立駅

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バスの車窓からの眺め。
ちょっと分かりにくいけど
右手のほうに伸びているのが
天橋立の白砂浜と青松林です。
▲24.8.29 丹海バス 二本松-なぎさ苑前
(車窓から)


バスの車窓より眺めるのは天橋立西側の阿蘇海(あそのうみ)。これは天橋立によって宮津湾から仕切られてできた内海(海跡湖)で、バスはその岸に沿ってぐるっと時計回り(西まわり)に南岸から北岸のほうへ向かって走り進みます …(((o*・ω・)o。思っていたより意外と時間がかかるものだな・・・という印象で天橋立駅からおよそ30分、私がほかの観光客の方たちとともに降車したのは「天橋立ケーブル下」という停留所 ( ̄  ̄*)シタ。


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道標によるとバスが進むこの道は
ひなびた舟屋の情景で知られる
伊根のほうに通じているのね。
そして左には“ケーブル”の表記。
σ(゚・゚*)ケーブル

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バスを降りて見上げると
山腹には縦に伸びる筋が見られます。
あれがケーブルかな?


天橋立駅0955-(丹海バス蒲入線)-天橋立ケーブル下1023

丹鉄の列車を降りた天橋立駅とは、宮津湾を挟んだちょうど対岸(北岸)に存在するもうひとつの“鉄道駅”、それがバス停で“ケーブル下”と表された、“天橋立ケーブルカー”こと「丹後海陸交通 天橋立鋼索鉄道」の府中(ふちゅう)駅 (゚ー゚*)フチュー。
そう、この駅から出る天橋立ケーブルカーに乗ることが、当地を訪れた私の目的です (-`ω´-*)ウム。


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鼓ヶ岳の麓にあるのは
“府中”という駅名だけど
京王線でなく、福塩線でもない、
天橋立ケーブルの府中駅。
瓦屋根が印象的で立派な駅舎です。
(゚ー゚*)フチュー
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 府中


天橋立ケーブルカーは、丹後半島にそびえる鼓ヶ岳(つづみがたけ)の山麓に位置する府中駅と、山腹に設けられた笠松公園の展望台に近い笠松(かさまつ)駅の間をむすぶ、路線距離0.4キロ、高低差130メートル、最大斜度461パーミルの鋼索鉄道(ケーブルカー)(・o・*)ホホゥ。
おそらく観光で天橋立を訪れる大半の人が笠松展望台へ行くのに利用するのではないかと思われますが、このケーブルカーに私が乗車するのはこれが初めてです ( ̄▽ ̄)オハツ。


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800円の往復切符を買って
ホームに入ると
1975年製というなかなか年季の入った
白い車体(?)のケーブルカーが
静かに待機していました。
(´ω`*)シブイ
ちなみに迎えてくれた左の坊やは
笠松公園を名前の由来とした
マスコットの“かさぼう” 。
(=゚ω゚)ノ゙ヤア
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 府中


“国内の旅客鉄道全線完乗”を生涯の目標(?)とする私、今旅で最初に訪れた北大阪急行線の延伸区間(千里中央〜箕面萱野)を乗りつぶしたことにより、とりあえず現段階で一般の鉄道路線にあたる“普通鉄道”(JRや私鉄の路線はもちろん、地下鉄、モノレール、AGT=新交通システム、路面電車などもふくむ)はすべて営業区間の完乗(完全乗車)を果たしています(加えて、法規上は鉄道のトロリーバス、ガイドウェイバスも)(-`ω´-*)ウム。ただし、私の全線完乗記録には必ず『鋼索線を除く』と注釈を入れなければなりません。その鋼索線(こうさくせん)というのが、いわゆるケーブルカー ( ̄  ̄*)ケーブル。
もちろんケーブルカーもレール(線路)の上を走る立派な鉄道の一種ではあるけれど、日本では一部の路線を除いて日常的な生活の交通手段として使われるものが少なく、おもに観光施設や登山のアプローチとして存在することが多いため、これまで個人的には興味が薄くて乗りつぶしの対象外としてきました σ(・∀・`)ウーン…。それでもやはり“例の注釈”が気にならないわけでなく、すべてのケーブルカーの完乗を目指すとは明言しないけど、鋼索線も機会があればぽつぽつと乗りつぶしていこうかな・・・なんて、最近は考えるようになっています。
そこで今回は、福知山色の113系を撮影することが目的で北近畿地域を訪れたのに合わせて(ついでに?)、丹鉄の特急列車となった元・キハ85系(KTR8500形)に乗ることと、私が住む東京からはちょっと来づらい場所にある、この天橋立ケーブルカーを乗りつぶしてしまおうと計画したのでした (・∀・)イイネ。


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標高569メートルの鼓ヶ岳。
その山腹の130メートル地点まで
ケーブルカーの線路が敷かれています。
線路幅はJRの在来線などと同じ
狭軌の1,067ミリ。
今の季節は緑が濃いですが
紅葉の時期などはさらに美しいそうです。
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 府中
(前方の車窓から)


学校が夏休みの観光シーズンであり、また先述のとおり外国人の観光客も多くみられますが、乗った時間の列車(?)はさほど混んでおらず、私は車内でいちばん後ろに位置する席へ好んで座ります ( ̄  ̄*)ウシロ。たいていの場合ケーブルカーは麓側の視界が望めるここが良席ですよね ъ(゚Д゚)ナイス。
15分間隔で運行される笠松ゆきはまもなく発車しました (/*´∀`)o レッツラゴー♪

(なお、車窓からの写真は往復の乗車で撮ったものを、往路の片道分に編集してご紹介しています。ちなみに往路も復路も車内のいちばん後ろに着席 ( ̄  ̄*)ウシロ)


0028.jpg
発車して後方に眺める府中駅。
その向こうにはさっそく
宮津湾(阿蘇海)の青い海面が
見え始めてきました。
(゚∀゚)オッ!
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 府中-笠松
(後方の車窓から)

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路線の中間にある
交換設備でのすれ違いは
交走式ケーブルカーに乗っていて
いちばんの見どころ?
(*゚v゚*)ワクワク♪
二両が交互に行き交う
“天橋立ケーブル兄弟”は
すれ違ったほうが兄の1号車で
私が乗車したのは弟の2号車です。
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 府中-笠松
(前方の車窓から)

0031.jpg
交換施設のある中間点付近で
後ろの麓側をのぞむと
湾内に伸びる天橋立が徐々に
確認できるようになりました。
アマノハシダテ(o ̄∇ ̄o)ハシヤスメアツコ
おや、車両のお顔は山側が緑色なの?
(=゚ω゚=*)ンン!?
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 府中-笠松
(後方の車窓から)

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交換後の後半はラストスパート。
このあたりまで上がってくると
ケーブルカーの線路とともに
天橋立が一望できます。
これは素晴らしい“車窓風景”。
w(*゚o゚*)wオオー!
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 府中-笠松
(後方の車窓から)


急斜面を登坂することからサスペンション(走行時の衝撃を和らげるバネ)などの装備がなく、線路のジョイント(継ぎ目)が車輪を通してゴツンゴツンと足裏やお尻に伝わる、ケーブルカー特有の乗り心地 ゴツン(((´ェ`*)))ゴツン。それを味わいながら、おもに後方の車窓展望を眺めていると (「゚ー゚)ドレドレ、ゆっくりと慎重に高度を上げてゆくとともに、だんだんと宮津湾の海面が見えるようになり (゚∀゚)オッ!、路線の中間で昇降のケーブルカーが行き違う交換設備を過ぎてからは、その湾の真ん中に細く伸びる砂嘴(さし=海流によって運ばれた砂が溜まってできた細長いくちばし(嘴)状の地形)の天橋立を窓越しに広く望めるようになりました (゚∀゚*)オオッ!。絶好の晴天にも恵まれて、これはなかなか壮観じゃないですか (´∀`人)スバラシイ。
もちろん焦らずとも、このあとに控える笠松公園の展望台に上がればもっとスッキリとした眺望を落ち着いて味わえるのだと思いますが ヽ( ̄∇ ̄*)モチツケ、鉄道好き・・・と言うか、のりもの好きの私としては日本三景に数えられるこの佳景をケーブルカーの車内から見られるところに趣を覚えます +。:.(´ω`)シミジミ.:。+゚。


0033.jpg
ケーブルカーが進む前方には
山腹の笠松駅が近づいてきました。
まもなく終点(?)です。
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 府中-笠松
(前方の車窓から)

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せっせと山の斜面を上がりきって
ケーブルカーは笠松駅に到着。
(・ω・)トーチャコ
府中駅で車両の麓側だけを見たときは
白一色だと思っていたけど
山側は濃緑という塗り分けですた。
( ̄  ̄*)ミドリ
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 笠松

0036.jpg
麓の府中駅は立派な駅舎でしたが
こちらの笠松駅は展望台の傍らに
リフトや土産物店などとあわせて併設された
シンプルなもの。
(゚ー゚*)カサマツ
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 笠松


府中駅1030-(天橋立ケーブルカー)-笠松駅1034

後方窓というスクリーンに天橋立を映し出してくれたケーブルカーは、麓の府中駅から4分ほどで山腹に位置する笠松駅へ到着 (・ω・)トーチャコ。これにて私は丹後海陸交通 天橋立鋼索鉄道(天橋立ケーブルカーね)の完乗を達成しました ヽ(´▽`*)ノワーイ♪。
ひねくれた言いかたをすると私がここまで上がってきた目的は天橋立の展望を眺めることでなく、あくまでもケーブルカーに乗ることでしたが (-`ω´-*)ウム、まあ、せっかくならついでにちょっと笠松公園の展望台からも天橋立を見ていきましょうかね(素直じゃないなぁw)(「゚ー゚)ドレドレ。
ちなみに天橋立ケーブルカーに乗るのは今回が初めてだった私はもちろん、笠松公園から天橋立を望むのも初めてです(以前に天橋立駅近くにある“天橋立ビューランド”側の展望台には訪れたことがある)。


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おお〜、絶景かな、絶景かな。
w(*゚o゚*)wオオーッ!
天橋立は海流によって宮津湾にできた
長さ約3.2キロ、幅が20から170メートルの
砂嘴(さし)。
また丹後風土記によると天橋立は
伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が
天界と下界を結ぶために立てた梯子が
寝ている間に海上に倒れたもので
それが“天橋立”という名称の
由来となったそうです。
(*・`o´・*)ホ─

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これが有名な(?)“股のぞき台”ね。
「押すなよ、押すなよ、
ぜ〜ったいに押すなよ!?」(笑)
ヒャヒャヒャ(゚∀゚≡゚∀゚)ヒャヒャヒャ


ケーブルカーからの車窓よりさらに広くスッキリと一望できる笠松公園の展望台はたしかに素晴らしいけど (゚∀゚*)オオッ!、テレビの旅行番組などでもよく見るまさに定番の眺めです(笑)。
ちなみに天橋立の砂嘴が伸びる先の向こう岸(南岸)は天橋立駅があるほうで、ひょっとしたらここから遠くに丹鉄の列車が見えないかと目を凝らしたものの ジ────(@_@*)────ッ、さすがに直線距離で3キロ以上も離れているため、双眼鏡や超望遠レンズのカメラなどを使うならならまだしも、アフリカ人ではない私の肉眼で確認するのは無理がありました ヾノ・∀・`)ムリムリ。
じゃあそれならば、笠松公園からふたたびケーブルカーを利用して早々に下山し、麓のケーブル下停留所で路線バスに乗り継いで、私が次に向かったのは・・・σ(゚・゚*)ンー…


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壮観な眺望と股のぞきを楽しんだら
府中ゆきのケーブルカーへ乗って
はやくも下山します。
...(((o*・ω・)o
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 笠松

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もちろん帰りの乗車時間も4分で
麓の府中駅に到着。
かさぼう、ただいま。
(=゚ω゚)ノ゙タライマ
▲24.8.29 天橋立ケーブルカー 府中


笠松駅1045-(天橋立ケーブルカー)-府中駅1049


0041.jpg
天橋立ケーブル下のバス停からはまた
路線バスに乗り込みます。
天橋立の駅に戻るのでしょうか?
( ̄  ̄*)バス
▲24.8.29 丹海バス 天橋立ケーブル下


往路に乗ったのと同じ路線のバスで来た道を戻りますが ...(((o*・ω・)o、天橋立駅を通り過ぎて宮津の市街地のほうへと進み、私は山王橋(さんのうばし)という停留所で降車 (・ω・)トーチャコ。そこから路地を歩いて数分のところには間接的に停留所名の由来となった、地域の氏神様として祀られる「山王宮日吉神社」があります(バス停自体の由来はその山王宮近くの川に架けられた橋)

