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千代田線・・・6000系、最終章。 [鉄道写真撮影記]

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2018年秋
千代田線6000系、最終章。
 
都心の薄暗い地下ホームに入ってきたのは、運転台の窓が大きく施されて左右非対称となったフロントマスクに、「く」の字のような後退角が付けられたサイドビュー、地下鉄らしいアルミ製の車体にシックな深緑色のラインカラーがマッチした、スタイリッシュなデザインの電車 (o´∀`o)カコイイ!。勢いのある開閉方式でマニアからは「爆弾ドア*」などと揶揄された側扉がバシッと閉まると バシッ!!Σ(゚ω゚;)、動き出しとともに床下からは「ム゙ーーーー…」というチョッパ音*が鳴り響く・・・ム゙━━━( ̄- ̄ 3)━━━━…。
そんな数多くの特徴を持つ千代田線の6000系は、私にとってもっとも馴染みの深い電車です。
(*どちらも後年に機器が更新され、現在では聞くことができない)


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流行発信地の原宿や青山に近い、
明治神宮前の駅に到着した千代田線の6000系。
千代田線の本線は東京都足立区の綾瀬から
北千住、新御茶ノ水、大手町、霞ヶ関、
国会議事堂前、表参道など都心の主要地を貫き、
渋谷区の代々木上原にいたる地下鉄路線です。
▲18.10.5 東京メトロ千代田線 明治神宮前


1971年(昭和46年)に営業運転を開始して以降、半世紀近い47年間もの長きにわたり、東京メトロ(旧・営団地下鉄)千代田線の主力車両として都心の地下を走り続けてきた6000系は、郊外へ伸びるJR常磐線や小田急線にも乗り入れ(直通運転)という形で顔を出し、広い範囲で多くの利用者に親しまれてきました (=゚ω゚)ノ ヤア。幼少期から成人になるまで常磐線沿線の柏(千葉)で育った私も、その一人です (゚ー゚*)メトロク。
しかし、地下鉄のイメージリーダー的な存在だった同系も寄る年波には勝てず、2010年から始まった新たな後継車(16000系)への置き換えによって6000系はその数を徐々に減らしてゆき ヽ(´д`;)アア…、今からひと月前の10月5日(2018年)をもって一般の定期運行を終了 (´・ω・`)ショボン。最終日の撮影に訪れた私は「とうとう6000系ともこれでお別れか・・・」と、地下トンネルの闇に走り去る後ろ姿をしんみりとした気持ちで見送ったものでした サヨナラ~(´;ω;)ノ~~~。

そんななか東京メトロでは、名車との呼び声が高い6000系の功績をねぎらい 人(--*)カンシャ、定期運行終了後の10月13日から11月11日までの約一か月間、土休日のみの一日一往復、綾瀬と霞ヶ関という限られた区間ながら、特別な「さよなら運転」を設定 (゚∀゚*)オオッ!!。
数ある鉄道車両の中でもとくに6000系をこよなく愛する私、もちろんこれを記録しに行かないワケがありません ε-(°ω°*)ムフーッ!。ちょうどこの期間中は「鉄道の日(10/14)」に関連したイベントが目白押し、さらには紅葉シーズンのまっただ中でもあり、撮り鉄的にちょっと慌ただしい時期ですが アセアセヾ(*д*ヾ三ノ*д*)ノアセアセ、幸いにも複数日設定されていた6000系の「さよなら運転」には、機を見て何度か撮影、または乗車することができました (^_[◎]oパチリ。

今回はその様子をまとめてご紹介したいと思います。



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6000系の勇姿を目に焼き付けようと、
たくさんのファンがホームへ集まった綾瀬駅。
その花道をかきわけるかのように
主役がゆっくりと入線します。
...(((o`・ω・)o
▲18.11.10 東京メトロ千代田線 綾瀬


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前面にヘッドマークを掲げた6000系が
町屋のホームに入ってきました。
使用された6102編成は、
量産第一号(1971年製)の古参編成ながら、
最後まで生き残った二本のうちの一本。
そして当編成は千代田線の大手町~霞ヶ関の延伸開業
とともに運行を開始した編成で、
当時も表示されたであろう「霞ヶ関」の行き先が
ラストランの特別運行で見られるのは
千代田線ファンにとって感慨深いシーンです。
(´ー`)シミジミ
▲18.10.14 東京メトロ千代田線 町屋


