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懐かしの撮影記・・・“昭和”最後の鉄旅をふりかえる。 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

あおたけ的、懐かしの撮影記
改元によせて・・・
“昭和”最後の鉄旅をふりかえる。
 
 

今上陛下のご退位と皇太子殿下の新天皇ご即位にともなう、平成から令和への改元。今上陛下のご退位に一抹の寂しさは感じるものの、今回の改元はお祝いムードの色が濃いように思います ヘーセー♪ ヘ(゚ω゚ヘ)(ノ ゚ω゚)ノ レーワ♪。
昭和生まれの私にとっては、二度目の経験となる改元。では、前回・・・つまり昭和から平成に変わるときはどうだったのかというと σ(゚・゚*)ンー…、昭和天皇の崩御による自粛ムードが強くて、今回のような賑やかさはまったくありませんでした。
・・・というか、当時まだ学生だった私は天皇制や元号についてあまりにも無知で、「え?天皇陛下がかわる代わると元号も変わるの?ええっ?昭和が終わる!? ( ̄△ ̄;)エッ…」などと、改元の仕組みを初めて知ったもの。しかも今回のような事前に「令和」へ変わることが知らされているわけでなく、昭和天皇が崩御されたその翌日から突然に「昭和」が「平成」になるというのです Σ(゚∇゚;ノ)ノ エッ!?。当然ながら「昭和最後の〇〇」などという意識はほとんどなく、結果的にあれが昭和最後だったんだな・・・とあとになって思うことも多くありました (´ω`)シミジミ。
個人的にそのひとつが“昭和最後の鉄旅”。


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券面に花火大会の様子がデザインされた
長岡駅の入場券。
その日付は【64.-1.-4】。


昭和最後の年となった昭和64年(1989年)は、昭和天皇が1月の7日に崩御されたため、元日から7日までのわずか一週間しかなく、今上陛下が即位された8日からは平成元年となりました (・o・*)ホホゥ。そのため、“昭和64年”と刻印された貨幣などをたまたま目にすると、今でもちょっと特別な価値観を抱きます (゚∀゚)オッ!(私にその実際の価値はよくわかりませんが)。そして私が旅の記念に残していた切符類のなかで唯一、昭和64年を表す“64”の年号が刻印されているのが、信越本線・長岡(新潟県)の入場券 (*・ω・)つ[キップ]
このきっぷを買った昭和64年1月4日、冬休み期間中の私は「青春18きっぷ」を使って上越線、北陸本線の乗り鉄旅に出かけており(むかしも今も旅のスタイルが変わらない、“18きっぱー”のワタクシw)、それが結果的に私にとって“昭和最後の鉄旅”となったのです ( ̄、 ̄*)ナルヘソ。

平成最後の日に振り返る、昭和時代最後の鉄旅。なんだか意味があるような無いような記事ですが、当時に撮ったちょっと懐かしい写真をここでご紹介したいと思います (ノ∀`)ナツカシス。



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「18旅」のスタートは
都心と新潟を上越線経由で結んでいた、
夜行快速の「ムーンライト」
(当時はまだ「ムーンライトえちご」ではなかった)。
リクライニングシートを装備(に改造)した、
急行型の165系が使われていました。
格安で効率よく移動できたこの列車、
私はよく利用したっけ・・・。
(ノ∀`)ナツカシス
▲89.1.3 中央本線 新宿

0002.jpg
早朝の長岡でムーンライトから乗り継いだ
信越線の新井ゆき普通列車は
今でいう「一次新潟色」の115系。
ちなみにこの新潟色をよく見ると
同色の特徴ともいえる“青髭”が少ない、
試験塗装編成でした。
(゚∀゚)オッ!
▲89.1.4 信越本線 長岡

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直江津で北陸本線の富山ゆきに乗り換え。
前年に実施された国鉄からJRへの移行により
ご当地色への塗り替えが進められていた時期でしたが、
この413系はまだ国鉄時代のエンジ色でした。
▲89.1.4 信越本線 直江津

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特急の通過待ち(?)の停車中に、
糸魚川で撮った大糸線の普通列車。
キハ58もこんな色だったんだね・・・。
(゚ー゚;)ミドリ…
▲89.1.4 北陸本線 糸魚川

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長岡から4時間かけて富山に到着。
富山で見かけたこちらの475系は
JR化後に塗り替えられた北陸色で、
近年までこの色が見られました。
おなじみの方も多いかと思われます。
▲89.1.4 北陸本線 富山

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接続時間に余裕のあった富山では
改札を出場。
...(((o*・ω・)o
この写真は富山の駅舎と
地鉄の市内線(路面電車)を
記録したかったのだと思います。
北陸新幹線が開業して、
富山駅も大きく様変わりしましたね。
▲89.1.4 北陸本線 富山

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駅に戻り、ホームで列車を撮影。
(^_[◎]oパチリ
小雪が舞う富山を発車するのは、
速達タイプの特急「かがやき」。
専用色の485系が使われていました。
ちなみに「かがやき」の愛称は、
現在の北陸新幹線に採用されています。
▲89.1.4 北陸本線 富山

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私が乗る普通列車(右)を横目に、
次々と先行してゆく北陸本線の特急列車。
当時の同線はまさに“特急街道”でした。
上はおもに大阪と富山を結んでいた
特急「雷鳥」。
下はおもに米原と金沢・富山を結んでいた、
特急「加越」。
加賀と越中が愛称の由来の「加越」、
ヘッドマークのデザインが好みだったなぁ。
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜
▲89.1.4 北陸本線 富山

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敦賀で見かけたのは、
なんと583系の「雷鳥」!
(゚∀゚)オッ!
当時は寝台特急の間合い運用で
昼行特急の「雷鳥」に
583系が使われていたんですよね。
国鉄特急型好きとしては大興奮の
貴重な記録です。
(*゚∀゚)=3ハァハァ!
▲89.1.4 北陸本線 敦賀

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米原ではふたたび「加越」に遭遇。
(=゚ω゚)ノ ヤア
ボンネット型(489系)の「加越」は
ちょっと珍しかった覚えがあります
(そうでもないのかな?)。
▲89.1.4 東海道本線 米原

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そして同じネガのスリーブながら、
場所が一気に飛んで、ここは静岡。
時間の都合で米原から新幹線を利用し、
静岡で東海道線に乗り継ぎました。
東京ゆきの普通列車は165系。
(≧∇≦)シブイッ!
急行「東海」や「大垣夜行」の間合いで
165系が使われていた366Mは
鉄ちゃんにはよく知られた“乗得列車”でした。
(´艸`*)オトク♪
▲89.1.4 東海道本線 静岡


新宿2300-(上越3765M 快速ムーンライト)-長岡0413~638-(信越1326M)-直江津0803~0814-(北陸538M)-富山1024~1109-(268M)-米原1613~1644-(東海道新幹線 こだま450号)-静岡1845~1935-(東海道366M)-東京2242



当時は“撮り鉄”よりも“乗り鉄”がメインだった私(このころは撮り鉄や乗り鉄って言葉はなかったけれど)。とくに明確な目的地があったわけでなく、北陸本線の普通列車にひたすら乗っているだけという単純な行程でしたが ...(((o*・ω・)o、それでも個人的にあまり目にする機会が少なかった北陸の特急列車を見るだけで楽しかった覚えがあります (*゚∀゚)=3ハァハァ!。
また、駅撮り(ホームでの撮影)ばかりの記録ではあるものの、今になって見返すとけっこう貴重な列車が写っていて、試験塗装の一次新潟色115系や583系の「雷鳥」、ボンネット型489系の「加越」など、スキャンしていて思わず興奮してしまいました ε-(°ω°*)ムフーッ!。写っている車両はすべてが国鉄型だけれど、塗装にJR化後のさまざまなご当地色が見られるのも面白いですね ( ̄。 ̄)ヘー。

今から30年前の昭和64年1月、とくに昭和の終わりや改元などを意識せず、ごく自然な状態で列車に揺られていた旅の記録でした。



そして時代は平成から令和へ・・・
“平成最後の鉄旅”や“令和最初の鉄旅”は、また改めてご紹介しようと思いますが、とりあえず巷の“改元フィーバー”(?)に私も踊らされて、「ありがとう平成・ようこそ令和、山手線全駅スタンプラリー」などをやってしまいますた ヒャヒャヒャ(゚∀゚≡゚∀゚)ヒャヒャヒャ。

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スタンプをコンプリートすると、平成時代に山手線で活躍した205系、E231系、E235系がデザインされた、クリアファイルがいただけます ヽ(´▽`)ノワ~イ♪。




共通テーマ:趣味・カルチャー

東京総合車両センター・・・夏休みフェア2017 見学記 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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2017.08.26 東京総合車両センター
夏休みフェア2017 見学
 &
懐かしの撮影記 鶴見線
 

今夏の関東地方は記録的な天候不順で、あまり夏らしさは感じられなかったけれど、気がつけば8月も最終週 (;゚ロ゚)ハッ。学生のみなさんは溜まった夏休みの宿題を片付けるのに、大忙しってところでしょうか(私の学生時代はそうでした(笑))アセアセヾ(*д*ヾ三ノ*д*)ノアセアセ。そんな時期に毎年恒例で開催されるのが、東京の品川区(大井町)に所在するJR東日本の車両メンテナンス工場、「東京総合車両センター」の一般公開 (゚∀゚)オッ!。ここではおもに首都圏を走る一般形(通勤・近郊形)電車の検査、整備等が行なわれており、ふだんは見られないような作業現場を間近に見学できるのは、このイベントならではの醍醐味 (・o・*)ホホゥ。さらには構内の留置線を使った車両の展示・撮影会のコーナーも設けられ、そちらも楽しみのひとつとなっています (*´v`*)ワクワク♪。入場門の前に大行列ができるほどの人気イベントですが、私も保存されている貴重な車両がお目当てで、過去に何度か足を運んだものでした ...(((o*・ω・)o |TK|。
しかし近年は、同センターでメンテナンスを行なう車両が「新系列車両」、いわゆるステンレス製でVVVFインバータ制御方式の新型電車(209系やE231系、E233系など)に統一されてしまったことから、入場して整備を受けている車両はどれも似たようなカタチばかり σ(゚・゚*)ンー…。そしてそれに伴ってなのか、展示(撮影会)のほうもステンレス製の現行車両が置かれる割合が高くなってきたように感じます σ(・∀・`)ウーン。ちなみに一昨年(2015年)の展示車両は房総の209系や常磐線のE231系、南武線のE233系など、昨年(2016年)は色違いのE233系(中央線、京葉線、横浜線、近郊形)が四種類、並べられたのだとか ( ̄。 ̄)ヘー。そうなると個人的にはちょっと面白味に欠け、決して新型電車がキライなワケではないけれど、わざわざ暑いなかで行列に並んでまで見に行くほどではないかな・・・(´σД`)マ、イッカ と、ここ数年は同イベントから足が遠のいていました。前回は「みどりの山手線」の撮影ついでに訪れた2013年で、もう四年も前のことになります。
そして迎えた今年(2017年)の同イベント。またどうせ、E233系とかE235系(新型の山手線)あたりが展示されるんジャマイカ? (゚ー゚*)ジャマイカ?。あ~あ、ロクイチ(EF58 61)やクロ157(ともに非公開で収蔵されている超貴重な車両)が見たいなぁ・・・σ(・∀・`)ロクイチ… なんて思いながら、あまり期待せずに開催告知のリリースに目をやると (=゚ω゚=*)ンン!?、展示予定車両として記載されていたのは、EF65形電気機関車 (゚∀゚)オッ!、EF81形電気機関車 (゚∀゚*)オオッ!!、事業車のクモヤ143系 (*゚∀゚*)オオオッ!!、そして・・・クモハ12形!! w(*゚o゚*)wオオオオオォォォォォォ━━━!! と、書かれているではありませんか! エッ!(゚Д゚≡゚∀゚)マジ!?。これはどうしたことか、昨年とは一転してすべてが国鉄型車両と言うシブいラインナップ!しかも目玉が「クモハ12」とな!? ε-(°ω°*)クモジュー!!。ひょっとすると今年は国鉄からJRになってちょうど30年という節目の年なので、それを意識したものなのでしょうか? σ(゚・゚*)ンー…。何にしても、近年には見られなかった魅力的な展示予定に大興奮 (*゚∀゚)=3ハァハァ!。とくにクモハ12へ特別な思い入れのある私は、別件の予定を急きょ変更し、四年ぶりとなる東京総合車両センターの公開イベントへと駆けつけることにしたのでした ε=┌(*゚д゚)┘イクゼ!。ああ、あのクモハ12に会えるっ!!(*´v`*)ワクワク♪


8月26日(土)

イベントの開場は10時。その時間帯を見計らって最寄駅の大井町に着くと、会場付近にはすでに多くの同業者(鉄ちゃん)やファミリーで、長~~い行列ができていました (´д`;)人大杉…。ここに並ぶ感覚は久しぶりですが、相変わらず同イベントの人気の高さが伺えます λλλλλ,,,,,ゾロゾロ。ただ、会場となる車両センターの構内は敷地がかなり広いことから、意外にも列はスムーズに流れて、並び始めて30分ほどで正門に到達できました (゚∀゚)オッ!。最近にしては珍しく、朝から晴天となったこの日の東京。気温も高かったので、待ち時間が思ったよりも短かったのは助かります ε-(´∇`*)ホッ。では、さっそく入場して、構内の様子を見てゆきましょう (/*´∀`)o レッツラゴー♪(写真の紹介は展示の順路と異なります)。

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公開イベントの垂れ幕が掲げられた、
「東京総合車両センター」の工場棟正門。
今年も多くの方が来場しました。
同所は国鉄時代の「大井工場」という呼び名のほうが
しっくりと来るファンも多いかもしれませんね。
(゚ー゚*)オーイコー。

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正門脇で来場者を迎えるのは、
209系の試作車・クハ901-1。
(=゚ω゚)ノ ヤア。
ちなみに901系時代は本来、
幕板部の帯がブルーではなく黒でした。

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検修棟でメンテナンスが行なわれていた
常磐線用のE233系(左)と総武線用のE231系。
ともに台車が外されています。
この状態を見ると思わず呟きたくなるのが、
「足は付いていない・・・(゚∀゚)アヒャ☆」
▲JR東日本 東京総合車両センター

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外された足・・・いや台車などは、
こちらで分解されて整備を受けています。
台枠や車輪、空気バネ、モーターなどがずらり。
いちばん下の写真は、
その工程を来場者にわかりやすく説明する模型で、
作業員はSuicaペンギン? (´▽`*)ペンギン♪

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作業実演のコーナーでは、
常磐線用のE233系(クハE233)が
トレーラーに牽引される様子を披露。
公開イベントへ久しぶりに訪れた私は、
このようなシーンを初めて見ました。
w(゚o゚)w オオー!!
▲JR東日本 東京総合車両センター

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トレーラーで庫内に押し込まれたクハE233は、
そのままクレーンで吊り上げられます。
なかなか見ごたえのある一連の作業。
(丿´∀`)丿タカイタカーイ♪
ちなみに同車の車番は「クハE233-2017」で、
これはやはり2017年にかけたものかな?
▲JR東日本 東京総合車両センター

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こちらは検査を終えて、
ピカピカな状態となった総武線用のE231系(左)。
この黄色い山手線・・・いや、
山手線顔の総武線(?)も、だいぶ見慣れてきましたね
(同編成は山手線から総武線へ転属したもの)。
右は中央線用のE233系。
遠くて(小さくて)わかりづらいけれど、
「特別快速 松本」のレア表示を掲出しています。
(゚∀゚)オッ!
▲JR東日本 東京総合車両センター

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この日は久しぶりに夏日となった東京。
冷たいかき氷でちょっと一息・・・。
男は黙って、ブルーハワイ!
。゜+.(≧▽≦*)ヒャッコイ!゜+.゜。

まずは車体やパーツの整備、点検などが行なわれている、検修棟をひととおり見学 ...(((o*・ω・)o(クドいようですが、実際の順路とは異なります)。前述したように現在の同センターへ入場しているのは、新系列車両のE231系やE233系など、どれも似たような電車ばかりですが 231(゚-゚=)三(=゚-゚)233、その乏しいバリエーションのなかで行なわれた作業実演(クレーンを使った車両の上げ下ろしなど)に、常磐緩行線と地下鉄千代田線を直通するE233系2000番台(クハE233-2017)が使われたのは、千代田線好きの私にとってちょっと嬉しい収穫でした(笑)ヽ(´▽`*)ノ ワ~イ♪。それに、たとえ新系列車両ばかりであっても、やはり作業現場を間近に見られるのは貴重な機会で楽しいものです (・∀・)イイネ!。そんな検修庫を抜けた先の屋外エリアが、私のお目当てである車両展示コーナー (「゚ー゚)ドレドレ。多くのファンが群がる人壁の向こうには、既報どおりのEF65、EF81、クモヤ145、そして・・・クモジュー、イタ━━━━━━m9( ゚∀゚)━━━━━━ッ!!

