久留里線・・・国鉄形 キハ30・37・38 撮影記 [鉄道写真撮影記]
千葉の木更津と上総亀山を結ぶ久留里線は、東京近郊にありながらローカルムードが味わえる単線・非電化の路線。そののどかな沿線風景もさることながら、ここを走る車両は国鉄時代から活躍する旧型の気動車(ディーゼルカー)で、近年は撮り鉄・乗り鉄の人気を集めています。しかしそんな久留里線にもついにステンレス製の新型気動車が投入され、旧型は今月(11月)いっぱいで役目を終えることになりました。今月いっぱいということは、週末休みの私にとっては先週末の三連休が最後の撮影チャンス。どうにか時間を作って久留里線へ向かおうと計画を企てますが、連休初日の金曜は前回お伝えしたように、ジェフサポ(Jリーグ「ジェフ千葉」のサポーター)は絶対に外せない「J1参入決定戦」の日(負けちゃったけど・・・(´;ω;`) )。そこで、土日のどちらかで久留里線へ行こうと天気予報を見ると、土曜よりも日曜の方が良さそう。実は土曜は丸一日フリーで、日曜は夕方から所用があったのですが、やはり天気がいいに越したことはありません。出撃は日曜に決定。限られた時間のなか、たとえ撮影できるのが数本であっても、最後の活躍をする国鉄形キハたちをしっかり記録しておきたいと思います。
11月25日(日)
まずは総武線、内房線と乗り継いで久留里線の始発駅である木更津を目指します。先約した非鉄の所用は夕方4時に都内での約束で、木更津から都内までは約二時間(都内の場所にもよりますが)、久留里線沿線からだと三時間の所要時間を考えなくてはならず、昼過ぎには現地を出なくてはなりません。ここは少しでも久留里線での滞在時間を作ろうと、自宅最寄り駅から朝イチの列車に乗り込み、ちょうど千葉を出たあたりで日の出を迎えました。車窓から見上げた空は予報通りの快晴。(^^)
途中の五井で接続するのは小湊鉄道。
小湊沿線も今頃は紅葉がきれいな時期ですよね。
ちょっと立ち寄りたいところですが、
残念ながら今日は時間がにゃい・・・(´・ω・`)。
内房線 五井(車窓から)
新宿0520-(中央472T)-御茶ノ水0536~0536-(総武542B)-千葉0627~0638-(内房133M)-木更津0717
久留里線には今年9月に内房線で運転された「リバイバル・さざなみ」の撮影ついでにちょこっと立ち寄っていますが、久留里線自体を目的とするのは昨年12月以来、約一年ぶり。思い返せばちょうどその頃に新型への置き換えが正式に発表され、旧型を記録するには約一年もの猶予があったハズなのに、結局あまり訪れることができませんでした。幸い、置き換えは順次に行われる方式ではなく、12月1日を境に一気に新旧が入れ替わるため、旧型にはまだ一両の離脱も無いところがせめてもの救いです。このブログの読者ならばもうご存知の方が多いと思われますが、現在(置き換え前)の久留里線で使用されている車両は、1960年代に製造されたキハ30、83年製のキハ37、86年製のキハ38の三種で、なかでも人気なのは製造年が古くて国鉄色が復刻されたキハ30。間近に迫った新型への置き換えは三種全車を対象に行われるので、もう車種を選り好みしている余裕は無いのですが、今回もできることなら国鉄色のキハ30が撮りたい。それにこのキハ30に巡り会えるかどうかというのは一種の運試しのようなものであり、久留里線訪問のひとつの楽しみでした。私はどちらかというとキハ30との相性は良くない方でしたが、おそらく最後となる運試しの結果やいかに? ドキドキしながら木更津で内房線を降りると、そこにいたのは・・・やたっ!キハ30 (゚∀゚)!
木更津で発車を待つ久留里線。
上総亀山行き923Dの先頭に立つのは
国鉄色のキハ30 100!
内房線 木更津
続く二両目は? と、後方へ進むと・・・
なんと、こちらもキハ30! w(*゚o゚*)wワオッ!!
後方(木更津方)を務めるのはキハ30 62。
ホームには別れを惜しむファンの姿が見られます。
これはまさに最後のビッグプレゼントですね!(^^)
嬉しいことに、さっそく出会うことができた国鉄色ツートンカラーのキハ30。しかもこの接続した923Dはキハ30のみの二連というファンには堪らない組成で、最後の運試しは「大吉」と言っていいでしょう。置き換え前最後の日曜日、ひょっとしてなにかがあるのでは・・・との期待を少しは持っていましたが、まさにやってくれました木更津派出! d(´∀`*) グッジョブ!!
ちなみに三両あるキハ30のうち、
残ったもう一両のキハ30 98は車庫でお休みでした。
しか~し、毎度のことですが列車移動の「徒歩鉄」の場合、乗らなきゃならないこの列車の走行写真を沿線で撮ることはできず、どこかで降りて折り返しの木更津行きを狙うしか方法はありません。撮り鉄的にはちょっともったいないけれど、仕方なく片道はキハ30の乗り鉄を楽しむことにします。それにしても二両の車内は満員。本来なら空いているであろう朝の下り列車ですが、その乗客の内訳は学生などの地元客が二割、紅葉鑑賞で亀山湖などを訪れると思われるハイキング客が二割、そして鉄が六割と言った感じ。旧型最後の週末で天気も良好、さらにキハ30二連と来たら、まあ鉄が集中するのもムリは無いか・・・私もその一人だし (^^;)。そんなワケで混雑した車内ではあまりキハ30の乗り心地を楽しむ余裕は無く、先へ進む列車に淡々と揺られるだけ。沿線各所の撮影ポイントではカメラの放列がこのキハ30を出迎えます。さて私は折り返しをどこで撮ろうか。いつも横田の田んぼばかりで芸が無いので、今回は小櫃か平山あたりまで行ってみるかな・・・などと考えていると、列車はまもなくその「いつもの」横田へさしかかり、車内には「次の横田では列車交換のため、4分ほど停車いたします。」とのアナウンスが流れます。するとそれを聴いた瞬間、私の頭には「ひょっとして4分あれば、田んぼの撮影地まで走って行けるのではなかろうか・・・?」などという、アホみたいな考えが浮かんでしまいました。たしかに横田と次駅の東横田の間に広がっている田園地帯には、横田駅から10分も歩けば着くことができますが、わずか4分ではあまりに無謀。冷静に考えれば無茶苦茶なことなのに「キハ30の二連の走行が撮りたい」の一心で、私は横田で列車を降りてしまいました。
横田では上りの924Dと交換。こちらはキハ38でした。
久留里線 横田
木更津0723-(久留里923D)-横田0739
構内踏切で一枚だけ交換シーンを撮り o[◎]_- )パチリ 、あとはひたすらに撮影地を目指して全力疾走!
ダダダッ ε=ε=ε=ε=ε=ε=┏(# ゚Д゚)┛ウオオォォォォォォォー!!
駅舎を抜け、第一コーナー、第二コーナー、第三コーナーを順調にクリアし、ここまでのラップタイムは二分半と順調なペース。あとは約200メートルの直線を残すのみですが、ぬかるんだ未舗装の農道が最後の難関です! すでに踏切は鳴りはじめていて、駅の方向を振り返れば黒煙を吐いてこちらに向かって来るキハ30の姿が・・・果たして!?
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ハァ...ハァ...(;;´Д`) ゼエ...ゼエ...
雲ひとつない青空の下を走り行く、
国鉄色キハ30の二連!(923D)
ツートンのみのシンプルな編成は国鉄時代そのもの。
久留里線 横田-東横田
なんっっっとか、ギリっギリ間に合いました~ \(≧▽≦)/イエーイ!!...(A´-д-)=3 アー、シンド...。さすがにいちばん抜けの良い定番ポイントまで到達するのはムリで、背景には家々が入ってしまいましたが、それでも手前側はスッキリと抜けており、徒歩鉄ならぬ「走り鉄(?)」としてはじゅうぶんと言える結果でしょう。それに定番の方はすでにかなりの同業者がいたので、たとえ間に合ってもいい位置で撮れたかどうか解りませんし(こちらの先客は二名のみでした)。それにしても、こんなに全力で走ったのはいつ以来だろう。最近の運動不足がたたってか、呼吸が正常に戻るまで結構な時間がかかりました。もうイイ歳なんだから、あまりムリはしない方がいいかな? ε=o(´ロ`||)ゴホゴホ...。
振り返って、後追いも。
こちら側は顔に日が当たりませんが、
太陽を反射する国鉄色が
なかなかイイ感じで撮れました。(^^)
久留里線 東横田-横田(後追い)
さて、呼吸が落ち着いたところで次の撮影へ。結局なんだかんだでまた横田で降りてしまい、今の折り返しとなる上り列車・928Dもこの横田近辺で撮ることになってしまいました。今度は背景がスッキリしている定番ポイントで撮ろうかと思いましたが、やはり考えることは皆同じで、そのまま折り返しを待つ同業者で定番は引き続き混んでいます。それに、私としてはこの928Dを撮ったらすぐに次の下り列車・927Dに東横田から乗って移動したいと考えていたので、定番位置は諦めて東横田駅近くで折り返しを待つこととしました(上下列車は先ほど同様に横田で交換するので、横田に戻っていては間に合わず、下りへ乗るならば東横田へ出た方が効率がいい)。この行動パターンは昨年とほぼ一緒です。
一時間半後、
先ほどのキハ30が上総亀山から折り返してきました。
私が選んだ撮影ポイントは東横田駅のすぐ近くです。
久留里線 東横田
光線を重視して後追いを撮影(928D)。
私は異形式併結の「珍ドコ編成」好きですが、
国鉄色で整えられたキハ30の二連もまたよろし。(^^)
久留里線 横田-東横田(後追い)
この日二発目のキハ30二連も良好な状態で撮れました。しかし今考えると、ムリに走ってまで同じような画を量産するより、たとえ一本だけでも今までと違うアングルをしっかりと腰を据えて撮るべきだったかとも思います。う~ん、咄嗟だったとはいえ、なんで横田で降りて走っちゃったんだろう・・・。でもチャンスはまだあるし、次に再び折り返して来る(であろう)下りのキハ30を今度こそ違ったアングルで狙えばいいか。と、このときはお気楽に考えていましたが、実はそんなに甘くないのが久留里線なんですよね~(^^;)。
予定通り東横田では
余裕で下りの927Dに間に合いました。
こちらはキハ38+37の二連。
久留里線 東横田
東横田から乗った二連の927Dも朝に乗った列車同様、いや、それ以上の大混雑。やはりその大半は同業者(鉄)です。もはや乗車列車がキハ30だからと言うことではなく、この日は久留里線全体が旧型へのお別れムードで賑わっているみたいで、同乗した女子高生はちょっと迷惑そう。あと一週間後にはキレイな新型車両で通学できるようになり、その頃にはファンのフィーバーも治まるから、もうちょっとだけ辛抱してね・・・(^人^;) ゴメンネ ゴメンネ~。 ほとんど車窓風景を見ることもままならず、東横田から揺られること20分で久留里着。
東横田0938-(927D)-久留里1000
久留里線の主要駅・久留里は乗降客が多く、
木造平屋建ての駅舎には駅員も配置されています。
久留里線 久留里
杉玉発見!杉玉発見!(Ⓒ.hanamuraさん)
銘水の里、久留里にはいくつもの造り酒屋があります。
でも酒瓶は重いから、帰りに買って帰ろう・・・。
