SSブログ

青森2012 その1・・・津軽鉄道 乗車記 [鉄道旅行記]

0000.jpg
2012.10.26~28
青森
2012 その1
「全線完乗」へ向けて・・
津軽鉄道 乗車記
  

前回の「ONE-shot」で先に伝えたように、先週末は金曜日に休暇を取って、土・日と合わせた三日間で青森県へ。実はこの青森遠征、当初は津軽鉄道の乗り潰しが目的ではなく、先月に行った海外出張の仕事が落ち着いたら東北あたりでのんびりと撮り鉄がしたいと思い、ひと月ほど前から計画していたものだったのです。昨年は惨敗に終わった田沢湖線(秋田新幹線)の紅葉をリベンジするもよし、今や貴重となった「正統派ブルトレ」の「あけぼの」を撮影するもよし、しばらくご無沙汰になっている津軽線や大湊線の乗り鉄なんかもイイなぁ・・・などと、いろいろなプランが浮かぶものの、大筋は昨年に近いものでまとまりつつありました。しかし前回も書いたように、ここへ来て弊ブログの一枚写真コーナー「ONE-shot」が#99となり、次は節目の#100。「ONE-shot」の番号に深い意味は無いけれど、せっかくこのタイミングで100回目となるのなら、なにか想い出に残るような一枚を載せたいもの・・・o(゚^ ゚)ウーン。。。そこで急遽、出発の三日前に計画を変更。この機会に最後の一線としてずっと残していた津軽鉄道を乗り潰し、晴れて鉄道全線完乗(鋼索線を除く)で撮った一枚を「ONE-shot」の#100とする事にしました。そのおかげで列車の指定券や宿の予約を変更するハメになってしまいましたが(田沢湖線の紅葉のリベンジは、来年以降へ持ち越し・・・)、なんとかウマく調整できて準備万端。もちろん先に挙げた津軽鉄道以外にも鉄的な魅力満載の青森で、「乗り鉄」「撮り鉄」を存分に楽しんで来ようと思います。それでは東北新幹線に乗って青森へと向かいましょう。

(*写真の枚数が今回は(も?)ちょっと多めになっています。いつもよりサイズ・画質を落としていますが、もしページを開くのが重かったり、閲覧に支障があるようでしたら、スミマセン・・・m(_ _)m )


10月26日(金)

0001.jpg

早朝の東京駅に並んだE2系。
左が私の乗る「はやて11号」新青森行きです。
12.10.26 東北新幹線 東京

朝イチの「はやて」で東京を出発し、一路北へ。この時期に東北新幹線へ乗ると北へ行くほど徐々に紅葉の色づきがよくなり、目を楽しませてくれるのですが、今年はまだ盛岡あたりでも色づき初めと言ったところ(10/26現在)。田沢湖線や北上線など山深い路線に入ればピークを迎えているのかもしれませんが、東北線沿線ではあと一~二週間後が見頃かな?

東京0628-(はやて11号)-新青森1001

0002.jpg

開業からまもなく二年を迎える東北新幹線の新青森駅。
在来線(奥羽線)ホームで接続待ちしているのは、
函館行きの特急「スーパー白鳥」です。
12.10.26 奥羽本線 新青森

0003.jpg

新青森からは奥羽線の秋田行き普通列車に乗車。
車両は東北ローカルですっかりおなじみとなった701系。
12.10.26 奥羽本線 新青森

新青森から奥羽線の上り普通列車に乗り換えて次に向かうのは、五能線との接続駅である川部。この日はさっそく津軽鉄道を目指します。津軽鉄道の起点は五能線沿線にある五所川原で、この五能線も決して本数が多い路線とは言えず、津軽鉄道へ乗るには起点駅へたどり着くだけでも大変です。五能線に乗るのは昨年秋に「リゾートしらかみ」へ乗って以来、約一年ぶり。そう、去年も五所川原まで来ていたにもかかわらず、津軽鉄道に乗ろうとはしなかったのです・・・。

0004.jpg

川部で五能線へ乗り換え。キハ40の二連です。
車窓から臨む日本海の絶景が五能線の魅力ですが、
今回は日本海へ出る手前の五所川原で下車しちゃいます。
12.10.26 奥羽本線 川部