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賑わいをみせるイベント会場で、
ひときわ多くの人が集まっていたのが、
車両の展示コーナー。
こりゃ、撮るのが大変そうだ・・・
(´∀`;)人大杉…

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今年のラインナップは、上写真左端から、
「出雲」のマークを掲げたEF65 1115、
日章旗クロスのお召装備(風)が施されたEF81 81、
稲城長沼(南武線)の前頭板が挿されたクモハ12形、
そして下写真右端の事業用車クモヤ145。
この豪華な四車種でした。
w(*゚o゚*)wオオー!!
▲JR東日本 東京総合車両センター

かつてのブルートレイン牽引機・EF65形1115号機 (゚∀゚)オッ!、かつてのお召列車(天皇陛下がお乗りになる列車)牽引機・EF81形81号機 (゚∀゚*)オオッ!!、そんな華やかな両機と肩を並べているのは、なんとも古めかしい雰囲気が漂う茶色い電車 w(*゚o゚*)wオオーッ!!。これはいったい、いつの時代の骨董品だ?なんて思われるかもしれませんね σ(゚・゚*)ンー…。たしかにこの「クモハ12形」は、戦前の1928年(昭和3年)にモハ31形(モハ31018)として製造され、のちに単行(一両)で使用できる両運転台構造へ改造された際(1959年)に形式をクモハ12形(クモハ12052)と改めた経歴を持つ、今年で誕生から89年のふっる~い電車 (≧∇≦)シブイッ!。もちろん今は現役じゃありません(ただし現在も車籍を有しており、所属は中原電車区)。

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久しぶりに姿を現した、クモハ12形の052号車。
(クモハ12052)
ふだんの同車は東京総合車両センターの最深部に位置する、
屋根付きの保管庫(御料車庫?南修繕場?)に
収蔵されているため、保存状態はとても良好です。
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
▲JR東日本 東京総合車両センター

しかしこのクモハ12、製造されたのは約90年も前ですが、現役を退いたのは今から20年前の1996年(平成8年)のことで、定期旅客用の旧型国電(釣り掛け駆動方式)としては、国鉄からJR(東日本)へと引き継がれ、平成の世に生き残った希少な例 (・o・*)ホホゥ。そして神奈川の鶴見線(つるみせん)で活躍していた同形は、首都圏近郊に残る最後の旧型国電として、ファンの注目を浴びる存在でした ( ̄。 ̄)ヘー。実はかく言う私も、クモハ12が醸し出す味のある佇まいに魅了され、幾度となく晩年の同形を撮りに鶴見線へと足を運んだものです (*´ω`*)ナツカシス。個人的な思い入れのある懐かしい電車といえば、先日にご紹介したばかりの和歌山線105系でも同じような話になりましたが、105系の前身である常磐線の103系1000番台は、私が鉄ちゃん(鉄道趣味)になるキッカケとなった、馴染みのある地元の電車 ( ´_ゝ`)フーン。いっぽうこのクモハ12は、私の「撮り鉄」の原点である電車と言っても過言ではないかもしれません。というのも、それまでは駅や沿線で列車主体の編成撮りばかりだった私が、初めてひとつのテーマのようなものを持って、いろいろな角度から追いかけたのが、鶴見線に残っていたクモハ12でした【◎】]ω・´)パチッ!。引退後(鶴見線での運行終了後)は東京総合車両センター(旧・大井工場)にて保存されていたクモハ12、今年のイベントで同形と再会できたのは感慨深いものがあります。会場内はかなり混み合っていたけれど、やっぱり会いに来てヨカッタよ・・・。・:*:・(゚ノ∀`゚)゚ヨカッタ・:*:・。


そこで今回は、この再会の感動とともに、クモハ12の現役時代の活躍に思いを馳せ、ここでいくつか当時の私が撮った写真をご紹介したいと思います。

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▲鶴見線 国道-鶴見

鶴見線は、横浜市鶴見区にある京浜東北線の鶴見から、弁天橋、浅野、武蔵白石、浜川崎、などを経て、川崎市川崎区の扇町(おうぎまち)までを結ぶ本線(7.0キロ)と、途中の浅野で本線から分岐して海芝浦(うみしばうら)へ至る支線(1.7キロ)、さらには武蔵白石で本線から分岐して大川へ至る支線(1.0キロ)、この三線(本線と二つの支線)から構成される、首都圏近郊の通勤路線 (・o・*)ホホゥ。京浜工業地帯の一画に縫うような形で存在する同線は、利用客の大半が沿線の工場への通勤者であり、車窓から見える景色も殺風景な工場や倉庫ばかりです ( ̄。 ̄)ヘー。そんな鶴見線で、私がよく撮影へ訪れていた頃(1990年前後)に主力で使われていたのは、三両編成の黄色い101系か103系(現在は205系)でしたが、それらに混じって活躍していた同線の“名物電車”こそ、戦前製で旧型国電の残党である二両のクモハ12形(クモハ12052とクモハ12053)(゚ー゚*)クモジュー。単行(一両)運転が基本で車体長の短いクモハ12はもともと、武蔵白石と大川の間の支線用の車両であり、同形が永く生きながらえたその理由というのは、大川支線の駅のホームが短くて三両編成の現行車両が入線できないというものでしたが、工場への通勤客輸送に特化した鶴見線では、朝夕のラッシュ時に比べると日中や休日の利用者が極端に少なく、のちに単行運転のできるクモハ12は大川支線のみならず、日中の本線(おもに支線との直通運用)でも使われるようになりました ( ´_ゝ`)フーン。本線に活躍の場が広がったクモハ12、それを機に私の記録が始まったのです (*`・ω・´)-3フンス!。

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「鶴見、入線。」
もともとは私鉄の鶴見臨港鉄道だった鶴見線。
その開業当時(1926年・大正15年)の雰囲気を
色濃く残す鶴見の頭端式ホームは、
クモハ12によくマッチしていました。
▲鶴見線 鶴見

0120.jpg
「古兵の貫禄」
クモハ12は上り方(鶴見側)が非貫通、
下り方は改造で増設された運転台で
中央に扉のある貫通型。
▲鶴見線 鶴見

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「注意書き」
今でも貼られているのかな?
▲鶴見線 鶴見

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「開扉」
重々しく開いたプレスドア。
さ、乗り込みましょうか。
▲鶴見線 鶴見

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0123.jpg
「操る」
ブレーキを緩めて、ノッチを入れると、
唸りをあげるツリカケモーター。

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「単行電車」
鶴見を発車して高架線を進むクモハ。
ここは京浜東北線や東海道線、横須賀線、
さらには京浜急行などが並走する区間で、
数多くの線路が見られますが、
写り込んだ電車は単行のクモハだけ。
▲鶴見線 鶴見-国道

0126.jpg
「縁日の参道」
・・・でも、
昼間は出店がやっていなくって、
撮ったときはイマイチだと感じた一枚。
▲鶴見線 鶴見-国道

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「工場路線」
私の俯瞰好きの原点と言える一枚。
沿線の建物の管理人さんにお願いをして、
屋上の給水塔に上ったんだよなぁ・・・。
こんな撮り方をする人は物珍しかったらしく、
管理人さんがつきそってくれました(笑)
▲鶴見線 鶴見小野-国道

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「浅野の象徴」
浅野で分岐する海芝浦支線に
覆い被さるようにして設置されていたのは、
工場から伸びる鉄骨の構造物。
運河へ荷物を運搬する
コンベアみたいなものだったのかな?
ちなみに現在は無くなっています。
▲鶴見線 浅野

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「海が見える終着駅」
・・・として有名な海芝浦。
鶴見駅の注意書きはこの駅のことです。
改札からは出られないけれど、
よく海(?)を見に訪れました。
左のほうに霞むのは、
当時できたばかりの横浜ベイブリッジ。
(「海を見に行こう」ってココへ彼女を連れて行ったら、
「これは海じゃなくて運河だ!」と言われたっけ・・・^^;)
▲鶴見線 海芝浦

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「一息」
クモハの運転士さんも
折り返し時間まで海を眺めて過ごします。
▲鶴見線 海芝浦

0132.jpg
「運河」
殺風景な工場地帯を走る鶴見線のなか、
ここは数少ない潤いが感じられるスポット。
▲鶴見線 安善-浅野

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「都会のローカル線」
著名な某作家(M氏ね)が付けたと言われる、
同線を表すフレーズ。
たしかに単線をゆくクモハの姿は、
ここが川崎市内だとは思えません。
▲鶴見線 武蔵白石-大川

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「おおかわ」
現在は8時台~17時台に
列車の運行設定が無い大川支線ですが、
当時は日中にも列車が走っていました。
ただ、たしかに乗客はほとんど見かけなかったな・・・。
▲鶴見線 大川

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「カシャっ」
工場地帯で特殊な貨車を見かける鶴見線。
当時から貨物オンチだったワタクシには
これが何用の貨車なのかよくわからなかったけれど、
その丸っこい形と、四角いクモハの対比が面白くて、
シャッターを切った覚えがあります。
▲鶴見線 大川

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「狙い」
貨車の連結面のスキマから、
クモハの車番を見る。
自分で言うのも何だけど、
こんな撮影センスがあったんだ・・・。
▲鶴見線 大川

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「スペック」
あ、車体に「大井工」の文字・・・
(大井工場は東京総合車両センターの前身です)。
▲鶴見線 大川

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「クモハの休日」
晩年は二両が残されたクモハ。
一両が運用に就き、
もう一両は車庫でお休み(予備)です。
▲鶴見線 弁天橋電車区

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「晴れ舞台」
弁天橋電車区で行なわれた公開イベント。
二両のクモハが繋げられて、
101系とともに展示されました。
ところで・・・
クモハしか入線できなかった大川支線は
この日、どうしたんだろ?
▲鶴見線 弁天橋電車区

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「12052」
旧型国電特有の五桁表記。
万の位の「1」は17m級の車体長を、
千の位の「2」は電動車を表します。
▲鶴見線 弁天橋電車区

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「佇む」
武蔵白石、大川支線ホーム。
雨の日の夕方に発車を待つ大川ゆきは、
まわりに誰もおらず、クモハを独り占め。
▲鶴見線 武蔵白石

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「灯り」
板張りの床、青いシートモケット、
天井で回る扇風機、
そして、温かみのある白熱灯の明かり。
それがクモハの空間。
▲鶴見線 武蔵白石

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「特等席」
運転台を増設した下り方の先頭部には、
一人用、もしくは二人用(1.5人用?)の
小さな座席がありました。
ちなみに先出した「操る。」に写る
マスコンやブレーキハンドルは
この席に座って撮ったものです。
▲鶴見線 武蔵白石

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「運行表示」
運行表示窓の灯りも昔ながらの電球色。
この表示窓は052と053で異なっていて、
写真の053は原型。
052のほうは内側の一段が塞がれています。
今年の公開でも、そこに目が行っちゃいました。
▲鶴見線 武蔵白石

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「車掌」
単行のクモハでしたが、
ワンマン運転ではなく、
ちゃんと車掌さんが乗務。
発車前に安全確認!
▲鶴見線 武蔵白石

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「積雪」
工場地帯を走り、自然に乏しい鶴見線。
季節感のある写真が撮れたのは、
この一枚くらいか。
▲鶴見線 武蔵白石

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「検診中」
これは94年に行なわれた
大井工場(現・東京総合車両センター)の
一般公開で見られた一コマ。
クモハ12は今年のような展示車両ではなく、
検修棟でメンテナンスが行なわれていました。
▲JR東日本 大井工場

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「涙雨」
そして引退を控えたダイヤ改正の前日。
定期運行の最終日は平日(金曜)でしたが、
武蔵白石のホームには
別れを惜しむ多くのファンが駆けつけました。
春先の冷たい雨が車体を濡らします・・・。
▲96.3.15 鶴見線 武蔵白石

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「惜別マーク」
営業運転終了後に行なわれた
クモハ12のさよなら運転。
前面には大きな黄色いヘッドマークが掲げられました。
車内にはファンの姿がびっしり。
▲96.3.24 鶴見線 浅野-安善

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「重連」
二両のクモハ12が連結された、
さよなら運転の特別運行。
いつもの倍になったツリカケモーターの唸り音は
クモハからの別れの挨拶。
▲96.3.24 鶴見線 国道-鶴見

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「兄弟」
鶴見で顔を揃えたクモハ。
左が12052、右が12053。
二人揃って勇退です・・・。
▲96.3.24 鶴見線 鶴見


大川支線のホーム有効長が短いという特異な理由で延命されてきたクモハ12でしたが、それでも車体の老朽化はさすがに限界が近づいてきていたことから、大川支線へ現行車両(103系や、現・205系)が入線できるような工事(武蔵白石の大川支線ホーム撤去)や運行形態の変更(武蔵白石のホームを介さず、本線から大川支線へ直通)が行なわれ、1996年3月にクモハ12はその長い現役生活に終止符を打ったのです (´w`*)ドツカレサン。運行最終日や「さよならイベント」には私も駆けつけて、別れを惜しみました サヨナラ~(´;ω;)ノ~~~。

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「リベット」
車体に無数のリベットと呼ばれる鋲が並び、
四角くて無骨な形のクモハ12。
でも、どこか温かみのようなものが
同形からは感じられました。
▲96.3.24 鶴見線 鶴見


これが私の撮影した鶴見線クモハ12の記録です。ここにご紹介した写真の大半はモノクロですが、これは懐古気分を助長させるような演出ではなく原板のまま (゚ー゚*)シロクロ。趣味に費やせるオカネに余裕がなかった当時の私は、移動にかかる電車代(交通費)を少しでも捻出するための節約手段として、安い長巻きのモノクロフィルムをパトローネ(フィルムの缶)に詰めて撮影し、自分で現像やプリントをしていたんです (つω-`。)ボンビー…。後半はポジフィルム(カラー)を使用していますが(大井工場の入場シーンだけカラーネガ)、色はキレイなものの、高価なポジフィルムを使っていることによって、いい意味での”ムダ切り”が少なくなり、結果としてモノクロ時代のほうがのびのびと面白い写真を残せているように感じます σ(゚・゚*)ンー…。ただ、モノクロにしても、カラーにしても、このクモハ12を追った時期はとてもいい経験でしたし、今こうやってその記録を懐かしみながら振り返れるのは、撮り鉄冥利に尽きる幸せなことだとあらためて思いました (´ー`)シミジミ。そしてクモハ12と言えばもうひとつ、ここでご紹介したいのが、この作品。

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「鶴見、入線。(sonic ver.)」
(作者の許可を得て掲載しています)