現在は君津市に属していますが、久留里は古くから久留里城の城下町として栄えた町で、お城は今でも久留里のシンボル的な存在です。そして何を隠そうそのお城が次の目的地。熊本へ行っても熊本城には寄らず、弘前へ行っても弘前城を見ない私が、なぜに久留里城へ向かうのかと言えば、当然ながら撮り鉄のためで、高台にあるこの久留里城からは久留里の町とそこをゆく久留里線が一望できるのです。駅から20分ほど歩いて街中を抜けると、県道沿いに見えてきたのは「久留里城入口」の看板。しかし山城である久留里城へ到達するにはここからが大変で、かなりの急坂を登らなくてはなりません。徒歩鉄とはいえ、今回はやけに足を酷使するなぁ・・・ε~ε~ε~(;´Д`)ヒィィィィ...。
城山の高さを表した看板。
平地にある三の丸からてっぺんの本丸までは
100メートル以上の高低差があります。
私が目指すのは128メートルにある二の丸。
100メートル程度の高さならたいしたことは無さそうですが、
とにかく坂道が急で、麓付近のの道端には
木杖も用意されています(私は使いませんでしたが)。
山道を上へ上へ・・・。
青梅線の回でも書きましたが、
決して私の趣味は山登りやハイキングではありません(^^;)。
行きに酒瓶を買わなくてヨカッタよ・・・。
麓から上ること10分、
ようやく視界が開ける二の丸へと到達しました~。
ここが目指していた撮影ポイントです。
撮影地となる二の丸までの道のりはちょっと大げさに書いていますが、この日の私的にキツかったのは事実で、やはりここへきて朝の「横田ダッシュ」が響いているのかも。そんななか、なんとか二の丸へと到達して展望台から眼下を見渡せば、疲れが吹き飛ぶほどの素晴らしい眺望。ここまで登って来た甲斐があると言うものです。先客は4~5人おられましたが、キャパは広くて無問題。さっそく私もカメラを構えて列車の通過を待つことに。
のどかな里山の情景を行く久留里線の列車(932D)。
遠景でも白い久留里色は同化することなく目立ちます。
久留里線 平山-久留里
まずやって来たのは、私が久留里まで乗って来た927Dの折り返しである上りの932Dで、キハ37+38の二連。この二種も来週にはお役御免となってしまうので、無駄にすることなくキッチリと押さえます。でもやはりいちばんの狙いは、先ほどのキハ30二連。きっとツートンの国鉄色は久留里色以上にこの景色に映えることでしょう。ところが927Dの通過後、ここにいた数人の同業者は全員撤収してしまいました。あれ?国鉄色は撮らないの? まあ次の列車が通過するまではまだ一時間近くもありますし、撮影場所を変えるのかな・・・? ひとりだけ撮影地へ残された私、これでは場所取りの必要は無さそうです。そこで次の列車が来るまでの空き時間を利用し、久留里城の本丸を見に行くこととしました。今いる二の丸から本丸まではすぐなので、キツさもありません。
久留里の町を見下ろすようにそびえる
久留里城の本丸(復元)。
久留里城の起源については
「平安時代中期の猛将平将門の三男、東少輔頼胤が
初めてこの地に砦を構えた」と伝えられていますが、
確証はなく伝説と考えられています。
以後、明治4年秋に廃城されるまで中世には里見氏、
近世には黒田氏をはじめ数々の城主の居城となってきました
(君津市のHPより抜粋)。
その天守閣からの眺めはなかなか爽快。
でも残念ながら久留里線はこの角度から見えません。
と言うことは、久留里線の車窓からも
このお城の姿は見えないのか・・・。
30分ほどかけて本丸と資料館をざっと見学し、再び二の丸の撮影地へ。国鉄色が期待される下り929Dの通過まであと20分、さすがに何人かの同業者がいるかと思いきや、やはり誰もいない。これはなんだかいや~な予感・・・(;¬_¬)ウーム... 。結局通過の5分前に一人の方が現れたのみで、929Dを迎えます。高台から目を凝らして久留里駅方向を見ていると、現れたのは・・・ありゃ、キハ38!?
同じ撮影地ながら、先ほどとは別アングルで。
こちらからは木々が生い茂った森の中を走る
久留里線の姿が見られます。(929D)
もう少し紅葉を期待したのですが、
今年はまだ早いみたい・・・。
久留里線 久留里-平山
上写真では車両が解りづらいので、クローズアップ。
走って来たのはキハ30ならぬキハ38・・・orz
この929D、てっきりキハ30が折り返して来るものだとばかり思っていましたが、どうやら私の読み違いで、キハ30は朝撮った928Dで木更津に到着後は運用に入らず入庫してしまったらしい(あとでよく調べてみるとこの929Dの運用は928Dではなく、その後の930Dから繋がっているんですよね)。どうりで撮影地が閑散としているわけだ・・・。残念ながらこの俯瞰撮影地で撮るキハ30は、私にとって叶わぬ幻の一枚となってしまいました。それでもたとえキハ38であれ、晴天に恵まれたこの撮影地で置き換え間近の旧型が撮れたのですから、これでヨシとすべきなのかもしれません。ちょっと残念な思いを残しつつも、私は満足して城山を下りました。
時間的にこれで久留里線の撮影は終了。次の上り列車は久留里発12時48分で、順調に乗り継いでゆくと東京・新宿には15時半着。4時の待ち合わせにはちょうどいい頃合いです。でも久留里の列車発車時刻まではまだ少し時間があるので、久留里の町でお昼を食べてから東京へ戻ることとしました。何といっても銘水の里・久留里は蕎麦がウマい。そこで入ったのは一軒のお蕎麦屋さん。しかしちょうど昼食どきで、なんとか相席で座れたものの、老夫婦がひとつひとつ丁寧に作っている蕎麦はなかなか出てきません。時間は刻一刻と過ぎてゆき、列車の時間が気になりだした頃、ようやく私の頼んだ鴨せいろが運ばれてきました。
久留里でのお昼ゴハンは、鴨せいろ。
手打ちの蕎麦は二八ながら歯ごたえがあり、
蕎麦の風味も強くて美味しい。
久留里線が新型に置き換わっても、
この蕎麦を食べるために
また久留里を訪れたくなるほどのお味でした。
確かに美味しい手打ち蕎麦。でも私にはゆっくりと味わっている余裕はありません。列車の発車まで残り15分、10分で蕎麦をかき込み、残り5分で駅へと急ぎます ε=ε=ε=┏(#´Д`)┛マタカヨ...。本当に今日は慌ただしい日だなぁ・・・。駅へ着くとすでに列車はホームへ入線し、発車を待っていました。あ~結局、酒屋へは寄れなかった・・・(´・д・`)。
キハ37を先頭に停車中の上り木更津行き。
実は乗車する934Dは写真を撮る余裕がなかったので、
これは久留里に到着したときに撮った930Dです。
でも使用されている編成はどちらも同じ
(ただし934Dは手前の一番線から発車)。
久留里線 久留里
久留里1248-(934D)-木更津1332
おそらく私にとって、旧型の最後となるであろう久留里線訪問は終始バタバタになってしまいました。本来ならもっとじっくりと向かい合って旧型の三種にお別れを言いたかったところですが、限られた時間内のなかでは満足のいく結果が残せたのではないかと思っています。久留里線からの引退後が気になる旧型三種(とくにキハ30)。やはり廃車となってしまうのか、それともさらに活躍の場が与えられるのか私には解りませんが(譲渡話があるとか、ないとか?)、三形式とも国鉄時代からの長きにわたる活躍、お疲れさまでした。これでキハ30系列の生き残りは、関東鉄道のキハ100形二両だけと言うことになるのかな・・・。
木更津の車庫内には営業運転を待ちわびる
新型・キハE130系の姿がありました。
久留里線 木更津
木更津1355-(内房・総武4376F)-錦糸町1514~1515-(総武1457B)-御茶ノ水1524~1526-(中央1503H)-新宿1537
東北本線・・・リバイバル「津軽」撮影記 [鉄道写真撮影記]
先週金曜日は勤労感謝の日で祝日。週末の土日と合わせると三連休となります。しかし私は先月に青森へ遠征したばかりだし(金欠・・・)、連休中は最終日の日曜以外はあまり天気も良くなさそう。なので、この連休は遠出するような撮り鉄計画は立てていませんでした。だからといって、家でのんびりと・・・というわけにはいきません。実はこの三連休初日は、私にとって鉄以外のもうひとつの趣味でとても大事な日となっていました。もうご存知の方も多いと思いますが、私のもうひとつの趣味とはサッカー観戦で、応援するチームは千葉(市原・千葉)を本拠地とするJ2チーム「ジェフユナイテッド千葉」(理由は以前にも書いたように、出資する親会社のひとつが鉄道会社のJR東日本だから・・・^^;)。そのジェフ千葉のJ1昇格・復帰をかけた大一番、「J1参入決定戦」が23日金曜日に行われることとなったのです。まさに「決戦は金曜日」!! o(必`・ω・´勝)ノ
ここで、サッカーにあまり詳しくない方、しかもJ1ならまだしもJ2なんてまったく知らねーよ・・・(゚Д゚) と、言う方も多いと思われますので、この「決定戦」についての説明をちょこっとだけさせていただきます。(サッカーにまったく興味のない鉄の方は、中盤付近のE233系が出てくる辺りまでスキップしてください ^^; )日本のプロサッカーリーグ・JリーグはトップリーグのJ1が18チームと、その下部に位置する二部のJ2が22チーム(12年現在)で成り、毎年そのうちのJ1下位3チームが降格、J2上位3チームは昇格という入換えが行われて、リーグ戦を盛り上げています。J1からは今年も例年通り下位の3チームが自動的にJ2へと降格となりますが、J2は今年から上位2チームはJ1へ自動昇格、そして残り1チームは3位から6位の間でプレーオフ(決定戦)が行われることとなりました。そして今年のJ2、最終順位はこんな感じ・・・。
優勝した甲府と最終節に2位へすべり込んだ湘南が自動昇格 (・ε・`。)イイナァ...。残った最後の一枠を3位から6位の京都、横浜FC、千葉、大分で争うことになり、トーナメント方式の第一戦は上位チームへのアドバンテージとして、最も上の3位がいちばん下の6位と、4位は5位との組み合わせ。つまり京都vs大分、横浜FCvs千葉の対戦カードが組まれました。しかし勝ち点で拮抗しているようにこの4チームの実力差はそれほど大きくありません。そこで上位チームへはさらに「ホームゲームとして開催できること」と「90分戦って同点(引き分け)だった場合は延長・PKは行われず、上位チームが勝ち抜けとする」という二つのアドバンテージが与えられました。ということは、京都と横浜FCは引き分けでもOK、極端なハナシをすればガチガチに守って0-0でも勝ち抜けられます。逆に千葉と大分が次のステージへ進むには勝ちが絶対条件。これは上位が圧倒的に有利か・・・と思いきや、ふたを開けてみれば6位の大分が3位の京都に4-0の圧勝。さらに千葉も横浜FCに対して4-0。結果的には「引き分けでも大丈夫」と「勝たなきゃいけない」と言う心理的な駆け引きが、この下克上を引き起こしたともいわれています(もちろんそれだけでなく、試合の流れや対戦チーム同士の相性などもありますが)。この結果、決勝戦は千葉vs大分に。今度は千葉の方が順位が上ですから、千葉は引き分けでも昇格決定で、大分はやはりこの試合でも勝たなくてはJ1に上がれません。前試合とは逆の立場になったジェフ、果たしてそれがどう影響するのか・・・。決勝の舞台は中立地である聖地・国立。 チバ(*`Д´)っ乂c(`Д´*)オーイタ
