信州01・・・碓氷峠鉄道文化むら 見学記 [鉄道旅行記]
年末年始は一週間ほどの休みが取れました。しかし年越しの家族行事や年始の挨拶まわりなどを考えると、この休みはGWや夏休みほどの自由はなく、せいぜい一泊二日の小旅行ができるくらい。さらに手元には伊豆編や久留里編で使った「青春18きっぷ」が、まだ3回分も残っている・・・。そこで今冬の休みは、この「18きっぷ」を使って近場での鈍行旅へ出かけることにしました。いろいろ考えた末、行き先は私がかねてから乗りたい、撮りたいと思っていた路線があり、距離的にも適度な信州方面に決定。信州の大動脈であった信越本線は97年の長野新幹線開業で在来線が分断、一部区間はJRから経営が分離されてしまい、せっかく「18きっぷ」を使ってもちょっとおトク感に欠けるのですが、そこは割り切って純粋に信州の鉄道旅を楽しみたいと思います。
12月28日(水)
旅のスタートは高崎線のE231系。
11.12.28 東北本線 上野
まずは上野から高崎線の高崎行きに乗って北上。中央線沿線のウチから高崎線へ入るには、新宿からの湘南新宿ラインで直通か、埼京線で赤羽へ出て高崎線へ乗り換えた方が早くて便利なのですが、何となく久しぶりの信越線旅ということで、上野駅からの始発電車に乗ってスタートしたくなりました。やっぱり上野や東京から出発すると、旅へ出るという高揚感が違うものです。沿線に大学や工業団地などが多く存在する高崎線。普段の朝は下り列車でもけっこう混雑しますが、この日は既に休みに入ったところも多いらしく、車内は終始ガラガラの状態。しかし高崎で接続した107系二両の信越線・横川行きは大混雑でした。どうやら何かのスポーツ大会に出る小学生の団体と乗り合わせてしまったみたい。高崎から横川まではせいぜい30分ほどなので、立っていてもたいしたことはないけれど、賑やかなこのコたちはどこまで行くのかな・・・と思っていると、早くも次の北高崎で下車。車内は閑散とし、席に座ることができました。
松井田を過ぎる頃には左手には鋭く切り立った
岩峰の妙義山が見えてきました。
横川まではもうすぐ。
11.12.28 信越本線 西松井田-横川(車窓から)
先にちょこっと触れたように、長野新幹線開業と同時に難所だった碓氷峠越え(横川~軽井沢、通称・横軽)が廃止され、分断されてしまった信越本線。かつては長野や金沢行きの特急がバンバン走っていたこの横川までの区間も、今ではすっかりローカルな盲腸線になってしまいました。もはや名前の由来である信州へも越後へも線路は繋がっていないけれど、「横川線」などと改名されずに「信越本線」のままで残されているのは嬉しいのか切ないのか・・・。しかしこの区間はSLの機関区がある高崎に近いことからイベント列車など頻繁に運転されていて、路線分断・特急廃止後の今でも鉄の姿は絶えません。ただし私はと言えば、あまりSLを撮らないこともあり、横川まで行くのはかなり久しぶり。路線分断直後に来て以来、もう10年以上は乗っていなかったんじゃないかな・・・。なので、今でも車窓左手に妙義山の姿が見えてくると、これから碓氷越えが始まるんだという錯覚に陥ってしまいます。もちろん現在の横川に峠越えの補機であるロクサン(EF63)の姿は無いのだけれど。
横川の構内配線を後ろの車掌室越しに一枚。
かつては右端の側線にロクサンが待機しており、
峠を越える列車が到着すると、すぐに連結作業が行われていました。
11.12.28 信越本線 横川(車窓から)
ここからは横軽廃止前に私が撮った過去の写真を織りまぜながら
進めていきたいと思います(白枠が過去の写真です)。
到着した列車に続いてホームに入ってきた重連のロクサン。
この連結作業により列車は横川で数分程度の停車時間があり、
その間に乗客は横川の名物駅弁「峠の釜めし」を買い求めるのでした。
88.4 信越本線 横川
高崎から乗った107系が現在の終点・横川に到着。
当然ながら駅名板に軽井沢の文字は無く、
下り方面の線路はここで途切れています。
11.12.28 信越本線 横川
撮影したホームは違いますが、
線路が繋がっていた頃に横川駅の軽井沢方で撮影した
「リゾートエクスプレス・ゆう」の団体列車。