実はこれ、先にお見せした鶴見駅の入線シーンの写真を、ちょっと前にソネブロでお馴染みの画家「sonicさん」に依頼して、個人的に描いてもらったものなんです。原板はモノクロ写真ですが、私はこれに色を再現して欲しいと言う、無茶なお願いをしたところ、sonicさんは快く引き受けてくださり、このような素晴らしい作品に仕上げてくださいました。とくに車両の色(ぶどう色2号)が忠実なのは、sonic画伯ならではといったところでしょうか(笑)。今はデジタル加工やスマホのアプリなどで、モノクロ写真に色を付けることもできるようですが、このような形で色を表現するというのもステキなものですよね。個人的にこれはとても嬉しい一枚で、自室のいちばん目立つところに飾らせていただいています(そんなsonic画伯の作品が、東京・白山(文京区)の喫茶「おとら」にて、8/31から9/6まで展示されています)。




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あらためて、
今年の東京総合車両センターで展示された、
クモハ12形のお姿を。
鶴見線から引退後のクモハ12は
052と053の二両とも保存されましたが、
残念ながら053のほうは2010年に解体処分となり
現存しているのは、このクモハ12052のみ。
これからも末永く大切に保存して欲しいと願っています。
▲JR東日本 東京総合車両センター

ここ数年は個人的にあまり期待をしていなかった東京総合車両センターの展示車両。ところが今年はクモハ12形という大きなサプライズがあり、久しぶりに熱く燃えた夏の一日でした o(炎◇炎)oメラメラ!。ちなみに、私はその年に行くことができなかったのですが、同イベントでクモハ12が展示されたのは2009年以来、8年ぶりとのこと。・・・と、来れば、次こそはやっぱり2010年以来となる、「あの名機」の展示を期待しちゃいますよね σ(・∀・`)ロクイチ…。はたして来年はクモハ12を越える、さらなるビッグサプライズがあるのでしょうか (*゚v゚*)ワクワク♪。

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お召装備(風)のEF81 81と並んだクモハ12。
この顔合わせもたまりませんが、
来年の同イベントでは「86年の田端」の再現・・・
なんてことにならないかなぁ~(笑)
(ホントに実現したら、激パで死人が出るか・・・^^;)
▲JR東日本 東京総合車両センター



☆オマケ★

先日にソネブロ仲間の「ken2さん」がご自身のブログで、クレーンを装備した操重車のソ80形の模型を紹介されており (゚∀゚)オッ!、その記事に私が「EF65に牽かれた回送ならば、実車を見たことがあります」とコメントを残したところ \_ヘヘ(∀`*)カタカタ、「写された写真を見てみたいです」と返されていました σ(゚・゚*)ンー…。そこで今記事のクモハ12の写真とともに、ソ80の写真も捜索 <(゚-゚=)キョロキョロ(=゚-゚)ゞ。見つかったのが、この二枚です。

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EF65PF(1030号機)に牽かれて、大宮を発車するソ80の回送列車。機関車との間には荷物車のマニ50が挟まっています。このソ80は当時、尾久客車区(現・尾久車両センター)に配置されていたソ99で、たしか偶然の出会いではなく、どこからか事前に情報を得て撮影へ行ったものだった覚えがあります (^_[◎]oパチリ 。ただし、回送の理由や用途、その行き先はよく分かりません・・・。



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懐かしの撮影記・・・「国鉄最後の日」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
あれからちょうど30年・・
1987.3.31「国鉄最後の日」
 
  

例年、 鉄道界では年度末を控えた3月の中旬に大幅なダイヤ改正が実施され、それを機に運転を開始する新たな列車や車両があれば、逆に引退してしまう車両や列車なども数多く見られます サヨナラ~(´;ω;)ノシ~~~。個人的な印象としては、例年よりも比較的おとなしかったように思う今春の引退劇ですが、それでも先日に拙ブログでお伝えしたような、地下鉄銀座線の01系京成電車の3500形JR烏山線のディーゼルカー・キハ40などが長年走り続けた鉄路を去り、さらには国鉄時代の名車・583系も来月に引退を控えています (´・ω・`)ショボン。まさに春はお別れの卒業シーズン・・・(つ゚A`。)ノ゚+。*゚+。卒業。+゚*。そんな数々の「さよなら」が毎年のように繰り広げられてきたこの時期において、もっとも印象深く私の記憶に刻まれているのが、今から30年前になる1987年の出来事 (´ω`)ナツカシス。この年の春はダイヤ改正による列車の廃止などというものではなく、もっととてつもない大きなものが無くなろうとしていました σ(゚ー゚*)ナニ?。それは、北は北海道から南は九州まで、日本全国に路線網が張り巡らされていた国営の鉄道。そう「日本国有鉄道」こと「国鉄」です (゚∀゚*)オオッ!!。

明治時代の鉄道開業(1872年)以降、国営事業として運営・運行されてきた国鉄は、モータリゼーション(クルマ社会)の急速な進展がもたらす鉄道離れや、新幹線等の莫大な建設費、さらには雇用が多すぎると言われた人件費などにより、1970年代には経営が悪化 (´д`;)アウ…。それを運賃の値上げやローカル線の切り捨て(廃止)などによって回復させようとしたものの、かえって利用者を減らす結果となってしまい、巨額の赤字を抱えてしまいました (つω`。) ボンビー。政府は国鉄の再建を断念し、法的に国鉄の分割と民営化を決定 m9(`・ω・´)ケテイ!。今までの国鉄が行なっていた全国画一規模の大雑把な経営ではなく、民営の旅客6社(北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州)と貨物1社による、地域や業種を振り分けた方法での鉄道再建に望みを繋ぐこととしたのです。これが「国鉄の分割民営化」(・o・*)ホホゥ(最近はJR北海道の経営などで、この分割民営化があらためて問題視されていますが、私は鉄道の評論家ではない単なる鉄ちゃんなので、ここでそのハナシに触れることはしません)

その国鉄を引き継ぐ新会社への移行、いわゆる「JR」の発足は1987年4月1日に実施。つまり前日にあたる同年3月31日が、国鉄にとっての最終日ということになります サヨナラ~(´;ω;)ノシ~~~。しかし、列車の廃止や車両の引退なんかはよくあることですが、経営の大本となる国鉄自体が無くなると言われても、当時まだ学生だった私にはいまいちピンと来ませんでした σ(゚・゚*)ンー…。いつもフツーに使っていた国鉄が、国鉄じゃなくなる!? ( ̄△ ̄;)エッ…。じゃあ、なんて呼べばいいのさ? え?じぇいあーる!? JR常磐線?? JR柏駅??? ウソでしょう・・・ ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \。な~んて、今じゃ日常的に使っているJRって名称ですが、当時はそんな風に変わるなんて、にわかには信じられなかったんです。そんな私が国鉄が無くなることを実感したのは、ゴクミのCM・・・ではなく (´∀`;)ゴクミ…、この電車の顔を見たときでした (=゚ω゚=;)ンン!?。

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柏のホームに停車しているのは、
常磐緩行線と地下鉄千代田線を直通する、
「国鉄」の203系。
でも、なんだか違和感が・・・(゚ー゚?)オヨ?。
▲87.3.20 常磐線 柏

当時の私が住んでいた街を走る地元の電車で、見慣れた存在の常磐(緩行)線・203系。この電車は地下鉄千代田線という他社路線へ乗り入れることから、車体には国鉄の所属を示す「JNR(Japanese National Railways=国鉄)」のエンブレムマークが掲げられていたのです (゚ー゚*)コクテツ。ところが上写真の203系を見ると、車両前面の右上(運転席上)にあったハズの「JNR」マークが、黒く潰されているではありませんか Σ(゚∇゚;ノ)ノ エッ!?。これはホントに国鉄が無くなるという現実を、愛着のある車両から直に突きつけられたような、驚きと衝撃を受けました (゚ー゚;)マジカ…。

そして迎えた、国鉄最終日の3月31日。「撮り鉄」って言葉も、「葬式鉄」って言葉もなかった時代でしたが、この日はまさに「史上最大の葬式鉄」が繰り広げられようとしています (ノ゚Д゚)ノ オオオオォォォォォォ━━━!!。私も「鉄ちゃん」(って言葉はあった)の端くれとして自分なりに記録を残そうと、朝からカメラを持って出撃しました (*`・ω・´)-3フンス!。前置きがかなり長くなりましたが、ここからは一本のフィルムに記録された当日の写真を、時系列に沿って順にご紹介したいと思います。まさに「ドキュメント・87.3.31」!。ところどころ記憶が曖昧なところもありますが、30年という時の流れに免じて、どうぞご容赦ください・・・。
 

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一眼レフカメラに装填した
36枚撮りのネガカラーフィルム

【◎】]ω・´)パチッ!、

最初の一枚目に写っていたのは、
山手線の田町のホーム先端で撮影した東海道線。
165系の普通列車・静岡ゆき(325M)です。
早朝の5時半に東京駅を発車するこの列車、
どうやら私は地元駅(柏)を初発電車で出かけてきて、
まず、この田町を目指したようです。
(*´O)ゞ.。oOフワァ〜ア…。
▲東海道本線(山手線) 田町

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田町に入線する京浜東北線の青い103系。
前面には首都圏の各線で共通デザインだった、
「さようならJNR」のマークが掲げられています。
(゚∀゚)オッ!。
ちなみに、露出アンダーのネガを
スキャン時に無理矢理に明るくしているので、
粒子が粗くてザラザラです・・・。
▲東海道本線(山手線) 田町

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同じく「さようならマーク」を掲げて、
山手線を走る黄緑の103系。
山手線のヘッドマークは103系だけで
奥に見える205系には付けられませんでした。
▲東海道本線(山手線) 田町

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早朝から田町で粘った私のお目当てがこちら。
当時、絶大な人気を誇っていた電気機関車、
EF58 61(ロクイチ)が牽引するお座敷客車の「江戸」。
(☆∀☆)ロクイチ!!。
これも「さよなら国鉄」絡みの特別列車かと思いきや、
鉄道趣味団体のツアー列車(?)だったようで、
東京と名古屋の間を二日がかりで往復しています。
( ̄。 ̄)ヘー。
さりげなく背後に写り込んだ

モノレールの500形も懐かしい・・・。
▲東海道本線(山手線) 田町

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ロクイチを撮って田町から移動。
首都圏の「さようならマーク」集めに向かいました。
マーク…((((o* ̄-)o。
これは品川で撮った横須賀線の113系。
山手線などと同じ、首都圏共通マークです。
(^_[◎]oパチリ。
たしかここで同業者の方から、
「千葉の113には、別マークが付いているよ」
と言う情報を聞いた私は・・・
エッ(゚Д゚≡゚∀゚)マジ?
▲東海道本線(横須賀線) 品川

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・・・品川から総武快速線に乗って千葉へ。
ε=┌(;゚д゚)┘チバ!。
管轄が違った千葉鉄道管理局の113系には、
たしかに首都圏共通とは違うデザインの
「さようならマーク」が掲出されていました。
(゚∀゚*)オオッ!!。
ちなみにこのデザインは総武緩行線の
黄色い103系にも付けられていたのですが、
私はそれを記録することはできませんでした。
▲総武本線 千葉

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千葉ではマーク付き以外にもこんな収穫が。
向かって左側に停まっているのは、
関西の日根野電車区から千葉の幕張電車区へ転属してきた、
阪和色の113系です。
(゚.゚*)ハンワセソ?。
分割民営化が実施されて会社が異なると、
このような広範囲の転属はほとんど見られなくなりました。
▲総武本線 千葉

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千葉でマーク付きを撮ったら、
再び都内へ逆戻り

ε=┌(;゚д゚)┘トナイ!

その道すがらたまたま見かけたのが、
両国に停車していた急行形の165系。
今で言うところの偶然の鉄運か!?
(o ̄∇ ̄o)ラキー♪
「友愛号」ってマークが付いていたけれど、
学生の集約臨か何かでしょうか?
たぶん、国鉄の最終日とは関係ないと思います。
▲総武本線 両国

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続いてやってきたのは東京。
静岡からのお座敷客車(ヌマ座)を牽引してきた、
EF58 122が機回し(機関車の入れ替え)中です
(右に見える客車は別列車の寝台特急)。
機関車の正面には新会社のJR東海をアピールする
ヘッドマークが掲げられていました。
(´▽`*)ゲニニ♪。
ちなみにこの機関車が通過している辺り、
現在は東北・上越・北陸新幹線などが発着する、
JR東日本の新幹線ホームになっています。
東京の機回し線、懐かしいなぁ・・・。
(ノ∀`)ナツカシス。
▲東海道本線 東京

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慌ただしくも、今度は上野にきています
ε=┌(;゚д゚)┘ウエノ!

地平ホームに停まっていた高崎線の211系には、
SLの動輪をモチーフにした高崎鉄道管理局デザインの
「さよならマーク」が付いていました

(゚∀゚)オッ!

私はこの列車に乗って、さらに移動。
▲東北本線 上野

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上野から高崎線に乗ってやってきたのは、
埼玉県北部、熊谷の先の籠原(かごはら)。
高崎局が設定した国鉄最終日の記念列車が
熊谷と水上(みなかみ)の間を走るとのことで、
それが私の狙いでした。
(*゚∀゚)=3ハァハァ!
ところが、本来いきたかった沿線の撮影地は
列車が通過するまでに間に合わないことが判明し、
仕方なく籠原のホーム先端で妥協しています。
(・ε・`)シャーナイネ。
特別列車の編成はEF60 19が牽引する
高崎のお座敷客車「やすらぎ」。
ヘッドマークが付くって聞いていたのに、
実際はマーク無しですた・・・。
(・・?)アリ?。
▲高崎線 籠原

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これは後日、高崎機関区の一般公開で撮影した、
「さよなら国鉄」のヘッドマーク付きの
EF60 19(左)(゚ー゚*)メロンパン。
特別列車にはこんな姿を期待していたのにな・・・。
(・ε・`)チェ。
▲87.4 高崎第二機関区

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期待していた特別列車にヘッドマークがなく
なんだか不完全燃焼で、籠原をあとにします。
ホームに入ってきた上り列車は、
高崎局の「さよならマーク」が付いた115系。
デカ目(白熱球の大型ヘッドライト)がシブい!
(≧∇≦)シブイッ!
▲高崎線 籠原

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籠原から都内に戻り、今度は常磐線の北千住へ
ε=┌(;゚д゚)┘センヂュ!

ここでは常磐線の中距離電車・415系に掲げられた、
水戸鉄道管理局の「さようならマーク」を記録しています。
(^_[◎]oパチリ。
余談ですが当時の北千住には祖父母が住んでおり、
このときもちょろっと顔を出した覚えがあります。
(=゚ω゚)ノ ヤア!。
▲常磐線 北千住

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上野では常磐線の快速電車・103系に付けられた、
首都圏共通の「さようならマーク」を撮影。
ちなみにこのマト9編成は

全車非冷房だった貴重な初期形

(中間車8両は1000番台)、
ヘッドマークで隠れていますが、
前面の下部には通風口が残されていました。
赤腕章を付けた車掌さんが、
いかにも国鉄らしいですよね。
▲東北本線 上野

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すっかり日が暮れた東京駅で撮った中央線の201系。
この頃になるとだいぶ疲れてきたのか、
かなりテキトーな撮り方をしていますね・・・。
チカレタ…⊂(-ω-`⊂⌒`つ。
当時の中央線ホームはまだ重層化前で、
山手線のホームから中央線が撮れました。
▲中央本線 東京

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国鉄最終日はテキトーに撮ってしまった
中央線の201系ですが
数日前にも神田で記録していました

(^_[◎]oパチリ

ただし、フィルムは安いモノクロです・・・。
▲87.3.20 中央本線 神田

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私はだいぶ疲れが出てきたようですが、
国鉄の最終日はいよいよクライマックスを迎えます。
この日いちばんのメインイベントと言えるのが、
国鉄総裁から各JR旅客会社の社長さん宛に
引き継ぎのメッセージを運ぶという趣旨で、
3/31から4/1にかけて夜行運転された、
特別列車の「旅立ちJR号」。
σ(゚ー゚*)タビダチ…。
同列車は首都圏から新会社の主要駅へ向けて、
6本の列車が設定されましたが
(東京~博多の「九州号」や、上野~札幌の「北海道号」など)
そのなかでもとくに個人的に注目していたのは、
かつての特急「つばめ」に連結されていた展望車、
マイテ49 2をこのために復活させたという、
「旅立ちJR西日本号」(東京~大阪)です

(゚∀゚*)オオッ!!