天気は予報通りの冷たい雨。それでも国立には多くの千葉・大分の両サポーターが駆けつけました。中立地とはいえ東京の国立競技場。千葉サポの方が若干は多いものの、大分サポも遠いところをよくこれだけ集まったものだと驚かされます。13時にキックオフされた試合は一進一退の攻防。大分はシンプルに前線へ、千葉は手数をかけて慎重にゲームを運んでいると言った感じ。ここでも例のアドバンテージ心理が作用しているのか・・・? いや、前試合で引き分け狙いは命取りになると言うことは千葉の監督、選手、そしてサポーターも重々承知のハズ。私も引き分けじゃダメだ、一点取って勝つんだ!と強い気持ちを持ち続けます。少なくとも80分(後半35分)までは・・・。ところが試合は動かず、残り10分まで0-0のスコアレス。こうなると「あと10分、0-0で逃げ切れば昇格・・・」の思いがアタマの中でチラついてきてしまいました。決して監督や選手、他のサポがそうだったとは言いません、でも私のなかでは「このまま終われば・・・」の気持ちが芽生えて来てしまったのは確かでした。そんな弱さを見透かされたように残り4分となった86分(後半41分)、千葉は一瞬の隙をつかれ、スピードのある大分・林選手にディフェンダーの背後へ走り抜けられます。林の蹴ったボールは千葉のキーパー・岡本選手の伸ばした手の先を越え、ゴールネットへ・・・私の目にはスローモーションのように映った悪夢の一瞬。まさにボー然と静まり変える千葉の応援席。ハッと我に返ったときには、対岸のゴール裏で狂喜乱舞の大分サポの姿が・・・。0-1、それでもまだ一点取れば同点。同点ならば昇格できるんだ、諦めてはいけない! しかし、残された時間はロスタイムを含めても10分弱。システムを変えて逆襲に転ずるにはあまりにも時間が無さ過ぎました。千葉は長身の選手を入れて、最後のパワープレーに出るも実らず、タイムアップ。ジェフの昇格をかけた戦いは辛く悲しい結果となってしまいました。・゚・(ノД`)・゚・ウワアァァァン!!。
一勝、いや、一点が遠かった千葉。それはこの試合に限ったことではなく、大事なところで勝てない、勝ちきれないと言うのはシーズンを通しての課題でした。先ほどの順位表を見ても、昇格した2位・湘南との最終的な勝ち点差はわずか3、つまり一勝差(勝ち=3、分け=1、負け=0)でしかなく、長いシーズン中のどこかで一試合でも取りこぼしが無ければ昇格できていたのです(得失点差では湘南を上回るため)。でも今回の決定戦がそうであったように、この一勝というのがどれだけ重く大きいものかということは千葉だけでなく、昇格を逃したどのチームも痛感しているはず。結局、終わってみれば今シーズンの千葉はJ2の5位。とても昇格に値する順位ではありません(大分は6位だけどね ^^; )。この決定戦の悔しさをバネに、来年こそはスッキリと自動昇格を・・・いやJ2の優勝を果たしてほしいところです p(`・д・´)qガンバレ!!。・・・でも、今まさに最終盤のJ1で残留争いをしている"G"や"A"、"V"のような選手層の厚いチームが本当にJ2へ落ちて来るようなことがあると (まさか"C"ってことはないですよね・・・yasさん ^^;)、来季の昇格争いは今季以上に厳しい戦いとなりそうだなぁ・・・。
・・・そんなワケで、勝ったら行きつけの飲み屋で祝杯だ~!などと考えていたのに、すっかり意気消沈してドコへも寄らずに帰宅 (。_。*).....トボトボ。同じ酒でも祝杯ではなく、家でヤケ酒をあおるか? でも、敗者のヤケ酒ほど空しいものは無いし、万が一テレビで大分が喜んでいるようなシーンが映し出されたりしたら、悲しみが込み上げて来てしまいます (´;ω;`)ウッ 。そこでいったんは帰宅したものの、日が暮れてからカメラバッグを持って再び外出。こうなったらヤケ酒ならぬヤケ鉄で、現実逃避だ ヽ(`Д´)ノ! と、中央線と埼京線を乗り継いで向かったのは赤羽駅。実はこの日、上野~青森で583系を使用した「リバイバル急行・津軽」の運転が設定されていました(上越・羽越・奥羽線経由)。ただしこの列車は現役時代の急行「津軽」と同様に夜行運転(上野21:54発)となるため、関東近郊で走行写真を撮るのは難しく、かといって始発駅の上野や途中停車駅の大宮は混雑必至。当初は撮影を諦めていました。でも家でイジけているくらいなら、ダメ元でも気晴らしに撮影へ出た方がずっとマシ。そこで、停車はしないもののホームの灯りなど比較的条件がいい赤羽駅で「津軽」を待ち構えることとしたのです。
まずは普通列車で試し撮り。
上野口へ投入されたE233系はこれが初撮影です。
東北本線 赤羽
しかしホームの灯りがあるとはいえ、やはりその明るさは日中には遠く及ばず、ギリギリ三桁の感度であるISO800でも1/50secが精一杯。写し止めるには列車の速度に合わせてズームリングをまわす「ズーム流し」で対応するしかなさそう。ズーム流しはちょっとしたコツがいるので、本命「津軽」の前に何本か練習しておきたいところですが、タイトルに貼った211系や上のE233系は赤羽に停車するため速度が遅く、あまり参考になりません。ここは一本でも通過列車で感覚を掴みたい。そういう意味ではおあつらえ向きの列車がまもなくやってきます。それは試し撮りと言うにはあまりに豪華なこの列車。
速度を落とさずに、夜の赤羽を颯爽と駆け抜けるのは、
EF64 1051牽引の寝台特急「あけぼの」。
普通列車とはまったく違ったオーラを放って現れた「あけぼの」。ちょっと緊張気味ではありましたがスムーズにリングをまわせて、なんとか許容範囲内に写し止めることができました。関東にいながら、なかなか撮影機会が無いロクヨン牽引の「あけぼの」。今回の本命ではないものの、これは嬉しい副産物です。そして通過列車である「あけぼの」を止められたことで、気分的に余裕を持って「津軽」を迎えることができます。
ところで気になるのは、その「津軽」のマーク。急行「津軽」と言えば私は14系で運転されていた客車列車時代の印象が強く、583系の「津軽」と言われてもあまりピンと来ません。たしかに末期は客車に変わって583系や485系が使用されていたみたいですが、イラストマークなどは無く、ただの「急行」表示だったハズ。では今回のリバイバルでもマークは「急行」なのか? それとも文字のみで「津軽」? まさか拍子抜けの「団体」とか「臨時」じゃないだろうな・・・。これは現れるまでの楽しみにしておこうと、あえて情報系掲示板などには目を通さずに583系を待ちます。果たして掲げていたヘッドマークとは・・・。
立派な「津軽」マークを掲げた583系が赤羽を通過。
やはり583系には夜のシーンが似合います。
(トリミング済み)
なんと「津軽」のイラストマーク (゚∀゚)! 583系「津軽」の現役時代には見られなかったイラストマークですが、なかなか似合っていてカッコイイじゃないですか。定期列車の合間を縫って走る臨時スジだったからか通過速度は「あけぼの」より遅く、ズーム流しも落ち着いてヘッドマークに合わせることができました。ただし右下にちょっとだけ、前方にいた同業者の肩が入ってしまったため、トリミングしてカットしています。ズームリングをまわしながらの撮影だったので、まったく気がつかなかったよ。。。(´Д`;)アチャ~
583系に付けられた「津軽」のヘッドマークを
さらにトリミングして拡大してみました。
モチーフになったのはリンゴと岩木山で、
個人的に先月の青森旅行が思い出されます。(^^)
それにしても、583系には初めて掲げられたと思われるこの「津軽」マーク・・・実は私には見覚えがありました。それは今から22年も前の90年夏。客車列車として最後の運転となったひと月間だけ、今回と同じマークが機関車の前面に掲げられていたのです。
90年夏、奥羽本線経由だった「津軽」は
山形新幹線改軌工事の開始により仙山線経由に経路変更。
同時に14系客車から583系へ使用車両が変わることとなり、
客車「津軽」最後のひと月には特別にマークが付けられました。
この日の牽引機は初代のEF65レインボー機、1019。
90.8 東北本線 日暮里付近
上野着が早朝だった「津軽」。
上写真の営業運転はシャッタースピードが足りずに
ブレてしまいましたが、尾久へと回送される推進回送は
なんとか写し止めることができていました。
1019号機に掲げられていたのは今回と同じマーク。
う~ん、懐かしい・・・。まさかあの時の「期間限定マーク」が今回のリバイバル「津軽」に使われることになるとは、思ってもみませんでした。でもいくらリバイバルとはいえ現役時代と同じ「急行」の文字だけじゃちょっと寂しいですから、今回のイラストマークはファンにとって嬉しい配慮ですね(なんだか前回続き、二回連続のヘッドマーク・サプライズをネタにしてしまったような・・・^^;)。行こうか行くまいか悩んでいた夜間のリバイバル「津軽」撮影ですが、やっぱり行って良かったと思える結果を得ることができました。もしジェフが勝っていたら、この頃は酔いつぶれていて撮れなかったかも・・・!? でもジェフサポとしてはやっぱり、J1に昇格してほしかったな・・・(未練タラタラだね (´・∀・`*) )。
☆オマケ☆
前述したように、末期にはヘッドマークが付けられた
客車「津軽」ですが、上りの最終列車にはさらに
特別なヘッドマークが用意されていました。
それがこの「リンゴマーク」。
青いPFに掲げられた大きなリンゴはインパクトがありました。
90.8.31 東北本線 日暮里付近
そして最終日の「津軽」に使用された14系は
その日のうちに品川へと回送。
オクシナの牽引に充当されたのはロクイチでした。
90.8.31 東北本線 蕨-南浦和
ONE-shot 102 サービス、サービスぅ~!? [PICK UP ONE-shot]
この日は先にお伝えした583系の他にもう一本、
485系による団体臨時列車も設定されていました。
同路線で一日に二本の国鉄特急形が撮れるとは
なかなかオイシイじゃありませんか。
ただし583系同様、485系の方も営業列車は夜行運転で、
ここでは回送列車を狙うこととなります。
ヘッドマークが手動式の583系は回送列車でも、
そのまま営業運転と同じマークを出している場合が多いのですが、
電動幕の485系は「回送」表示になっちゃうハズ。
良くても営業運転と同じ「団体」表示。
どちらにしてもあまり絵にはなりません。
そこで今回は485系の美しいサイドビューを強調しようと、
ヘッドマークの見えない真横から流すことにしてみました。
現れた485系のヘッドマークは「回送」でも「団体」でもなく、
なんと「ムーンライト えちご」のイラストマーク!
これにはもうビックリです。w(゚ロ゚)w ウワォッ!!
しかし真横でカメラを構えていた私は今さら角度を変えられず
(いちおう咄嗟にマークが見える位置でシャッターを切ったけれど、
モロに架線柱と被っちゃった・・・orz)、
イチかバチか後ろ側をマークの見える角度で追ってみました。
後追いなのでヘッドライトは点いていないけど、
ひょっとして、撮り鉄へのサービスだったのかな?
12.11.17 武蔵野線 東川口-東浦和(後追い)
ONE-shot 101 藁塚 [PICK UP ONE-shot]
あまり天気はよくないけれど、せっかくならば、
この時期ならではの紅葉などと絡めて撮りたいと考えていました。
午前中に武蔵野線を走る回送列車が狙い目です。
武蔵野線ならば、たしか見沼田圃(東浦和~東川口)の一画に
銀杏並木があったハズ・・・と、東浦和から歩いて行ってみるも、
なんとその銀杏は、すでにほとんどが枯れ木状態。 Σ( ̄ロ ̄ ; ハウッ...