峠越えのお供は晩年に茶色へ塗り変わった24・25号機でした。
97.7 信越本線 横川
上野0725-(高崎837M)-高崎0909~0913-(信越129M)-横川0946
線路が分断された横川から軽井沢までの区間は現在、直通の路線バスで運転されています。高崎から乗ってきた129Mはちょうどその軽井沢行きバスに接続する列車だったのですが、せっかく久々に横川まで来たのに、このまますんなりと進んでしまってはもったいない。ここで一本見送ると次のバスは二時間後で、私にはこの時間を利用して寄りたかったところがありました。それはこの横川にある鉄道の展示施設「碓氷峠鉄道文化むら」。ここを訪れるのは99年のオープン直後に友人のクルマで来て以来です。
97年の横川~軽井沢廃止後、
横川駅に隣接していた横川運転区の跡地に建設され、
99年にオープンした「碓氷峠鉄道文化むら」。
碓氷峠の歴史や資料、貴重な車両の数々が展示・公開されています。
11.12.28 碓氷峠鉄道文化むら
さっそくエントランスでは、
碓氷峠を越えて首都圏と信州を結んでいた
189系の特急「あさま」がお出迎え。
形式末尾の「9」は横軽でEF63との協調運転が可能な
車両に与えられていた数字でした(他に489系・169系など)。
ロクサンの現役時代に撮った横川運転所。
現在のエントランス付近には昔、多くのロクサンが集っており、
横川の町には常にブロアー音が響いていました。
97.6 信越本線 横川
屋内の車両展示館は当時の検修庫がそのまま活用されています。
中にいるのはもちろん碓氷峠の主・ロクサン!(EF63 10)
特徴的なジャンパ連結器周りをローアングルから狙ってみました。
ロクサンは急勾配の碓氷峠を越える列車の補助として連結されていた
機関車で、愛称は「峠のシェルパ(Sherpa=山の案内人)」。
碓氷峠を越える列車は電車・客車・気動車に限らず、
すべてこのロクサンを連結しなくてはならないために
ロクサンには複雑なジャンパ連結器が備わっているのです。
二台一組、重連で長編成の先頭に立つ姿は本当に迫力がありました。
横川運転所の検修庫で整備中のロクサン。
もちろん当時は検修庫への立ち入りは禁止でしたが、
これは一般開放のイベントで撮影したもの。
97.8 信越本線 横川
ロクサンの対面には、相棒のロクニ(EF62 54)もいます。
Co-Co軸配置の三軸ボギー台車が特徴的なロクニ、
私は新性能電機の中で、このロクニがいちばん好きな機関車でした。
ロクサンが横軽専用の補機だったのに対して、
本務機のロクニには汎用性があり、信越・高崎線はもとより、
東海道・山陽での荷物列車牽引や、晩年には団体列車を牽引して
常磐・成田線などにも入線した実績があります。
尾久の欧風客車「S.E.レインボー」を牽く、現役時代のロクニ。
補機であるロクサンは必ず横川方に連結されるので、
下りの客車列車はロクニとロクサンのPP状態になります。
97.7 信越本線 横川-軽井沢
逆に上りの客車列車には本務機であるロクニの前に
重連のロクサンが連結されるので、三重連となります。
横軽に客車が入線したときだけに見られる
迫力の三重連は、まさに機関車ファン垂涎のシーンでした。
この日に入線したのは品川の和式客車「江戸」。
97.5 信越本線 軽井沢-横川
展示館の奥の方に保存されているのは、アプト式電気機関車ED42 1。
もちろん私はED42の現役時代を知りませんが、
横軽が廃止される前には運転区横で屋外保存されており、
ロクサン撮影の際によく眺めていました。
その頃よりも今のほうがずっと保存状態がいいですね。
鉄道文化むらの園内にいたのは、189系「あさま」にロクサン、ロクニ・・・。思わず熱く語ってしまいたくなる、懐かしい面々です。当時の検修庫である屋内展示館は特に大きな手が加えられておらず、庫内に佇むロクサンの姿はまさに現役当時そのままの雰囲気。今にもロクサンの甲高いブロワー音が聞こえてきそう・・・なんて思っていると、本当に「ひゅをぉぉ~~ん」という聞き慣れたブロアー音が鳴り響いてくるではありませんか。思わず振り返ると、そこには動くロクサンの姿が!