これは是が非でも撮りたい!と、思うも、
当然ながら出発式が行われる東京のホーム上は、
多くのファンや報道陣で溢れかえり

まさに超激パの状態です。
Σ(`ロ´;ノ)ノ ヌヲォォォッ!
気弱な(?)私はそこに踏み入る勇気がなく、
撮影を断念・・・か!? (´Д⊂ムリポ
▲東海道本線 東京

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ところが、
「旅立ちJR西日本号」に使用される客車編成は、
出発駅の東京へ回送する前に、
品川で一時的に留置されているとの情報を友人から聞き、
私は急いで品川へ向かいます

ε=┌(;゚д゚)┘シナガハ!

すると、そこには・・・
マイテ、イタ
━━━m9( ゚∀゚)━━━━ッ!!
鉄道誌の昔の写真などでしか見たことが無かった、
特急「つばめ」の展望車・マイテ49が、
室内灯を点して佇んでいるではありませんか!
これはもう感動、感激、大興奮!!
ε-(°ω°*)ムフーッ!
残り数枚となったフィルムをここですべて使い切り、
私は国鉄最後の日の撮影を終えたのでした。
▲東海道本線 品川


一枚一枚の写真を見返すと、今も記憶が鮮明に蘇る、あの日、あのとき、あの場所 (ノ∀`)ナツカシス。我ながら、一日でよくこれだけ巡ったもんだよなぁ・・・アセアセヾ(*д*ヾ三ノ*д*)ノアセアセ。各地の「さよならヘッドマーク」を集める様は、まるでスタンプラリーでもやっているような感じですね(笑)。一眼レフカメラを使っての撮影は、まだまだ駆け出しの頃で、駅のホームに停車している列車を正面からの「日の丸写真」で撮るという、「駅撮り」ばかり。いま見れば、もう少し記録的に価値のあるような撮り方ができなかったのかとも思いますが、当時の私はこれがベストだと考えてシャッターを切ったのでしょうし、限られたフィルムの枚数のなかで厳選して撮ったものですから、むしろ無駄なものなど一枚もなかったんだと思います【◎】]ω・´)パチッ!。写真のウデは未熟でも、私にとってはどれもかけがえのない貴重な記録の数々。そして何よりもこの歴史的な国鉄最終日と翌日のJR発足日を経験できたことは、鉄道を趣味としている者にとって幸せなことだったと感じています (´ー`)シミジミ。

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当時買い求めた「さようなら国鉄」の記念オレンジカードと、
国鉄最終日の日付が入った東京駅の入場券。
ちなみに入場券は記念発行されたものではなく、
当時は窓口でふつうに硬券入場券が買えました。

あの日から30年が経ち、年々数を減らしている国鉄時代に製造された国鉄型の車両たち。先日にネットニュースで見かけたのですが、各旅客会社別に見た国鉄型の2016年現在の保有割合は、北海道が32%、西日本と四国が30%、九州が28%、東日本が10%、東海はなんと0.2%なのだそうです ( ̄。 ̄)ヘー(東海に残っている国鉄型ってなんだろ・・・、211系の初期編成か? σ(゚・゚*)ンー…)。前記事でご紹介した国鉄特急型の189系などをはじめ、個人的に今も国鉄型の車両を好んで撮影している私。今後も機会があればできる限りの範囲で、「国鉄の名残り」を記録し続けられたらと思っています (^_[◎]oパチリ (本文中の写真撮影日は、特記以外すべて87.3.31)。
 
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国鉄の最終日から一夜明け、
翌4月1日からはJRの路線として、
新たなスタートを切った各線。
山手線の103系にも「こんにちはJR」の
ヘッドマークが掲げられました。
▲87.4.11 東北本線(山手線) 鴬谷

 

 

  

ここでちょっと訂正を・・・m(_ _)m
前記事の「189系 特急「かいじ」 撮影記」のなかで私は、189系国鉄色の特急「かいじ」の写真を撮影した際の感想として、「やっぱり国鉄特急色には、国鉄時代にデザインされたヘッドマークが似合うなぁ・・・」などと書いていますが、特急「かいじ」はJRの発足から一年後の1988年3月に誕生した特急列車で、ヘッドマークも国鉄からの流れを踏襲した絵柄や字体を採用しているものの、正しくは国鉄時代にデザインされたものではありません。お詫びして訂正いたします 人( ̄ω ̄;)スマヌ。「かいじ」って、てっきり国鉄時代の末期に誕生したんだと思っていたのですが、実は「北斗星」と同期だったのね (^^;)ゞポリポリ。ちなみに「かいじ」の運行初日(88.3.13)、私は新宿で下りの初列車を記録していました (^_[◎]oパチリ(なのに、間違えている・・・)。

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29年前の1988年に撮った運転初日の特急「かいじ」。
とくに出発式などは行われなかったと記憶しています。
それにしても、前記事でご紹介した189系「かいじ」と
見た目がほとんど変わらないのは

スゴいことだよなぁ・・・。
ちなみに上写真のヘッドマークをよく見ると、
現在の「かいじ」マークにはない、
「L特急」の印(左上)がありますね。
▲88.3.13 中央本線 新宿



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懐かしの撮影記・・・思い出の「北斗星」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
27年の歴史に幕・・・
さようならブルートレイン「北斗星」
 
  

うだるような真夏の暑さから開放されたのはありがたいけれど ε-(´∀`;)ホッ、このところ関東の週末はあまり天気がよくありません (゚ペ)ウーン…。ネタとなるような特別な列車が走らなくても晴れたら出撃 ε=┌(`・ω・)┘スツゲキ!、もしくは晴れなくても何かネタがあったら出撃 ε=┌(`・ω・)┘スツゲキ!するところなのですが、先週末は個人的に気になるようなネタがなく、天気もぐずついた雨模様だったこともあって、非鉄で過ごしてしまいました ⊂⌒~⊃。Д。)⊃ ヤ~メピ。
そんな自宅に引きこもった私がこの機会に行なっていたのは、ちょっとした発掘作業 (゚ー゚*)ハックツ?。発掘と言ったってウチの床下からアンモナイトの化石が出て来るワケじゃありません (´ω`)ソーダロネ。私が探していたのは、先日に惜しまれつつ運行が終了してしまった最後のブルートレイン、寝台特急「北斗星」の写真や資料です (゚∀゚*)オオッ!!。下り最終列車の様子をお伝えした記事でもちょこっとご紹介していますが、1988年3月の青函トンネル開業とともに運転を開始した「北斗星」、私はその初日一番列車の出発式を野次馬の一人として眺めて以来、廃止となるまでに幾度となく同列車の撮影機会がありました (・o・*)ホホゥ。世代的に誕生と終焉の両方を記録できたブルートレイン(定期の客車寝台特急)はこの「北斗星」だけなので、その引退劇はとくに感慨深いものがあります (つω-`。)サミシ…。そこで今回は、発掘したネガやポジから最近のデジタル画像まで、決して自慢できるような貴重なシーンやキレイな情景写真などはないけれど、私が過去に撮った拙い写真をご紹介しつつ「北斗星」の活躍を今一度振り返り、同列車へ思い入れのある方に少しでも懐かしんでいただけたらと思います (*´ω`*)ナツカシス。
  

  
 

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津軽海峡を貫く青函トンネルの開業とともに
上野と札幌の間で運行を開始することとなった、
寝台特急「北斗星」(゚∀゚*)オオッ!!。
今ではすっかりお馴染みとなったあの青いヘッドマークを
私が実際に初めて見たのは運転開始の初日ではなく、
その前に行なわれた車両展示会でした ( ̄。 ̄)ヘー。
今はなき上野駅18番線ホームで行なわれた展示会、
その先頭に立っていたのはEF81の18号機。
若番機が「北斗星」のマークを掲げるのは意外とレアかも。
88.3 東北本線 上野

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その展示会に使用された編成ですが、
実は営業列車のような11連のフル編成ではなく、
A個室やB個室、食堂車、ロビーカーなど、
「北斗星」の特徴的な車両のみを繋いだ6連でした。
客車の二両目に食堂車のスシが連結されるという珍編成(笑)
88.3 東北本線 日暮里

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そして運転初日となった1988年3月13日、
上野駅では記念の出発式が行われました。
(*゚▽゚)/゚・:*【祝・北斗星誕生 ☆彡】*:・゚\(゚▽゚*)
下り一番列車「北斗星1号」の牽引に抜擢されたのは、
その大役にふさわしい派手な色をした、
特別塗装機(SEレインボー塗装機)のEF81 95でした (゚∀゚*)オオッ!!。
ちなみに当時の「北斗星」は三往復も運転されたおり
(ただし「3・4号」は季節臨)、
初日の「5号」にはお召機の81号機が登板しています。
(「3号」はノーマル機で、たしか93号機だったかな?)
88.3 東北本線 上野

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発車の直前にはテレビ局のライトが「北斗星」の前面を照らします。
でも、このときのホームは先日の最終運転のときと同様に、
多くのファンや見物客でごった返しており、
人垣のスキマからこの一枚を撮るのがやっと (´д`;)人大杉…。
くす玉が割れた瞬間などは、とても拝めませんでした・・・。
88.3 東北本線 上野

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これは「北斗星」がデビューしたとき、
駅におかれていたパンフレット(チラシ)類。
表紙は一番列車を牽いたEF81 95です (゚∀゚*)オオッ!!。
中面では青函トンネルの概要や、
「北斗星」の編成などが細かく紹介されています。
今この編成表を見ると、当時は禁煙車が一両のみだったようです。
ヘー (=´ω`=)y━・~~。

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「北斗星」の誕生を記念して発行されたオレンジカード(手前)。
図柄の写真に採用されたのは「北斗星」のマークを掲げた、
お召機のEF81 81です (゚∀゚)オッ!。
その他に「上野発札幌行き 直通列車運転開始記念」という
記念カードも発行されましたが(左)、
こちらの図柄に使われているのは、なぜか「北斗星」ではなく
青森と函館の間で運転を開始した、快速「海峡」 ( ̄△ ̄;)ナンデ?
ちなみにこの88年3月のダイヤ改正では、
東北線(宇都宮線)の快速「ラビット」や高崎線の快速「タウン」、
京浜東北線の快速などの運転も開始され、
それらの記念カードを収集するのに、かなりの出費だった覚えがあります。

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上野に到着した上りの「北斗星」 (・ω・)ト-チャコ。
よく見るとホームには「北斗星」の乗客を歓迎する
ゲートのようなものも立てられています。
下りの一番列車牽引に抜擢され、
さらにパンフレットの表紙も飾った95号機は
「北斗星」運転開始からしばらくの間、
ほぼ「北斗星専用機」と化していました
(黒磯を無停車で通過できる列車選別装置が
同機にいち早く搭載されていたってこともあるけれど・・・)。
おかげでこの頃の95号機は本来のパートナーである
「レインボー」の牽引にほとんど就かなかったんだよなぁ・・・(^^;)
88.3 東北本線 上野

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これは「北斗星」ではありませんが σ(゚・゚*)ンー、
まだ東北本線の北部で客車による普通列車が運転されていた頃、
「北斗星」の牽引を担当する田端のEF81はその間合いで
盛岡~青森の普通列車牽引にも使われていました。
実際に私はこの95号機が牽引する12系の普通列車に乗ったのですが、
今となっては貴重な経験ですよね (*´ω`*)ナツカシス。
88.3 東北本線 盛岡

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尾久の車両基地で行なわれた一般公開では、
専用機(?)のEF81 95を先頭にして、
「北斗星」が列車の編成ごと展示されました。
「北斗星」に対する当時の注目度の高さが伺えます。
それにしてもココ、架線が張られていないところなのに、
よくパンタを上げて展示したなぁ・・・(´∀`;)スゴイネ。
88.4 東北本線 尾久客車区(当時)

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「北斗星」の誕生に鉄道界が沸いた88年でしたが、
実はこの年の秋には「北斗星」よりも豪華な列車が来日していました。
そう、あの「オリエント急行」です   (゚∀゚*)オオッ!!。
ちょっと解りづらいかも知れませんが、
これは尾久の洗浄線で顔を合わせた「北斗星」の24系と「オリエント急行」。
88.11 東北本線 尾久

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もともとネタガマ(特別機)好きのミーハーな私、
95号機の牽引時ばかりを狙って撮っていたせいか、
ノーマルなローズピンクのEF81が牽く「北斗星」には
見向きもしませんでした o( ̄、 ̄o)彡プイッ。
それがのちになって「北斗星」を牽引するノーマル機の色が
すべて塗り変わることになり (゚∇゚;)エッ!?、
結果としてローズピンク時代を撮らなかったことを悔やむハメに・・・
/(=ω=。)\シマッタ…。
これは私が撮った数少ないローズピンク時代の「北斗星」。
ちなみに、どれも何かのついでに撮ったものです (^^;)ゞポリポリ。
上・88.10 東北本線 北浦和-浦和
中・88.7 東北本線 鴬谷(推進回送の後追い)
下・88.5 東北本線 上野

07430.jpg
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原色のローズピンクから塗り替えられたのは、
真っ赤なベースに流星が描かれた「北斗星色」 (゚∀゚*)ホシガマ☆。
「北斗星」のデビューから半年後の88年10月に登場したこの色は、
2010年に後継のEF510へ引き継ぐまで、
実に22年間も「北斗星」の先頭に立ち続け、
「北斗星」と言えばこの色の機関車と言うイメージを定着させました。
上・07.4.30 東北本線 蓮田-東大宮
中・09.7.24 東北本線 片岡-蒲須坂
下・08.3.1 東北本線 高久

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さらに、「北斗星」を進化させたような豪華寝台特急
「カシオペア」が99年にデビューすると、
EF81は同列車に合わせた「カシオペア色」にも塗り変わり  (゚∀゚*)カシガマ☆、
同色機が「北斗星」を牽く姿もしばしば見られました。
06.11 東北本線 郡山

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ローズピンク機が「北斗星色」に塗り替えられ、
「カシオペア色」も現れるなか、
例の95号機は特別色(SEレインボー色)を堅持。
新たな専用機ともいうべき「北斗星色」ができたことで、
以前のような専用機並みの登板率とはならなくなりましたが、
それでも時おり「北斗星」の先頭に立って、ファンを喜ばせました。
ヽ(´▽`*)ノ ニジガマ~♪
個人的に「北斗星」の青いマークがもっとも似合う機関車は、
このチェリーレッドの95号機だと思います。
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
ちなみに同機は現在もこの色で健在。
上・06.03 東北本線 蓮田-東大宮
下・07.03 東北本線 蓮田-東大宮

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以前に「あけぼの」のメモリアルでもご紹介しましたが、
上野駅での電源車騒音問題に伴い、
ブルトレの編成を従来の逆向きにする必要があり、
「北斗星」も常磐線と武蔵野線を使った方向転換が行なわれました (・o・*)ホホウ
(上野~我孫子~南流山~上野)。
このときは両端に機関車が連結されるプッシュプル形態となり、
片方は本来の「北斗星」を牽引してきたEF81(北斗星色)が、
そしてもう片方には「あけぼの」のときに続き
ファンに人気のEF58 89が使用されました w(゚0゚*)w オォー!!。
EF58が牽引する「北斗星」編成、まさに夢の組み合わせが実現です。
上・91.3 常磐線 新松戸
中・91.3 武蔵野貨物線 北小金-南流山
下・91.3 武蔵野貨物線 南流山-北小金(後追い)
  
 
  
 