そういや、前夜は風が強かったもんなぁ・・・。
抜けのよいところを探してフラフラしていたら、
ふと目にとまったのが、この藁塚(わらづか)でした。
藁塚は、稲を脱穀して残ったワラ(稲藁)を束にして積み上げ、
天日干しするもの (乾燥した藁は家畜の飼料などとして使われます)。
紅葉のような派手さは無いけれど、この藁塚も立派な晩秋の風物詩です。
藁塚が立ち並ぶ、のどかな風景のなかをゆく583系。
まるでかつての「はつかり」を思い起こさせるような光景で、
一瞬、ここが武蔵野線であることを忘れてしまいそうになりました。
12.11.17 武蔵野線 東川口-東浦和
青梅線・・・115系「むさしの奥多摩号」 撮影記 [鉄道写真撮影記]
晩秋を迎えて朝晩はめっきり冷え込むようになり、紅葉前線も関東まで下りてきました。こうなると色づいた木々と列車を組み合わせた秋らしい鉄道写真を撮りに、どこか山のほうへ行きたい・・・ところなのですが、私は前回までお伝えしていた青森旅行の交通費やら飲み代やらで散財(・・・ってほど、大袈裟なものではないけれど) してしまい、しばらくは近場(関東近郊)の撮影で我慢せねばなりません (´・ω・`) 。そこで今回の目的地は東京都内。ただし都内といっても都心の23区ではなく、ハイキングやプチ登山などで有名な青梅線の奥多摩(西多摩郡 奥多摩町)です。なにも遠くへ行かなくても、自然が多く残る奥多摩ならば、きっときれいな秋景色が見られるハズ。しかも今の時期の青梅線には週末にスカ色の115系(通称・山スカ)を使用した臨時快速「むさしの奥多摩号(大宮~奥多摩)」が運転されており、できればこの列車を紅葉と絡ませて撮影したいと思います。
11月10日(土)
まずは地元駅から青梅線の始発駅となる立川へ向かいます。中央線沿線に住んでいる私にとって青梅線はアクセスしやすい路線。しかし意外と訪れる機会は少なくて、とくに青梅より先(西)の区間に乗ったのは片手で数えられる程度しかありません。
中央線の立川から青梅を経て奥多摩に至る青梅線は、全長37.2キロの電化路線。全線を通して運行される列車もあるものの、大半は途中の青梅を境に運転系統が分けられ、青梅までは10両編成を中心に中央線からの直通列車が頻繁に走る通勤路線、いっぽう青梅から先は4両もしくは6両編成が単線*の山あいを行くローカル線のような雰囲気になり、青梅線はふたつの異なる顔を持った路線と言えるでしょう(*単線区間は青梅のひとつ手前にある東青梅から)。
しかしいくら青梅以西はローカル色が濃いといっても、そこは東京近郊の「E電区間」(E電って、懐かしいな・・・(^o^;) )。30分に一本程度は列車が運転されていて、地方のローカル線のように細かいスケジュールを立てなくても行き当たりばったりで何とかなるだろうと、私は軽く考えていました。そこで時刻表もロクに調べずに立川から青梅行きへ乗り、まずはこの電車の終点を目指します。奥多摩行きは青梅で始発列車が接続するものだとばかり思って・・・。
まずは青梅線の始発駅・立川から青梅行きへ乗り込みます。
この列車はE233系10両で、
車両は中央線用の「T編成(10両固定)」でした。
中央線 立川
土曜の朝の下り・青梅行き。10両編成の車内は空いていて、五日市線・八高線・西武拝島線が接続する拝島を出ると、先頭車両の乗客は私ひとりとなってしまいました。これでは輸送力過多?・・・いいえ、この電車は10両固定の中央線用車両であることでもわかるように、青梅での折り返し後は中央線に直通して新宿、東京へと向かうことになります。土曜とはいえ、朝の東京方面へ直通する列車は相当混雑するはず。でも下りの今はガッラガラ。週末の青梅線は、御嶽(みたけ)や奥多摩へ向かうハイキング客などでけっこう混雑するものだと思っていましたが、拍子抜けです。まだ時間が早いからかな・・・? 立川から30分ほどで青梅着。
青梅線は中央線と同じE233系が使われていますが、
青梅線内での扉は半自動扱い。
乗り降りする際はボタンを押して扉を開きます。
立川0652-(青梅669T)-青梅0727
青梅では反対ホームに接続待ちしている列車はいませんでした。駅の電光掲示板によると次の奥多摩行きは7時52分発の25分待ち。まだ列車が入線していないだけか・・・と、折り返し列車が来るであろう下り方(奥多摩側)を眺めて待ちます。ところが予想に反して、奥多摩行きの列車は上り方(立川側)からホームへ入ってきました (・_・∂) アレ?。なんだかこれはイヤな予感・・・。
青梅から乗る奥多摩行きは
青梅・五日市線用の「青編成」。
青編成には6連と4連がありますが、
この列車は4両編成でした。
青梅線 青梅
4両という短い編成の奥多摩行き。でも始発列車ならば座れるハズ・・・が、車内はすでに超満員!Σ(゚д゚;) ナヌッ!? そう、実はこの奥多摩行きの始発駅は青梅ではなく立川だったのです。前述した、日に何本かあるという全線を通して走る列車のひとつがコレ。時刻表を見ずに「奥多摩行きは青梅で乗換」という思い込みだけで、私は先走ってしまいました。そりゃ、先行の青梅行きにハイキング客の姿が無いワケだ・・・lll/(=ω=。)\lllアア、シッパイ...。しかし、この奥多摩行きは青梅到着時点で満員で、おそらくこの状態は始発の立川からだと推測されます。だとすると立川でも座れたかどうかは解らず、青梅までの30分だけでもガラガラの電車で来れたのは決して悪い選択ではなかったか・・・と、失敗を前向きに考えるも、とにかく今は通勤ラッシュ並みのこの奥多摩行きへ乗らねばなりません。何とか隙間を見つけて車内へ入りこみ、青梅から先へ進みます。今日は比較的軽装で、三脚などを持って来ないでヨカッタ・・・。青梅から奥多摩までは約30分。このまま終点までぎゅうぎゅう詰めかと覚悟していましたが、途中、御岳山の登山口がある御嶽で三分の一ほどが下車して少し余裕ができました。私は奥多摩のひとつ手前にある駅、白丸で下車。
青梅0752-(707)-白丸0825
白丸駅を発車してゆく奥多摩行き。
ホームの下り方は、すぐにトンネルとなっています。
青梅線 白丸
交換設備が無い、一面一線の白丸駅。
駅舎は無く、自動券売機と簡易Suica改札機が
一台づつ設置されているのみの小さな無人駅です。
青梅線 白丸(開いた踏切から撮影)
駅の写真などを撮っていたら
先ほどの列車が隣の奥多摩から折り返してきたので、
去り際を一枚パチリ。
青梅線 白丸付近(後追い)
列車は混雑していたけれど、この日はそれもうなづけるようなハイキング日和の快晴です。しかしここまで来てちょっと不安なのが紅葉の色づき具合。車窓からの風景を見た限り、色づきのピークには少し早い感じ・・・。実はお目当てとなる115系「むさしの奥多摩号」の通過にはまだ三時間もの時間があるのですが、もし紅葉がピークならば途中の宮ノ平や沢井などでも下車して、何本かE233系の普通列車を撮影してから、本命ポイントの白丸で115系に備えようと考えていたのです。ところが思っていたほど沿線の紅葉は進んでおらず、結局、途中で下車することなく白丸へと来てしまいました。上のE233系の写真では所々に紅葉した木が見られますが、果たして撮影地から見た紅葉はどんなものだろうか・・・一抹の不安を抱えつつ、白丸駅から歩く事5分。ハイキングコースの入り口となる数馬峡橋がそのポイントで、橋の上に立つとパッと視界が開けます。
撮影地の数馬峡橋にはまだ誰もいません。
115系の通過まで三時間もありますものね・・・。
これが数馬峡橋からの眺め。
とても都内とは思えない雄大な景色が広がります。
真ん中に架かるコンクリート橋が青梅線の線路。
たしかにちょっと緑の度合いが高いけれど・・・なかなかいい感じじゃありませんか (゚∀゚)! 線路のまわりを覆っている直立した木は針葉樹のスギの木なのでもともとあまり紅葉しません(紅葉が目立たない)が、その奥の広葉樹はいい具合に紅葉・黄葉のまだら模様となっています。正直、ベストはもう一週間後くらいってところでしょう。でも、来週末が晴れるという保証は無いし、もうこの状態でもじゅうぶんに秋らしさを絵にする事ができそうです C=(´▽`) ホッ 。あとはこの景色をどうやって切り取るかが腕の見せどころ。
まずはヨコ位置で奥行きを出したアングルで撮ってみました。
この時間はちょうど列車の角度と日の当たりがシンクロし、
ステンレスのE233系はギラリと光ります。
ちなみに一枚上と木々の色の出方が違うのは
ホワイトバランスを変えたからで、上はオート、
この写真は太陽光モードに設定しています
(以下、太陽光モードで撮影)。
青梅線 鳩ノ巣-白丸
下の水面は多摩川を塞き止めた白丸ダム。
流れはほとんどないので、無風になると水鏡になります。
でもこの日は朝からずっと微風が吹いていて、
キレイな水鏡がみられたのは一時だけでした。
今度は上に振って、空を入れた構図。
ああ、ここを走る列車がステンレス通勤車のE233系でなく
国鉄標準色のキハなんかだったらいいのにな・・・
などとつい思ってしまいますが、忘れてはいけません。
そう、ここは東京都内なのです。
まさに試行錯誤。ほぼ30分おきに通過するE233系で、いろいろなアングルを試してみました。しかしここでの悩みどころは、やはり紅葉しないスギの処理。色づいた広葉樹の山を入れようとすると、当然手前にあるスギ林も入って来てしまいます。橋の上を行ったり来たり、右往左往するも、なかなか解決策が思い浮かびません (-`ω´-;)ウーム 。そうこうしているうちに日はどんどん高くなり、やがて山の陰だった渓谷にも日が当たるようになってきました。すると、意外にも手前に広がる湖畔の紅葉もキレイだった事に気づかされます。
日が当たるようになったダム湖沿いの木々は
ちょうどいい色づき具合でした。
湖面ではカヌー教室が行われていました。
この景色を見ながらカヌーを漕ぐのは、
さぞかし気持ちがいいものなのでしょうね(^^)。
日が当たるまではあまり気に留めていなかったのですが、この紅葉はなかなかのボリューム (*'▽'*)キレー...。しかもこのアングルならばスギ林は気になりません。でも、紅葉の方に圧倒されてしまって、肝心の列車がちょっと目立たないかな? やはり鉄道写真的には最初の山バックの方がまとまりがあるか・・・いや、後から撮ったダム湖の紅葉も捨てがたい・・・本命の115系はどっちで撮ろう・・・と、ここでたった一度しか撮影チャンスが無ければ、優柔不断な私はとても悩むところ。でも、実は115系の臨時列車は奥多摩到着後にいったん拝島まで回送されるため、短時間で二回の撮影チャンスがあるのです。これならば両方のアングルが実践できるので、とてもありがたい。そこでまずは最初の下り列車(営業運転)を山バックのアングルで狙う事にしました。115系が顔を出すその一瞬を逃さぬように構えます。いつしか橋上には数人の同業者が集まっていました。
錦秋の山あいを縫うように走る、
スカ色115系の「むさしの奥多摩号」。
中央山線を走る事で「山スカ」の愛称がある同車ですが、
今日は奥多摩の山へ出張してきました。
紅葉の山をバックに、山スカ115系が撮れました~\(^◇^*)/。結局、このアングルでのスギ林問題は解決できなかったケド、案外周りの紅葉がキレイにカバーしているかも。しかし、前に撮ったE233系の写真に比べると、背景にあまり立体感がありません・・・。実は115系の通過時刻はちょうどお昼ごろ(12時16分)。バリ順・・・というより、もはやベタ光で、背景の山に陰影が無くなってしまったのです。ハイキング客をターゲットにした臨時列車にしては目的地への到着がお昼だなんて、ちょっと遅くないか・・・? そんな「重役出勤」の115系は、奥多摩で乗客を降ろし、すぐに回送列車として戻ってきました。今度はダム湖の紅葉アングルでカメラを構えます。
秋色の渓谷沿いに再び姿を現した山スカ。
今まさに、湖畔は紅葉真っ盛りです。
うん、こちらもいい感じ~ (´∀`)♪。でも、やっぱり列車が小さすぎますね・・・。このアングルならば115系ではなく、E233系でもじゅうぶんだったかもしれません (^^;)。ちなみに湖面に目をやると、先ほど撮った同アングルでE233系を撮った時よりも、水面に落ち葉がたくさん浮いているのがわかります。わずか一時間程度の差ですが、この間に少し風が強まってきて、たくさんの枯れ葉を落としてしまったのです。タテ位置で撮った山の紅葉はあと一週間後くらいがピークかと思われますが、この手前の木々はそう長くは持たないかも・・・そう考えると、この日はちょうどいい時期だったように思います。紅葉と山スカのコラボ、大満足で終了です。(^^)v
さて、前述したように撮影地となったこの橋は、数馬峡を巡るハイキングコースの入り口。私が撮影列車を待つ間にも、次々とハイキングを楽しむ人たちが通り過ぎてゆきました。私はとくにハイキングの趣味はありませんが、この橋の先はいったいどんなルートになっているのかとちょっと気になって、橋のたもとにあった案内板を見てみました。
白丸から奥多摩へと続く、数馬峡周辺の遊歩道案内図。
へー、ここ(白丸)から奥多摩までの一駅区間がちょうどコースになっているのか。周囲を一周ではなく、隣の駅へ出られるのは面白い・・・。ここで沸々と込み上げてくる「徒歩鉄魂」(`・ω・´) シャキーン。このまま朝に降りた白丸駅へただ戻ってもツマラナイし、ここまで来ておいて白丸~奥多摩のわずか一駅だけ残して帰ると言うのもなんだかスッキリしません。ならばここはハイキングコースを歩いて奥多摩まで行き、そこから青梅線に乗って完乗する事にしました。まあ、白丸~奥多摩は青梅線の営業キロでも2.0キロ程度だし、たいした事は無かろう・・・と。C= C= C=┌( ・∀・)┘テクテク
数馬峡橋を渡ったところから続く遊歩道。
所々で眺める秋景色に癒されます。
やっぱり紅葉は逆光で撮った方がキレイに見えるかな・・・?