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6102編成に掲げられた惜別のヘッドマーク。
6000系のイラストがデザインされ、
「ありがとう!」と「47年間おつかれさま!」
の感謝の言葉が添えられています。
(*'∀'*)アリガ㌧


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車体をくねらせて根津を発車する6000系。
残った二本のうちのもう一本は、
第5次量産車の6130編成(1984年製)で、
こちらにもしっかりとヘッドマークが掲げられました
タイトル写真も参照)。
ちなみに写真で見ると微妙な差ですが、
当編成と初期型の6102編成を見比べると、
5次車(以降)は冷房装置の搭載(準備仕様)で
車内の天井を高くしたぶん、
外観も屋根の曲線が変更されて若干丸みを帯びています。
( ´_ゝ`)フーン
▲18.10.20 東京メトロ千代田線 根津


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そして今回の特別運転では、
6102編成の綾瀬方*と6130編成の前後両方に
現在の東京メトロの前身となる
旧・営団地下鉄の「S」マークが
ステッカーで復刻されました。
(゚∀゚*)オオッ!!
これは6000系ファンに嬉しいサプライズで、
営団地下鉄時代に製造された当系は、
やはりこのマークが似合います。
(*´ω`*)ナツカシス
(6102Fの霞ヶ関方はメトロの「ハートM」のまま)。


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地上区間の荒川橋梁を
颯爽と走り抜ける6102編成。
地下の区間では撮りにくい角度ですが、
6000系と言えばこの後退角が付けられた
「く」の字のようなサイドビューが
デザイン上の大きな特徴です。
くぅ~っ、シブカッコいいなぁ・・・。
。゜+.シブ(o´∀`o)カコイイ!゜+.゜。
▲18.10.14 東京メトロ千代田線 北千住-綾瀬



最後まで残された6102編成(第1次量産車)と6130編成(第5次量産車)の二編成を交互に使い、それぞれに立派なイラスト入りのヘッドマークが掲げられて (゚∀゚*)オオッ!!、さらには東京メトロの前身の営団地下鉄(~2004年)を表す「S」マーク*まで復刻して運転された (*´ω`*)ナツカシス、千代田線6000系の「さよなら運転」。
(*「S」マークは地下鉄を意味する「Subway」のほか、「Safety(安全)」、「Security(正確)」「Speed(迅速)」「Service(サービス)」を表していました。)

冒頭で先述したように、今回の特別運行は自社線内(千代田線)の綾瀬と霞ヶ関の間を一往復だけ営業運転をするものですが、この区間は一駅間(綾瀬~北千住)だけ地上の高架で、あとは地下のトンネル内という、ちょっと撮り鉄泣かせの運転範囲 σ(・∀・`)ウーン…(そもそも千代田線の地上区間は綾瀬付近と代々木上原付近だけなので、千代田線の車両は直通先の地上路線で撮られるほうが多い)。そうなると撮影場所は限られていて、駅のホームに多くの撮影者が集まるのは必至です "o(-ω-;*) ウゥム…。
あまりの激パ(激しい混雑)で列車をきれいに撮るのが難しい状況だったら無理をせず、スマホでヘッドマークのアップだけでも記録できればいいか・・・くらいの心構えを持ちつつも、いちおう千代田線に精通しているつもりの私としては、人が多く集まりそうな主要駅(北千住や新御茶ノ水、大手町など)をなるべく避けて、ホームの混雑が比較的分散されると思われる上下線(A線B線)がセパレートした駅(町屋や根津など)を選び、さらにはあえて後追いを狙うなどして撮影を試みたところ、他の駅の状況はわかりませんが、私のいた駅では懸念していたほどファンの混雑はとくに見られず、まったりとしたなかで撮影ができました (^_[◎]oパチリ。
そして、サイドビューを強調したくて狙った地上区間では、荒川橋梁でトラス抜き(トラス鉄橋の柱の間から列車を狙う)の撮影にトライ 【◎】]ω・´)パチッ!。限られた条件の短い運転区間ながら、自分なりにいろいろな角度で6000系最後の花道を記録できたことに満足しています ヨカッタ♪(*⌒∇⌒*)ヨカッタ♪。