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「北斗星」に限ったことではありませんが、
本州と北海道を結ぶ寝台特急は、その通過する各路線の都合上、
牽引する機関車を何度か交換しなくてはなりません ( ̄。 ̄)ヘー。
青森~函館の津軽海峡線で「北斗星」の先頭に立つのは、
青函トンネルを通ることができる専用の電気機関車ED79です (゚∀゚*)オオッ!!。
しかし「北斗星」はこの青森と函館の間を
上りが夜、下りは早朝という時間帯に通過するため、
ED79が牽引する「北斗星」の走行シーンを撮影できるのは、
日の出が早い夏場の下り列車に限られます (゚ペ)ウーン…。
ふだんは撮影地までの移動に列車を利用する徒歩鉄の私ですが、
このときばかりは初発列車では間に合わないため、
前夜に函館でレンタカーを借りて撮影に向かいました。
まだED79のパンタグラフが下枠交差(PS103)の時代です。
08.5.2 江差線 釜谷-渡島当別

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0511.jpg

これは記憶に新しい、
昨年の夏に青森の油川(あぶらかわ)で撮影したED79の「北斗星」。
私が訪れた7月の下旬は定時の通過(定期時代)だとまだ日の出前で、
カメラの露出が上がらないなか、苦し紛れの流し撮りで対応しましたが(上)、
二日目の撮影では、なんと「北斗星」に一時間以上もの遅延が発生しており、
朝日に照らされるED79の牽引シーンを撮る事ができましたヽ(´▽`*)ノ ワ~イ♪。
上・14.7.28 津軽線 油川-津軽宮田
下・14.7.29 津軽線 油川-津軽宮田

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このED79のカットは「北斗星」へ乗車したときに、
車内の最後部から撮影したもの (^_[◎]oパチリ。
函館に到着してED79が切り離された瞬間です。
私の「北斗星」乗車経験は、99年と08年のわずかに二回だけでした。
08.7.11 函館本線 函館(車内から)

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初めて「北斗星」へ乗ったときに記念だと思って
勢いで買ってしまったのが、この本革製キーホルダー。
けっこういいお値段だった覚えがあります(笑)
ちなみにこれは「北斗星」で最上級のA個室である
「ロイヤル」のルームキーに使われているものと同デザインとのことですが、
私が乗車の際に利用したのは「ロイヤル」ではなく、
二回あった乗車機会の両方とも、B個室の「ソロ」です (^^;)ゞポリポリ。 
 

  
 

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津軽海峡線のED79からバトンを引き継ぎ、
北海道内で「北斗星」を牽引するのは、
「北斗星色」の青いディーゼル機関車DD51です (゚∀゚*)オオッ!!。
函館本線に急勾配区間がある事や特急としての高速運転を維持するため、
DD51は重連での牽引となり、その迫力にファンは魅了されました。
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
これは今年の夏旅では「カシオペア」の撮影に訪れた、
大沼公園の小沼湖畔で撮った「北斗星」。
このときもあまりいい天気ではなかったけれど、
先日の土砂降りよりはずっとマシでした・・・(^^;)。
07.7.31 函館本線 仁山-大沼

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実は北海道で「北斗星」を牽引するDD51も
はじめから青い「北斗星色」だったわけではなく、
運転開始当初は国鉄時代からのノーマルな朱色のままでした ( ̄。 ̄)ヘー。
この写真は、ちょっと懐かしい高架化前の札幌駅に滑り込む「北斗星」。
逆光、さらには積雪という条件下のなか、オートの設定で撮影してしまい、
思いっきりド・アンダーとなったものをムリヤリに明るくしたヒドい写真ですが、
これが私のなかで唯一残すことができた、原色DD51の「北斗星」でした。
88.3 函館本線 札幌

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何度か撮影機会があったDD51「北斗星」ですが、
どうも私は北海道での同列車とは相性が良くないらしく、
スッキリとした晴天でのカットはほとんど残せませんでした (´・ω・`)ショボーン。
「北斗星」よりも先に通過する「カシオペア」や
「トワイライトエクスプレス」のときは晴れていたのに、
「北斗星」の時刻になると曇るなんてこともしばしば・・・(ノД`)ドボジデ。
上・07.4.28 函館本線 長万部-静狩
中・08.4.30 函館本線 北豊津-国縫
下・11.6.4 室蘭本線 洞爺-有珠

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そんな撃沈続きのなか、四年前の北海道遠征で撮ったこの一枚が、
私にとって唯一と言っていいDD51「北斗星」の
晴天順光カットになりましたヽ(´▽`*)ノ ワ~イ♪。
やはり日差しを浴びる青い列車はいっそう鮮やかに見えますね
。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
できることならこのような好条件で、もっと撮りたかったところです・・・。
11.6.6 室蘭本線 長万部-静狩

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そして先日の北海道鈍行旅の二日目に撮った、礼文での一枚。
これが最後のDD51「北斗星」撮影になりましたが、
やはりこの日も曇りでした・・・(・ε・`)チェ。
でも終焉迫るこの時期に、一枚でも残すことができたのは、
大きな収穫でした (´ω`)ソーダネ。
15.7.27 室蘭本線 小幌-礼文

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これはその旅の途中に函館駅構内の売店で買った、
「北斗星」引退記念のメモリアルブックとクリアホルダーのセット。
ブックには運転開始当時から最終運転までの編成表や時刻表などが
きれいな写真とともに掲載されています      (゚∀゚*)オオッ!!。
そして同誌には道内の5駅で発行された「北斗星引退記念入場券」が
巻末に収納できるようになっているのですが、
旅行記で綴ったとおり、私は3駅分しか集められませんでした。 
 

  
 

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ここからは再び本州(上野〜青森)での牽引機に話を戻します。
運転開始当初から先頭に立ってきたEF81に代わり
2009年に二代目の「北斗星」牽引機として新製されたのが、
JR貨物によって開発された新世代電気機関車、EF510  (゚∀゚*)ゴトーサン☆。
JR東日本に配置された旅客用は500番台に分けられ、
塗装は「北斗星」の24系客車に合わせた青を採用。
車体側面にはEF81のものよりもシャープな流れ星が描かれています  (・o・*)ホホウ。
これはその第一号となる501号機の輸送シーン。
09.12.19 武蔵野線 新座

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青い機関車による青い客車の「北斗星」。
赤いEF81とはまた違う、統一された編成美が
このEF510牽引では感じられました。
。゜+.(o´∀`o)キレイ!゜+.゜。
ただ、個人的な印象としてEF510は「カシオペア」には似合うけれど、
「北斗星」はやはりEF81のイメージが強く σ(゚・゚*)ンー…、
EF510になってから私は「北斗星」の撮影機会が減ったように思います。
上・15.2.22 東北本線 蓮田-東大宮
中・11.9.18 東北本線 豊原-黒田原
下・12.5.19 東北本線 蓮田-東大宮

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EF81に代わって投入されたEF510には、青い「北斗星色」の他に、
「カシオペア」に合わせた銀色の「カシオペア色」も存在します (゚∀゚*)ギンガマ☆。
でも、EF510になってからの撮影機会が減ったことを物語っているように、
実は「カシオペア機」の「北斗星」を私が撮ったのは、わずかにこの一枚だけ。
これも都心に雪が降ったので撮りにいったら、
たまたま「カシオペア機」だったんですよね・・・ (^^;)ゞポリポリ。
11.2.11 東北本線 赤羽

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デビュー以来使われ続けてきた24系客車の老朽化、
さらには青函トンネルを通る北海道新幹線の工事が佳境を迎えるにあたり、
ついに今年の3月で定期運行を終了することになった「北斗星」(´・ω・`)ショボーン。
しばらくの間は臨時列車として運転が継続されるものの、
臨時化によって発車時間が夜の19時過ぎから、
まだ明るさが残る16時過ぎに繰り上げられるため、
夜行列車らしいシーンでの記録を残しに撮影へと出向きました。
やっぱりブルートレインは夜の情景が似合います。
ちなみに上のカットは、以前に「あけぼの」でもトライした撮り方ですが、
定時運行だと「北斗星」は京浜東北線にホームの光が遮られてしまうため、
車体があまりキレイに出てくれませんでした・・・(´д`;)アウ。
上・15.2.21 東北本線 王子付近
下・15.2.25 東北本線 東十条-赤羽

0500.jpg
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定期運行が終了してから約半年後の8月、
臨時として残されていた「北斗星」も
とうとう終焉を迎えることとなりました (´・ω・`)ショボボボーン。
今さら焦っても・・・と思いつつ、
やはり最後の一週間はその動向が気になってしまい、
時間があれば近場へと撮影に行ってしまいました。
これは尾久の車庫から上野への推進回送を撮ったもの。
上野名物ともいえる24系の貫通扉を開けた推進回送も
今ではもう見ることができなくなってしまいました。
15.8.17 東北本線(回送線) 尾久-上野 
 

  
 

青函トンネルが開業して走り始めた「北斗星」。正直言うとデビュー当時、私はこの列車があまり好きではありませんでした ( ̄△ ̄;)エ…。その理由は、それまで常磐線経由で上野と青森の間を結んでいて、私がもっとも愛着を持っていたブルートレインの「ゆうづる」が、実質この「北斗星」によって置き換えられてしまったから σ(・ω・`)ユウヅル…。それに当時の東北本線を走っていた従来のブルトレは直流機のEF65がメインで使われていて、交直両用機のEF81というと常磐線のイメージが強かったハズなのに、「北斗星」の牽引機にEF81が抜擢されたことで、同機までも東北線に持っていかれてしまった感じがしたものです ヽ(´д`;)アア…。そして新たに決まった「北斗星」って愛称、北海道にはすでに「北斗」って特急が走っているのに、そんな似たような名前では面白くないじゃん! やはり愛称は伝統の「ゆうづる」を継承し、列車は常磐線経由の札幌行きにすべきなんだ!!“(*`ε´*)ノ彡☆バンバン!!・・・な~んて、いち常磐線沿線民はひとりで憤慨したものでした(笑)。ちなみに「北斗星」って愛称の公募順位は108位で、意外にも低かったというのは有名なハナシです(一位はたしか「北海」だったかな?)。そんな「北斗星」も時が経つにつれて北のブルトレを代表する列車として定着し、もちろん私も当初のわだかまり(?)などすっかり無くなって、いつしか一度は乗ってみたい思う憧れの列車となっていました σ(・∀・`)ノリタイ…。念願かなって初めて乗った時にはやはり嬉しくて寝ることができず、一晩中車窓を眺めていたっけ・・・ (*゚∀゚)=3ハァハァ!。撮影の方ではやはり他のブルトレと同様、列車利用の徒歩鉄だと初発列車に乗っても撮影できる範囲が限られてしまい、上り列車では「ヒガハス(東大宮~蓮田)」での撮影ばかり。それでも写真で紹介したような機関車のバラエティなどがあって、撮影に行くたびにワクワクさせられました。いっぽう、北海道での下り列車は泊まりがけの旅行中に撮っていることもあり、結構いろいろな場所で記録することができたように思います。ただ、天気との相性は良くなかったなぁ・・・(^^;)ゞポリポリ そして心残りなのは、北海道らしい雪景色での写真が撮れなかった・・・と言うか、撮らなかったこと。冬の北海道の寒さに臆することなくトライすべきだったと、今さらながら後悔しています(昨年の1月に行った札幌出張のときは、関東の雪で「北斗星」が運休になっちゃったんだよね・・・^^;)。でも、こうやってあらためて撮り溜めた写真を見返すと、「北斗星」の歴史とともに自分の撮り鉄歴も歩んできたような気がしており、どれもがホントに思い出深くていい記録です。きっと知らぬ間に、自分がいちばん多く撮ったブルトレは「北斗星」になっているのではないかな・・・σ(゚・゚*)ソーカモ。

さようならブルートレイン「北斗星」、みんなの夢と思い出をいっぱい運んでくれて、ありがとう☆  サヨナラ~(´;ω;)ノ~~~ 
 
  
 

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そして、最終運行・・・。
下り列車の方は先日にお伝えしたので、
今回は本当のラストランとなった23日上野着の上り列車を。
混雑を避けて、私が見送ったのは尾久駅近くの跨線橋です。
夏の終わりとともに、「北斗星」は去ってゆきました。
サヨナラ~(´;ω;)ノ~~~。
15.8.23 東北本線 尾久-赤羽(後追い)


 



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懐かしの撮影記・・・両毛線「ベルギーお召し」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
思川の思い出・・・
両毛線「ベルギーお召し」編
 
  

先日に撮影記をご紹介した、485系の臨時快速「足利大藤まつり号」。いわきと桐生の間を常磐線、水戸線、両毛線経由で運転されたこの列車、私は往路の撮影を水戸線の鬼怒川橋梁で、そして復路の撮影地に選んだのが両毛線の思川(おもいがわ)でした【◎】]ω・´)パチッ!。その記事でもちょろっと触れていますが、この思川に私が撮影へ訪れるのはおよそ20年ぶりのこと ( ´_ゝ`)フーン。20年前の両毛線・・・ひょっとしたらこの時点でピンときた方がいらっしゃるかもしれませんね σ(゚・゚*)ンー…。正確には19年前の1996年10月24日。その日、私が思川へ撮影に訪れた列車とは・・・(*゚ロ゚)ハッ!! そう、あの「伝説」の列車、ロクイチ+一号編成による「ベルギーお召し」です w(゚0゚*)w オォー!!。今回は19年前に両毛線で運転されたこの列車を「懐かしの撮影記」としてご紹介したいと思います (*´ω`*)ナツカシス。ホントは「足利大藤まつり号」の記事にオマケで載せようかとも考えたのですが、ネタがネタだけにオマケ扱いじゃもったいないと思い、別枠の「懐かしの撮影記」にしてみました(笑)。


いまから20年ほど前、平成初期のお話。当時、鉄道ファンに絶大な人気を誇っていた一機の電気機関車がありました (・o・*)ホホゥ。それが「お召し列車(天皇陛下が御公務などで乗られる特別列車)」を牽引する専用機として製造された、EF58形直流電気機関車の61号機(EF58 61)、通称「ロクイチ」。その製造理由や輝かしい経歴だけでなく、丁寧に磨き上げられた車体の美しさにもファンは魅了され 。゜+.(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。、ひとたびこのロクイチが動けば沿線には撮り鉄によるカメラの砲列ができるほどのスター的な人気ぶりです パシャ! Σ【◎】]ω・´)パシャ! Σ【◎】]ω・´)パシャ!。しかし、平成になってからは特別扱いを嫌う今上天皇陛下のご意向によってお召し列車の運転機会は以前よりも激減し、専用機であるロクイチが牽引するお召し列車は昭和時代の1985年(昭和60年)以降、10年以上も運転されていない状態 σ(・ω・`)ウーン…。さらに1953年製の同機は、当時ですでに製造から40年以上が経過しており、車齢的にみてもロクイチのお召し牽引はもう二度と無いだろう・・・というのが多くのファンの見方でした ヾノ・∀・`)ナイナイ。

80年代はまだまだ撮り鉄として駆け出しだった学生時代の私は、ロクイチが牽引するお召し列車(ロクイチお召)を一度も撮ったことがなく、私にとってロクイチお召の撮影は憧れというか、まさに夢のようなものです σ(・∀・`)イイナァ…。しかし先述のような理由から、その実現度はかなり低いのが実情。ロクイチ自体はお召し列車牽引以外にもイベント列車などに駆り出されていて、私はそれを撮って満足するしかありませんでした (・ε・`)シャーナイネ。

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車両基地公開のイベントで、
日章旗を掲げた「お召し装備」で展示された、
「ロクイチ」ことEF58 61。
▲87.4 東海道本線 品川運転所(当時)