渓谷沿いの遊歩道、多少のアップダウンはあるものの、景色を眺めながら歩くのはなかなか気持ちイイ。ところが、ちょうど中間地点にさしかかったあたりから遊歩道は無くなり、フツーの国道沿いを歩くことに・・・これはあまり楽しいものではありません。しかも2.0キロ程度なら30分もあれば行けると踏んでいたのですが、結果的には50分近くもかかってしまいました。そう、2.0キロと言うのはあくまでもトンネルなどを通って直線で進む青梅線の距離で、実際に歩いた道路は山を迂回するため3.5キロ。う~ん、これはちょっと疲れた・・・(o´Д`)=з。途中で歩いたことを後悔しかけるも、なんとか奥多摩駅へと到達。
山小屋風の駅舎が建つ、青梅線の終点・奥多摩駅。
二階には軽食ができる喫茶店が併設されています。
青梅線 奥多摩
ハイキングに思っていたよりも時間がかかってしまい、乗る予定だった列車は出てしまいました。そこで次の列車までの待ち時間を利用して昼食をとることに。軒先に「そば・丼もの」とデカデカと書かれた駅前食堂へと入ります。失礼ながらあまり期待はしていなかったのですが、手渡されたメニューには・・・「当店自家製 さしみこんにゃく」ε=(°ω° )! 「ビールにあうっ! しめじのから揚げ」ε=ε=(°ω° )!! 「どっちの料理ショー特選素材に出たっ! 豆腐屋さんのあつあげ」ε=ε=ε=(°ω° )!!! と、もうここは飲んでくれと言わんばかりの一品が名を連ねます。歩き疲れたこともあって、ビールが恋しい・・・。しかし、このあともまだ撮影予定が残っています。ここはグッとガマンして、名物だというとろろそばを注文。
とろろそばとキノコめしのセットで
その名も「大岳セット」。
石臼で挽いた手打ち蕎麦はしっかりとした歯ごたえで、
とても美味しかったです。
う~ん、ココは名店かも。
ビールとおつまみの誘惑に打ち勝ち(?)、オナカも満たされたところで駅へ。私がこの奥多摩駅から列車に乗るのは7年前の05年以来のこと。前回は会社の同僚たちとのバーベキュー懇親会で奥多摩を訪れた帰りで、クルマで来ていたにもかかわらず、奥多摩駅の前を通った際に私だけ「電車で帰りたい」などとワガママを言いだし、ひとりクルマから降りたのでした。まあ、周りは「アイツは鉄だから」と納得してくれましたが、今考えると何とも自分勝手な行動です。\(_ _ ;)ハンセイ…
7年前、05年に奥多摩から乗った青梅線。
当時はまだ201系で運転されていました。
05.8.10 青梅線 奥多摩
今ではその201系の後継となるE233系の独壇場。
紅葉した木々をバックに
折り返し青梅行きとなる列車が入ってきました。
青梅線 奥多摩
そんな7年ぶりとなる奥多摩を後に、青梅線の上り列車で次に向かったのは軍畑(いくさばた)。この駅の上り方にあるトレッスル構造の鉄橋(トレッスル橋)は青梅線屈指の「お立ち台的」な撮影地です。今度はそこで復路の「むさしの奥多摩号」に備えて回送されてくる、山スカ115系を狙ってみたいと思います。
奥多摩1408-(1414)-軍畑1433
朝に訪れた白丸同様、
この軍畑(いくさばた)も一面一線の無人駅です。
軍畑の由来は青梅を支配した三田氏と小田原の北条氏との
合戦場だったことからこの地名が付けられたとのこと。
青梅線 軍畑
軍畑駅の東側(上り・立川方)にあるのが、
豪快なトレッスル構造の「奥沢橋梁」。
トレッスル橋とは、
鉄骨を末広がりに組みあげた橋脚を持つ鉄橋で、
複雑な工法とその見た目の美しさから人気が高く、
有名なのは山陰本線にあった「旧・余部橋梁」など。
青梅線 沢井-軍畑
撮影地へは獣道で斜面を上がらなくてはならず、それで奥多摩でのビールは控えていたのですが、少し高い位置から見下ろした赤いトレッスル橋はお立ち台の称号に相応しく、なかなかの眺め。ビールをガマンして来た甲斐があります。しかし残念ながらこの時間はあまり光線状態がよくありません。
奥沢橋梁を渡る、E233系4連の奥多摩行き。
顔に日は当たるものの、サイドは真っ黒に潰れてしまいます。ならば反対サイドは順光かと思いきや、実は午後遅いこの時間帯は反対にも日は当たらず、まさに顔のみの「面順」状態。まあ、ここで撮るいちばんの目的は、往路では引き画で解らなかったヘッドマークを見せたいと思ったからで、顔だけでも日が当たってくれればいいか・・・。
しかし日が傾くに連れ、やがて鉄橋は山影のなかへ・・・。
ところがお目当ての115系が通過するのは15時50分。秋の陽が沈むのは早く、伸びて来た山影が徐々に線路を暗く落としてゆきます。これではもう顔にすら日が当たるかどうか際どいところ・・・通過まではあと10分、されど10分。こういう時間の経過はとても長く感じます。まさに橋上の枕木が一本、また一本と影の中に入ってゆくなか、ようやく115系の通過を知らせる踏切が鳴りました。果たして・・・ ドキドキ(´・Д・`;)ハラハラ
西日を浴びて奥多摩を目指す山スカが、
赤いトレッスル橋を渡ります。
まさにギリッギリ、なんとか日が持ってくれました~\(*≧∇≦*)/。もうすでに鉄橋の半分は影だったので、タテ位置にして奥の半分だけを切り取るアングルに変更。相変わらず顔とサイドのコントラストは強いけれど、やはり日が当たってくれたのは嬉しい~(^^)。
115系はゆっくりとした速度だったので、
ズームを引いてヨコ位置でも撮れました。
コッチは全体が影の中ですが、コントラストは弱くて、
編成写真的にはこのほうがわかりやすいかも・・・。
ただし日の当たっている背景は
当然ながら、ぶっ飛んじゃっています。
光線や影には悩まされたけれど、結果的には顔に日の当たった状態と影のなかでの編成写真の両方がウマい具合に撮れました (また「回送幕」だけれどね ^^;)。このあと運転される「むさしの奥多摩号」の上り列車(営業運転)は奥多摩発が17時26分とほぼ日没後なので、これですべての撮影を終了して撤収します。何度も書いたように紅葉のピークにはちょっと早かったけれど、色づき具合は決して悪くなく、秋晴れのもとで存分に青梅線での「山スカ」撮影を楽しむことができました。心残りは、おつまみが充実していた奥多摩の駅前食堂・・・かな(笑)。次回訪れた際にも立ち寄って、今度こそ一杯引っ掛けてみたいと思います。
軍畑から乗った帰りの電車も4両編成で、
車内はハイキング客で混雑していました。
でも軍畑から青梅までは10分ほど。
青梅で接続した立川行きは10両編成で、
こちらの列車には余裕で座ることができました(^^)。
青梅線 軍畑
軍畑1606-(1514)-青梅1617~1619-(1656T)-立川1648
青森2012 その4・・・奥羽本線「あけぼの」撮影記 [鉄道旅行記]
10月末に行った、二泊三日の青森・鉄道旅。前回からの続きです。
初日は津軽鉄道を乗り潰し。二日目は午前に寝台特急「あけぼの」と弘南鉄道・大鰐線の撮影、午後は日暮れまで旧・南部縦貫鉄道の「夕暮れ撮影会」に参加。まさに鉄道づくしの旅を満喫しています(^^)。そして最終日となる三日目の朝は青森で迎えました。
10月28日(日)
宿泊したホテルの朝食。
最近では珍しくビュッフェ方式ではなく、
個々のお盆に並べられたスタイルの朝食でした。
朝は軽めに・・・と思っても、
おいしいゴハンだと、ついつい食が進んじゃいます。。。
ふだんは朝早くから行動を開始することが多いため、ホテルではあまり朝食をとらない私ですが、この日の朝は珍しくしっかりゴハンです。実は今旅、青森駅近辺のビジネスホテルが軒並み満室で、宿の予約を取るにちょっと苦労しました。街中を見るかぎり祭りやイベントなどが行われている様子は無いのに、なぜそんなに宿が取れないのか? 十和田湖や八甲田山などの紅葉がピークを迎えた週末だからか? でも駅や街にはそれほど多くの観光客は見えない・・・。昨夜、そんなホテル事情を飲み屋の大将に話したところ、どうやら観光シーズンは旅行会社のツアーが一気にホテルの部屋を押さえてしまうらしい。旅行会社はとりあえず部屋を多めに確保しておいて、集客が見込めなかった場合はキャンセル料が発生しないギリギリの三日前などに開放するのだとか。なるほど、それでひと月前に探した青森のホテルは取りづらく、三日前に急遽宿泊を決めた初日の弘前は簡単に取れたのね。しかも大将曰く、ツアー客は観光地での食事込みなので青森の街には寝に来るだけ。ほとんど街にお金を落としてはいかない・・・ともボヤいていました。街中に観光客の姿が無いのに、ホテルは満室というのもこれで納得。そんななかで私はようやく青森駅から徒歩圏内で一軒のビジネスホテルを確保。でもここはいつも利用しているところよりも宿泊料がちょっとお高い・・・(´・ω・`)。そこでセコいけれど、この日は宿泊プランに組み込まれていた朝食をしっかりといただいたのでした。そのおかげで出発時間がギリギリに・・・慌ただしくチェックアウトをして青森駅へ ε=ε=ε=┌(; ̄▽ ̄)┘アセアセ