天橋立ケーブル下1101-(丹海バス
蒲入線)-山王橋1143(定刻の10分遅れ)


0800.jpg
0801.jpg
大きくて立派な石鳥居と
落ち着いた風情の拝殿が印象的な
宮津市の山王宮日吉神社
大山咋神(おおやまくいのかみ)と
大己貴神(おおなむちのかみ)を御祭神に
宮津総氏神また宮津藩の守護神として
摂社の杉末神社が平安時代に創建。
宮(神社)のある津(船着き場)
という意味を持つ宮津の地名は
この神社が由来だと云われています。

(*・`o´・*)ホ─


まずは拝殿での二礼二拍手にてご挨拶をしてから (-人-*)パンパン 本殿の裏手へまわると、そこにあるのが小高い山の上のほうへ向かって伸びる“近畿自然歩道”の道標が添えられた散策路・・・というか山道っぽい上り坂。それを私は少し急ぎ目で足早に進んでゆきます ε=ε=ε=┌(;・_・)┘。


0803.jpg
神社の裏のほうにある小径は
整備された遊歩道(散策路)ですが
山のほうは意外と傾斜がキツい。
(≧
д≦;)キツイ…


山王宮日吉神社裏の一帯はかつて宮津藩主(京極高広)の別荘地だったそうで、現在は宮津市が管理する滝上公園として整備されており、市内屈指のサクラやツツジの名所なのだとか。そしてその起伏ある園内にそびえる滝上山という標高120メートル程度の小高い山の上には、天橋立が望める展望台(滝上弓ヶ観展望所)が設けられていて、事前に私がネットなどで調べたところによるとそこからは沿岸に敷かれた丹鉄宮豊線の線路も見えるらしい (・o・*)ホホゥ。
そう、ここを訪れた私の目的はその展望台から見下ろす俯瞰アングルで、天橋立の景色とともに丹鉄の列車を撮ること (・∀・)イイネ。しかも実は時間的にまもなく、先ほど私が福知山から天橋立まで乗車したKTR8500形の特急「たんごリレー1号」が終点まで行って折り返した、上り列車の福知山ゆき「たんごリレー2号」がやってくるのです (゚∀゚)オッ!。できればこれを撮りたい
(゚ー゚*)タンゴ
ところが山王橋の停留所にバスが着くのは本来の定刻だと11時33分のハズで、天橋立駅を11時55分に発車して宮津のほうに向かってくる「たんごリレー2号」を展望台で撮るのに間に合うだろうと踏んでいたのですが
σ(゚・゚*)ンー…、実際は道路事情などによってバスは10分遅れの11時43分着 (´・ω`・)エッ?。あと12分間で展望台へと到達するのはけっこうギリギリの際どい展開となっちゃいました ε=┌(;゚д゚)┘イソゲ!。
腕時計をこまめに確認しつつ、気温35度を越える猛暑の炎天下で汗だくになりながら、必死に山道(のような散策路)を上がり続けると ε〜ε〜ε〜(((;;´Д`)ヒィ…ヒィ…、やがて進む先の開けたところに東屋のようなものが見えてきました (*゚ロ゚)ハッ!。あれか?あれが展望台ってヤツか?時計の針は今11時52分をさすところ、ああよかったなんとか間に合いそうだ ε-(´o`;A フゥ…。

駄菓子菓子(だがしかし)・・・(=゚ω゚=;)ンン!?


0044.jpg
滝上山の山上に設置された展望台の
滝上弓ヶ観展望所。
ここから望む天橋立は
まるで弓のような
弧を描いた形に見えることから
“弓ヶ観”と呼ばれているそうです。
はたしてその眺めは・・・
(*゚v゚*)ワクワク♪

0045.jpg
やってきたのはこんなところ
・・・って、
伸びた竹に隠されて
天橋立が見えないじゃんっ!
オイッ!(#゚Д゚)つ
そして丹鉄の線路はドコ!?
<(・ω・`)キョロキョロ(´・ω・)ゞ


み、見えない・・・il||li _| ̄|〇 il||lii
息も絶え絶えに上り切って目標時間までにたどり着いた滝上弓ヶ観展望所(展望台)(;;´-д-)=3 ハァ…シンド…、その見える角度から“まるで弓のように弧を描く天橋立”だということで期待していた眺望はなんと、鬱蒼と雑然に伸びまくった無数の竹によって視界が遮られていて (”ロ”;)ゲゲッ!、宮津湾の青い海面こそかろうじて臨めるものの、天橋立の砂嘴はほとんど隠されていてまともに見えず、また眼下にあるハズの丹鉄の線路などまったくと言っていいほどわかりません Σ(゚□゚*)ナニーッ!!。
うわぁ、マジか・・・この呆然とする状況に直面して一気に脱力し、その場でへたり込んでしまった私 (_ _|||)ガクッ。そのとき無情にも姿が確認できない「たんごリレー2号」のものだと思われる、ディーゼル列車の走行音だけが耳に届きました。どうやら定時運行の通過だった模様 ヽ(´д`;)アア…。


0046.jpg
もしも竹に隠されていなければ
こんなアングルで撮りたかった。
【◎】]ω・`)パチ
弓のように弧を描く天橋立と
左下に写し込んだ丹鉄の列車。
これじゃよくわからないよね(苦笑)
(´Д`)ダミダコリャ
▲24.7.29 丹鉄宮津線 天橋立-宮津

0047.jpg
上写真の列車の部分を
クローズアップ。
竹のブラインドの向こうを
水色の普通列車(KTR700形)が
単行で走っています。
(-ω-;*)ブラインド


以前ならばスッキリと眺望が得られたような場所でも、木々の成長など状況の変化によって視界が遮られてしまうのはよくあることで、とくに山の上から俯瞰するような場所では常にそのリスクを意識しなければならないのですが σ(・ω・`)ウーン…、今回の場所は天橋立という景勝地が望める展望台だということから、ある程度の視界は保たれているものだと私は勝手に都合よく考えてしまいました (´д`;)トホホ…。
思い返してみればこの場所を鉄道の撮影地として検索したネットの作例写真は、まだ国鉄特急形の381系が特急「はしだて」に使われていた頃に撮られていて、10年くらい前のものだったんですよね。それだけの年月が経てば、そりゃ竹も自然に成長するよな "o(-ω-;*)ウゥム。“あおたけが青竹に撮影を邪魔される”なんて、シャレにもならんわ m9(^Д^)プギャー。


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こちらは同展望台から
天橋立のほうでなく
宮津の市街地を望んだ眺め。
かろうじて列車一両分の
視界が抜けていました。
【◎】]ω・`)パチャ
家々が建ち並ぶまちなみのなかを
単行の普通列車が走りゆきます。
▲24.7.29 丹鉄宮津線 宮津-天橋立


これだったら高台の観光施設から天橋立の景色と駅の構内が望める“天橋立ビューランド”か、もしくは別の撮影ポイントに行けばよかったと思うも、それはあとの祭りというものですよね マツリダ♪ヘ(゚ω゚ヘ)(ノ ゚ω゚)ノマツリダ♪。アンラッキーにも結果的にこの滝上山の展望台を選んだのは無駄足となってしまいました。あ〜あ、天候が快晴で青い海がきれいな好条件だっただけに空しさもひとしおだなぁ・・・ (´・ω・`)ショボーン。テンションだだ落ちで足取り重く下山します ε〜ε〜(。 - д -。)トボトボ。
ただ、もしも今後にここへ私のように撮影へ行こうと考えておられる人(同業者)がいて、その前にこの視界が利かないという現状を拙ブログで知ることができたとしたら ヾノ・∀・`)ダメダメ、少しはお役に立てるのかもしれません (-`ω´-;)ウム。そして逆に「竹が伐採されて視界が利くようになった!(゚∀゚)」・・・というような誰かのご報告をいつか私が知れたら、また当地へリベンジに訪れようかな。


0049.jpg
滝上山から下山したのち
気休め程度に(?)
山王宮日吉神社の参道を横切る
丹鉄の普通列車を
鳥居と絡めてパチリ。
【◎】]ω・`)パチャ
“コミューター車両”と呼ばれる
クリーム色のKTR700形です。
▲24.7.29 丹鉄宮津線 宮津-天橋立

0051.jpg
日本海や宮津湾で獲れる
新鮮な海の幸が名物の宮津。
 (〃゚¬゚〃)ジュルリ

できればお刺身や海鮮丼などを
食べたかったのですが
14時ごろに適当に入ったお店は
ランチタイムのお刺身が
もう品切れで終わっており
(なんだかツイてない続きだねw)
私はカキフライ定食をいただきます。
今は旬の時期じゃないけど
ご当地産の牡蛎は美味でした。
カキ(゚д゚)ウマー!

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丹後地域に位置する宮津市の中心駅で
先述のとおり宮福線と
宮津線(宮舞線、宮豊線)が発着し
丹鉄の要衝となっている宮津。
( ̄  ̄*)ミヤヅ
壁に白磁タイルが使われた駅舎は
ただいま内装を中心に改修工事中で
出入口は仮の簡易的なものでした。
▲24.7.29 京都丹後鉄道宮津線 宮津


気を取り直して・・・と言いたいところですが、なんだか気力が戻らずに萎えたまま、神社から宮津の街なかをふらふらと歩き進んで ...(((o´・ω・)o、やってきたのは宮津駅。
ちなみに私は途中にあった適当なお店に寄って昼食をとったけど ≠( ̄〜 ̄*)モグモグ、ダイレクトならば山王宮日吉神社から宮津駅まではだいたい徒歩で30分くらいの道のりでしょうか。もちろん時間のタイミングが合えば先ほどの路線バスで宮津駅まで行くことも可能です(運行間隔はおおむね一時間に一本程度)。
ここからはもう別の撮影地などへ向かう意欲はわかず、また時間的にもそのような余裕がないことから、あらかじめ計画してきた旅程に沿って列車を乗り継いでいきます ( ̄  ̄*)ノリテツ。
朝に福知山色の113系を舞鶴線で撮り、丹鉄の宮福線でKTR8500形の「たんごリレー1号」に乗り、天橋立ではケーブルカーを往復し、そして滝上山の展望台にて「たんごリレー2号」などを撮ってから、宮津駅の近くで昼食を・・・という行程的にはすべて順調だったのに、竹に遮られた視界だけがホントに想定外で残念なことでした (・ε・`)チェ。


0052.jpg
宮津から乗るのは
宮舞線(宮津線)の西舞鶴ゆき
上り普通列車。
さきほどの神社前で撮ったのと同じ
KTR700形ですが
この黄色いラッピング車両は
車内に自転車の積載を可能とした
丹鉄サイクルトレイン」です。
(゚ー゚*)チャリトレ
▲24.7.29 京都丹後鉄道宮津線 宮津

0053.jpg
日本海の宮津湾の沿って走る宮舞線。
その車窓からでも
青く澄んだ海の綺麗さがわかります。
(*’∀’*)ウミ♪
▲24.7.29 丹鉄宮津線 栗田-丹後由良
(車窓から)

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0055.jpg
宮舞線・・・いや丹鉄の全線で
屈指の絶景ポイントといえばやはり
由良川の河口付近に架けられた
長さ551.79メートルを誇る
長大な鉄橋の由良川橋梁
(゚ー゚*)ユラ
列車に乗っているのに
側窓からの眺め(下)は
まるで海上を進んでいるかのような
錯覚を受けます。
w(゚o゚*)w オオー!
▲24.7.29 丹鉄宮津線 丹後由良-丹後神崎
(車窓から)


宮津湾の海岸沿いをゆく栗田(くんだ)のあたりや、丹後由良(たんごゆら)に近い由良川の広い河口付近に架けられた鉄道名所の由良川橋梁など、沿線に点在する景色のよいところを車窓に映して走る宮舞線の列車 (・∀・)イイネ。でもそれを眺めている私は景色の素晴らしさをどこか素直に喜べず、ああ、滝上山でなくこっちへ撮影に来ればよかったなぁ・・・なんて、つい未練がましく思っちゃいます σ(・∀・`)ウーン…。
このあたりも含めて丹鉄こと京都丹後鉄道にはまた機会をあらためて、じっくりと撮影に訪れたいものです。


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西舞鶴で丹鉄の宮舞線から
JRの舞鶴線へ乗り換えます。
おや?ホームに停まっている
左の黄色い電車は・・・
(=゚ω゚=*)ンン!?
▲24.7.29 舞鶴線 西舞鶴

0058.jpg
福知山色
 イタ━━━━m9゚∀゚)━━━━ッ!!