そんなロクイチはふだん、東海道線の田町と品川の間にある旧・東京機関区(品川運転所)に常駐していて、東海道線の車窓からもその姿を確認することができました ( ̄。 ̄)ヘー。時は90年代の半ばとなり、社会人数年目で休鉄(撮り鉄休眠)状態だった私ですが、東海道線に乗るときはクセのようにロクイチの姿を目で追っていたものです オッ!(゚∀゚*)イタッ!。ところが、ある日からそれがぱったりと見当たらなくなってしまいました (゚ー゚?)オヨ?。休鉄で学生時代の情報網とは疎遠になっていた私でしたが、さすがにロクイチのことは気がかりで(まさか廃車に? (゚ロ゚;)マサカ! ・・・なんて)、久しぶりに鉄を続けていた友人に連絡を取ってみると(メールが一般化されていない時代でしたから、当然、連絡手段は電話です モシモシピエロ~>(´▽`[]ゝ )、そこで私の耳に入ってきたのは「どうやら10月に両毛線でお召し列車が運転されるらしい。カマ(牽引機)はロクイチだとか・・・」という、ぶっ飛びそうになるほど驚きの情報 Σ(゚□゚(゚□゚*)ナ、ナニーッ!!。なんと、ロクイチお召が走る!? (゚ー゚;)マジカヨ… でも、このような真実味の薄いガセネタは常に多く流れていて、人づてで聞いたと言う友人はこの時点で半信半疑 (;¬_¬)ウーム…。私も「もしホントだったらスゴいよね ヽ(´∀`;)ハハ 」なんて笑いながら、電話を切りました。しかしその半月後くらいには、両毛線で実施された客車の試運転が雑誌の写真投稿欄に掲載され(たしか89+12系だったかな?)∑(=゚ω゚=;)エッ!?、にわかにあの「夢の列車」の真実味が高まってきたのです マジデ(゚ー゚;)マジナノカヨ…。そしてもうひとつの手がかりは新聞やテレビのニュース。10月某日にベルギーの国王夫妻が来日され、天皇皇后両陛下が栃木県足利市にある史跡・足利学校をご案内するとのこと (`・ω・´;)フムフム。足利と言えば、ウワサの両毛線沿線・・・。ここまで来るともう疑いの余地はなく、どうやらホントに両毛線でお召し列車が走るようです (゚ー゚;)マジダッタンダ…。それでも私はまだ「ロクイチ牽引」というところが信じられませんでしたが (;¬_¬)ウーム…、たとえ他の機関車が牽引しようと、たとえ電車での運転だろうと、お召し列車は走るだけでもスゴいこと。私は友人とともに撮影へ行くことを決め、運転日とされる日の有給休暇を会社に申請しました 口⊂(_ _ )ヨロシコ(運転日は平日の木曜だったんです) 。

結局、私も友人も運転日は掴んだものの詳細な通過時刻はわからぬままでしたが、天皇陛下や国賓が乗られるお召し列車ですから極端な早朝や深夜はありえないでしょう σ(゚・゚*)ンー。初発電車で駆けつけて、朝から沿線で待ち構えていればいつかは通過するはず。そんな心構えで両毛線へと向かいます。小山で東北線から乗り継いだ両毛線の車内は、お召列車の運転を決定づけるかのように多くの同業者でごった返していて w( ̄▽ ̄;)wワオッ!、これは撮影地の混雑も必至。ウワサによると光線状態のいい場所などは数日前からの徹夜組も出ているとか・・・(´д`;)スゲーナ…。そんななかで小山を発車した両毛線が最初に通る撮影ポイントが、小山と思川の間にある田園地帯です (゚∀゚)オッ!。ここは車窓から見た限りではまだ立ち位置にじゅうぶんな余裕がありそうでしたし、この先にある撮影地の混み具合がどれほどなのか解らないので、私たちは安全策を選んで無難な思川で下車しました m9(`・ω・´)ケテイ!。そして駅から歩くこと10分弱、カメラを構えたのが先日の「足利大藤まつり号」を撮った場所の逆アングル(下り側)です (・o・*)ホホゥ。光線状態はあまり良くないけれど、とにかく編成がスッキリと抜ければいいや・・・当時はそんな感じでした (´∀`;)マ、イッカ。この場所に集まった同業者は最終的に30人くらい(だったと思う)となり、近くにいた詳しい方から教わった通過時刻が近づくと、あたりに漂うのは今までに味わったことがないような独特の緊張感・・・(°_°;)ドキドキ。そこで誰かが発した、「来たっ!(゚∀゚;)」の声が今でも記憶の中によみがえります。直線上に見えてきたのはまぎれも無い、日本とベルギー両国の国旗をはためかせたロクイチの勇姿でした (ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-!!。

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ベルギー国旗と日の丸を掲げ、
粛々と両毛線を進む、ロクイチ牽引のお召し列車。
▲96.10.24 両毛線 小山-思川

実に11年ぶり、平成初となったロクイチお召。よく見れば光線状態はマンダーラっぽいし、ベルギー国旗が翻ってしまったのは残念でしたが、それでもロクイチが牽引する(新)一号編成という夢のような列車が撮れたことに、私だけでなくまわりの方々からも一斉に歓声が沸き上がりました バンザ━━━\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/━━━イ!! 。当時はとにかく興奮と感動でアタマのなかが真っ白になり ( ゚ρ゚)ポカーン 、両陛下とベルギー国王夫妻が乗られた貴賓車(中間に組み込まれた特別車両)を撮る余裕は無かったみたいですが、ハッと我に返って ∑(〃゚ o ゚〃) ハッ!! なぜか客車列車なのに後追いを撮っています Σ【◎】]ω・´)パチッ!。これも今となってはいい記録かな?(笑)

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振り返って、後ろからも撮影していました。
踏切に集まっているのは撮り鉄ではなく、
歓迎する地元の方々です。
▲96.10.24 両毛線 思川-小山(後追い)

この日のお召し列車は小山と足利の間を一往復する予定で、午前に往路、夕方に復路が運転されます。まさに先日の「足利大藤まつり号」のようなスジ(運転ダイヤ)ですね σ(゚・゚*)タシカニ。「大藤まつり号」のときは往路と復路の間に食事をとったり、東武の撮影へ転戦したりして時間を潰しましたが、このお召し列車のときは復路の通過時刻を同業者から聞いていたものの、往路撮影後すぐに思川駅を挟んだ反対側(栃木寄り)の撮影ポイントへ移動し、場所を確保しておくために通過までジッと待ち続けていました ジ━━━(`・ω・´)━━━ッ。この日は空模様がめまぐるしく変わるような「猫の目天気」(=ΦωΦ=)ニャア。待ち時間には小雨がぱらつくような時間帯もあり ヽ`、┐( ̄o ̄;)アメダ… お召し列車に日が当たってくれるかは微妙な感じです。フィルムを曇り空に対応した高感度のISO400にするか、それとも晴れることを信じて低感度で粒状性の細かいISO80(VELVIA+1ってやつね)にするか悩みましたが (。-`ω´-)ンー、お召し列車が始発駅の足利を発車する頃になると日差しが回復 (゚∀゚)オッ!。私は低感度のフィルムを装填して通過を待つことにしました。そして緊張の瞬間が再び・・・(°_°;)ドキドキ

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秋の夕日に照らされて、
お召し列車の豪華編成が美しく輝きました。
▲96.10.24 両毛線 栃木-思川

雲に遮られること無く、きれいな西日に照らされたお召し列車。まさに最高の条件です! (ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-!! ロクイチお召が現代に走るだけでも奇跡的なことなのに、この光に恵まれるとは・・・思わずシャッターレリーズを押す指が震えたものでした (((`・∀・´;)))ブルルッ!。実はこのとき何よりも印象に残ったのは、傍らを走り去る御料車の中央に掲げられた菊の御紋が、一瞬キラリと光ったこと。あのシーンは20年近くたった今も脳裏に深く刻まれています ゚+。*・感。゚(゚ノД`゚)゚。動・*。+゚。

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去りゆくお召列車をまたも後追い撮影。
結果的にこれが私の見る、
最初で最後のロクイチお召でした
▲96.10.24 両毛線 思川-栃木(後追い)

そして私はこの夕方の光線状態を覚えていたことで、同時間帯に運転された先日の「足利大藤まつり号」の復路を思川で撮ろうと決めたのです。あの日から19年・・・「夢の列車」を撮る事ができた、思川の思い出でした (*^^*)


ちなみにロクイチはその後、99年に中央線の大月~原宿で「ルクセンブルクお召し」、さらに01年には東海道・横須賀線の東京~北鎌倉で「ノルウェーお召し」が運転されましたが、前者は仕事の合間を縫って近場の駅へ撮影に出向くも、中央線の201系にモロカブりされて撃沈・・・il||li_| ̄|◯il||li(これは私の撮り鉄史上、もっともショックなカブりでした (つω-`。)グスッ)。後者は海外出張中で撮影に行けませんでした (・ω・`)ザンネン。そしてロクイチはお召し列車以外のイベント列車牽引などでも活躍し続けましたが、08年に重度の故障(台枠の損傷と言われています)が発覚し、事実上の引退・・・(´・ω・`)ショボーン。今はお召し列車を後任の特別車両・E655系に託して、客車の一号編成とともに東京総合車両センター内の特別倉庫(御料車庫)にて保管されています。

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現在は東京総合車両センター内に保管され、
通常、一般には見ることができない「ロクイチ」。
今のところ、公の場に姿を見せたのは、
10年夏の同センター一般公開時が最後となっています。
▲10.8.28 東京総合車両センター

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栄光の「ロイヤルエンジン」EF58 61。
もう二度と、その力強い走りは見られないのでしょうか?
▲06.06.10 高崎線 岡部-本庄



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懐かしの撮影記・・・ブラジルの貨物列車 編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
[サッカー]FIFA World Cup 2014[サッカー]
ブラジル大会 開幕記念!
思い出の「ブラジルの貨物列車」


サッカーファンにとって4年に一度のお祭り、ワールドカップ・ブラジル大会が開幕しました~!!
 イエ
━━━ \(≧▽≦)丿三\(≧▽≦)丿━━━ イ!!
おそらくこれからの一ヶ月間、私は寝不足の日々が続くことでしょう (今朝も4時起き・・・
(*´0)ゞoOフアアァァ…)。 そして撮り鉄活動の方も、少し稼働率が低くなるかもしれません。まあ、今は晴天の少ない梅雨時だし、ちょうどいいのかも。

さて、今回はそんなブラジルW杯の開催を記念して、私が以前にブラジルを訪れた際に撮影した鉄道写真を、ちょっくら引っ張りだしてみました。スミマセン、W杯とはじぇんじぇん関係ないのですが、こんな機会でもないと、なかなか日の目を見ないと思ったもので・・・(^^;)ゞポリポリ

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今から10年ほど前に仕事の出張で行った、南米・ブラジル。日本から見ると、ちょうど地球の反対側に位置し、飛行機で25時間もかかります。しかもこのときの目的地は、空港のあるリオ・デ・ジャネイロの街から、さらにクルマで6時間。舗装されていないようなデコボコ道をひたすらに走り続けました ゴトゴト(((((´д`;)))))ゴトゴト 。
遠い異国の地でクルマに揺られながらも、やはり私が気になるのは現地の鉄道。しかし、車窓から駅や線路を見かける事はあっても鉄道車両の姿はなく、寂びれた感じのその駅や線路が実際に今も使われているのかどうか、定かではありません。事前に軽く調べたところによると、リオやサンパウロなどの都市部には路面電車や地下鉄があるらしいのですが (そういえば最近、ストライキなどで話題になりましたね・・・^^; )、都市間を結んだり、国境を越えたりするような長距離路線は無いとのこと・・・ ( ´_ゝ`)フーン…。

ところが、しばらく田舎道を走っていると、突如、踏切の手前でヘルメットをかぶった一人のおっちゃんに、クルマを停止するよう促されます。何事かと現地ドライバーが尋ねてみると、どうやら「もうすぐ列車が通るから、しばらく待て」と、言っている様子 ∑(=゚ω゚=;) ナニッ!? 。警報機や遮断機などいっさい無い踏切。おそらくこの係員が遮断機代わりになって、クルマを止める役目をしているのでしょう。それにしても、ちゃんと列車が走っていたのですね! たしかに窓を開けると、山あいにかすかな走行音が聞こえます。ですが、それはまだはるか遠くを走っている感じ・・・σ(゚・゚*)ンー 。それでも係員は頑にクルマを通してはくれず、ドライバーもいったんクルマのエンジンを切りました。もちろん、私はここぞとばかりにクルマを飛び降り、カメラを構えます ε≡ε≡ε≡ヘ(*゚∇゚)ノ ラキー♪ 。

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あらためて辺りを見渡すと、踏切脇にあるのは熱帯雨林の中にぽつんと佇む小さなホームだけ。軒下に掲げられている「CABANGU」が駅名かな? しかし時刻表などは見当たりません。一体ここにどんな列車がやってくるのでしょうか? ドキドキo('∇'*o)ワクワク♪  心躍らせながら待つも、やはりなかなか列車はやってきません。クルマを止められて10分近くが経ったころ、森の奥から地響きのような轟音が近づいてきて、ようやく姿を現したのは・・・大きなディーゼル機関車! 旅客列車ではなく貨物列車です w(*゚o゚*)w オオー!!

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なんとこの列車、ディーゼル機関車三重連というド迫力で、後に続く貨車もものすご~く長い編成。正確な両数は数えていないので解りませんが、記憶では20~30両ぐらいはあったような気がします ポカ―(o゚Д゚o)―ン 。ゆっくりと走る長編成の貨物列車が通り過ぎるまでには、さらに5分以上もかかることになりました。その間に、クルマを静止した遮断機代わりの係員は、列車が通過し終わる前に、傍らに止めてあったバイクでさっさと走り去ってゆきました。彼は常駐しているわけではなく、列車の通過時刻にだけ立ち会うようです。

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結局、トータルで20分近くも足止めされた踏切。日本ならば大渋滞ですが、ココが開くのを待っていたのは我々のクルマと、一頭の馬に乗ったおじさんだけでした (´∀`;)ノドカ~

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ちなみに、現地のコーディネーターにあの小さな駅(CABANGU)のことを尋ねてみたところ、詳しい事は知らないけれど、こんなところに旅客列車が走っているとは思えず、おそらく貨物列車の乗務員交代用の駅ではないかとのこと。踏切で偶然に出会うことができたブラジルの貨物列車、これは鉄運に恵まれていたと言っていいでしょう。今のところこの列車が、私の撮り鉄人生でもっとも遠い地で撮った鉄道写真です(^^)。

 

それにしても、ブラジルって言うと、青い空、青い海、そして華やかなサンバカーニバルなど、明るいイメージだったのですが、私が滞在した一週間は、ず~~~~~っと冷たい雨続き。キリスト像で有名なコルコバードの丘から見たリオの景色(↓)も、イマイチでした・・・ε-(-ω-;)。 今のW杯期間中はなるべくお天気に恵まれて、最高のコンディションで、最高のプレーを見たいものですね~(^^)

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写真はすべて、04年5月ブラジルにて撮影。



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懐かしの撮影記・・・思い出の「あけぼの」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
ついに定期列車廃止・・・
思い出の、ブルートレイン「あけぼの」


明日の3月15日に実施されるダイヤ改正に伴い、本日14日発、翌15日到着分を持って、長年にわたり上野と青森の間を結んできた、寝台特急「あけぼの」の定期列車が運転終了となります。ここ数年、利用客のニーズに合わせた合理化や効率化(←あくまでもJR側の言い分ね ()`ε´#() ブーッ )、さらに車両の老却化などから、衰退の一途をたどってきた夜行列車。この「あけぼの」の廃止により、ついに国鉄時代から走り続けてきた伝統の寝台特急は、すべて姿を消すことになりました(´;ω;`)。それだけに国鉄時代を知るものとして、今回の「あけぼの」廃止は感慨深く、寂しさもひとしおです。そこで急遽、過去に私が撮った「あけぼの」の写真を、何枚か引っ張りだしてみました (((;・ω・)/□/ ヨイショ 