0005.jpg

川部を出た五能線の列車は
しばらくリンゴ畑のなかを走ります。
ちょうど収穫間近で、たわわに実ったリンゴを
車窓からも眺める事ができました~(^^)
12.10.26 五能線 林崎-板柳(車窓から)

0006.jpg

南側の車窓には津軽富士こと、名峰・岩木山の姿が。
私はこの岩木山との相性はいいらしく、
だいたい訪れるたびにその美しい姿を拝む事ができます。
12.10.26 五能線 板柳-鶴泊(車窓から)

新幹線から電化幹線(奥羽線)、さらに非電化ローカル線(五能線)へと、まるで時代をさかのぼるかのような乗り継ぎをして、ようやくお昼ちょうどに五所川原着。東京から五時間半、これでも東北新幹線の新青森延伸により、所用時間はかなり短縮されているハズです。

新青森1040-(奥羽650M)-川部1115~1128-(五能828D)-五所川原1200

0007.jpg

何度か列車で通った事がある五所川原ですが、
駅を出たのは初めて・・・かな?(記憶に無い)
何となく平べったい印象のJR五所川原駅舎。
12.10.26 五能線 五所川原

0008.jpg

そのJR駅に隣接しているのが津軽鉄道の津軽五所川原駅。
てっぺんに掲げられた社紋が鉄的に萌えポイント。(^^)
12.10.26 津軽鉄道 津軽五所川原

津軽鉄道(津鉄)は、五能線と接続するここ津軽五所川原から、文豪・太宰治の出身地として有名な金木を経て、津軽半島の中央部にある津軽中里までを結ぶ、全長20.7キロのローカル私鉄。冬場には客車内にダルマストーブを用いる「ストーブ列車」が運行される事でも有名な鉄道です(ただし全列車にストーブが使われるのではなく、現在の「ストーブ列車」は観光客相手のイベント性が強い)。そんな津鉄へ私が訪れるのは89年以来、実に23年ぶりのこと。当時は五能線の完乗目的で東能代から五所川原へとやってきて、そのついでに津鉄へと立ち寄ったのです。

0009.jpg

23年前の初訪問時に乗ったのは、国鉄キハ20とほぼ同設計で
津軽鉄道オリジナルのキハ24000でした。
前々回の湊線で撮ったキハ205とは、親戚関係と言ったところか。
89.3.25 津軽鉄道 津軽五所川原

しかしその頃はJR全線の完乗を目標としていても、まさか私鉄まで乗り潰す事になるとは思ってもおらず、文学青年を気取っていた私は津鉄沿線にある太宰治の生家「斜陽館」を見学するために途中の金木で下車。以降、そのときに残した金木~津軽中里、わずか7.9キロが今まで未乗のままとなっていたのでした。そこで今回、一気に五所川原から中里までを乗り通してしまうのではなく、まずは23年前同様に金木まで行ってみたいと思います。やはり最後の未乗区間へ入るには、あらためて仕切り直したい。