ちょうどタイミングよく
夕方の運用に就く復刻色編成が

待機しており

今朝の撮影以来の再会となりました。
でも私が次に乗る東舞鶴ゆき普通列車は
右側に停まっている125系のほうです。
コッチ…((((o* ̄-)o
▲24.7.29 舞鶴線 西舞鶴


宮舞線の終点の西舞鶴では連絡改札で丹鉄のきっぷ(普通乗車券)を渡しつつ、手持ちの「青春18きっぷ」を提示してJRの舞鶴線に乗り換え (*・∀・)つ[18] 。
その際にJRのホームで見かけたのは、例の“福知山色”が復刻された黄色い113系(S9編成)(゚∀゚*)オッ!。そうか、そろそろ下校や帰宅ラッシュに備えた夕方の運用に就く時間帯なのね (=゚ω゚)ノ゙ヤア。昨日の福知山での初見に続いてまたしてもたまたま出会えた当編成、次に私が乗る列車(そちらは125系)への接続時間がわずか4分しかなく、ホームでサクッとお顔(前面)を撮影した程度でしたが (^_[◎]oパチリ、この嬉しい再会に私はテンションが上がって少し元気が戻りました (o ̄∇ ̄o)ラキー♪。
西舞鶴から隣駅の東舞鶴へ舞鶴線の下り普通列車で移動して、そこからさらに小浜線の敦賀(つるが)ゆき下り普通列車へ乗り継ぎます ノリカエ…((((o* ̄-)o。


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東舞鶴で接続した
小浜線の敦賀ゆき普通列車も
125系二連のワンマン運転でした。
(゚ー゚*)オバマ…
▲24.7.29 舞鶴線 東舞鶴


今回は乗車や撮影がおもな目的でなく、効率的な移動経路のひとつとして利用したためにサラッと流しますが、小浜線は京都府舞鶴市の東舞鶴から、福井県西部に位置する小浜(おばま)など若狭地域、嶺南地域を東進し、同県敦賀市の敦賀にいたる、路線距離84.3キロの電化ローカル線(地方交通線)(・o・*)ホホゥ。
日本海(おもに若狭湾)の沿岸に近いところを走る路線なのですが、意外にも車窓から海景色がスッキリと見える箇所はそう多くなく、田園風景が広がる里山風景の合間でたまにパッと開けて海が望めるような感じです ( ´_ゝ`)フーン。


0060.jpg
京都府から福井県に入り
日本海の若狭湾に沿って走る小浜線。
小浜のあたりでは車窓から
海景色が広く望めました。
(゚∀゚)オッ!
▲24.7.29 小浜線 若狭本郷-加斗
(車窓から)

0062.jpg
小浜線沿線の主要駅で
路線名にも付けられている
福井県小浜市の小浜。
( ̄∇ ̄)オバマ
小浜といえば
その“おばま”という読みで

米国大統領がオバマさんのときに
一躍話題となりましたね(笑)
▲24.7.29 小浜線 小浜
(車窓から)


福知山や宮津など、お伝えしてきたように今日の丹後地域は朝からずっと青空が広がる快晴のお天気に恵まれましたが ( ̄∇ ̄)バリハレ(そのぶんすごく暑かったけどw)、小浜線の列車が府県をまたいで京都から福井へと入り、東進するにしたがって上空はだんだんと雲が覆いだしました (・ω・)クルクモル。この空模様の変化をみると北近畿から北陸地方のほうへ向かっていることを実感します (´ω`*)ホクリク。
天気はさらに下り坂となって、時おりぽつぽつと夕立の雨粒が車窓に付くような状況のなか 、ヽ`┐( ̄  ̄*)アメ、列車は東舞鶴からおよそ二時間かけて終点の敦賀へ着きました (・ω・)トーチャコ。


0064.jpg
雲が広がった夕空のもと
進む列車の車窓にはやがて
遠くに敦賀の街が見えてきました。
▲24.7.29 小浜線 粟野-西鶴賀
(車窓から)

0065.jpg
個人的に久しぶりとなる
小浜線の全線を乗り通して
終点の敦賀に到着。
(・ω・)トーチャコ
若狭や丹後の海色をイメージした
青緑色の125系は
爽やかないいカラーリングですね。
▲24.7.29 北陸本線 敦賀


さて、福井の敦賀といえばご存じ、今春の3月に北陸新幹線が当駅まで延伸開業したことで話題の街であり、17時半の今からでも北陸新幹線に乗れば今日じゅうに余裕で東京へ帰ることもできます (゚ー゚*)チンカンテン・・・が、「18きっぷ」の旅を楽しむ“18きっぱー”のセコい私にはもちろん、新幹線という選択肢はありません (-`ω´-*)ウム。
そして当駅から福井や金沢、富山など北陸方面へ向かう在来線も今では、北陸新幹線の開業にともなって第三セクター鉄道(ハピラインふくいなど)へ転換されたため、特例を除いて基本的に「18きっぷ」では利用できない 乂・∀・`)ダメ。
となると、ここから次に私が「18きっぷ」を使って乗れる列車は・・・σ(゚・゚*)ンー…。

夏の鉄旅はもうちょい続きます  (*・∀・)つ[18]



ONE-shot 552 房総でサロベツ。 [PICK UP ONE-shot]

PICK UP ONE-shot 552 房総でサロベツ。

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“サロベツ”とはアイヌ語の
「サル・オ・ペツ(葦原を流れる川)」
を語源とした
道北(北海道北部)の地名で
天塩郡の豊富町と幌延町にまたがる
広大な湿原のサロベツ原野
有名な観光名所です。
(゚ー゚*)サロベツ

旭川と稚内の間をむすぶ
日本最北の鉄路である宗谷本線には
サロベツを愛称とする列車が
現在は特急として運転されており
その前身にあたるのが
特急に格上げする2000年まで運行していた
急行「サロベツ」。
サロベツ原野やサロベツ川
奥にそびえる利尻富士をデザインした
大きなヘッドマークが印象的な
急行列車でした。
(´ω`*)ナツカシス


そんな急行「サロベツ」が
北海道・・・でなく
なぜか千葉は房総の地で復刻運転!?
(゚Д゚)ハア?

これはかつて道北の急行列車で
おもに活躍していた
キハ400系気動車の種車
(急行型化改造前)が
千葉の小湊鐵道で現在も使われている
キハ40形気動車と同形であったことから
JR北海道の協力により
当時のヘッドマークのイメージを再現して
日曜日に小湊鐵道で運行する
急行列車(観光列車)
期間限定で装着しているのです。
( ̄、 ̄*)ナルヘソ
ファン(鉄ちゃん)には嬉しい
なんとも粋な企画じゃないですか。
ъ(゚Д゚)ナイス

なおヘッドマークは
「天北」「利尻」「サロベツ」「宗谷」
といった4種類の急行が
6月から月代わりで掲出され
三か月目の8月は「サロベツ」です。
(*゚ェ゚)フムフム

すべてのヘッドマークを記録して
コンプリートを目指す
気合いの入ったお仲間も多いみたいですが
私はひとつでも撮れれば
それでじゅうぶん。
そしてこのなかで選ぶとしたら
実際に唯一ホントの北海道で
気動車急行として私が乗車経験のある
「サロベツ」かな
σ(゚・゚*)ンー…
・・・ってことで決まり。


真夏の房総半島に
大きなヘッドマークを掲げて現れた
北の大地の名急行。
その列車名を聞いたら気分的に少しは
暑さが和らいだでしょうか(笑)
。゚(;-∀-A)アチュイヨ…


▲24.8.11 小湊鐵道 上総鶴舞-上総久保



1010.jpg
こちらが92年の12月に
稚内から名寄まで乗車した
宗谷本線の急行「サロベツ」。
ただし通常編成のキハ400系でなく
年末年始の多客対応で増結された
キハ56形です

(゚ー゚*)サロベツ

このころの私は撮り鉄(撮影)よりも
乗り鉄(乗車)のほうに
趣味の比重をおいていた時期で
撮り方がなんとも適当ですが
(駅撮りでなぜか顔のドアップw)
雪がこびりついたキハの厳つい顔に
過酷な環境の宗谷本線を走る
道北の列車らしい趣は
感じられるかと思います。
また、今の暑い時期に見ると

視覚的にちょっと涼しげ?
.゚+.(*´ `*)ヒンヤリ.+゚.
(ちなみにこのあと名寄からは
深名線に向かったのよね)


0812.jpg
小湊鐵道の(観光)急行「サロベツ」。
サロベツ原野みたいな
壮大な湿原ではないけれど
鬱蒼と夏草が生い茂る
房総ののどかな情景もまた
原風景に近いものがあるように思います。
(´ー`)マターリ


舞鶴線・・・113系福知山色 撮影記 [鉄道写真撮影記]

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2024.07.29 舞鶴線
“懐鉄”で復刻の黄色い電車!
113系福知山色 撮影記
 
 
前回からの続きです。

7月の終わりごろに数日間の夏季休暇を取得した私は ( ̄∇ ̄)ナツヤスミ♪、“JR全線の普通列車や快速列車が一日じゅう乗り放題”となることでおなじみの「青春18きっぷ」を使って (*・∀・)つ[18]、自宅のある都内から東海道本線の列車を細かく乗り継いで西方へ向かい ...(((o*・ω・)o、およそ8時間半かけて大阪の新大阪までやってきました (゚ー゚*)シン・オーサカ。
その目的は“国内の旅客鉄道全線完乗”を目標に掲げる私がまだ未乗車である、今年(2024年)の3月に路線の延伸が行われた北大阪急行線(北大阪急行電鉄・南北線)の千里中央(せんりちゅうおう)と箕面萱野(みのおかやの)のあいだを乗りつぶすこと (*゚▽゚)/゚・:*【祝 延伸】*:・゚\(゚▽゚*)。
新大阪で乗り換えた地下鉄御堂筋線の北行電車(上り列車)はそのまま北大阪急行線へ直通する箕面萱野ゆきで、千里中央から先へ新たに伸びた鉄路を前方の展望が見える運転室背後の“かぶりつきポジション”にてじっくりと楽しみながら m(・∀・)m カブリツキ、わずか2.5キロの未乗車区間を難なく踏破。延伸開業から4ヶ月が経ってようやく当線の完乗を果たしました ヽ(´▽`*)ノワーイ♪。
その後、箕面萱野から新大阪へと忙しなく舞い戻ってきた私はJRの同駅に移動し イッタリo(゚д゚o≡o゚д゚)oキタリ、おおさか東線からの大阪ゆき普通列車にひと駅だけ乗って、個人的に降り立つのは初めてとなる大阪の“うめきたエリア地下ホーム”へ到着 ( ̄  ̄*)ウメキタ。新しい地下ホーム(といっても開業からすでに一年以上が経っているけど)に新鮮さを覚えながら構内の連絡通路を歩き進むと、やがてJR京都線やJR神戸線(東海道線)、大阪環状線などが発着する、見慣れた大阪駅の地上ホームへとたどり着きました (゚ー゚*)オーサカ。
さて、関西近郊の各列車が発着するターミナルの大阪駅。ここから私が次に向かうのは・・・? σ(゚・゚*)ンー…。


0001.jpg
大阪うめきたエリア地下ホームから
構内西側の連絡通路を経て
エスカレーターを上がると
環状線や新快速などが発着する
見慣れた地上ホームに出ますた。
(゚ー゚*)オーサカ
▲24.7.28 東海道本線 大阪


西日が差し込むホームで列車を待っていると、ほどなくして入ってきたのは、JR京都線やJR神戸線の「新快速」などでもおなじみの223系ですが (=゚ω゚)ノ゙ヤア、その正面に掲げている種別表示は青文字の「新快速」でなく黄文字の「丹波路快速」タンバ( ̄  ̄*)テツロー。
当列車は大阪の二駅先の尼崎(あまがさき)から福知山線(JR宝塚線)のほうへとすすむ篠山口(ささやまぐち)ゆきの快速です。


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地上の4番線ホームから発車する
福知山線の篠山口ゆき「丹波路快速」。
転換クロスシートを装備した
乗り心地のよい223系(6000番台)です。
(o ̄∇ ̄o)テンクロ
▲24.7.28 東海道本線 大阪