基本的に首都圏と秋田・青森を結んできたことに変わりはないものの、過去に何度も運転経路の変更を行ないながら、今日まで運転され続けてきた「あけぼの」。それだけに様々な機関車との組み合わせが見られたのも、この列車の特徴では無いでしょうか。そんな機関車のバリエーションなどを中心に、ちょっぴり懐かしさを感じるネガ・ポジ時代のものから、最近のデジタルカメラで撮影したものまで、ここでいくつかご紹介したいと思います。

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上野~福島~山形~秋田~青森と、
東北本線・奥羽本線を経由していた時代。
上野~黒磯の直流電化区間は
田端機関区に所属するEF65PFが担当していました。
今見ると、青いPFにオレンジ色の「あけぼの」マークは
とても似合っているように見えますが、
当時はEF65PFの人気は低くて、カメラを向けるものも少なく、
私もあまり積極的には記録していませんでした・・・
ヾ(_ _。)ハンセイ…。
▲88.10 東北本線 日暮里付近

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上写真と同じEF65PFでも、
真っ赤な「レインボー」塗装が施された1019号機の
「あけぼの」牽引は、ちょっとレアなシーンでした。
虹釜だと記録しているあたり、
昔からネタモノ好きだったのね・・・(^^;)ゞポリポリ。
▲90.9 東北本線 日暮里付近

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いっぽう、黒磯から先の交流電化区間では
福島機関区の交流型電気機関車が担当。
黒磯~福島の牽引はED75。
これは以前にもご紹介した、
福島駅で撮影したED75の重連です。
(お金のないモノクロ時代・・・^^;)
個人的に「あけぼの」のマークは、
今でもこのED75がいちばん似合うと感じています。
▲90.8 東北本線 福島

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板谷峠を越える福島~山形の牽引には、
EF71やED78が重連で使用されていました。
これも以前に紹介した写真ですが、
このころは山形新幹線開業に伴う奥羽本線の改軌直前で、
EF71最後の勇姿を記録しようと福島駅で一夜を明かして、
記録にいそしんだものです・・・(´▽`*)ナツカシーネ。
▲90.8 東北本線 福島

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難所の板谷峠を越えたのち、
山形~青森は再びED75の牽引になった「あけぼの」。
たしか、こちらのED75は
秋田か青森の機関区所属だったと思います。
▲87.3 東北本線 青森

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これは正式な営業運転ではありませんが、
上野駅での電源車騒音問題に伴い、
「あけぼの」編成を方向転換するために運転された回送列車。
牽引にはなんと当時絶大な人気を誇っていた
田端機関区のEF58 89(通称・パック)が抜擢されました。
w(゚o゚)w オオー!
回送とはいえ、パックが24系の「あけぼの」編成を牽いて、
地元の常磐線を走る・・・これには興奮したものです。
▲90.9 常磐線 南柏

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これも上写真と同列車。
地元の利を活かしてチャリンコで先回りし、
沿線にあるマンションの管理人さんに立ち入りをお願いして
撮らせてもらったもの 人(´ω`○)オネガィ。
それぐらい、パック+24系11連は魅力的なネタでした(笑)。
▲90.9 武蔵野貨物線 北小金-南流山

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「あけぼの」牽引のネタガマといえば、
やはり「レインボー色」のEF81 95。
山形新幹線開業に伴うルート変更
(東北本線・陸羽東線・奥羽本線経由)後に
EF65PF、ED75のあとを引き継いで、
上野~小牛田を田端運転所のEF81が担当をした時代と、
さらに現在のルートである上越回りの時代にも、
同機は何度か「あけぼの」の先頭に立った実績があります
(写真は後年の上越経由時代のもの)。
▲08.5.5 東北本線 南浦和-蕨

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一時的に非電化路線の陸羽東線を経由していた頃には、
ディーゼル機関車のDE10が重連で
「あけぼの」を牽引していたこともありました。
しかし陸羽東線内の通過は深夜帯だったこともあり、
私はそのルートを乗車したことはあるものの、
撮影することはできませんでした。
ちなみにこれは、現在の「あけぼの」が青森終着後に見られる
DE10牽引の回送列車。
「あけぼの」が廃止されると、
こんなシーンもなかなか見られなくなります・・・。
▲10.12.3 東北本線 青森

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そして近年。
秋田新幹線の開業に伴い、再度ルート変更が行なわれ、
上越線・羽越本線・奥羽本線経由という
現在のルートに落ち着いた「あけぼの」。
当初は青森運転所のEF81が全区間を担当していましたが、
平坦地用のEF81は上越線内での空転が問題となり、
2010年より上野~長岡の牽引には勾配に強い
長岡運転所のEF64が使用されることになりました。
これは牽引機変更の初年度のみに見られた、
EF64 0番台(38号機)の牽引シーン。
▲09.6.19 東北本線 尾久付近

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こちらは同じく長岡のEF64 0番台で、
ぶどう色(茶色)塗装の37号機。
このころ、上写真の38号機とこの37号機は、
連日のように「あけぼの」牽引に就いており、
まさかここにきて、
ロクヨンゼロのブルトレ牽引が実現するとは
思ってもみませんでした。
▲09.4.4 高崎線 宮原

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長岡のEF64が「あけぼの」牽引を任された翌年には、
同所が担当していた寝台特急「北陸」が廃止となり、
「あけぼの」の牽引は同じEF64でも、0番台から
主に「北陸」を牽引していた1000番台へと移行されました。
ところで、以前にも書きましたが、
朝7時前には上野に終着してしまう上りの「あけぼの」。
徒歩鉄の私だと、地元の初発列車で向かっても、
大宮近辺での撮影が限界・・・(゚ペ)ウーン…。
そこで一度、わざわざ熊谷のビジネスホテルで一泊して、
翌朝の「あけぼの」撮影に臨んだことがあります (゚∀゚)アヒャ☆
これはその時に撮ったもの。
▲10.5.2 高崎線 熊谷-行田

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しかし、「あけぼの」のルートには
豪雪の上越国境越えや強風の日本海沿岸など、
気象的に過酷な条件の箇所が多く、
時として大幅な遅延が発生することもしばしば・・・。
遅延することを決して喜んではいけませんが、
それにより、ふだんではまず撮れないような場所で、
偶然に撮影できたような機会もありました (゚∀゚*)オオッ!!。
これは記憶に新しい、昨年夏の上越線水上付近でのカット。
この日の「あけぼの」は東北地方の大雨による影響で
実に5時間半もの遅れが出ていました。
▲13.7.13 上越線 水上-上牧

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関東近郊で見られるEF64の「青いあけぼの」に対して、
長岡から先の羽越・奥羽本線の牽引を担当しているのが、
「赤いあけぼの」こと青森運転所のEF81。
近年の寝台特急衰退と言う現実的な危機感もあり、
晩年は何度か、この「陣場のお立ち台」などに撮影へ訪れました。
心残りは、寒さに怖じ気づいて、雪景色が撮れなかったこと・・・。
▲上・09.6.7 下・11.11.4 奥羽本線 白沢-陣場

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夜行列車の寝台特急「あけぼの」。
やはり夜の駅に佇む情景が似合います。
ルート変更を重ねてきた同列車ですが、
この大館駅には変わらず毎夜、姿を現していました。
▲11.11.3 奥羽本線 大館


かつては上野駅を発着していた多くの盟友たちが次々に堕ちていくなか、最後の国鉄型正統派ブルトレとして40年以上も走り続けてきた「あけぼの」。主に「乗り鉄」をしていた学生時代の私にとって、この列車は高嶺の花でした。当時、東北への夜行列車と言えば、周遊券で乗れる座席急行の「津軽」や「八甲田」「十和田」が定番。寒風吹きすさぶ青森のホームで「急行・自由席」と書かれた札の前に並びながら、隣のホームから優雅に発車してゆく「あけぼの」を眺め、「社会人になってお金が使えるようになったら、ぜったいにブルートレインに乗るんだ!」と、ショーウィンドウのトランペットを覗き込む少年のごとく、憧れを抱き続けていたものです。ただしその後、私がはじめて「あけぼの」に乗るキッカケになったのは、急行「津軽」の定期廃止という皮肉なものでしたが・・・(^^;)ゞポリポリ。

最近では乗車する側よりも撮影する側として、「あけぼの」を見る機会の方が多かった私。同じ寝台特急の「北斗星」や「カシオペア」のような派手さはありませんが、国鉄型電機が牽く美しいブルーの客車列車には、今も昔と変わらない眩しさと憧れがありました。運転終了は残念ですが、いろいろなシチュエーションで眺めた「あけぼの」の勇姿は、ずっと忘れることが無いでしょう。

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ブルートレイン「あけぼの」よ、夢をありがとう・・・☆
▲11.11.3 奥羽本線 大館

 



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懐かしの撮影記・・・常磐線651系「スーパーひたち」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

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あおたけ的、懐かしの撮影記
「タキシードボディのすごいヤツ
常磐線651系「スーパーひたち」


東京では桜の見頃も終わりかけ、もうすっかり暖かな春本番・・・かと思いきや、このところの気温は寒暖の差が激しい。20度近くまで上がる初夏のような日があれば 。゚(;-ω-A)゚。アツー 、一転して、その翌日には10度を下回り、二月並みの寒さになることも {{{(;´д`)}}}サムー 。こうなると感覚を惑わされるのは早咲きの桜だけでなく、人間も同じです。よく「◯◯は風邪を引かない」などといいますが、季節にあわせて体調管理がウマくできずに風邪をひいてしまうのが、本当のお◯◯さん。かくいう私も、先週の中頃からどうも調子が悪くて熱っぽい。これは花粉症のせい・・・? いや、長年花粉症を患っていると、そのだるさが花粉症なのか、そうでないのかは解るもの。これは明らかに花粉症ではなく風邪の症状です (+"+;)ウーン。先週末の東京は天気こそ優れなかったものの、桜は満開をキープしていて、今年二週目の「桜鉄」ができるチャンスでした。しかしムリして撮影に出かけて風邪が悪化し、新年度早々に欠勤となってしまっては情けない・・・というより、社会人として恥ずかしい。ここは散りゆく桜に名残惜しさを感じながらも、先週末は非鉄を決め、家でおとなしく静養することに・・・ (*´ー`*)オヤスミ。おかげで体調はすっかり回復。無事に万全の体勢で新年度を迎えることができました。しかし体は回復したけれど、そんなワケで今週は撮影記ネタがありません。


そこで今回は久しぶりに「あおたけ的、懐かしの撮影記」として、過去に撮った写真なんぞを引っ張りだしてみたいと思います。今回のネタはタイトルにもあるように、先月のダイヤ改正で常磐線の特急「スーパーひたち」から撤退した、651系。実はこの写真、ダイヤ改正の直後くらいにお見せしようと思ってスキャンしていたのですが、早咲きの桜や東横線渋谷駅のネタなどを紹介しているうちに流れてしまい、出しそびれていたのでした。651系の写真といっても情景写真や芸術的なものなどは一枚もなく、ほとんどが単なる「記録写真」。でも今となってはちょっぴり懐かしくて、貴重と言えるものもあると思われますので、651系「スーパーひたち」のメモリアルとして楽しんでいただけたらと思います (今回はいつもに増して、鉄分が濃くてマニアックな内容かも知れません・・・^^;)。

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89年のデビュー以来、24年もの長きに渡って
常磐線のエースとして活躍してきた
651系「スーパーひたち」。
今春のダイヤ改正で、ひとまず運転を終えました。
12.03.21 常磐線 馬橋

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まずご紹介したいのはデビュー前のチラシから、
キャッチフレーズは「タキシードボディのすごいヤツ」。
まだ正式な列車愛称はなく、一般での募集が行われていました。
完成前の通称で、すでに「スーパーひたち」と言われていた新型車。
一般公募までしたのだから、
まさかそのままの愛称にはならないだろうと思いきや、
結果は「スーパーひたち」に・・・ (´Д`;)ナンダカナァ...。

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常磐線の各駅に配布されていた651系のカタログ。
上の大判は一般者向けだと思われますが、
下の小冊子は編成表や主要諸元などが掲載された、
本格的なカタログ仕様(タイトル写真も参照)で、
これが駅のラックに配布されていたのは珍しいことかも。

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兵庫の川崎重工で落成した651系の甲種輸送。
東海道線の大船でPF1047号機牽引を撮影したものの、
ピン甘で撃沈・・・orz。
このときの甲種輸送は所属先である常磐線の勝田へ
直接搬送されるのではなく、
いったん東北線の小金井(電車区)へ輸送され、
後日、そこから試運転を兼ねて、
小金井から勝田へと自力走行したと記憶しています。
90.1 東海道本線 大船

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ピン甘撃沈のリベンジをすべく、二度目の甲種撮影。
今度はEF66 103の牽引でした。
今でこそ珍しくないロクロク100番台、通称「サメ」の甲種ですが、
当時は89年にデビュー(増備)したばかりの新型機関車で、
まだ数も少なく、甲種輸送に当てられるのは珍しいことでした。
でも今思えば同じロクロクでも、0番台の方が良かったな・・・(´・∀・`)
90.2 東海道本線 大船

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甲種輸送の後追い。
ちなみにこの写真の甲種輸送は三枚とも、
90年に増備された二次車のものです。
90.2 東海道本線 大船

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おまけ・・・①
同じ日のスリーブには先のダイヤ改正で無くなった、
185系の普通列車運用(521M)が写っていました。
よく見るとこの編成、横帯の「リレー号」塗装と、
斜め帯「踊り子」塗装の混結です(^^)。
90.2 東海道本線 大船

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営業運転を前に常磐線で試運転を行う、
ピッカピカの651系 ∠(≧∀≦)マブシイッ。
同車はこの先、定期列車としては一貫して
常磐線の特急で使われ続けることになります。
(過去、651系が多客臨時列車に使われたのは、
常磐線の勝田から吾妻線の万座・鹿沢口まで運転された
特急「オーク嬬恋」くらいだと思われます。
その時のマークは、たしか「臨時」表示だったはず)。
89.2 常磐線 我孫子

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上野で先輩の485系「ひたち」と並ぶ、
「スーパーひたち」の651系。
テールランプの形が今とは若干異なっています。
485系と651系の競演は、485系がE653系によって
完全に置き換えられる98年までの、約9年間続きました。
89.3 東北本線 上野

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89年にデビューした651系「スーパーひたち」。
翌年の90年には栄誉ある「ブルーリボン賞」を受賞。
常磐線では記念列車が運転され、特別マークも掲出されました。
90.7 常磐線 北小金

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晩年にはこのブログでも「偕楽園マーク」
盛り上がった651系の特別ヘッドマーク。
上の「ブルーリボン賞」の他に、
「常磐線100周年記念」などというのもありました。
これは勝田電車区で行われた撮影会でのカットですが、
実際にしばらくは営業運転の「スーパーひたち」でも
この「100周年」マークが掲出されていました。
走行シーンを撮っていないのが今となっては悔やまれます。。。
96.10 常磐線 勝田電車区(当時)

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おまけ・・・②
上写真の勝田電車区公開日に運転された、
常磐線100周年記念「レトロトレインときわ」号。
EF81 95+旧客という豪華編成、
駅撮りでなく沿線で走行を撮りたかったところですが、
実はこのイベント列車を私は撮る側ではなく、
乗る側として楽しんだのでした。
かつて常磐線を走っていた客レの雰囲気を、
味わいたかったんだよね・・・(^^;)
96.10 常磐線 水戸

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いっぽう、先のダイヤ改正で651系とともに、
常磐線の定期運用から離脱した「フレッシュひたち」用・E653系。
こちらもかろうじて一枚、甲種輸送のシーンを撮っていました。
E653系は651系とは異なり、
EF81牽引の輸送列車で直接、勝田へ搬入されたようです。
97.8 常磐線 北小金-南柏

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落成直後、勝田へ向かうE653系。
この日輸送されたのはグリーンカラーの編成でした。
97.8 常磐線 南柏-北小金(後追い)