今や青森駅の定番構図とも言える、
ホームに停車中の列車と青森ベイブリッジ。
左の789系「白鳥」に乗って函館へ行きたいところですが、
私が乗るのは右の701系、奥羽線普通列車。
12.10.28 奥羽本線 青森
前日に続き、この日も奥羽線を走る、寝台特急「あけぼの」の撮影に向かいます。前々回にも書きましたが、今やブルトレは絶滅危惧列車。青森に来たならば、この「あけぼの」撮影はハズせません。さらにこの日は旅行初日に川部で上りを撮った24系の「ブルトレ団臨」も大阪から戻って来る予定で、こちらも合わせて狙いたいところ。初日、二日目とローカル私鉄を巡ってきましたが、この日は一日、奥羽本線で撮影するつもりです。でも不安なのはお天気。この日は前日までとは打って変わって、どんよりした曇り空となってしまいました。雨が降らなきゃいいけれど・・・。青森から奥羽線の普通列車で15分ほど(そのうち5分は新青森の停車時間だけど・・・^^;)、二つ目の津軽新城で下車。
青森0755-(奥羽642M)-津軽新城0809
所々改築されていますが、
津軽新城の駅舎は1894年(明治27年)の開業当時から
築100年以上の歴史を誇る木造駅舎です。
屋根の傾斜角がいかにも雪国らしいですね。
12.10.28 奥羽本線 津軽新城
駅からお目当ての撮影地までは距離にして1.5キロほどで、私の足ならば徒歩で20分といったところ。でも実はちょうど20分後に五能線へと直通する快速「リゾートしらかみ2号」が撮影地を通過するので、できればそれも撮りたい。カメラのセッティングやアングル決めなどを考えると、ほとんど余裕はありません。並行する県道にはバスも走っているのですが、いいタイミングのものは無く、少し早歩きで・・・いや、小走りで撮影地を目指します。ああ、朝食をたらふく食ったもんだから体が重い、横っ腹がイタイ・・・(´Д`;;)キッツー...。なんとか目的のポイントに辿り着いてカメラを取り出すと、すぐに踏切の鳴る音が聞こえてきました。
キハ48を改造した「リゾートしらかみ・橅(ブナ)編成」。
車窓から日本海の絶景を眺める「クルージングトレイン」ですが、
この日の天気はちょっと残念かも・・・。
12.10.28 奥羽本線 鶴ケ坂-津軽新城(後追い)
ギリギリ、「リゾートしらかみ」に間に合いました~ (;´∀`)=зホッ…。本命ではない列車ですが、こういう小ネタは撮れるときにしっかりと撮っておきたいものです。しかし、防寒性の高いヒートテックなんかを着て小走りしたもんですから、この季節にもかかわらず少し汗ばんでしまいました。ここは冷たい風が吹き抜ける跨線橋上、落ち着くと徐々に体が冷えてきます。こういう無茶な行動が体調を崩す原因になるんですよね・・・気をつけなきゃ。さて、この撮影地には「リゾートしらかみ」の通過後にお一方、さらにしばらくたってもう一方の同業者がやってきました。でもお二方とも、私の位置よりももっと正面気味に望遠レンズ(長タマ)で狙っています。今回の旅では荷物になるので長タマやテレコンを持ってきませんでしたが、ここは長タマで狙う方がキレイに撮れるのかな・・・?私は引き続きサイド寄りの定番構図で撮影。
今旅で何度も乗った701系の普通列車が
モーター音を唸らせてカッ飛ばしてゆきます。
12.10.28 奥羽本線 鶴ケ坂-津軽新城
相変わらず貨物に疎いワタクシ、
ボーッとしていたら逆方向からEF510の貨物がやってきました。
しかもよく見るとこのカマは、
サイドに「RED THUNDER」のロゴが無い
トップナンバーじゃありませんか! Σ(°д°;) ナニュ!?
通過が解っていれば跨線橋の逆で撮ったのになぁ・・・orz。
ここを走る定期普通(快速)列車は
701系だけかと思っていましたが、
キハ40+47の快速なんていうのもあるのですね。
時刻表を調べてみるとこの列車は、
五能線の深浦から川部を経て奥羽線に直通する
青森行きの快速「深浦」。
天気はドン雲りでスッキリしないものの、この撮影地は晴れると午前は逆光になるので、列車写真を撮る条件としては悪くありません。まあ、雨さえ降らなければ・・・と思っていたのですが、その願いはむなしく「あけぼの」通過の30分前頃から降り出してきた雨。時折小振りにはなってもやむ事は無く、傘を差しながら「あけぼの」を迎える事になってしまいました。ザー///Y_(´д`;)///ザー
小雨そぼ降る津軽路をゆく、ブルートレイン「あけぼの」。
幾度となく運転経路が変えられてきた「あけぼの」ですが、
昔も今も首都圏と津軽を結ぶ列車である事には変わりません。
しっとりとした雰囲気のなかで撮れた「あけぼの」。これも見方によっては晩秋らしくて、悪くないか・・・。いっそのこと雨足が強いときに来てくれた方がいい絵になったかもしれませんね。でもそんな事を思ったからか、その後の雨は強さを増してしまいました。もうひとつの狙いである「ブルトレ団臨」の通過は12時半頃で、あと三時間もあります。晴れていれば周辺を散策しつつ、特急「つがる」などを撮って時間を潰そうと思っていましたが、冷たい雨の中で待ち続けるのはかなりツライ・・・。他の二人も「あけぼの」撮影後は引き上げてしまいました。たとえ貴重な「ブルトレ団臨」でもこの天気ではテンションが上がらず、しばらく悩んだ末に私も撤収を決意。この日は日曜日なので翌日に疲れを残さないためにも、ここは予定よりも少し早く帰京する事にしました。
帰りは撮影地近くの停留所からバスを利用します。
撮影地はこの平岡大橋と次の白旗野の間にありますが、
バスの本数は近くに車庫がある平岡大橋の方が多い。
このバスで直接、新青森・青森駅へと出る事ができます。
12.10.28 青森市営バス 平岡大橋
平岡大橋1007-(青森市営バス)-新青森駅南口1016
新青森から東京へ向かう東北新幹線の「はやて」・「はやぶさ」は自由席が無い全車指定席の列車なので、新青森の窓口で指定券の変更をお願いします。候補は10分後の「はやて22号」か、一時間半後の「はやて24号」。さすがに10分では慌ただしいし、お土産も買いたい。そこでちょっと時間はあるけれど11時24分の「はやて24号」を選択。テキトーに時間を潰してからホームへ上がると、ちょうど列車の入線を知らせるアナウンスが流れていました。そこへ滑り込んで来たのは・・・お、E5系!
新青森のホームへ入って来た「はやて24号」はE5系。
12.10.28 東北新幹線 新青森
「はやぶさ」の愛称で有名なE5系。最近は車両の増備によって一部の「はやて」などにも使われるようになったのは知っていましたが、この「はやて24号」が該当列車だったとは・・・てっきりE2系だとばかり思っていた私は、ちょっとビックリです(自分の乗る車両を調べないとは、テツ失格 ^^;)。実はE5系に乗るのはコレが初めて。最初にE5系へ乗る時は最上級の「グランクラス」に・・・と決め込んでいて、あえて今まで「はやぶさ」には乗ろうとしなかったのですが、まさかこんな形でE5系の初乗車になるとは思いませんでした。それだけE5系の勢力が増して、使用列車も増えたと言う事なのでしょうけれど・・・。もちろん今回の私が持っている指定券は「グランクラス」ではなく普通車です。
発車前にはE5系同士の並びも見られました。
もうE5系も珍しい存在ではなくなったのね・・・。
左が私の乗る「はやて24号」で、
右は到着したばかりの「はやぶさ1号」。
12.10.28 東北新幹線 新青森
行きに乗ったE2系に比べて、シートピッチの広いE5系は普通車でもやはり快適。車内も仙台までは適度に空いていて、車窓を眺めながらゆったりと過ごす事ができました(仙台からはほぼ満席に)。次こそはセレブな「グランクラス」に乗りたいものです(笑)。
E5系「はやて」のなかで食べるのは、
新青森で買った「とろサーモン炙り寿司(¥950)」。
脂ののったサーモンのお寿司は日本酒との相性抜群!