京阪神の近郊区間(アーバンネットワークエリア)では“JR宝塚線”の通称で呼ばれる福知山線は (゚ー゚*)ヅカ、東海道本線と分岐する兵庫県の尼崎を起点に、伊丹、宝塚、三田(さんだ)、篠山口、柏原(かいばら)など、兵庫県の中東部に位置する北摂地域や丹波地域の各駅を経て北上し、京都府北西部に位置する中丹地域の福知山へといたる、路線距離106.5キロの直流電化幹線 (・o・*)ホホゥ。
当線は阪神近郊の通勤路線であるいっぽう、関西都市圏と北近畿地域(京都府および兵庫県の北部地域)をむすぶ役割と、さらには福知山で山陰本線へとつながる陰陽連絡ルートのひとつも担っており、普通列車や「丹波路快速」の愛称が付けられた快速列車のほか、大阪と城崎温泉(きのさきおんせん)のあいだには特急列車の「こうのとり」も運行されています (*゚ェ゚)フムフム。
(なお、福知山線といえばやはり、19年前に発生した脱線事故の衝撃的な印象が強くて、それはもちろんけっして忘れてはならない出来事ですが、旅行記である本記事で触れるべきではない件だと個人的に思うことから、それに関しての記述は控えさせていただきます。お読みいただける方はどうかご理解ください)


3004.jpg
JR宝塚線という
愛称名にも用いられている
沿線の象徴的な街、宝塚。
(゚ー゚*)ヅカ
なお当駅にはほかに
阪急の宝塚線、今津線も発着しており
宝塚といえば阪急のイメージを持つ人が
多いかもしれません。
▲24.7.28 福知山線 宝塚(車窓から)

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その宝塚を出ると
車窓は自然豊かな風景となります。
列車が渡っているのは
立派なトラスの第一武庫川橋梁。
▲24.7.28 福知山線 宝塚-生瀬
(車窓から)


大阪から乗った「丹波路快速」は福知山線を快調に北上し、30分ほど進んだ宝塚を発車すると、沿線風景はこれまでの住宅地が多かったものから緑が豊かな自然の景色へと一変します (*・`o´・*)ホ─。あくまでも個人的な感覚だと、その変化は中央線(中央本線)の高尾を出た下り列車に似た印象 σ(゚・゚*)ンー…。
そんな宝塚から三田にかけての区間は峠越えの山間部にあたり、現在の福知山線の電車は山に掘られた長大なトンネルや谷に架けられた立派な橋梁でここを一気に突き進みますが バビューン!!-=≡Σ(((⊃゚∀゚)つ、かつての当区間は山あいの武庫川渓谷沿いに線路が敷かれた非電化の単線で、そこを客車列車やディーゼルカーがのんびりと走るローカル線のような風情が漂うものだったそうです ノコノコ...(((o*・ω・)o。世代的に当時の当線を知らない(生まれていたけど乗ったことがない)私からすると、風光明媚な渓谷沿いを進む客車列車だなんて、その旅情深さに羨ましさを感じるところですが (・∀・)イイネ、北近畿地域や当線沿線の自治体などは福知山線の近代化と高速化を熱望 八(゚- ゚)オネガイ。それによりとくにネックとなっていた宝塚と三田のあいだは国鉄の末期にあたる1986年(昭和61年)に渓谷沿いの旧線を廃止して、高規格な複線の新線(現行線)へと線路の切り替え(線路の移設)が行われ、それと同時に福知山線全線の電化が完了した(1981年に先行した尼崎〜宝塚に加えて、宝塚〜福知山が電化開業)という歴史があります ( ̄。 ̄)ヘー。


0005.jpg
新線へ切り替えた際に駅が設置された
西宮名塩(にしのみやなじお)は
ホームの一部がトンネルのなかに
突っ込んだような構造の駅。
( ̄  ̄*)ナジオ
▲24.7.28 福知山線 西宮名塩
(車窓から)

0006.jpg
かつては線路が沿っていた武庫川を
現在の福知山線は高架橋でひとまたぎ。
渓谷沿いの旧線を列車が走っていた時代に
一度は乗ってみたかったなぁ。
▲24.7.28 福知山線 西宮名塩-武田尾
(車窓から)

0007.jpg
篠山口で「丹波路快速」から
福知山ゆきの普通列車に乗り継ぎ。
ノリカエ…((((o* ̄-)o
2両編成でワンマン仕様の
223系5500番台です。
なお福知山線が
“JR宝塚線”の愛称で呼ばれるのは
大阪からこの篠山口までの区間。
▲24.7.28 福知山線 篠山口

0008.jpg
丹波大山から谷川にかけて
線路に沿って流れるのは篠山川。
渓谷(川代渓谷)の佳景を
車窓から眺めることができます。
(「゚ー゚)ドレドレ
そういや何年か前
篠山口のレンタサイクルを利用して
このあたりまで特急「こうのとり」
撮りに来たことがあったっけ。
▲24.7.28 福知山線 丹波大山-下滝
(車窓から)

1014.jpg
沿線で比較的大きな街の
兵庫県丹波市柏原町に所在する柏原。
ちなみに漢字で“柏原”と書く鉄道駅は
全国に現在3駅ありますが
その読み方はすべて違っていて
東海道本線の“かしわばら”
(さっき大阪へ来るときに通ったなw)
関西本線と近鉄道明寺線の“かしわら”
そしてここ福知山線は“かいばら”です。
( ̄  ̄*)カイバラ
▲24.7.28 福知山線 柏原
(車窓から)


篠山口までの「丹波路快速」から、福知山線をさらに先のほうへと下る福知山ゆき普通列車に乗り継いで、奥丹波ののどかな田舎風景を車窓に眺めながら北進を続けます ...(((o*・ω・)o。
夏場の今はまだ日が落ちる前の18時半に、私を乗せた列車は終点の福知山に到着しました (・ω・)トーチャコ。


0010.jpg
下り列車が福知山に近づくと
車窓の右手に見えたのは
天守閣が西日に照らされた福知山城
(゚∀゚)オッ!
明智光秀が織田信長の命を受けて
天正7年(1579年)に築城したお城で
(現在の天守閣は昭和61年に再建したもの)
福知山のシンボルです。
(o´∀`o)カコイイ
▲24.7.28 福知山線 丹波竹田-福知山
(車窓から)

0011.jpg
福知山線の終点、福知山。
大阪からの「丹波路快速」も
篠山口からの普通列車も
日曜午後の下り列車は終始
車内がガラガラに空いていました。
(´ー`)マターリ
▲24.7.28 山陰本線 福知山


京都府福知山市の中心駅で、北近畿地域の交通の要衝である福知山は (゚ー゚*)フクチヤマ、私がここまで利用してきた福知山線のほか、京都から当駅を経て日本海側の鳥取県や島根県のほうへと伸びる山陰本線と、当駅と府内の宮津(みやづ)をむすぶ第三セクター鉄道の京都丹後鉄道(丹鉄)宮福線が乗り入れており、各線、各方面の特急列車が接続して発着する時間帯には構内がとくに賑やかな雰囲気となります (゚∀゚)オッ!。


8787.jpg
北近畿地域のざっくりとした路線図。
福知山を中心(交点)として
山陰本線、福知山線、
京都丹後鉄道(丹鉄)宮福線が
“X”の文字のように
四方へ路線が伸びている事から
このエリアの特急列車網は
“北近畿ビッグXネットワーク”
の愛称が付けられています。
乂ΦωΦ=)エックス!



0012.jpg
京都から城崎温泉へ向かう
特急「きのさき」の287系は
Jリーグ「京都サンガF.C.」の
応援ラッピング編成でした。
(゚ー゚*)パープルサンガ
本来は白い車体色の当系が纏う紫色は
イメージが変わってインパクトあります。
▲24.7.28 山陰本線 福知山

1013.jpg
こちらは京都丹後鉄道から
山陰本線に直通して京都へ向かう
KTR8000形の特急「はしだて」(左)と
丹鉄線内の網野ゆき特急列車で
KTR8500系(元JR東海のキハ85系)の
「たんごリレー」(右)
▲24.7.28 山陰本線 福知山


この北近畿地域の特急列車は比較的近年まで、国鉄の時代から使われていた古めの車両、いわゆる国鉄特急型の183系(485系を直流化した800番台)や381系などが残されていて、ファンの注目を集めていましたが (*゚∀゚)=3ハァハァ!、今はそれらが現行の287系や289系(683系を直流化)に置き換えられても、各種の特急列車がホームに集う情景はやはり鉄ちゃんにとって見ごたえがあります (゚∀゚*)オオッ!。
そんななかでとくに私の目をひいたのは、特急列車・・・でなく、こちらの普通列車(からの回送列車)(=゚ω゚=*)ンン!?。


0013.jpg
福知山の構内にたたずむ
鮮やかな黄色い電車は
今やその生き残りが貴重な存在となった
国鉄近郊型車両の113系。
それにしてもこの色は懐かしいな。
(´ω`*)ナツカシス
▲24.7.28 山陰本線 福知山


福知山色、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
山陰本線の普通列車運用に就いていたものでしょうか、福知山に到着して客扱い(営業運転)を終えたらしく、「回送」を表示させて独特のコンプレッサー音を響かせながら、黄色地に青い帯を引いた塗り分けの電車がホームに停まっています (=゚ω゚)ノ゙ヤア。
福知山線で乗った223系などと比べるといかにも古そうなこの車両は、昭和の国鉄時代に製造された国鉄近郊型車両の113系で ( ̄  ̄*)ゲゲサソ、しかも当車(当編成)が纏うこのカラーリングは、個人的に馴染みが深いわけではないけど、ちょっぴり懐かしさを覚えるもの σ(゚・゚*)ンー…。


9090.jpg
この写真は今から36年前の
1988年8月に大阪駅で撮った
黄色い“福知山色”に塗られた
福知山線の113系800番台。
前灯が大目玉の原型ヘッドライトで
屋根上には丸いベンチレーターが並ぶ
非冷房の編成です。
(゚ー゚*)グロベソ
なお前面に掲げられた
ヘッドマークの「ホロンピア’88」は
丹波地域で開催された地方博覧会。
同年に開催された「さいたま博」や
「ならシルクロード博」など
このころは“地方博”が流行ってましたよね。
(´ω`)ナツカシス

▲88.8 東海道本線 大阪


というのもこの色の113系は、本記事で先に触れた福知山線の旧線から新線への一部区間切り替えおよび全線電化完成(1986年)にともなって当線へ投入されたもので (・o・*)ホホゥ、新製でなく各地からの転属でかき集められた113系を福知山線仕様に改造(寒冷地仕様化による800番台区分)(*`=´)┏━>∝∝∝∝ チュィィィィィン…。その際にこの車体色が採用された(塗り替えられた)ため、通称で“福知山色”や“福知山線色”などと呼ばれていました ( ̄。 ̄)ヘー。
ちなみにその当時の写真を載せましたが、全線の完乗を目指す私が福知山線を初めて訪れた際に乗った列車はまさに、この福知山色の113系でした (´ω`*)ナツカシス。なお初乗車となったこのときは1988年8月。あとわずか二年早かったら、切り替え前の旧線のほうに乗れたのにな・・・σ(・∀・`)オシイ。
現在の福知山エリア(福知山を中心とした近郊の路線網)の113系は、車齢の高さから223系などへの置き換えによってその数を減らし、また、車体塗装の効率化や簡略化をおもな目的にちょっと地味目な深緑一色(通称・抹茶色)を現行色としているのですが ( ̄  ̄*)マッチャ、このたびJR西日本では西日本エリアで活躍した車両に懐かしい色を復刻(再現)するという企画、「懐鉄(ナツテツ)」シリーズの一環として (゚ー゚*)ナツテツ、国鉄特急色の381系「やくも」(現在は運行を終了)、山陽本線の瀬戸内色115系などに続き、福知山エリアの113系(現行で残る5300番台)のうちの一本(一編成)を、全線電化開業当時の“福知山色”に復刻 エッ!(゚Д゚≡゚∀゚)マジ!?。それがいま私の目の前にいる黄色い113系のS9編成(吹田総合車両所・福知山支所所属)です (´ω`)ナルヘソ。


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福知山色を復刻した113系S9編成。
(・∀・)イイネ
黄色に青帯という塗り分けはどこか
“幸せの黄色い新幹線”で人気が高い
新幹線検測車の「ドクターイエロー」っぽい?
たまたま当編成に出会うことができた私は
たしかに嬉しさと幸せを感じますた(笑)
(o ̄∇ ̄o)ラキー♪
▲24.7.28 山陰本線 福知山


実はこの福知山色の113系こそ、私が大阪から福知山へとやってきた目的で (-`ω´-*)ウム、本来は今日ではなく翌日の明日に沿線の撮影ポイントで当編成の走行シーンを狙おうと考えていたのですが σ(゚・゚*)ンー…、たまたま福知山に着いたタイミングでホームに回送列車として停車しており、奇しくもひと足早くご対面となりました (o ̄∇ ̄o)ラキー♪。


0015.jpg
福知山から乗るのは
山陰本線の園部ゆき上り普通列車。
現在の福知山エリアの普通列車は
数少なくなった113系に代わり
このワンマン仕様の223系が主力です。
( ̄  ̄*)ニーニーサソ
▲24.7.28 山陰本線 福知山