0010.jpg

津軽五所川原駅は今でも窓口売りの硬券が健在。
まずは金木までのきっぷを購入します。

0011.jpg

時刻表も昔ながらの縦型で、もちろん手書き。
ええ~っと、次の列車は・・・一二時三五分(12:35)か。

0012.jpg

改札は列車が発車する10分前に始まります。
五能線と共用の跨線橋を上がり、
少し狭くなったその先にあるのが津軽鉄道のりば。

0013.jpg

ホームにはすでに列車が停車中。
現在の主力車両は96年製の津軽21形で、
その愛称は「走れメロス号」!
12.10.26 津軽鉄道 津軽五所川原

0014.jpg

ホーム脇にある機関区では、
冬の津鉄名物「ストーブ列車」の牽引に使われる
DD35の姿がありました。
今年も12月1日から運転開始予定。

0015.jpg

さらに中里方には、
以前来たときに活躍していたキハ24000が!
すでに車籍はなく車体もボロボロですが、
私にとっては懐かしい顔との再会です。

0016.jpg

留置車両などを眺めているうちに発車時刻が近づいてきました。
アテンダントさんに迎えられて車内へと入ります。

「走れメロス」のマークを掲げた単行列車は、座席の半分が埋まる程度の客を乗せて、定刻に津軽五所川原を発車。すぐに右カーブで五能線と別れると、まずは進路を東へ。そして二駅目の五農校前付近からは北へと向かいます。その五農校前を出たあたりで「コンニチワ!」と不意に声をかけられ、車窓を眺めていた私が慌てて振り返ると、そこに立っていたのは乗車の際に出迎えてくれたアテンダントさん。最近では車内で沿線案内などをしてくれる、アテンダントを導入する鉄道会社も増え、私も写真を撮らせてもらう際などに声をかけたりするのですが、逆に向こうから声をかけられたのは初めてかも。実は津鉄のアテンダントさんは、なんと乗客全員ひとりひとりに声をかけて車内を回るのです。ちょっと津軽なまりが入った優しい声(これもウリ)で話しかけられると、旅情感が増して嬉しいもの (^^)。そんなアテンダントさんにドコまで行くのかと尋ねられたので、とりあえずは金木と答えると、金木周辺の案内図を手渡してくれました。

0017.jpg

笑顔で車内を回るアテンダントさん。
観光客だけでなく地元の方とも気さくにお話しされます。

0018.jpg

そのアテンダントさんからいただいた、
金木周辺の観光マップ。
もちろん23年前にはこんなサービスはありませんでした。

車窓に岩木山を映しながら、のんびり、ゆっくり走り続ける「走れメロス号」。もしこんなメロスだったら、きっとセリヌンティウスも気が気じゃないでしょうね(処刑されちゃったりして・・・(´∀`;))。12.8キロの距離を20分かけて走り(表定速度は38.4キロ)、列車は金木に到着。

0019.jpg

津鉄沿線の紅葉も所々には見られたけれど、
全体的にはまだまだと言ったところ。
左端の木々に囲まれた小屋は、毘沙門駅。
12.10.26 津軽鉄道 毘沙門付近(車窓から)

0020.jpg

前方に懐かしい腕木式信号機が見えてくると、まもなく金木
(これは帰りに後方の車窓から撮ったものなので、
腕木が水平に上がって(停止)います)。
12.10.26 津軽鉄道 嘉瀬-金木(車窓から)

津軽五所川原1235-(津鉄9列車)-金木1258

0021.jpg

現在では津鉄唯一の交換駅である金木。
ここでは今でもタブレットの交換が見られるのですが、
列車の並びなんぞを撮っていたらタブレットを
撮り逃しちゃいました・・・(>_<;;)。
12.10.26 津軽鉄道 金木

0022.jpg

ちなみにこちらが23年前に撮った金木での交換シーン。
左の方にはチラッと板張りの駅舎が見えています。
89.3.25 津軽鉄道 金木

0023.jpg

今ではこんな立派になっていた金木の駅舎。
構内には売店や食堂が併設されています。
12.10.26 津軽鉄道 金木

さて、未乗区間へはあらためて仕切り直したい・・・ということで、途中下車した金木ですが、次の列車までは一時間半もの時間があります。その間をずっと駅で待っているのもアホらしいし、せっかく金木で降りたのならば、やはりここへは行っておくべきでしょう。駅から徒歩7分程度のところにある太宰治の生家「斜陽館」。

0024.jpg

明治40年に建てられた立派な佇まいの「斜陽館」。
太宰は自身の作中にこの家の事を
「頑丈なつくりの家ではあるが、何の趣きも無い・・・」
と書いていますが、
私の目からすると、風情ある美しい家だと思います。

とはいうものの、今にしてみれば、私は特に太宰が好きってほどではなく(アノ頃の自称・文学青年はドコへ行った・・・?)、斜陽館は23年前に一度訪れているので見学はもうじゅうぶん。ではなぜ今回もやってきたのか・・・実はここで食事をするつもりでした。前に来た時、たしか中で蕎麦だかうどんだかを食べた覚えがあるのです。想い出の味と言うには記憶が霞んでいるけれど、23年ぶりに同じところで食べるのも面白い。ところが入場料(¥500)を払って中へ入ってみるも、現在の斜陽館は完全なミュージアム(展示施設)となっていて、飲食するスペースはありませんでした。後から調べたところによると、以前に訪れた頃の斜陽館は民間が経営していた旅館で、そこには軽い食事ができる喫茶スペースがあったとの事。しかし経営悪化により旅館は廃業。その後、斜陽館は金木町(当時・現 五所川原市)が運営する太宰治記念館へと改装されたらしい。結局、今回の食事は斜陽館の真向かいにある物産館の食堂でとることになりました。