・・・ですが、量的にちょっと物足りなかったかな。
☆☆☆・・
銘酒「あおもり」の小ビンは
プラッチックのお猪口を貰い忘れてしまい、
直接ラッパ飲みでいただきました。。。(^^;)
・・・とまあ、最後は冴えない天気での撮影となってしまいましたが、これで秋の青森旅行記は終了です。当初はいつものようにブルートレイン「あけぼの」などを撮影のメインに考えていたのですが、いつの間にか青森のローカル私鉄巡りになってしまいました。そもそも最初の計画段階で組み込まれていたのは南部縦貫の撮影会のみ。しかし「ONE-shot」の#100を迎えて急遽組み込んだ津軽鉄道、そしてその場の判断で予定を変更して撮影した弘南鉄道・大鰐線、結果的にはこの両線の訪問がいちばん印象に残った旅となりました。その最大の理由はなんといっても地元の方の温かい親切、真心に触れられたこと。津軽鉄道で話しかけてくれたアテンダントさん、そして大鰐線沿線のリンゴ畑で働くお婆さん、おじさん、本当にいい想い出をありがとうございました。またいつか、のんびりと訪れたくなる津軽路でした。
新青森1142-(はやて24号)-東京1508
青森2012 その3・・・旧・南部縦貫鉄道「夕暮れ撮影会」撮影記 [鉄道旅行記]
10月末に行った、二泊三日の青森・鉄道旅。前回からの続きです。
弘前で迎えた二日目(10/27・土)は「撮り鉄」がメイン。まずは朝から弘南鉄道・大鰐線に乗って撮影地へ向かい、奥羽本線を走るブルートレイン「あけぼの」やリンゴ畑のなかを行く大鰐線などを撮影。ちょっとした地元の方との交流もあり、まさに「実りある」有意義な時間を過ごす事ができました。その後、奥羽線の石川から青森行きの下り普通列車に乗り、私が次に向かったのは東北新幹線との接続駅である新青森。
石川1116-(奥羽647M)-新青森1211
前日にも乗り換えで降りた
東北新幹線と奥羽線の接続駅、新青森。
ガラス越しにはホームに停車している
E2系新幹線の姿が見えます。
12.12.27 奥羽本線 新青森
津軽線や海峡線、青い森鉄道が接続する青森ならまだしも新青森なんかで下車するとは、もう東北新幹線に乗って東京へ帰ってしてしまうのか? ・・・と、思われるかもしれませんが、そうではありません。実はコレから行く目的地へは列車ではなくバスを利用する事になり、そのバスが新青森駅前から出ているのです。そしてその目的地と言うのが七戸駅。東北新幹線の「七戸十和田」駅ではなく、南部縦貫鉄道の「七戸」駅です。本来、目的地が鉄道の駅ならばその鉄道を利用するべきなのですが、この南部縦貫鉄道はすでに廃線となった過去の路線。もう乗る事は叶わないのです・・・。おそらく私と同世代以上の鉄ならば、この南部縦貫という路線名を聞いて懐かしいと感じ、さらにはパッと「アノ車両」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
南部縦貫鉄道と言えば、そう、この車両・・・。
95.3.12 南部縦貫鉄道 七戸
かつて青森県東部・上北郡にあった南部縦貫鉄道は、東北本線(現・青い森鉄道)の野辺地から内陸部の七戸までを結んでいた全長20.9キロ、非電化・単線のローカル私鉄。1961年(昭和36年)の開業当初は貨物輸送に期待がかかるも、製鉄所の閉鎖や計画倒れ、さらにはトラック輸送への移行などにより貨物は廃止されて経営難に。沿線はもともと住民の少ない地域で旅客輸送は見込めず、並行する国道にはバスが走っている事から、常に廃線が取りざたされていました。それでも南部縦貫が維持されていたのは、東北新幹線青森延長の際に七戸駅が設置される予定があり、新幹線アクセスにわずかな望みを託していたからでした。晩年はローカル線ブームなどで鉄道ファンが注目。とくにこの路線を走っていたのはただのディーゼルカーではなく、車体の小さな「レールバス」であったことから、その貴重な車両をお目当てに全国から多くのファンが集まりました。
野辺地付近を行く「レールバス」ことキハ10形(キハ102)。
95.3.12 南部縦貫鉄道 野辺地
しかし、東北新幹線の青森延伸は方向転換や見直しなどで計画よりも大幅に遅れ、ついに南部縦貫鉄道は力尽きて97年5月に運転休止、そして02年8月には正式に廃止となってしまいました(野辺地~西千曳の「路線借用・返却問題」は歴史や経緯などを書くと長くなるので割愛)。その後、東北新幹線が新青森延伸を果して途中駅の七戸十和田が開業したのは、一昨年(10年)12月。南部縦貫の休止から13年、廃止から8年目の事でした。
そんな南部縦貫鉄道へ私が乗ったのは今から17年前、95年3月の一度きり。しかも乗り潰し目的で野辺地から七戸までの片道を乗っただけです。終点が行き止まりの盲腸線なのに往復ではなく片道だけの乗車だったのは、南部縦貫を七戸まで乗ったあと、バスで十和田観光電鉄の十和田市へ出てしまったため。当時、この南部縦貫から十和田観光へ(またはその逆へ)抜けるのは乗り潰しの定番ルートでした。その十和田観光電鉄も今年の春に廃線となってしまったのは記憶に新しいところ。たった一度の片道乗車のみだった南部縦貫へは廃止前にもう一度くらい訪れたかったところですが、休止が発表された頃にはファンが一気に押し寄せ、休日ともなれば小さなレールバスは大混雑。とても再訪する気にはならなかったのです。でも今思えば、もっと沿線などでの写真を撮っておくべきだったなぁ・・・と後悔しています。結局私が残せたレールバスの写真は駅撮り程度でしたし。
野辺地から七戸までを乗り潰し、
七戸のホームで撮った「レールバス」。
このときの乗客は片手で数えられるほどだったと
記憶しています。
95.3.12 南部縦貫鉄道 七戸
さて閑話休題。私は乗り鉄、撮り鉄の趣味はあるものの、廃線跡巡りはあまりしません。ではなぜ今さら廃線となった南部縦貫鉄道の七戸へ、バスで目指す事になったのか。実は南部縦貫で活躍していたレールバスなどの車両たちは現在、旧・七戸駅構内で動態保存されており、定期的に一般公開や乗車体験(七戸駅構内の走行のみ)が行われているのです。廃線跡でも草むらを掻き分けて歩くようなのは気が進まないけれど、あのレールバスが見られるのならば話は別。しかもこの日は年に一度の「夕暮れ撮影会」で、そもそも今回の青森遠征はこのイベントへの参加が第一の目的で計画したものでした。しかし、旧・七戸駅は現在の七戸十和田駅とは少し離れた場所にあります。ではどうやって行ったらいいのかしらん・・・と、調べたところ、この新青森からのバスが行き方のひとつに記されていたのです。ホントは在りし日の南部縦貫に思いを馳せて、野辺地からのバスを利用しようかとも考えたのですが、バスの本数が少なくて時間的にちょっと難しかった。
新青森から七戸を経由して十和田市へ向かう
十和田観光電鉄バス。
このバスはバイパスの「みちのく有料道路」を通るため、
南部縦貫鉄道の始発駅だった野辺地は通りません。
12.10.27 十和田観光電鉄バス 新青森駅西口
鉄道と違ってバスの場合、なんとなく目的地に着けるのかどうか不安なところがあり、いちおうバスの運転士に「七戸へは行きますか?」と確認してから乗車。ちょうど紅葉が見頃を迎えている十和田湖行きのバス停には新幹線から流れてきた客が行列を作っていますが、こちらの十和田市行きは四、五人ほどの客を乗せて発車。一見して同業者らしき人は一人だけでした。バスは青森市内を抜けてバイパスの「みちのく有料道路」へと入り、新青森から一時間半ほどで七戸へ。
七戸が近づいてくると、
坪や中野、天間林など南部縦貫の駅名にもあった、
懐かしい地名が現れます。
坪は野辺地と七戸のちょうど中間あたりにあった駅。
七戸案内所でバスを降ります。
案内所って何?と思っていましたが、要はバスターミナル。
12.10.27 十和田観光電鉄バス 七戸案内所
新青森駅西口1259-(十和田観光電鉄バス)-七戸案内所1445
七戸のメインバスターミナルである七戸案内所で下車。たぶん17年前はここから十和田市へと向かうバスに乗ったのだと思いますが・・・まったく覚えがありません (-ω-)ゞヴーン…。それとも当時は七戸駅から直接バスが出ていたのかな・・・? ともかく七戸の名が付くバス停には着いたけれど、旧・七戸駅の場所が解らない。でも、先ほどのバスに乗り合わせた方は場所を知っているらしく、迷わずにスタスタ歩いてゆきます。これは心強いとばかりに、私はその後をヘコヘコ付いてゆく事に 。(・ω・。*)))))ヘコヘコ... 。まあ、こんな町で大きな三脚を担いでいるのですから、同業者と見てまず間違いないでしょう。思惑通り10分ほど歩いたところに、旧・七戸駅はありました。
南部縦貫鉄道廃止後も変わらぬ姿で佇む、旧・七戸駅。
現在は南部縦貫株式会社と言うタクシー事業(縦貫タクシー)の
本社として稼働しています。
12.10.27 旧・南部縦貫鉄道 七戸
駅舎内には当時使われていた標識や通票閉塞機
さらには手書きながら当時の時刻表が展示されています。
列車の運転本数は一日五往復でした。
12.10.27 旧・南部縦貫鉄道 七戸
そのコンクリート製の駅舎には確かに見覚えがあり、思わず懐かしさが込み上げてきます。17年前に訪れた時は雪が積もっていて、待合室にはストーブが置かれていたっけ・・・。そんな事を思い出しながら「見学受付」と書かれた駅舎内へ入ります。しかし、とくに何か手続きをする事は無く「そのまま、会場へどうぞ」と言われ、待合室を抜けてかつてのホームへ。そこで待っていたのは、もちろんあのレールバス!
17年ぶりにレールバスとご対面!(≧ω≦。)ジーン…。
見た目は変わらないけれど、左がキハ101で、右がキハ102。
今年は1962年の開業からちょうど50周年で、
両者には新規に制作されたヘッドマークが掲げられていました。
12.10.27 旧・南部縦貫鉄道 七戸
ちゃんとエンジンがかけられ、ライトを点灯させた状態のレールバス。まるで現役さながらの光景です。レールバスことキハ10形は開業当初からキハ101と102の二台体勢で活躍し続け、現在もそのまま二台とも動態保存されています。近年は、非電化ローカル線で広く活躍する小型の軽快気動車を「レールバス・タイプ」と呼び、弊ブログでも最近はひたちなか海浜鉄道の3710形や津軽鉄道の津軽21形などを「レールバス・タイプ」として紹介してきましたが、軽快気動車はあくまでも扉やサッシ、空調設備などの内装にバスとの共通部品が使われているだけで、構造的にはれっきとした鉄道車両(鉄道車両工法)。しかしこの南部縦貫のレールバスは、バスの車体、構造、部品を多用したバス工法で製造された車両で、最大の特徴は機械式変速機を搭載し、まるでマニュアルのクルマのようなクラッチとシフトレバーを操作しながら運転するところにあります。言うなればまさに車輪をはいたバス。だから「レールバス」なのです。ちなみに製造元はバスの製造で定評のあった「富士重工・宇都宮製作所(1962年製)」。保存車ながら現在も動態で残っているレールバスはこの南部縦貫の二両のみで、本当に貴重な存在と言えるでしょう。しかも一台のみならず二台同時に保存ってところが嬉しいですよね。さらに南部縦貫ではこのほかにも国鉄から譲渡された一般型気動車のキハ104(元・国鉄キハ10)や除雪用の小型ディーゼルも同じく動態保存されていますが、この日展示されていたのは二台のレールバスのみ。それでもこのレールバスがお目当てで来たのですから、じゅうぶんです。それではしばし、イベントの様子をご覧ください。
まずは両者の並びを楽しもう・・・と思っていた矢先、
左のキハ101がエンジンを震わせて動き出してしまいました。
あれ?ドコ行くの~?? ε~ε~┌(;´Д`)ノ マ、マッテェェェ
キハ101は機関庫前の側線から、旧・本線へと移動。
本線は七戸駅構内の約260メートルが残されていて、
動態保存の名の通り、運転実演が行われます。
分岐器と連動はしないものの、腕木式信号機も健在
(点灯はします)。
「プワーン」という汽笛ではなく、
「ビーーー」というクラクションのような警笛を鳴らし、
短い距離ながらも、力強い走りを見せるレールバス。
ヘッドマークを換えて、もう一往復。
傾きかけた西日がちょうどレールバスの正面を照らします。
ウーン(´▽`)カコイイ!
キハ101が運転実演を行っているいっぽう、
こちらはアイドリング状態で静かに佇むキハ102。
風になびく排気煙がイイ感じです。
慎重に平衡をとって、キハ102を真横から狙ってみました。
10.3メートルの短い車体、折り戸、バス窓、二軸式の車輪・・・
レールバスの特徴がよく解ります。
ちなみに、このクリームとオレンジのツートンカラーは
南部縦貫開業当初に出資していた
京成電鉄の赤電カラーを参考にしたものらしい。
なかなか面白い経緯ですね。
今度は逆光側から広角で。
こちら側には「鉄道むすめ」のマークが掲げられています。
鉄道むすめって現役路線じゃなくてもいるのね・・・(^^;)。
運転実演を終えたキハ101と
終始展示に徹したキハ102のツーショット。
この後キハ102は機関庫内へしまわれて、
キハ101は日没までホームへ据え付けられます。
対向ホームには大きなモミジの木があります。
ちょっと紅葉のピークには早かったけれど、
レールバスのいい引き立て役になってくれました。
ホームで扉を開き、発車を待つレールバス・・・の図。
前述したように私は下り列車の片道しか乗っていないので、
七戸からレールバスに乗り込む事はありませんでした・・・。
扉が開かれている間は車内が開放されています。
室内は両側にロングシートが並ぶ構造。
広角で撮っているので広いように見えますが、
実際はかなり狭いです。
簡素なレールバスの運転台。
バス構造と言っても鉄道なので当然ハンドルはなく、
手前の縦棒がマスコンレバー(アクセル)で右がブレーキ。
足下のペダルがクラッチです。
右脇にあるはずのシフトレバーは取り外されていました。
あれって着脱可能だったのですね。。。
日没直前にはヘッドマークが外されて、ノーマルな状態に。
夕日で赤く染まったレールバスが美しい・・・。
乗車体験こそ無かったものの、運転実演やヘッドマークを差し替えての撮影会、車内見学など、レールバスの魅力が存分に味わえるイベント内容。ファンの数も思っていたほど多くなく終始まったり状態だったし、何よりもこの日は本当にいいお天気に恵まれて最高の状態でレールバスを撮ることができました。もうこれだけでも大満足でオナカいっぱいなのですが、「夕暮れ撮影会」のお楽しみはまさにこれから。やがてレールバスを照らし続けていた太陽は、西の彼方へと沈んでゆきました。
日が沈み、あたりが薄暗くなると、
空にはハッキリとお月様の姿が見えるようになりました。
この日は旧暦の9月13日で、ちょうど十三夜です。
お月見というと旧暦8月15日の十五夜が有名ですが、
日本では古来から十三夜の月も美しいといわれ、
地域によっては十三夜にお月見やお祭りを
するところもあるのだそうです。
ブルートーンに包まれた七戸駅構内。
駅名板が照明によってライトアップされました。
なかなか心憎い演出です。
でも、ちょっとレールバスのヘッドライトが強いかな・・・。
今度はテールランプに切換え。
ホームに佇むレールバスには、コッチの方がイイ感じです。
まわりには何人ものファンが集まっていますが、
みなさん黙々と撮影に集中していて、
耳に入ってくるのはカメラのシャッター音と
レールバスのアイドル音、そして虫の鳴き声だけ。
せっかくの十三夜、
やっぱり名月を入れなきゃもったいない。
でもちょっと月が明るすぎたので、
雲がなびいてきたところでシャッターを切ってみました。
イイ感じになったかな?