これは過去の写真ではありません。
軽井沢方向からゆっくりと現れたのは、ロクサン!
非連結側にあたる横川方の顔(①エンド側)は、
シンプルなスカート周りです。
目の前を横切るロクサン。果たしてこれは夢か幻か・・・って、ちょっと表現がおおげさすぎですね(^^;)。実はこの鉄道文化むらでは廃線となった旧・信越線の一部を利用して、ロクサンの運転体験ができるのです。体験といっても単なるイベントやアトラクションではなく、かなり本格的なもので、学科実技講習だけでも三万円ほどの料金がかかります(運転体験は講習を受けた者のみが可能で、一回5000円)。私などにはとても払える額ではありませんが、運がよければこのように体験されている方が運転する「動くロクサン」の姿を間近に見ることができます。この日も数往復の運転が行われていました。
現在の運転体験線のあたりをゆく185系の上り普通列車。
この頃の横軽を越える普通列車は基本的に115系がメインでしたが、
深夜から早朝にかけての一往復のみ185系で運転されていました。
このロクサン+185が撮りたいために、横川でマルヨしたんだよなぁ・・・。
今見ると、後ろが巻いちゃって185系がよく解らない写真だけど(^^;)。
97.6 信越本線 軽井沢-横川
ロクサンと勾配票を絡めたこんなカットも
廃線間際には流行った撮り方でしたっけ。。。
そんな写真がこちら。
国鉄・JRで最大となる66.7‰(パーミル)の勾配票とロクサン。
66.7‰とは1000m進むと66.7m登ると言う意味で、
いかに横軽が急勾配だったかがわかります。
95.6 信越本線 軽井沢-横川
外へ出たついでに、このまま屋外展示の方へとまわりましょう。碓氷峠にまつわる車両がメインとされる鉄道文化むらですが、実はそれ以外の展示車両もかなり充実。これは元々、国鉄末期に高崎で建設計画のあった「電気機関車博物館」の収蔵用として全国から集められたものが、計画消滅によって当施設に保存されることになったのです。電気機関車の充実度なら、大宮の鉄道博物館にも引けをとらない・・・いや、むしろこちらのほうが上回っていると言っても過言ではないでしょう。ただし悲しいかな、屋外展示であるために車体の痛みが激しいのが残念ですが・・・。
青空の下に並べられた、貴重な機関車の数々。
機関車以外に客車やディーゼルカーなども展示されていますが、
ここには電車が一両もないというのが、面白いですね。
(電車の正式な展示はエントランスの189系のみ)
先ほどから登場しているロクサン(右)。
屋外にはトップナンバーがデビュー当時の茶色で展示されています。
左隣は、かつて東海道で「つばめ」や「はと」を牽いていた花形機EF53 2。
人気の高いEF58 172(右)と関門用のEF30 20。
172号機は完全状態で残る最後のブルー・ゴハチとなってしまいました。
EF30は昨年私が撮影したEF81 303の先輩に当たる、先代の「銀ガマ」です。
さらにその隣には懐かしい和式客車「くつろぎ」の姿も見えます。
通は「くつろぎ」と呼ばずに「高B」とか「B座」などと呼んでいましたね。
ラッセル車のDD53 1と操重車ソ300のスゴイ編成(笑)
排雪が本職のDD53ですが、私が撮影できたのは数年前に
磐越西線で運転された臨時の「ばんえつ物語」(DD53 2牽引)だけでした。
ソ300は一度だけEF65Fが牽引しているところを撮影した覚えがあります。
先日に久留里線で撮影したキハ30の仲間で、ステンレス車体のキハ35 901。
やっぱり私の中でのキハ30・35は、タラコ色がいちばんしっくりときます。
八高線での現役時代にこの900番台を撮りたいと思っていたものの、
結局一度も巡り会えませんでした・・・。
展示されている全車種を紹介してしまうと、これから訪れる方に申し訳ないのでこの辺にしておきましょう。ラストに旧・横川運転区の社屋だった碓氷峠資料館で当時の時刻表や機関車の図面などを眺めて、見学を終了。元々あった施設をそのまま活用している鉄道文化むらには鉄道博物館やリニア鉄道館にはない本物の臨場感があり、とても充実した展示内容でした。それにしても、冬休みなのに入場者が少なかったのがちょっと気がかり・・・。