0016.jpg
福知山線と分岐した直後に
今度は山陰本線の上り列車からも
左手の車窓にふたたび見えた福知山城。
(゚∀゚)オッ!
▲24.7.28 山陰本線 福知山-石原
(車窓から)


そして翌日に行なう沿線での撮影に備えて私が今宵の宿を取ったのは、福知山から山陰本線の上り普通列車へ乗り換えて数駅ほど進んだところにある、京都府綾部市の綾部(あやべ)(゚ー゚*)ピースアヤベ。
福知山と舞鶴(まいづる)のあいだに位置する当地は、繁華街や観光地より宿泊費がかなりリーズナブルでした (´艸`*)オヤスイ♪。また、セコい話のついでに言うと、本日の私がJRの列車で移動した東京から大阪、福知山経由の綾部まで、仮に普通乗車券ならば682.9キロで片道10,340円かかるところ(特急や新幹線を利用した場合は別に特急料金が加算)、「青春18きっぷ」一回分換算で“2,410円”! (゚∀゚)アヒャ☆。これぞ「18きっぷ」の効力が存分に発揮された活用術です ъ(゚Д゚)ナイス。


0017.jpg
福知山から15分ほど
日が暮れたころに
きょうの宿泊地である綾部に到着。
(・ω・)トーチャコ
駅近くの居酒屋で一杯ひっかけてから
チェックインしよう笑
▲24.7.28 山陰本線 綾部


新大阪1534-(おおさか東2457S)-大阪1538~1550-(福知山2743M丹波路快速)-篠山口1658~1738-(2549M)-福知山1836~1914-(山陰1144M)-綾部1927


7月29日(月)


0020.jpg
昨晩の到着時は暗かったので
明朝にあらためて記録した
綾部市の中心駅、綾部。
99年に橋上化された4代目の駅舎は
近代的でシンプルな印象です。
▲24.7.29 山陰本線 綾部


福知山市と並び、京都府北部の中丹地域に位置する綾部市は、かつて絹織物で栄えた歴史を持つ街で、繊維製品メーカーのグンゼさんが発祥した地だそうです (゚ー゚*)グンゼ。
そんな綾部で迎えた旅の二日目は、昨日に続き今日も朝からスッキリと晴れていて天気はいいようですが、そのぶん気温が上がって暑くなりそう (´Д`υ)アツーィ。予報によると昼過ぎの最高気温は35度を越えるとか ヒィィィ(i|!゜Д゚i|!)ィィィィ。この北近畿地域は意外と気温が高くなる傾向の一帯で、ここ綾部からはちょっと離れているけど、同じ北近畿の豊岡(兵庫県)などは全国屈指の“暑いまち”として知られています
( ̄。 ̄)ヘー


0021.jpg
顔(前面)に朝日を浴びて
ちょっと眩しそうな223系が
綾部のホームに入ってきました。
(つ▽≦*)マブシッ!
余談だけど
きょう最初に乗るこの列車の
列車番号は“321M”で
昨日に私が東京から最初に乗った
東海道線の沼津ゆきと同じ番号だ。
▲24.7.29 山陰本線 綾部


綾部は昨日に私が福知山から乗ってきた山陰本線のほかにもう一路線、当駅と東舞鶴の間をむすぶ舞鶴線が発着しており、これから私が乗るのはその舞鶴線の東舞鶴ゆき下り普通列車です コッチ…((((o* ̄-)o。


0022.jpg
綾部を出た舞鶴線の列車は
京都方面の山陰本線と分かれて
左のほうへカーブし
北東方向に進路を取ります。
▲24.7.29 舞鶴線 綾部-淵垣
(車窓から)


舞鶴線は山陰本線と分岐する綾部を起点に、淵垣(ふちがき)、梅迫(うめざこ)、真倉(まぐら)、西舞鶴の各駅を経て、小浜線と接する舞鶴市の東舞鶴へといたる、路線距離が26.4キロほどの電化ローカル線(地方交通線)(・o・*)ホホゥ(舞鶴線の位置などは先出の路線図を参照されるとわかりやすいかと思われます)。
日露戦争を控えるなかの1904年(明治37年)に、日本海軍の軍事拠点で軍港や鎮守府が設けられた舞鶴へ向かうための官営鉄道(戦前の国有鉄道)として敷設された歴史があり、かつては海軍の物資輸送のほか出征者や引揚者の人員輸送にも当線の列車が使われたそうです ( ̄。 ̄)ヘー。
現在は福知山や綾部と舞鶴をむすぶ地域輸送の通勤・通学客がおもな利用者で、また北近畿地域の路線ネットワーク(ビッグX)の一端を担っていることから、当線を通過する特急列車には丹後や若狭地方を訪れる観光目的の利用者も多く見られます。


0038.jpg
鉄橋で跨ぐのは
丹波山地の三国岳を水源に
福知山や綾部の市内を流れ
宮津と舞鶴の市境で日本海へ注ぐ
清流として名高い由良川。
(゚ー゚*)ユラ
▲24.7.29 舞鶴線 綾部-淵垣
(車窓から)


ところで、先述したように今日の私の目的は、“懐鉄”で復刻された福知山色の113系を撮ること (-`ω´-*)ウム。
それならば撮影に向かうのは福知山線の沿線じゃないの?・・・と思われる方がおられるかもしれませんが (´・ω`・)エッ?、件の福知山色はたしかに新線への切り替えや電化開業時の福知山線で使われていた113系に塗られていたものでしたが、現在の福知山線は113系から223系への置き換えがすでに完了しており、いま福知山エリアにかろうじて残された113系が運行されるのは、おもに山陰本線の綾部〜福知山〜城崎温泉と、舞鶴線の綾部〜東舞鶴(あとは宮福線の乗り入れ運用か)に限られます (*゚ェ゚)フムフム。
そこでJR西日本がホームページで公表している当該編成の運用をチェックしてみると []o(・_・*)ドレドレ(ちなみに昨日に福知山で出会った当編成は運用が公開されていないものだったので、ホントにたまたまでしたw)、本日は朝と午後に舞鶴線の普通列車に就くとのことで(公表された運用パターンの③)、私は朝の舞鶴線へとやってきたのでした (´ω`)ナルヘソ。
綾部からわずか一駅だけ乗り進み、次駅の淵垣で下車 (・ω・)トーチャコ。


0024.jpg
0025.jpg
綾部市内に所在する淵垣は
国道沿いの狭い敷地に
一面一線の単式ホームのみが設けられた
駅舎のない簡素な無人駅。
私のように「18きっぷ」の場合は
ワンマン列車の運転士さんに
券面をハッキリ提示して列車を降ります。
(*・∀・)つ[18]
▲24.7.29 舞鶴線 淵垣


綾部0551-(舞鶴321M)-淵垣0556

そして車両の運用だけでなくもうひとつ、あらかじめ調べておいたのが撮影地。
舞鶴線は過去に何度か乗っているけど、関東人の私にとってこのあたりは馴染みも土地勘もまったくなく σ(゚・゚*)ンー…、沿線での撮影にあたってはネットのブログやSNSなどで見た同業者の写真や動画を参考にしながら、地図で撮影時間帯の光線状態(陽あたり状況)などを事前に調べてみたところ \_ヘヘ(- ̄*)ドレドレ、この淵垣のあたりは駅の近くに田畑が広がっていて線路まわりの抜けがよく、東から日が当たる午前は光線状態もよさそう (・∀・)イイネ。当線で“ド定番”と言われる無難な撮影地ですが、それだけに大きく外すことはないだろうという安心感が“アウェー”の私にはあります ε-(´∇`*)ホッ。
駅から綾部のほうへ歩いて10分弱、田園地帯にある踏切付近が目的地。


0026.jpg
やってきたのはこんなところ。
(「゚ー゚)ドレドレ
田畑が広がるのどかな集落の一角に
舞鶴線の踏切があります。

0027.jpg
ステンレスの車体に日を受けて
ギラリと輝く223系の普通列車が
当系らしい軽やかなジョイント音を奏でます。
▲24.7.29 舞鶴線 淵垣-綾部


学生さんが夏休みの期間ではあるけれど、平日で月曜日の朝6時ということもあってか、定番の撮影ポイントでも同業者は誰もおらず (・ω・)ポツン、一人だけの私は適当な立ち位置でカメラを構えます (^_[◎]oパチリ 。
そこへまずやってきたのは、現在の主力である223系の福知山ゆき上り普通列車 ( ̄  ̄*)ニーニーサソ。車体の前面に日は当たらないものの、半逆光気味にステンレス車体の側面が光ってなかなか悪くない雰囲気じゃないですか (・∀・)イイネ。ただ、個人的にちょっと気になったのは手前の空き地(原っぱ)。ここには稲が育てられてなく(休耕田?)、何となくこの空間がアングルのなかで中途ハンパな存在に感じてしまいます (゚ペ)ウーン…。それにできればもう少し季節感というか、稲が実りつつある今の時期らしい田園の風情を表したいな・・・
σ(゚・゚*)ンー…
そこで私は農道を通って一帯の反対側へとまわりこみ、朝から草刈りに精を出されたいた農家のおじさんに軽くご挨拶をして、田んぼの脇道でカメラを構えさせていただくことにしました (*・ω・)ノ゙チワッス。そもそも本来は光線状態もこちら側のほうが列車に対して“バリ順”(バリバリの順光)となります (゚ー゚*)バリ。草刈りの手を休めたおじさんからは「どっから来たの?」と訊かれたので、「東京からっす」と応えると ヽ(゚ω゚)トキオ、「うへぇ、そりゃ物好きだなぁ」と返されてしまいました (^^;)ゞポリポリ。もし“普通列車を乗り継いで”って付け加えていたら、もっと驚かれたかな?(笑)
ぶぃーーーんという草刈り機の音が周囲に響きわたる田園の片隅で待つことしばし、やがて下り列車の接近を知らせる踏切の警報機が鳴動しました。時間的にコレが福知山色のハズ ε-(°ω°*)キタ!。


0028.jpg
コメ不足の今年は例年以上に
新米の収穫が待たれるなか
こうべを垂れはじめた稲穂のむこうを
爽やかに快走するのは黄色い電車。
懐かしい福知山色の113系が
北近畿の鉄路に帰ってきた!
(=゚ω゚)ノ゙オカヘリ!

▲24.7.29 舞鶴線 綾部-淵垣


福知山色が撮れました〜!ヽ(´▽`*)ノ ワ~イ♪
のどかな田園風景のなかで鮮やかに映える福知山色の113系。手前に写し込んだ稲穂よりも一足先に黄色く染まったって感じでしょうか(笑)( ̄∇ ̄)キイロ。113系の伝統色といえる“湘南色”“スカ色(横須賀色)”のような落ち着きとは違う印象だけど、良好な光線状態で明るさが際立つこの車体色もまた、当系によく似合っていてカッコいいじゃないですか 。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
イメージ的にはなんとなく、JR化後に国鉄型車両のリニューアルで各地の各形式に乱発した新塗装、いわゆる“ご当地色”のひとつっぽい印象を受ける福知山色ですが σ(゚・゚*)ンー…、たしかに既存(他線からのお古)の113系を塗り直したものではあったけど、当色が登場したのは国鉄時代の末期なので、いちおうこれも“国鉄色”の括りに含められ(?)、国鉄型車両が好きな私にとっては惹かれるものがあります (*゚∀゚)=3ハァハァ!。また先述したように、私が初めて福知山線を乗ったときの列車がこの色だったことから、もし機会があればぜひともその復刻色を拝見して初乗車の当時を懐かしみたいと思っていました (´ー`)シミジミ。


0029.jpg
振り返って後追いもパチリ。
(^_[◎]oパチリ
巻雲が漂う夏空のもと
舞鶴のほうへ向かって走り去る
福知山色の113系。
ちなみに舞鶴線が電化されたのは99年で
おそらくそのときにはもう
この福知山色は残っていなかったハズ。
(福知山エリアの113系は
黄色い福知山色(初代)から
現行の抹茶色へいたるまでに
度か塗装の変更をしています)
▲24.7.29 舞鶴線 淵垣-綾部(後追い)