0025.jpg

この日のお昼は
地元の名物を盛り合わせたという「金木めし定食」。
内容は、わかおいこんぶ(昆布を巻いたオニギリ)と、
帆立貝焼みそ、山菜、けの汁。

斜陽館を見学し、食事を終えても、次の列車まではまだ30分以上も時間がありました。そこで、さきほど車内でもらった観光マップを見てみると、斜陽館からは金木だけではなく下り方隣駅の芦野公園へも歩ける距離だと書かれています(徒歩20分ほど)。しかも芦野公園の駅舎には喫茶店が併設されているとの事。ならばここまで歩いちゃって、コーヒーでも飲んでから次の列車に乗るか・・・と、芦野公園へ向かって歩きはじめました。・・・ん?でも待てよ σ(・_・;)、ここで芦野公園まで歩いちゃったら、金木と芦野公園の間は列車で通った事にはならず、未乗のまま残ることに・・・Σ(゚д゚;) ハッ!!。中里からの帰りには同区間を通るので、いずれにせよ最終的には津鉄全線を乗り潰す事はできるのですが、そうすると最後に通るのは上りの芦野公園~金木となり、完乗駅は金木になってしまいます。これが最後の一線でなければそれでも構わないのですが、今回ばかりはやはり未踏の地である終端の津軽中里で締めたい・・・。もう金木よりも芦野公園の方が近いってところまで歩いて来たにもかかわらず、来た道を金木へ向かってUターン。一体何をやっているんだか・・・(;´д`)。でもそのおかげで時間は潰れ、金木へ戻る頃にはちょうど良い頃合に。最後の区間となる金木から津軽中里までのきっぷを買って改札を抜けると、程なくして津軽中里行きの列車が入ってきました(前回の「ONE-shot」は、このとき撮ったもの)。

0026.jpg

私の完乗へ向けた最後の列車は、津軽21-103。
眩しい西日が顔を照らします。
12.10.26 津軽鉄道 金木

0027.jpg

もちろんこの列車にもアテンダントさんが乗務します。
終点までよろしくおねがいしま~す(^^)

0028.jpg

津軽中里行きの車内。
乗客は私を含めて四人ほど・・・。

さあ、いよいよ私にとっては最後となる未乗区間へ足を踏み入れます。しかし交換待ちをしている列車はすぐには動き出しません。そこへいつものようにアテンダントさんがご挨拶に来てくれました「こんにちわ、今日はいいお天気ですね~。さっきそのカメラで列車を撮っていましたよね。車内から見ていましたよ~(^^)」と、乗客が少ない事もあり、心無しか少し長めにお相手してくれる今回のアテンダントさん。そして「どこまでいかれるんですか?」の問いについ、この列車で津軽中里まで行くと全線完乗になる旨を話してしまいました。すると、「すごーい!全部乗ったんですか? 新幹線も? 五能線も? 青い森鉄道も!?」 なんて、いちおう驚いてくれたので(・・・出てくる路線名が、みんな青森県内の身近なところっていうのがちょっと引っかかるけれど ^^; )、嬉しいやら、恥ずかしいやら・・・。さらに「最後に津鉄を選んでくれてありがとうございます。でも他に比べて、なーんも無い線ですよぉ」とも。そんなアテンダントさんと話しているうちに気がつけば列車は発車しており、すでに未乗区間へと入っていたのでした。「じゃあ、もうお邪魔はしませんから、終点までごゆっくり・・・」と言い残して、アテンダントさんは次のお客さんの元へ。いっぽう私は席には座らず、運転席横で前方をかぶりつく事にします。座っていてもなんだか落ち着かなくって・・・。