以上、651系のデビュー当時などを中心に、写真を並べてきました。
JR東日本が初めて新製した特急形車両651系もデビューからはや24年が経ち、先のダイヤ改正で第一線となる特急「スーパーひたち」から完全撤退してしまいました。しかし定期運用は失ったものの、今のところ廃車になった車両はなく、一部は延命と見て取れる全般検査を通しているところなどをみると、まだまだ活躍の場が与えられるのではないかと個人的には思っています。651系の今後の動向について私は詳細を知りませんが、もう一度この「タキシードボディ」と再会できる時を楽しみにしたいもの。なので今、「さよなら」は言いません。いつかまたどこかで会おう、651系! (`・▽・´)ノ

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常磐線を颯爽と駆け抜けた白いヤツ、651系。
もう一度その力強い走りが見られることを期待しています!
12.12.29 常磐線 藤代-取手

 

今週も寒暖の差が激しい気まぐれ天気が続くようなので、みなさまも風邪などにはくれぐれもお気を付けください・・・。(´Д`;)オマエガナー
 

 

 



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懐かしの撮影記・・・早朝の福島駅「あけぼの」編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

あおたけ的、懐かしの撮影記
嗚呼、白帯の24系・・
早朝の福島駅 ED75重連「あけぼの」


先々週が多客臨の急行「平泉・いわて物語」号、そして先週は団体列車として、週末に二週連続で東北本線を走ったED75牽引の24系客車(いわゆるブルートレイン)。前者はちょうど海外出張と重なり、後者は走ることすらまったく知らず、私はそのどちらも撮ることはできませんでした。私的にこの鉄道趣味を楽しむポリシーとして、「深追いするようなムリはせずに自分のできる範囲で乗り・撮りを楽しみ、状況や結果であまり他人を羨まない」ということを頭に入れています。しかし今回運転された二本の24系臨時列車は、今どきED75がブルトレを引くこと自体が貴重なのに加え、なんと24系客車も編成全部が白帯車で統一されたというこだわりよう。これは正直言って撮影された方が羨ましくないはずがありません。私も時間が合えば、情報があれば、東北へ行って撮影したかったところです。そこで今回は負け惜しみというわけではありませんが、私が過去に撮ったことのあるED75牽引のブルトレの中から、白帯車がきれいにそろった、この写真をピックアップしてみました。

時は90年夏。本格的に始まった山形新幹線直通化による改軌工事によって、奥羽本線の福島~米沢の名所である「板谷峠の連続スイッチバック」は廃止目前。夏休みや盆休みには、その終焉を記録しようと全国から「乗り鉄」「撮り鉄」がこぞって板谷へと集まり、かくいう私もその一人でした。日中はスイッチバックの各駅を巡って、EF71・ED78が牽引する50系客車の普通列車や485系の特急「つばさ」を撮影し、夜はホテルなど泊まらずに福島駅で一夜を明かすというスケジュール。これは宿泊費を浮かせるためではなく、深夜から早朝にかけて福島駅へやってくる夜行列車を撮影するのが狙いでした。今ではどうか解りませんが、当時の福島駅は深夜2時頃に停車する急行「津軽」などの利用者のために終夜営業していて、ずっとホームの待合室にいても追い出されることはなかったのです。

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EF71 5牽引、14系座席車の急行「津軽」。
前面が真っ暗だったせいか、ピンボケ。
さらに右上には同業者の腕が入ってしまっています・・・。

ところが思うことは皆同じで、深夜の福島駅は鉄が大集結。ホーム上には早くから三脚の林が出来上がっています。ここまでして撮りたい一番の狙いは、早朝に上がってくる寝台特急「あけぼの」。実は件の工事ではスイッチバックの廃止だけでなく、板谷峠を通っていた「あけぼの」も、福島~新庄がこれまでの奥羽本線経由(福島~米沢~山形~新庄)から、東北本線・陸羽東線経由(福島~仙台~小牛田~新庄)へと変更を余儀なくされ、板谷峠用交流電機のEF71・ED78は「あけぼの」牽引からの撤退が決定。徹夜をしてまで早朝の福島に多くの鉄が集まったのは、そのEF71・ED78最後の特急牽引という勇姿を記録するためでした。しかし、当時の私はすでに出来上がっていた三脚の林に怖じ気づいて場所取りには参加せず、お目当てのEF71重連は編成の入らない位置での撮影となってしまいました。

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EF71 3先頭、EF71重連の「あけぼの」。
奥羽線の板谷峠で活躍したEF71は、
同線の標準軌化によって全機が引退してしまいました。

ここ福島で機関車が付け変えられるため、早々と切り離されてしまった重連のEF71(写真にも切り離し作業の係員が写っていますね)。変わりにこの先の福島から黒磯までを牽引する、ED75が入ってきました。もうこうなると林と化していた三脚は次々と撤収してゆき、撮影場所にもいくらか余裕ができてきます。今でこそ超貴重なED75牽引のブルトレですが、当時はまだED75ならいくらでも撮れるという状態だったのですね(ルート変更後も「あけぼの」は、黒磯~小牛田、新庄~青森で、引き続きED75牽引でした。その後、秋田新幹線開業に伴い、現在の上越・羽越経由へと変化)。

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ED75 734先頭、ED75重連の「あけぼの」。
現在でも数機が活躍するED75ですが、当時とは全面窓の白Hゴムや
運転席窓のサッシ化などの変化が生じています。

それでも連結されたED75は、当時としてもちょっと嬉しい重連でした(「あけぼの」のED75が重連になることは少なくなかったものの、通常は単機牽引)。しかもよく見れば、先頭は700番台ですが、後ろはデカパン・ヒサシ付きの0番台じゃないですか。EF71では撮れなかった編成の入るアングルから眺める、ED75重連牽引の白帯24系10連。堂々たる寝台特急「あけぼの」の姿です。

先日運転されたED75が牽引する白帯24系。その姿にかつての寝台特急「北星」や「ゆうづる」を思い浮かべた方も多いと思いますが、撮影された皆さんの力作、秀作を拝見して、私が真っ先に思い浮かんだのは、この福島で撮った「あけぼの」の姿なのでした。ちなみに写真がモノクロなのは懐かしさを強調するためのデジタル加工ではなく、この頃はフィルム代や現像費を浮かすためにモノクロフィルムで撮影して、自分で現像していたのです。トライXのD76現像、ちょっと粒子が粗いかな?

写真はすべて90年8月30日、東北本線・福島駅にて撮影。



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懐かしの撮影記・・・クリーム色の東武野田線 編 [あおたけ的 懐かしの撮影記]

あおたけ的、懐かしの撮影記
クリーム色の東武野田線


梅雨真っ只中で関東は曇り空続き、さらに仕事面では来月アタマにちょっと大きな仕事を抱えていて、土日もその準備等に終われる始末。そんなワケで北海道遠征以来、非鉄の週末が続いています(近場でちょこちょこ、京葉線などは撮りに行っていたけど・・・)。そこで今回は久しぶりに、過去に撮影した写真を引っ張り出してみることにしました。

先月の中ごろ、撮影で訪れた東武東上線。そこでの狙いは最後の未修繕8000系(8111F)、いわゆる「東武顔」の電車でした。

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東武顔最後の一本となった8111F
11.05.15 東武東上線 下板橋(再掲)

私の世代からすると、やはり東武線と言えばこの顔。千葉の柏に住み、学生時代には野田線で通学していた私にとっては馴染み深い顔です。そしてその当時の東武は、垢抜けないクリーム一色を纏っていました。東武のリバイバルカラーと言えば、数年前にオレンジ&ベージュの8000系登場時の塗装が復元されましたが、この「セイジ・クリーム」と呼ばれた一色塗りはその後の色。現在のホワイト&ブルーになる前に見られた色です。東上線の回で「もう一度セイジ・クリームの東武顔が見たい」というコメントをいただき、自分自身も懐かしいクリーム時代の東武線を見てみたくなりました。そこで今回の発掘作業へと至ったのです(ちろさん、お待たせいたしました ^^)。
ただし、前述のように私が主に利用していたのは野田線で、伊勢崎線や東上線などの本線系統の写真などはあまりありません。というよりも、この当時は国鉄(JR)ばかりが興味の対象となっており、東武などついで程度に撮影していたものがほとんど。まさにネガの端っこに一枚だけ写っていた・・・なんてものをかき集めてみました。貴重な写真などはありませんが、同世代の方々にちょっとでも当時を振り返って、懐かしんでいただけたらなどと思っています

それでは、27年前の東武野田線・柏駅へ・・・。

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セイジクリーム一色時代の東武野田線。
「ついで程度」を象徴しているかのように、柏駅・常磐線ホームからの撮影です。
8000系と同じ東武顔をしていますが、この電車は3000系。
旧型車の車体更新により製造された吊り掛け駆動車で、18メートル3扉の小型車。
正面屋根上には、まだ通過表示灯が残されています。
84.10 東武野田線 柏

8003.jpg

同じく3000系。大宮方面行きの電車です。
この3000系は通過表示灯が撤去され、オデコには車番が書かれています。
88.02 東武野田線 柏

8004.jpg

上写真と同じ場所から別カット。
ホームを挟んで新旧塗装の並び。どちらも3000系です。
クリームからホワイトへの塗装変更は85年頃から始まりましたが、
野田線の3000系は比較的、後年までクリームが残っていました。
廃車を前提として、塗り替えられなかったのかも・・・。

8001.jpg

こちらの東武顔は5000(5050)系。
3000系と同じく旧型車を車体更新した吊り掛け駆動車ですが、
8000系と同等の20メートル4扉の大型車。
何よりも嬉しかったのは、冷房が搭載されていたことでした。
通過表示灯が残る原形車ですが、よく見ると後ろの方は新色です。
86.05 東武野田線 柏

8005.jpg

柏での停車写真が続きましたが、いちおう走行写真も撮っていました。
単線時代の新柏付近で撮影した3000系

これもわざわざ狙って撮ったというよりも、

カメラのテストを近場でやった時の一枚。
それにしても、25年前のこの写真と上の最近撮った東上線を見比べると、
私の撮影スタイルはあまり変わっていませんね(^^;)
86.06 東武野田線 新柏-柏

クリーム時代の野田線の写真、まだ何枚かあったのですが、ほとんどが柏駅で撮った似たようなカットばかり。もう少し変化のあるものは無いかと探していたら、一本のスリーブにこんな写真が残されていました。野田線では無く、これは非鉄の友人たちと東武動物公園へ遊びに行ったときに、たまたま撮影したものです。

8006.jpg

まずは行きがけに乗ったと思われる、2000系。
日比谷線直通用の18メートル3扉の非冷房車。
低運転台の東武顔はちょっと愛嬌があります。
87.11 東武伊勢崎線 春日部

0043.jpg

東武の電気機関車ED5060。車掌車を従えて待機中。
貨物牽引も何度か撮影しているはずなのですが、今回は発掘できませんでした。
87.11 東武伊勢崎線 東武動物公園

当時の東武動物公園駅には東武の杉戸工場が併設されていました。その敷地内には役目を終え、解体待ちの車両たちの姿が・・・。どれも現役時代の写真を撮りそこなった車両ばかりです (´・ω・`)

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快速用の東武顔車両、6000系。
野岩鉄道の開業とともに車体を6050系に更新され、6000系は消滅。
好きな車両だったのに、引退時期は「非撮り鉄」時代でした・・・。
87.11 旧・東武杉戸工場

8009.jpg

83年に廃線となった東武熊谷線(熊谷~妻沼)で活躍していたキハ2000形。
残念ながら熊谷線には乗ることができませんでした。
現在でもキハ2000は一両、妻沼に保存されているそうですね。
この写真、敷地内の奥までは入れませんでしたが

よく見ると7800系と思われるクリーム色の車体も見えます

この頃は1700系「DRC」や1800系「りょうもう」など、今考えると貴重な車両がバンバン走っていた時代なのですが、もったいないことに、そのほとんどを写真に残していません。しかしそんな中でも唯一、しっかりと狙って撮っていた東武の車両がありました。それは特急用に製造された名車・5700系。私が興味を持った頃にはすでに特急運用からは退き、臨時快速や団体用としての活躍が主体。しかし、その美しいフォルムは健在でした。

8011.jpg

鬼怒川線に入線した5700系。
今なら迷わずに走行写真を撮るところなのですが、
このときはじっくりと5700系を眺めたくて、
わざわざ終点の鬼怒川公園まで駅撮りに行っています(^^;)
89.10 東武鬼怒川線 鬼怒川公園

8012.jpg

対向ホームから編成撮り。
二つの扉間にずらっと並んだ小窓が美しい・・・。
写真を眺めていると、今でもコンプレッサー音が聞こえてくるようです。。。

8013.jpg

珍しくこんな細部まで撮影していました。
5700系の連結部です。
そういえば幌のない5700の顔って見たこと無いなと思っていたら、
両側に幌が付けられていて、幌同士を繋いでいたのでしたか。
今になって初めて知りました・・・。

実はこの5700系、小学生の時に日光への修学旅行でお世話になった想い出の車両。普段は伊勢崎・日光線系統での運転が多かった5700系ですが、修学旅行シーズンになると野田線へと乗り入れて、大宮や柏、ごく稀に船橋まで顔を出すこともありました。

8010.jpg

「たびじ」のマークを掲げ、修学旅行臨として野田線へ乗り入れた5700系。
88.05 東武野田線 新柏-柏

5700系が柏に停車しているのを見ると、ああ修学旅行シーズンか・・・と思ったものですが、5700系退役後の今はどうなっているのでしょう? 後継の6050系や350系などで運転されているのか、はたまた少子化でバスになってしまったのか・・・。
ちなみに5700系は引退後、特急時代の非貫通スタイル(いわゆる「ねこひげ」)に復元されて東武博物館に保存されています。

セイジ・クリーム時代の東武線。最後はちょっと脱線してしまいましたが、時代的には5700系もほぼ同時期に撮影されたものです。この過去の写真たちは先に述べたように「ついで程度」に撮られたものばかり。しかし今になって振り返ると、どれも懐かしい貴重な一枚となっています。今は更新8000系で統一されて面白味に欠ける野田線ですが、いつかステンレス車で統一されたときに懐かしめるよう、久しぶりに野田線を撮影してみようかな・・・なんて思っています。

8014.jpg

東武つながりでもう一枚・・・
東武100系「スペーシア」の甲種輸送シーンです。
このときは、営業運転で再びJR線上を走ることになるとは、
夢にも思わなかったなぁ・・・。
原色のロクロクも、今となっては貴重な記録かも。
90.03 東海道本線 大船


ところで、いちばん最初に載せた東上線の8111F。ついに引退が決定し、明日28日と明後日29日には特別ヘッドマークが掲げられるとの事 (なぜ平日なんだ・・・) 。詳しい運用も発表されていますが、撮影に行くのはちょっと難しいかな。。

 

6/28追記
マークの付いた8111F、撮影は難しい・・・などと言いながら、なんとか一往復だけ狙うことができました。しかしあまり時間はなかったので、手軽に大山での駅撮りです。

8111.jpg
まずは未修繕の「東武顔」が先頭となる池袋行きの上り列車。
既報通り前面のサボ受けには「Thanks 8111」の
記念マークが入れられています。
11.06.28 東武東上線 大山


大山はカーブの途中にある駅で、上りは引き付けても二両程度しか入りません。そのため不人気なのか、他の駅では多く見かけた同業者はゼロ。でも実は私の狙いは、すぐに池袋から折り返してくる下り列車でした。ここは下りを後追いで狙えば、カーブを走り去る姿を正面気味にカッチョよく撮ることができるハズ。ところが・・・

8112.jpg
折り返し、下りの急行・小川町行きとして
大山を通過してゆくマーク付きの8111F。
11.06.28 東武東上線 大山


ああ、カブられてしまった・・・orz。もちろん正面気味に狙っているので、顔が見えないわけではありませんが、やっぱり最後はピシッと決めたかったなぁ。残念ながら、これが私の撮る東武顔のラストカットになってしまうようです。

8113.jpg

 

さよなら、東武顔の電車・・・(´;ω;`)



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