ところで、JR西日本が“懐鉄のHP”で公表している当編成の車両運用表(時刻表)によると今日の“朝の部”は、舞鶴線の西舞鶴を始発駅とする下りの東舞鶴ゆき(323M)で営業運転を開始することになっており (*゚ェ゚)フムフム、それを見た私は当編成がそれに備えて前日から西舞鶴の構内に留置されているものだと思っていたのですが σ(゚・゚*)ンー…、ネットで撮影地を調べる際に目にした同業者の情報によると、323Mに就く当該の編成は西舞鶴での留置ではなく、当日に福知山の車両基地から西舞鶴まで下りの回送列車(回379M)で送り込まれるとのこと (*・`o´・*)ホ─。実はその“送り込み回送”がいま撮影した列車なのです(言われなければ分からないと思いますが、よくみると行先表示は【回送】)( ̄  ̄*)カイソー。もしそのことを知らなかったら、情弱な私は時刻表や公表された運用表に載っていない回送列車を撮り逃していたかもしれず、この情報は本当にありがたかった 人≡∀≡*)アリガタヤ、アリガタヤ。
さて、そんな回送列車として西舞鶴、東舞鶴方面へ下って行った福知山色の113系S9編成、路線距離が26キロ程度と短い舞鶴線では、すぐに上り列車(324M)として東舞鶴から折り返してきます イッタリo(゚д゚o≡o゚д゚)oキタリ。あまり大きく移動する時間的な余裕はないため、今度は踏切の少し先にある跨線橋(最初に撮った福知山色の背景に写り込んでいる橋)の上から狙ってみることとしました コッチ…((((o* ̄-)o。


0030.jpg
次にやってきたのはこんな場所。
(「゚ー゚)ドレドレ
車道の幅が広い陸橋の歩道から
舞鶴線の線路を見下ろします。
こちらは舞鶴方向の下り側。

0031.jpg
もあっとした空の表情に
湿度の高さを感じる夏の朝。
白い車体の特急「まいづる」が
田園に舞い降りる白鶴のごとく
華麗に駆け抜けます。
(゚ー゚*)マイヅル
▲24.7.29 舞鶴線 淵垣-綾部


まずは福知山ゆきの上り列車に対して正面となる、舞鶴方を向いてカメラを構えると、ほどなくしてやってきたのは東舞鶴から綾部を経て山陰本線に直通し、京都へと向かう特急「まいづる」の287系 (^_[◎]oパチリ。終点の京都には8時21分着なので、そこから新幹線に乗り継ぐなどビジネス客の利用者が多そうな時間帯の列車です。
アングル的に見ると、先ほど撮った福知山色の回送列車が田んぼ脇から稲穂を舐めるようなローアングル気味だったので、橋上からのハイアングルは絵に変化が付いていいかも (・∀・)イイネ。ただ、構図のなかで右下にあたる部分の雑草帯がちょっと煩わしいかなぁ・・・( ̄ヘ ̄)ウーン。


0032.jpg
こちらは同じ陸橋上で見下ろした
綾部方向の上り側。
(「゚ー゚)ドレドレ

線形はやや緩いインカーブです。


ためしに橋上の車道を渡って コッチ…((((o* ̄-)o、「まいづる」を撮ったほう(下り方)とは反対側となる、綾部方(上り方)のほうも臨んでみると (「゚ー゚)ドレドレ、こちらもやはり構図の左下を占める雑草帯は煩わしいのですが、アングルのなかに小川や鉄橋などほかの要素が写し込めるぶん、下り方よりは雑草の煩雑さが少し中和される気がします σ(゚・゚*)ンー…(あくまでも個人的な印象ね)。
直線をゆく上り列車を正面から狙えるオーソドックスなアングルの舞鶴方と、上り列車に対しては後ろから撮ることになるけど(後追い撮影)、どちらかというと景色が好みで、光線状態も良好(バリ順)な綾部方 アッチ?(゚д゚≡゚д゚)コッチ?、ちょっと迷いつつも私は後者のほうでお目当ての福知山色を撮ることに決めました m9(`・ω・´)ケテイ!。
綾部方の歩道に立ちながらも舞鶴方のほうを注視していると、やがて定刻に直線上へ姿を現した黄色い電車 (゚∀゚)オッ!。


0033.jpg
福知山色、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
未練がましく(?)
車道を挟んだ反対側の歩道から無理矢理
望遠レンズで下り方を狙ってみますた。
パチャ☆(*≧∀ノ[◎]ゝ。
意外と悪くないかも?
(゚∀゚)アヒャ☆

▲24.7.29 舞鶴線 淵垣-綾部

0034.jpg
かつては近代化(電化)の象徴として
地域の人たちに歓迎されたであろう
黄色い電車が
時を越えた令和の時代に
夏草生い茂る丹後の里山を走りゆく。
▲24.7.29 舞鶴線 綾部-淵垣(後追い)


も一度、福知山色が撮れました~!ヽ(´▽`*)ノワーイ♪
古い国鉄型車両らしい重厚なモーター音を豪快に響かせて、舞鶴のほうからまっすぐ伸びる直線を爆走し、やがて私の立つ陸橋の下を潜り抜けていった福知山色の113系 バビューン!!-=≡Σ(((⊃゚∀゚)つ。
タイミングが合わせにくい後追い撮影で慎重にシャッターを切ると【◎】]ω・´)パチッ!、愛機の背面液晶(デジカメのプレビュー画面)には里山を流れる小川に架けられた赤い鉄橋を渡りゆく黄色い電車が記録されていました。何度も同じような感想になっちゃうけど、ホントにこの車体色は風景に映えるなぁ .+。:.(´ω`)シミジミ.:。+゚。
列車が進む方向とは逆の後追いですが、沿線ののどかさが表れたような情景のなかでお目当ての福知山色を撮ることができて、個人的に大満足です (+`゚∀´)=b OK牧場!。容赦なく照り付ける真夏の日差しは、朝の6時、7時からもうかなりの暑さだったものの 。゚(A′□`;)qアチィィ・・・、それでも雲に翳られることのない晴天順光という好条件でよかった ヨカッタ♪(*⌒∇⌒*)ヨカッタ♪。


0035.jpg
後ろ姿を追ってもう一枚。
(^_[◎]oパチリ
背景の山なみは
京都と兵庫の府県境を隔てる
丹波高地の一角かな?
( ̄  ̄*)タンバテツロー
運用が事前に公表されている
福知山色の113系だけど
運用の変更などなく予定どおり
無事に出会えて撮影できたことに
感謝です。
▲24.7.29 舞鶴線 綾部-淵垣(後追い)


走り去る福知山色の後ろ姿を橋上から見送り、これにて撮影は終了です (´w`*)ドツカレサン 。
なお、例の運用表によると、本日の福知山色(S9編成)はこのあといったん福知山の車両基地へ入庫して、次の出番は午後になる模様 ヒトヤスミ…⊂(-ω-`⊂⌒`つ 。この朝の一往復は舞鶴や綾部などから福知山へと向かう、通勤・通学の利用者に対応した運用なのでしょうね。


0036.jpg
淵垣から乗る福知山ゆきは223系。
できることなら113系のほうに
乗ってみたかったけど、
そしたら沿線での撮影はできないので
仕方ないところです(笑)
(。A。)アヒャ☆
▲24.7.29 舞鶴線 淵垣

0037.jpg
陸橋の撮影ポイントからも見えた
線路に沿うように流れる小川は
由良川の支流(由良川水系)の八田川。
▲24.7.29 舞鶴線 淵垣-綾部(車窓から)

0039.jpg
昨日に続き
みたび車窓から眺めた福知山城。
今日も晴天下で堂々とそびえたっています。
(o´∀`o)カコイイ!
▲24.7.29 山陰本線 石原-福知山(車窓から)

0040.jpg
舞鶴線と山陰本線を直通する普通列車で
淵垣から20分。
昨日も降り立った福知山で下車します。
(゚ー゚*)フクチャンダネ
▲24.7.29 山陰本線 福知山


淵垣0756-(舞鶴326M)-福知山0816

福知山色113系の撮影を無事に終えて淵垣の駅へ戻った私。この先のプランとしては舞鶴線の下り列車に乗って舞鶴方面へ向かうことも考えたのですが σ(゚・゚*)ンー…、乗車したのは上りの福知山ゆきで、その終点まで乗り通しました ...(((o*・ω・)o。
先述したように北近畿地域の交通の要衝である福知山。ここから私が次に向かうのは・・・?

夏の鉄旅、次回に続きます 乂ΦωΦ=)エックス!。


ONE-shot 551 夏の元気なご挨拶 [PICK UP ONE-shot]

PICK UP ONE-shot 551 夏の元気なご挨拶

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暑中お見舞い?
残暑お見舞い?
いや、
“猛暑お見舞い”申し上げます。
。゚(A′□`;)qアチィィ・・・


夏を象徴するお花の
ひまわりちゃん。
暑さがキビシいなかの撮影でも
元気に咲く姿と線路端で出会えたら
鉄ちゃんとしてはやっぱり
嬉しいものです。
(´▽`*)ヒマワリ♪


▲24.8.3 中央本線 東山梨-山梨市




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学生時代など若い頃の私は
お盆休み(夏休み)の時期になると
それに合わせて増発運行される
珍しい車両の臨時列車など
あちこちで必死に追ったものでしたが
アセアセヾ(*д*ヾ三ノ*д*)ノアセアセ
今ではどちらかというと
車両の記録よりも
季節の風情や風物を逃さないようにと
思うことのほうが多くなった気がします。
(´ω`)シミジミ

それは歳を重ねるとともに
意識や趣向が少し変わったこともあるけど
そもそもイレギュラーな車両を使うような
面白みのある臨時列車が
昔より減っちゃったんだよね・・・。
σ(・∀・`)ウーン…

この日に撮影へ訪れた中央線も
とくに“ネタ”となるような臨時列車はなく
定期運行の特急列車と貨物列車を
沿線のひまわりと絡めて撮りますた。
(^_[◎]oパチリ



北大阪急行・・・箕面萱野延伸 乗車記 [鉄道乗車記]

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2024.07.28 北大阪急行
開業から4ヶ月の初乗車!
南北線延伸区間 乗車記
 
 
暑中お見舞い申し上げます。
ホントに猛暑・・・いや酷暑の日が続いていますね 。゚(A′□`;)qアチィィ・・・。

そんななか毎年のことですが、業務の都合でお盆の時期に仕事を休めない私は、今年も皆さんよりちょいと早く、7月の末から8月のアタマにかけて数日間の夏季休暇を取得 (´▽`*)ナツヤスミ♪。鉄道好きの“鉄ちゃん”としてはこのお休みを利用して、どこかへ“鉄旅”(鉄道旅行)に出かけたいと思います (・∀・)イイネ。
また、今シーズンはなぜかリリース(販売告知)が例年よりも遅くて (・・?)アリ?、私を含む多くの愛好者(おもに“乗り鉄”の人たち?)がその存廃を気にしていた (´・д・`;)ハラハラ、“JR全線の普通列車および快速列車が一日じゅう乗り放題”となる、おなじみの「青春18きっぷ」も無事に発売され ε-(´∇`*)ホッ、それをウマく(セコくw)活用したいところ。
私にはこの“18きっぷが使える期間の休暇”という機会で乗りに行きたい・・・いや、行かなければならない(?)路線が一か所あり (-`ω´-*)ウム、せっかくならそれを目的の軸にして、ほかにもいくつかの路線をめぐる旅程を計画してみました ε=┌(*゚д゚)┘イクゼ!。

全国的に梅雨が明けた地域は多いものの(出発日の7月28日現在)、まだ梅雨前線の動向によっては天候状態が不安定な今の時期(山形や秋田などを襲った豪雨災害には謹んでお見舞い申し上げます)、旅先の目的地が安定した晴天に恵まれてくれるといいなぁ・・・σ(゚・゚*)ンー…。


7月28日(日)


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早朝5時過ぎの東京駅。
('-'*)オハヨ
E233系が最初のランナーで
東海道線の沼津ゆき普通列車です。
▲24.7.28 東海道本線 東京

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静岡県の三島で乗り継いだ
当駅始発の静岡ゆき普通列車は
セミクロスシート仕様の313系。
( ̄  ̄*)ボックスシート
▲24.7.28 東海道本線 三島

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東田子の浦付近では車窓から
夏富士の姿がきれいに拝めました。
(´▽`*)フジサソ
きょうも暑くなりそうだなぁ。
▲24.7.28 東海道本線 原-東田子の浦
(車窓から)


都内にある自宅の最寄駅を早朝の初発列車で出発し (*´0)ゞ。oOフワァァ…、東京駅から東海道線に乗ると、その先は何本かの普通列車や快速列車を細かくつないで、ひたすら西へ西へと進みます ...(((o*・ω・)o。
ちなみに接続する各列車の乗換時間はわずか数分ほどとけっこうタイトで(10分以上の乗り換え時間があるのは大垣ぐらい)ε=┌(;゚д゚)┘ノリカエ!、とくに8時半ごろに通ることとなる静岡付近では、平日だと通勤や通学ラッシュの時間帯にあたって車内がけっこう混雑し、またそれによって列車が遅延する可能性も低くないため、2分しかない静岡での乗り換え時間にいつもハラハラさせられるのですが (`・v・´;)ドキドキ(このギリギリのスリルを味わうのも“18旅”の醍醐味か!?w)、日曜日のきょうは静岡付近を含めてどの列車もさほど混むことなく落ち着いており、遅れの無い定時運行で各駅の乗り継ぎもスムーズにおこなえました ε-(´∇`*)ホッ。