0029.jpg

金木の次駅は歩こうとした芦野公園駅。
ここは春の桜が有名な駅で、
満開期はまさに桜のトンネルになるのだという。
最近では吉永小百合さんを起用したポスターの舞台として
覚えのある方も多いはず。
終点まであと四つ・・・。
12.10.26 津軽鉄道 芦野公園付近(車窓から)

0030.jpg

次の川倉は田んぼの真ん中に立つような小さな駅。
まわりに何も無いような駅ですが、
このあたりは地面に積もった雪が強風で舞い上がる
津軽名物の「地吹雪」がすごくて、
「地吹雪体験ツアー」なども行われているらしい。
終点まであと三つ・・・。
12.10.26 津軽鉄道 川倉付近(車窓から)

0031.jpg

川倉から大沢内にかけての広大な田園地帯では、
車窓から岩木山がキレイに見えました。
奥羽線や五能線の車窓からとは、また違った景色です。
12.10.26 津軽鉄道 川倉-大沢内(車窓から)

0032.jpg

大沢内はかつて交換設備があった駅で
その頃は有人駅だったそうな。
現在の津鉄は五所川原、金木、津軽中里のみが有人駅
(津軽中里は委託)。
終点まであと二つ・・・。
12.10.26 津軽鉄道 大沢内付近(車窓から)

0033.jpg
0034.jpg

そして次の駅は「ふこうだ」。
不幸だ・・・ではなく「深郷田」と書きます。
なかなか面白い「珍駅名」ですね。(^^)
終点まであと・・・一つ!
12.10.26 津軽鉄道 深郷田(車窓から)

前方から撮った駅への進入を見ても解るように、途中から乗ってくる客は無く、また降りる客もいない。乗客は入れ替わる事無く四人のまま、最後の中間駅である深郷田(ふこうだ)を発車。車内には次が終点の津軽中里である事を知らせるアナウンスが流れます。力行で唸りをあげていたエンジンが静かになり、あとは惰性で走るのみ。カーブを横切ると、まもなく前方には津軽中里のホームが・・・さらにその先には行き止まりを表す、無粋なコンクリートの高い壁が見えてきました。やがて惰性で走っていた列車には、運転士の手によりブレーキがかかりはじめます。

0035.jpg

しばらくのどかな田園風景が続いていた車窓でしたが、
終着が近づくに連れ、集落の家々が見えてくるようになりました。
新しい家が立ち並んでいるのは、ちょっと意外(公営住宅らしい)。
12.10.26 津軽鉄道 深郷田-津軽中里(車窓から)

0036.jpg

津軽中里のホームへ、ゆっくりと進入・・・(゚∀゚*)ドキドキ
まもなく、私の乗り潰し旅が終わります。
12.10.26 津軽鉄道 津軽中里付近(車窓から)

列車は静かに、そして確実に津軽中里のホームへと停車。運転席脇の降車口が開かれます。ここで、前を眺めていた私は当然一番先に降りる事となり、思い切ってポンっと車内からホームへひとまたぎ。この瞬間、現在旅客営業されている普通鉄道路線は鋼索線(ケーブルカー)を除き、すべて完乗です! \(^O^)/バンザーイ♪