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今回の特別運転は臨時列車ながら
普通乗車券や定期券での利用が可能なので、
私も最後の惜別乗車を味わいます。
この日は霞ヶ関から大手町まで
6130編成に揺られました。
▲18.10.27 東京メトロ千代田線 霞ヶ関


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これは別の日に乗った6102編成の車内。
大幅にリニューアルされて、
登場時のオリジナルとはだいぶ雰囲気が異なるものの、
袖仕切りの形状や側扉の小さな窓などに
6000系らしさが感じられます。

(「゚ー゚)フムフム
ちなみに運転日や区間にもよると思いますが、
私が乗った日は前後の先頭車こそ
多くのファンでかなり混雑していたけれど、
中間車はふつうに座れるほど空いていました。
(´ー`)マターリ
(それなのに、あんなことが起こるなんて・・・ね  (´・ω・`))


拙ブログの記事でたびたびご紹介しているとおり、私は世代的に485系やキハ40形など国鉄時代の古い車両に少なからず思い入れがあり、その引退の際にはいつも一抹の寂しさを感じながら撮影しています 【◎】]ω・`)パチ。しかし、今回の千代田線の6000系に関しては私の脳に刷り込まれた意識からか、今もふつうに走っているのが当たり前のような存在で、それがもう見ることができない、乗ることができないのは、寂しいというよりもなんだか信じられない感覚です (゚ー゚;)マジカ…。
沿線に住んでいたころ、出かけるときにはどこへ行くにも最初に乗ることが多かった6000系。そして帰るときには地元まで送り届けてくれた6000系。沿線を離れたあとも実家へ帰る際は6000系に乗れると、どこか落ち着いた気分になるものでした ε-(´∇`*)ホッ。千代田線や常磐緩行線には6000系以外にも時代ごとに各社の様々な車両が使われていますが、活躍時期がとびぬけて長い6000系にはそれだけ多くの思い出が詰まっています +。:.(´ω`)シミジミ.:。+゚。
でも、もう同系に乗って柏へ帰ることはないんだな・・・(。´・ε・`。)シュン…。


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これはウン十年前に父上が撮ってくれた、
幼き日のワタクシと6000系。
("▽"*)ガキンチョ
ホントに長い付き合いでした・・・。
+。:.(´ω`)シミジミ.:。+゚。
▲19XX 常磐線 新松戸-馬橋


私が鉄道好きになったのは、営団6000系という名車の存在が身近にあったからかもしれません。無機質な鉄道車両にお礼など言うのはおかしなことだと思われそうですが、やっぱり最後に一言・・・「ありがとう、千代田線6000系」<(_ _*)>アリガ㌧。


でもね、なんとも未練がましいようですが、実は私の千代田線6000系の記録はこれで終わりではなく、もうちょっとだけチャンスが与えられたみたいです ( ̄△ ̄;)エ?(拙ブログをお読みいただいている方なら、その“チャンス”が何かもうお分かりでしょうか(笑))。

続く・・・かも? σ(゚・゚*)ンー…



ところで、今回の6000系特別運転は最終日の混乱ぶりが大きな話題となっており、一般の方に迷惑をかける行為は趣味人としてぜったいに許されることではなく、ファン一人一人のモラルの欠如が問題だと痛感していますが、あくまでも個人的に見て今回の特別運転自体は非難を浴びるような企画内容では無かったはず(要はホントにファンのモラルの問題。企画側にその見通しが甘かったと言えばそれまでですが・・・)。
最後はなんとも残念な事になってしまったけれど、私としては6000系を見送る特別運転を実施してくださった東京メトロの関係各位に深く感謝しています。鉄道会社が催してくれる素晴らしい企画に、ファンのほうも常識的なマナーを心がけて応えたいものですね。
 

 

 

☆6000系ファンへのオマケ★



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