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0005.jpg
静岡ではわずか2分間で
当駅始発の浜松ゆき普通列車に乗り継ぎ。
おなじホームによる対面接続です。
ノリカエ…((((o* ̄-)o
315系の新製投入により
数を減らしつつある211系でした
(後ろの上り方は313系を併結)。
▲24.7.28 東海道本線 静岡

0006.jpg
浜松でも2分の接続で
当駅始発の大垣ゆき特別快速に乗り継ぎ
(ここもおなじホームによる対面接続)。
座り心地がよくて車窓も見やすい
転換クロスシート仕様の313系です。
(o ̄∇ ̄o)テンクロ
▲24.7.28 東海道本線 浜松

0007.jpg
さらに岐阜県の大垣で
当駅始発の米原ゆき普通列車に乗り継ぎ。
こちらも211系と同様に
さいきん数が減っている311系です。
運転間隔が開いてボトルネックとなる
この区間(大垣〜米原)では
ホームが混んでいるように見えますが
私は窓側の席に難なく座れました。
ε-(´∇`*)ホッ
▲24.7.28 東海道本線 大垣

0008.jpg
関ヶ原を越えると
列車の車窓に望めるのは
どっしりとした雄大な山容が印象的で
日本百名山のひとつである伊吹山
( ̄  ̄*)イブキ
▲24.7.28 東海道本線 近江長岡-醒ヶ井
(車窓から)

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そして米原では4分の接続で
京都、大阪方面へ向かう
姫路ゆき新快速に乗り継ぎ。
車両はJR西日本の225系です。
(=゚ω゚)ノ゙ヤア
ちなみにここから京都までの東海道線には
“琵琶湖線”の愛称が付けられています。
(京都〜大阪はJR京都線
大阪〜神戸・姫路はJR神戸線)
▲24.7.28 東海道本線 米原


静岡、愛知、岐阜の各県を順調に通り過ぎて、地理的には近江(滋賀県)の名山である伊吹山を見ると、また鉄ちゃん的には米原からJR西日本の225系(新快速列車)に乗ると、関西圏へ到達した実感がわいてきます (´ω`)シミジミ。
東海道新幹線の「のぞみ」ならば東京から2時間半で行けるところを、東海道線の乗り継ぎでおよそ8時間半もかけて私がやってきたのは、大阪の新大阪 (゚ー゚*)シン・オーサカ。


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東海道・山陽新幹線の発着駅でお馴染み
新大阪で下車。
(・ω・)トーチャコ
ここまで8時間も列車に乗ってきたのに
姫路ゆきを見送るのがなんとなく
惜しく感じます(笑)
▲24.7.28 東海道本線 新大阪


東京0520-(東海道321M)-三島0721~0729-(743M)-静岡0829~0831-(5741M)-浜松0942~0944-(5117F特別快速)-大垣1147~1211-(3213F)-米原1246~1250-(3467M新快速)-新大阪1408

さて、ここからが本題か。
東海道線(JR京都線)で大阪のひとつ手前(上り方)に位置する新大阪といえばやはり、東海道・山陽新幹線の発着駅としての印象が強く ( ̄  ̄*)チンカンテン、新幹線を利用すると当駅を介して大阪市内や関西の各地、各方面へ向かわれる人が多いのではないかと思われます (゚ェ゚*)ウンウン。その新大阪から市内中心部などへの手軽な移動手段のひとつとして挙げられるのが、JRの路線以外で唯一当駅に乗り入れている、大阪メトロ(旧・大阪市営地下鉄)の御堂筋線(みどうすじせん)。
「18きっぷ」を提示してJRの有人改札を出場した私は、多くの人でごったがえす駅の構内を“御堂筋線のりば”のほうへ向かって進みます コッチ…((((o* ̄-)o(コンコースの一角にある“551”の匂いに惹かれるなぁw)。ホントそれにしても東京の繁華街もそうだけど、大阪も外国人観光客がたくさん来られていますね ヘロー!( ゚ゝ゚)ノ。


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JR新大阪駅の西側に隣接する
大阪メトロ御堂筋線の新大阪駅。
(゚ー゚*)チカテツ
両駅間の乗り換え所要時間は
慣れていれば5分程度
不慣れな人は10分くらいは
考えていたほうがいいかも知れません。
▲24.7.28 大阪メトロ御堂筋線 新大阪


赤いラインカラーでおなじみの御堂筋線は、新大阪から南下する電車(下りのなかもず行き)に乗ると、梅田、淀屋橋、本町、心斎橋、なんば、天王寺など、その名のとおり大阪市中心部のメインストリートである御堂筋沿いの繁華街を南北に通るという、大阪メトロのなかでもとくに主要な位置づけの路線です (・o・*)ホホゥ。んじゃ、さっそくその御堂筋線に心斎橋あたりまで乗ってって、道頓堀で“食いだおれ”としゃれこみますか (σ´∀`)σイイネ♪・・・と言いたいところだけど、私が新大阪から乗るのは梅田や心斎橋方面の南行ではなく、逆のほうへ向かう北行の上り電車 (´・ω`・)エッ?。
手持ちのICカード乗車券(私の場合はSuica)を自動改札機に“ピッ”とタッチして入場すると、乗車待ちの人の列が幾重にもなって混雑している南行側の1番ホームに対し、待っている人がまばらな北行側の2番ホームへまもなく入ってきた御堂筋線の30000系 (=゚ω゚)ノ゙ヤア。その前面には私にとって新鮮に感じる“箕面萱野”の行き先が表示されています (=゚ω゚=*)ンン!?。


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0013.jpg
地下鉄路線の御堂筋線ですが
新大阪は地上にある高架駅です。
そのホームへ入線にしてきた
箕面萱野ゆき電車は
当線で最新形式の30000系。
▲24.7.28 大阪メトロ御堂筋線 新大阪


御堂筋線は先述したとおり、梅田やなんば、天王寺など大阪市の中心街を通る地下鉄ですが、その詳細な路線区間は大阪市の北に隣接する吹田市の江坂(えさか)と大阪市の南に隣接する堺市の中百舌鳥(なかもず)のあいだの24.5キロを結ぶものであり (*゚ェ゚)フムフム、また北側の終点(路線的には起点)の江坂ではそこからさらに北方へ伸びる、準大手私鉄(大阪府などが出資する第三セクター鉄道)で北大阪急行電鉄の南北線と直通運転を行っています ( ̄。 ̄)ヘー。
つまり私が乗った北行電車の箕面萱野(みのおかやの)ゆきは途中の江坂までが御堂筋線で、そこから先は北大阪急行線の列車となります (゚ー゚*)キタキュー(なお正式な路線名は北大阪急行電鉄の“南北線”だけど、一般的には“北大阪急行線”や“北急”と称されることが多く、本記事でも北大阪急行線で通します)。


0014.jpg
新大阪駅の壁面に掲げてあった
路線図の一部。
図に向かって左手にあたる南側には
なんばや心斎橋、梅田など
よく知られた駅名がならびます。
いっぽう右手にあたる北側は
途中の江坂までが御堂筋線で
その先の白丸で区分けされた部分は
北大阪急行電鉄の区間です。
(*゚ェ゚)フムフム


北大阪急行線は1970年(昭和45年)に吹田市で開催された大阪万博の会場アクセスと、宅地開発の発展が著しかった豊中市の千里ニュータウンと大阪市中心部をむすぶ通勤・通学路線としての役割を担うため、万博開催の同年に地下鉄御堂筋線を延長するような形で開業 (・o・*)ホホゥ。
ちなみにその当時は江坂から千里中央(せんりちゅうおう)、さらには万博の会場に近接した“万国博中央口(駅)”まで敷設されましたが、万博の終了後に千里中央と万国博中央口のあいだは廃止され(その際に千里中央駅も場所を現在地へ移設)、以降の北大阪急行線は長らく江坂と千里中央のあいだが営業区間となっていました ( ̄、 ̄*)ナルヘソ。御堂筋線の“千里中央ゆき”という行き先に馴染みがあるかたも多いのではないでしょうか (゚ー゚*)センリチューオー。


0015.jpg
吹田市に所在する江坂は
御堂筋線と北大阪急行線の接続駅。
適当に駅名標の記録を撮ったら
たまたま後ろにちらっと写り込んだのは
2025年大阪・関西万博をPRする
“ミャクミャクラッピング”の編成ですた。
(o ̄∇ ̄o)ミャクミャク
▲24.7.28 大阪メトロ御堂筋線 江坂
(車窓から)


そんな北大阪急行電鉄が、大阪府北部地域(北摂地域)の渋滞緩和や地域の発展、活性化などを目的とした鉄道路線による交通インフラを懇願する箕面市などからの長年にわたる要請をうけて 八(゚- ゚)オネガイ、大阪府や箕面市とともに千里中央から先へ路線を延伸する整備事業を2017年より着工 (*`=´)┏━>∝∝∝∝ チュィィィィィン…。
設計や工事の見直しなどで当初の完成予定だった2020年度から三年延期されたものの、今年(2024年)の3月に千里中央から箕面萱野までの2.5キロ区間が晴れて延伸開業となりました (*゚▽゚)/゚・:*【祝 延伸】*:・゚\(゚▽゚*)。
大阪万博のときに江坂から千里中央(万国博中央口)まで開通して以来、実に54年ぶりとなる路線の延伸。またそもそもこの箕面市への延伸構想は北大阪急行線が最初に開業する前から持ち上がっていた話だそうですので、地域の方にとっては半世紀以上にわたる悲願が叶ったといえるでしょう (´ω`)シミジミ。


0016.jpg
中津付近から江坂までの
御堂筋線と同様に
両側を新御堂筋の道路に
挟まれるような形で
線路が敷かれている北大阪急行線。
なお御堂筋線も北大阪急行線も
上空の架線でなく
線路脇のレールから集電する
“第三軌条方式”なので
景色がスッキリとした印象です。
▲24.7.28 北大阪急行 桃山台-千里中央
(前方の車窓から)

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延伸開業前の終点だった
千里中央は地下駅。
万博終了後に開業時の場所から
現在地へ移設された経緯のある二代目です。
(゚ー゚*)センリチューオー
ちなみに今回の延伸により
見慣れていた千里中央ゆきはなくなり
江坂以北の上り電車は現在
すべて箕面萱野ゆきとなっています。
▲24.7.28 北大阪急行南北線 千里中央


そこで、“国内の旅客鉄道全線完乗”を生涯の目標(?)とする私は、この新たに延伸した北大阪急行線の千里中央と箕面萱野のあいだを乗りつぶすべく、東京から東海道線を乗り継いで大阪までやってきたというワケでして ...(((o*・ω・)o、本記事の冒頭に記した“乗りに行かねばならない路線”とはこの北大阪急行線の延伸区間のことです (-`ω´-*)ウム。
ちなみに箕面萱野の延伸開業日は去る3月23日。できることならば記念すべきその初日早々に訪れたかったところなのですが σ(゚・゚*)ンー…、実はその一週間前にあたる前週の3月16日は北陸新幹線の金沢〜敦賀が延伸開業した日で、私はそちらに乗車しています ツルガ…((((o* ̄-)o。もしもこの両者の延伸開業が同じ日だったならば効率よく、敦賀から大阪のほうに向かっていたかもしれないけど、さすがに二週連続で東京から北陸や関西へ遠出できるような日程の都合はつかず、そんな費用もありませんでした (・ε・`)チェ。また、新大阪あたりから箕面萱野へ行く程度だったら、仕事の出張ついでなどでサクッと乗りつぶしを済ませられないかとたくらんでいたものの、こういうときに限ってなかなか関西方面へ行くような仕事が入らないのよね σ(・∀・`)ウーン…。けっきょく私の初乗車は開業から4ヶ月が経った今旅にいたりました ヽ(゚ω゚)オマタヘ。
もうだいぶ時が経ったことで開業の雰囲気はすっかり落ち着いており (´ー`)マターリ、箕面萱野ゆきの車内はガラガラに空いていたため、私は運転室の背後から窓越しに前方の景色が眺められる絶好の立ち位置をキープ m(・∀・)m カブリツキ。これが開業の初日だったらおそらく、ここにたくさんの同業者(鉄ちゃん)が群がっていたことでしょう (。A。)アヒャ☆。