0037.jpg

終点の津軽中里に到着~!
金木からわずか7.9キロ、17分の道のりでしたが、
とても長く感じた乗車時間でした。
12.10.26 津軽鉄道 津軽中里

金木1440-(103列車)-津軽中里1457

0038.jpg

ここが津軽鉄道の終端部。
建設当初は津軽半島北部の小泊まで
行く計画があったとのことですが、
途中で資金が底をついて、挫折したらしい・・・。

0039.jpg

津軽中里の駅舎。
地元スーパーに併設されたような形で
ちょっと趣きに欠けますが、
ここは「民鉄最北端」の駅です。


終端部や駅舎を写真に撮っていると、そこへ先ほどのアテンダントさんが出てきて、こちらへと近づいてきます(上写真の右端にお姿が・・・^^)。何か忘れ物でもしたかな・・・?と思いきや、「よかったらこれをどうぞ 」と一枚のカードを手渡してくれました。それはこの日の日付が入った「(民鉄)最北端証明書」。なんと、わざわざそれを手渡しに来てくれたのです!これには本当に嬉しくて大感激・・・゚+。*・。゚(゚ノ∀`゚)゚。・*。+゚。車内でお話ししたときに、彼女は「なーんも無い線ですよ」などと言っていましたが、ここには他の鉄道路線以上の人の温かさと優しさが感じられ、最後の一線がこの津軽鉄道であった事をあらためて嬉しく思いました(カードをもらったからではなく、本当にどの方も笑顔で、親切でした)。と、同時に今までずっと乗らずに放置していた事も後悔。今度はぜひ「ストーブ列車」などの乗り鉄、撮り鉄で、近いうちに必ず再訪する事を心に決めました。

0040.jpg

アテンダントさんからいただいた「最北端証明書」のカード。
手前は降車の際に記念にもらった金木からの乗車券と、
津軽中里で買った硬券入場券です。
どちらも日付や駅名が入っていて、とてもいい記念になりました。

津軽中里からは乗ってきた列車の折り返しへそのまま乗り、五所川原に戻ります。もちろんこの列車のアテンダントさんも先ほどの方で、「乗り終えて、今は感無量ですか? 今夜はケーキを食べないとね~☆」と、お茶目なひと言。でも実際のところ、感無量かと言われると・・・案外そうでもなかった。まだ実感が沸かないとかそういうものでもない。やはり最後の一線に乗るまで間を空けすぎてしまったせいか、ひと頃よりも完乗熱が冷めてしまったのかも知れません。乗り終えた正直な感想は「ま、こんなもんか」といったところ。ホント、曖昧な感想でスミマセン。m(_ _)m

津軽中里1520-(104列車)-津軽五所川原1605

0041.jpg

五所川原で五能線の弘前行きへ乗り換え。
右奥には中里から乗ってきた津鉄の姿が見えます。
12.10.26 五能線 五所川原

さて、今宵の宿は弘前に取ってあります。五能線の下り列車(川部方面)は、ほとんどが奥羽線へ直通する弘前行きなので、五所川原からは乗り換え無しで行く事ができて好都合。しかし私は朝と同様に五能線と奥羽線の接続駅である川部で下車してしまいました。それはなぜかというと、実はこの日の奥羽線には24系客車(ブルートレイン)を使用した団体臨時列車が設定されているのです。しかも私が五所川原から乗ってきた弘前行き(831D)のわずか5分続行と言うスジ。5分では沿線の撮影地へは行けませんが、川部のホームでなら撮ることができそうです。しかし時刻は午後5時近くで、すでに日没。かろうじて明るさが残るものの、かなり厳しい状況。

0042.jpg

青森区の138号機に牽引されたブルトレ団臨。
この列車はこれから、はるばる大阪まで走ります。
12.10.26 奥羽本線 川部

川部の下り方は単線だった事もあって、ゆっくりとした速度で通過したブルトレ団臨。ズームリングを回しながらなんとか写し止めることができました。パンタが思いっきり串刺しだけれど、オマケのような撮影だったので、撮れただけでもヨシとしましょう。ブルトレ団臨の後を追うように次の普通列車で弘前へ向かい、津軽鉄道で全線完乗を果した、忘れられない一日が終わりました。

0043.jpg

夕暮れに浮かび上がる、岩木山のシルエット。
この日は一日中「乗り鉄」でしたが、ずっといいお天気に恵まれました。
撮り鉄メインとなる、翌日も晴れるといいけれど・・・。
12.10.26 奥羽本線 川部-撫牛子(車窓から)

0044.jpg

とっぷりと日が暮れた頃、弘前に到着。
金木や中里から来ると、弘前が大都市に見えます(^^;)
12.10.26 奥羽本線 弘前

五所川原1611-(五能831D)-川部1645~1708-(奥羽668M)-弘前1716


 

0045.jpg

アテンダントさんは「ケーキでお祝い」と言っていたけれど、
やっぱり私はお酒で祝杯~ ロ\(゜▽゜*)♪ カンパーイ!
旬の秋刀魚で、弘前の酒・豊盃「ん」をいただきます。
少し辛口でスッキリした味わいは刺身に合います。


・・・続きます。



共通テーマ:趣味・カルチャー