もちろんお昼ゴハンは
横川の名物駅弁「峠の釜めし」。
駅前にある「おぎのや」の本店でいただきます。
☆☆☆☆・
鉄道文化むらを後にして「おぎのや」で昼食を食べ終えても、バスの発車時間まではまだ30分ほどの余裕がありました。そこでもう少しだけ周囲を散策することに。廃線となった旧・信越線の線路は遊歩道として整備されているので、それを歩いてみます。
鉄道文化むらの横が
廃線跡の遊歩道「アプトの道」スタート地点。
全長は「めがね橋」までの4.7キロほどありますが、
今回はそのさわりだけ歩いてみましょう。
この遊歩道からも運転体験の「動くロクサン」を眺めることができます。
今さらながら、単機のロクサンってなんだか違和感ありますね・・・。
信越線の廃線跡を活用した遊歩道「アプトの道」は、横軽の象徴だった赤レンガ造りの「丸山変電所跡」や雄大な「めがね橋」へと続いていますが、バスの待ち時間ではそこまで行くことはできず、今回はスタート地点から7~800メートルほどにある上信越自動車道の橋下で折り返します。それでもこのあたりの景色を見ているだけで、ふつふつと込み上げてくる懐かしさ・・・。と、いうのも、この上信道の下あたりは横川駅から手軽に到達できた撮影地で、もちろん当時も徒歩鉄メインだった私はこの近辺で撮影することが多かったのです。徒歩鉄のクセにやたら大きな三脚と長玉の入った銀箱を担ぎ、さらに駅で買ったばかりの釜めしを持ってくるのが定番スタイルでした。荷物はおそらく今の三倍くらいの重量があったのではないかな・・・。そんな機材を担ぎ、一度だけ頑張ってめがね橋まで歩いたことがありましたが、信号場のあった熊ノ平などは到達できずに終わってしまいました。
遊歩道となった上り線以外の下り線や架線柱などは、
ほぼ当時のままに残されています。
上を横切る高架橋が上信道。
このあたりが横川駅から徒歩圏内の「お手軽撮影地」で、
山を下ってくるロクサンをよくここで撮影したものです。
廃線後初めて訪れたけれど、周囲はあまり変わっていませんでした。
上写真の左に写るガードレール付近から撮った特急「あさま」。
189系の編成中央付近にかかっているのが上信道の影です。
ロクサン+189「あさま」は、横軽でもっともオーソドックスな組み合わせ。
それだけに、今になって振り返るといちばん懐かしさを感じさせてくれます。
95.4 信越本線 軽井沢-横川
撮影日は異なりますが、
同ポイントの振り返ったアングルで撮った「あさま」。
この色の189系は今でも現役で、臨時の「あずさ」などにも使われています。
この「あさま」が走っている上り線が現在の遊歩道。
97.9 信越本線 横川-軽井沢(後追い)
友達とおふざけで撮ったこんな写真も今となっては貴重な記録。
撮影地で峠を行く列車を眺めながら食べた釜めしの味は、また格別でした。
97.4 信越本線 軽井沢-横川
時間つぶしの軽い散策だったはずなのに、当時のことを思い出して、ついのめりこんでしまいました。こんなことなら昼食時間を削って、丸山変電所まで行くべきだったかな・・・。でも、この先はまたのお楽しみとしましょう。丸山変電所付近やめがね橋で撮った写真は、次に訪れたときお見せしたいと思います。
線路脇にはこんな鉄向けへの看板が、今でも残されていました。
廃止間際にはたくさんのファンが集まりましたものね・・・。
私もそのひとりですが。
思い出写真のラストは、横川駅に停車中の489系「あさま」を。
モスグリーンに塗られた長野の189・489系のイメージが強い「あさま」ですが、
一往復だけ「白山」の間合いで金沢の489系が使われていました。
傍らには次列車のために待機するロクサンと見守る鉄道員の姿。
今から15年前にはふつうに見られた、横川駅の日常でした・・・。
97.9 信越本線 横川
廃線跡散策に思ったよりも時間をかけてしまったため、急いで遊歩道を戻り、横川駅前のバス停へ。ここから峠越えのバスに乗って軽井沢に向かいます。
・・・続きます。