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千里中央を発車する箕面萱野ゆき。
新たに延伸した区間へ
初めて足を踏み入れる瞬間は
いつでも気分が高揚します。
(*゚∀゚)=3ハァハァ!
北急が主導で整備したこの区間のトンネルは
方向別にそれぞれシールドマシンで掘り進む
“単線式シールドトンネル工法”。
▲24.7.28 北大阪急行南北線
千里中央-箕面船場阪大前
(前方の車窓から)

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地上へ出ることなく
トンネル内を走りつづけて
次に停車したのは箕面船場阪大前。
延伸区間の途中に設けられた
唯一の中間駅です。
(゚ー゚*)ミノオセンバハンダイマエ
当駅のあるあたりは
繊維産業が盛んなところとして知られ
構内の印象的なデザインの壁面は
繊維をモチーフとしたものだそうです。
( ̄。 ̄)ヘー
▲24.7.28 北大阪急行 箕面船場阪大前

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箕面船場阪大前の手前付近からは
北急と箕面市が共同で整備に当たった区間で
トンネルの形態が地上から掘削をする
“開削トンネル工法”に変わりました。
(*・`o´・*)ホ─
お、外の光が見えてきた。
(゚∀゚)オッ!
▲24.7.28 北大阪急行南北線
箕面船場阪大前-箕面萱野
(前方の車窓から)

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トンネルを抜けると
北摂山地を正面に見て
真新しい高架線を突き進みます。
なかなか爽快な眺めですね。
(・∀・)イイネ
▲24.7.28 北大阪急行南北線
箕面船場阪大前-箕面萱野
(前方の車窓から)


千里中央の手前で地上から地下に潜った北行電車は、当駅を発車して新規の延伸区間へ入っても引き続き地下トンネルを進みます ( ̄  ̄*)チカ。
もしもふつうにロングシートの席へ座っていたとしたら、扉上の案内モニターを眺めているくらいで過ごし、あまり印象に残るものはなかったと思われるところですが (・◇・*)ボー…、運転室の背後に立って前方の展望が見られると、建設箇所によるトンネル形態の違いや意外とカーブの多い線形の様子などがよくわかり、趣味的にとても興味深いものがあります (*・`o´・*)ホ─。
なお、このたび延伸した2.5キロのうちトンネルの区間は1.7kmで、残りの0.8kmは外に出る高架線。延伸区間の途中に設けられた地下駅の箕面船場阪大前(みのおせんばはんだいまえ)を発車してしばらくすると、電車はトンネルを抜けて夏の日差しが眩しく照り付ける高架線上へと躍り出ました (つ▽≦*)マブシッ!。ここで車窓に広く望める箕面の街なみとその奥にそびえる北摂山地の山なみにご当地らしい風土を覚えます (「゚ー゚)ドレドレ。
そんな高架線からの車窓風景を新鮮な気分で眺めていると、やがて電車が走る先には線路が行き止まりとなった駅が見えてきて、まもなく終点の箕面萱野に到着しました (・ω・)トーチャコ。


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前方に箕面萱野の駅が見えてきました。
(゚∀゚)オッ!
島式ホーム一面二線構造の当駅で
私が乗った列車は向かって右側の
1番ホームへと入ります。
▲24.7.28 北大阪急行南北線 箕面萱野
(前方の車窓から)

0027.jpg
北大阪急行電鉄南北線の
新たな終点となった箕面萱野
その線路の終端を表す車止めは
こんな感じです。
( ̄  ̄*)ドンツキ
▲24.7.28 北大阪急行南北線 箕面萱野
(前方の車窓から)

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0030.jpg
御堂筋線から直通してきて
箕面萱野に終着した
大阪メトロの30000系。
(・ω・)トーチャコ
まわりの自然豊かな景観との調和を
コンセプトに持つ当駅は
ホームの上部や駅舎の一部の外壁に
木目調の板を並べる装飾が施されています。
(=´ω`=)イタ
▲24.7.28 北大阪急行南北線 箕面萱野


新大阪1420-(北大阪急行南北線)-箕面萱野1439

御堂筋線と北大阪急行線の直通電車で新大阪から乗り続けること20分、千里中央から先の延伸開業区間に入って5分、箕面萱野までやってきたことで私は未乗車だった延伸区間を踏破し、あらためて北大阪急行電鉄・南北線の完乗達成です ヽ(´▽`*)ノワーイ♪。
距離にしてわずか2.5キロの二駅間ですが、延伸を望んでいた箕面市民の願いが込められた鉄路であり、また私にとっても“鉄道路線全線完乗”に欠かせないとても実りのある乗車体験でした ヨカッタ♪(*⌒∇⌒*)ヨカッタ♪。


0031.jpg
お伝えしてきたとおり
大阪府箕面市に所在する箕面萱野。
(゚ー゚*)ミノオカヤノ
箕面市のなかでもこのあたりはかつて
萱野村だったところで
箕面市萱野という地名は今も存在。
なお、箕面市の中心駅である
阪急箕面線の箕面は
箕面萱野から西方へ約2キロに位置します。
▲24.7.28 北大阪急行南北線 箕面萱野


延伸に伴って新たな終着駅となった箕面萱野は、近代的で今ふうのお洒落な高架駅 (・∀・)オサレ。
平日の朝夕は通勤や通学などの利用者が多いと思われますが、日曜日のきょうは駅に直結したショッピングモール(みのおキューズモール)を訪れる家族連れや若者たちで構内が賑わっています (*’∀’*)オカイモノ♪。また、このあたりの名所というと“勝ち運”祈願で知られる勝尾寺(当駅からバスで20分)が挙げられるのですが ( ̄  ̄*)オテラ、あくまでも私が当地を訪れた目的はショッピングや観光、参拝などではなく、未乗車だった鉄道路線の乗りつぶし (-`ω´-*)ウム。それ以外はとくにこれといった用事はなく、駅の周辺を適当にひとまわりしたのち(ふらっと駅高架下のバーガーキングに入りかけたw)、折り返し当駅始発となるなかもず行きの南行電車(下り電車)に乗り、到着から15分ほどの滞在で箕面萱野をあとにしました モドロ…((((o* ̄-)o。


0033.jpg
箕面萱野から乗る
御堂筋線直通のなかもず行きは
車体前面のデザインが個人的にどこか
“ウォーズマン”(@キン肉マン)の
マスクっぽい印象をうける
北大阪急行の9000系。
( ̄∇ ̄)ウォーズマン
おや?何やらヘッドマークが
付いていますね。
▲24.7.28 北大阪急行南北線 箕面萱野

0034.jpg
そのヘッドマークは
さすがにもう4か月も経っているので
延伸開業記念のものではないと思いましたが
“9000系のデビュー10周年”を
記念したものでした。
(〃’▽’〃)オメデ㌧
なお当系は延伸開業にともない
新たに3編成が増備されたそうです。
▲24.7.28 北大阪急行南北線 箕面萱野

0035.jpg
来た道を戻って新大阪へ。
単なる往復乗車だったけど
往路は大阪メトロ30000系
復路が北大阪急行9000系と
それぞれ違う車両に乗れたことで
少し変化が楽しめました。
ъ(゚Д゚)ナイス
▲24.7.28 大阪メトロ御堂筋線 新大阪


箕面萱野1459-(北大阪急行南北線)-新大阪1517

梅田やなんばなど大阪市内の中心部へ向かう御堂筋線への直通電車ですが、私はふたたび新大阪で下車 (=゚ω゚)ノ゙タライマ。
北大阪急行線の延伸区間の乗りつぶしは大きな目的のひとつだけど、せっかく大阪まで来たのならば(それも東海道線の列車を延々と乗り継いでw)、この機会でほかにも訪れたい路線や撮りたい列車があります σ(゚・゚*)ンー…。
新大阪で御堂筋線からJRのホームへと移動して、そこから次に乗るのはこちらの列車。


0036.jpg
JRで使える「18きっぷ」の旅を再開。
新大阪から“大阪ゆき”の普通列車に乗ります。
車両は221系。
▲24.7.28 東海道本線 新大阪


ホームへ入ってきた221系の普通列車は、次駅の大阪止まり ( ̄  ̄*)オーサカ。
ここからたった一駅だけしか進まない大阪ゆきなのですが、私にとってこの列車へ乗ることはちょっとした意味があるものなんです。というのも、当列車はおおさか東線からやってきた大阪ゆきで、終点の大阪では東海道線(JR京都線)が使用するホームとは異なる場所に設けられた、通称・“うめきたエリア地下ホーム”に到着します (゚ー゚*)ウメキタ。


0037.jpg
淀川に架けられた鉄橋では
東海道線よりも上流側の橋を渡る
おおさか東線の大阪ゆき。
▲24.7.28 東海道本線(おおさか東線)
新大阪-大阪(車窓から)

0038.jpg
淀川を渡り終えると
右(北方)のほうへカーブして
東海道線(本線)と分かれます。
バイチャ!( ゚д゚)ノシ
▲24.7.28 東海道本線(おおさか東線)
新大阪-大阪(車窓から)


もともとは地上にあった貨物列車の専用線(梅田貨物線)だったものを、大阪駅北側エリア(うめきたエリア)の大規模な再開発事業にともない、線路の地下化および旅客線化してそこに設けられたのが、昨年(2023年)の3月に使用を開始(ホーム開業)した“大阪駅うめきたエリア地下ホーム” (・o・*)ホホゥ。


0039.jpg
地上に敷かれていた
旧線(梅田貨物線)の跡を横目に
現行線は地下へと潜ってゆきます。
▲24.7.28 東海道本線(おおさか東線)
新大阪-大阪(車窓から)


その大阪うめきたエリア地下ホーム経由のルート(地下化後の梅田貨物線)を私は、当ホームが正式な旅客駅として開業する直前に一度、いち早く地下への線路切り替えが済んで特急列車の運行経路に使われていたものを、わざわざ京都から天王寺まで特急「はるか」に乗車して通過をしています ...(((o*・ω・)o。
なので、新大阪〜大阪うめきたエリア地下ホーム(およびその先の西九条まで)はすでに乗車を済ませた区間ではあるけれど ( ̄  ̄*)スミ、開業後の当ホームにはまだ降り立ったことがなかったため、今回はあらためてそこを使用するおおさか東線の大阪ゆきに乗車したのでした (´ω`)ナルヘソ。
到着した列車から降りると、当然ながら見慣れている大阪駅のホーム(東海道線や大阪環状線などのホーム)とはまったく違う雰囲気で、この広大な地下空間のホームがホントに大阪駅(の一部)かと疑いたくなるくらい、初見の私は新鮮に感じます w(゚o゚*)w オオー!。
(なお、当ルートの詳細等は以前の乗車記にてご紹介しているため、今回は省かせていただきます)


0040.jpg
新大阪から5分ほどで
おおさか東線の普通列車は
大阪うめきたエリア地下ホームの
23番線に到着。
(・ω・)トーチャコ
ちなみに建設当初はこの新たな地下ホームを
「北梅田」とか「うめきた」などといった
別駅名の新駅になるとされていましたが
大阪駅と構内で繋がっていることから
当駅に属するホームとして取り扱うこととし
「大阪駅うめきたエリア地下ホーム」という
現在の呼称となったそうです。
(´ω`)ナルヘソ
▲24.7.28 東海道本線(おおさか東線)大阪

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掲げられた案内表示によると
この連絡通路を進むと
“いつもの大阪駅のホーム”に出られるのね。
コッチ…((((o* ̄-)o
▲24.7.28 東海道本線 大阪

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きれいなコンコースから
ホームへつながるエスカレーターの柱には
“JR京都線”などの路線名が
わかりやすく表記されています。
(*゚ェ゚)フムフム
▲24.7.28 東海道本線 大阪


私の勝手なイメージで、うめきたエリア地下ホームと従来の地上ホームのあいだは、東京駅で京葉線が発着する“京葉地下ホーム”くらい遠く離れているのかと思っていたのですが(乗り換えに10分くらい要する)σ(゚・゚*)ンー…、実際の大阪駅ではそれよりもずっと距離が短くて、案内に従ってコンコースを歩き進むとすぐに“JR京都線”や“JR神戸線”(東海道線のことね)、“大阪環状線”などの線名がそれぞれの柱に表記された、地上ホームへとアプローチするエスカレーターがありました(西側の連絡通路で所要5分程度)(゚∀゚*)オオッ!。このくらいならスムーズに乗り換えができそうですね (・∀・)イイネ。


さて、そんな大阪から私が次に乗る列車は何番線かな?
“夏の18きっぷ旅”、次回に続きます (*・∀・)つ[18] 。