レールバスは再びヘッドライトを点灯。
車内もホームを照らす電灯も暖かみのある白熱灯で、
とてもいい雰囲気を醸し出しています。
気がつけば、あたりはすっかり真っ暗になり、
闇に浮かび上がるレールバスとモミジの木。
紅葉には少し早いと感じていましたが、
こうやってみると緑から赤への移り際も
なかなか美しいものがあります。
10月終わりの青森、日没後はグッと冷え込んできます。それでも集まった人たちはほとんど帰ることなく、真っ暗になるまで思い思いのアングルで撮影を楽しんでいました。南部縦貫鉄道がその歩みを止めた運転休止から13年もの長い歳月が流れたにもかかわらず、今を持って美しい姿を保ち続けるレールバス。これもひとえに現・南部縦貫株式会社と南部縦貫レールバス愛好会の愛着とご尽力に他なりません。もうレールバスが本線上を走る姿は見られませんが、いつまでもこのようなイベントが開かれ、南部縦貫鉄道の存在を後世に語り継いでいって欲しいものです。
イベントへの参加は無料ですが、
やはりここはグッズ等の購入で
少しでもレールバスの保存・維持に貢献したいところ。
駅舎内で販売されていたオリジナルグッズの中で、
私が気に入ったのはこのシブい、社名入りのトートバック。
今では仕事で資料の持ち運びに重宝しています。
その他、硬券入場券なども購入してきました。
さて、イベントは午後6時半まで行われていますが、私はちょっと早めに撤収。というのも、十和田観光電鉄バスの青森行きは七戸案内所発18時18分が最終で、コレに乗り遅れるわけには行きません。駅舎内でグッズの販売をされていた愛好会の方々にご挨拶して駅舎の外へ。17年前にこの駅舎を出た時は、きっともう二度と来ることはないだろうと思っていたはず。しかし今回は、絶対にまた再訪しようと心に誓い、七戸駅を後にするのでした。
七戸案内所1818-(十和田観光電鉄バス)-青森駅1934
行きと同様にバイパス経由で、青森駅までは一時間半。
この日は青森に一泊します。
12.10.27 奥羽本線 青森
今宵は青森の地酒「田酒」をいただきます。
突き出しは和布蕪と、今年初物だというナマコ(左)。
体が冷えていたので温かいものが食べたいというと、
大将はカレイの一夜干しを焼いてくれました。
・・・もうちょっとだけ、続きます。
青森2012 その2・・・弘南鉄道 撮影記 [鉄道旅行記]
10月末に行った、青森の鉄道旅。前回からの続きです。
二泊三日の初日は、長年ずっと未乗車のまま残していた津軽鉄道を終点の津軽中里まで乗車。これで日本の鉄道は、鋼索線(ケーブルカー)を除く全線の完全乗車を果たすことができ、その晩は宿泊地となる弘前で一人ささやかに祝杯を挙げたのでした。そして迎えた翌二日目、この日も朝から行動開始です。
10月27日(土)
まず向かうのは、弘南鉄道・大鰐線の中央弘前駅。私が泊まったホテルはJR弘前駅のまん前にあり、そこからこの中央弘前駅へは徒歩15~20分ほど。朝からなかなかいい運動になります。
前夜は若い大将に勧められるがままに津軽の地酒をけっこう飲んだハズ(うろおぼえ・・・?)で、朝まで体に酒が残っているようならばタクシー移動なんて言うことも考えていたのですが、全然大丈夫。いい酒は二日酔いにならない(なりにくい)と言うけれど、これは本当のことですね。
JR弘前駅よりも弘前の繁華街に程近い中央弘前駅。早朝でまだシャッターの開いていないメインストリート(土手町通り)を抜けて、一本裏手へと入ると、こんなところに駅があるのかと思うようなところに、それはひっそりと佇んでいました。
路地裏にあって、思わず見逃してしまいそうな、
弘南鉄道・大鰐線のターミナル、中央弘前駅。
駅を出て右手、写真の左側に見えるのは、
1920年(大正9年)に建てられたゴシック様式の
「弘前昇天教会」で県指定文化財。
ただし、今(10/27)は修復作業中でした。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 中央弘前
ホームは市内を流れる土淵川沿いにあります。
ちょうど大鰐からの折り返し列車が到着したところ。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 中央弘前
弘南鉄道は、弘前を中心にして東へ伸びる弘南線(弘前~黒石)と南へ伸びる大鰐線(大鰐~中央弘前)の二路線を持つローカル私鉄(最近、この「ローカル私鉄紹介」から始まるネタが多いなぁ・・・^^;)。両線とも単線ながら直流電化されており、今はどちらも元・東急7000系(弘南でも形式は7000系)が主力車両として活躍しています。ちょっと面白いのはそのターミナル駅で、弘南線はJR駅に併設された弘前が、そして大鰐線のほうはこの中央弘前が始発(終着)駅となっており、同じ弘前市内を発着とするも、この両線はお互いに線路が繋がっていません。そして中央弘前まで歩いてきたことでお解りのように、今回乗車するのは大鰐線のほう。大鰐線はここ中央弘前から温泉で有名な大鰐までを結ぶ、全長13.9キロの路線(起点は大鰐)。この区間にはJRの奥羽本線も並行していて(大鰐温泉~弘前)、いわば競合区間。でもその性質から、競合というよりはJRの止まらないような小さな集落を大鰐線が保管しているような形で、弘前~大鰐の間をJRが二駅(11.8キロ)に対して、大鰐線のほうは実に13もの駅があります(共に弘前・中央弘前を除く)。そんな大鰐線が今回のターゲット・・・ではなく、実はこの日いちばんの狙いは他にあり、その撮影地へ向かうのに適していたのが大鰐線だったのです。なので今回のタイトルも、はじめは違うものを考えていました。
弘南鉄道の現主力は元・東急の7000系。
最近は本家の東急池上・多摩川線で登場当時に復刻した
7700系「クラシックスタイル」が話題となっていますが、
この弘南7000系は走行機器の更新(VVVF化)や冷房化が行われておらず、
前面にカラー帯が入っているものの、ひょっとしたらコチラの方が
「クラシック」よりも原形度合いが高いかもしれません。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 中央弘前
中央弘前を発車してから、しばらくは弘前の市街地を走る大鰐線の列車。弘高下(弘前高校下の意味)、弘前学院大前、聖愛中高前、義塾高校前と、駅名を見ても解るように沿線にいくつもの学校がある大鰐線の車内は、土曜にもかかわらず多くの学生でごった返しています。その学生の半分くらいが降りて車内が少し落ち着くころ、市街地を抜けた列車の車窓にはリンゴ畑が広がるようになってきました。前日に乗った五能線の沿線でもそうでしたが、今の津軽地方はちょうどリンゴの収穫期で、たくさんの赤い実をつけた木々が車窓に流れてゆきます。さらにその向こうには岩木山の雄大な姿が・・・これぞまさに津軽の景色だなぁ~(´▽`)(ぼ~っと眺めていて、車窓の写真を撮り忘れちゃったケド)。列車はリンゴ畑の中を突き進むように走り、並行する奥羽線をオーバークロスすると、まもなく下車駅の石川。
途中、津軽大沢の車庫で見かけたのは、
元・東急6000系(゚∀゚)!!(左の二本)
現在この6000系は予備車扱いで定期運用はほとんど入らないそうですが、
イベントなどで走行する機会があるのだとか。
帯が外されて東急時代を髣髴とさせる懐かしい姿が復元された6000系。
一度は走っているところを見てみたいものです。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 津軽大沢(車窓から)
中央弘前0730-(大鰐線6列車)-石川0751
大鰐線の石川駅。
並行する奥羽線にも近くに同駅名がありますが、
両駅間は少し離れていて、乗換駅ではありません
(JRの石川へは大鰐線の義塾高校前の方が近い)。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 石川
駅に掲げられている、
弘南名物(?)の、ちょっと怖い注意看板。
ゾッとするけれど、インパクトはじゅうぶん・・・
((゚Д゚;)))ブルブル。
石川駅の前からは岩木山がきれいに拝めました。
う~ん、今日も快晴!
大鰐線を降り、石川駅から10分ほど歩いてやってきたのは、小高い丘の上にある「大仏公園」。大仏公園といっても園内に大仏があるわけではないみたいですが(公園の近くに大仏院はあるけれど、大仏が公開されているのかは不明)、ここの見晴台は奥羽線の線路が俯瞰で一望できる有名な「お立ち台」ポイント。残念ながら望めるのは南側の景色のみで、きれいに見えていた岩木山を絡めて撮ることはできませんが、近年では貴重となったブルートレイン(寝台特急)の「あけぼの」、「日本海(現在は臨時列車)」の撮影地として注目度が高まっている場所です。かくいう私もここを訪れた狙いは「あけぼの」の撮影。やはり北東北へ来たのなら、この列車の撮影は欠かせません。公園内の丘を上りきった先がお立ち台で、そこには一名の先客がいらっしゃいました。挨拶を交わすと、「やっぱり485系狙いですか?」という思いがけない一言。え?ヨンパゴ??('.')ハテ? その同業者さんによると、この日は直江津から弘前まで新潟の485系による団体臨時列車が設定されていて、まもなく通過するとのこと。恥ずかしながら私はまったくノーマークだったのですが、鉄道雑誌(DJ誌)にもちゃんと記載されており、しかもその編成は「国鉄色」と記されています エエッ!(゚∀゚ )マジ!? まさかここで国鉄色485系が撮れるとは、これぞまさに「棚からぼた餅」(・・・というより、いかにチェックが甘いかということか)。ところが、現れたのは・・・
色づき始めた里山の木々を背景に走り行くのは、
爽やかな色の485系3000番台・・・。
12.10.27 奥羽本線 大鰐温泉-石川
あれ? たしかに485系だけれども・・・国鉄色ではなく北越色(上沼垂色)の3000番台(R編成)でした。思わず無言のまま同業者さんと顔を見合わせてしまいます (・ω・ )…。残念ながら、どうも編成の変更があったみたい。まあ、元々ノーマークだったので3000番台でも撮れただけラッキーだと思うべきなのですが、ちょっと肩透かしを食らった気分です・・・ε=(‐ω‐;)。それにしても気になるのは、列車の足回り。ススキの群生でほとんど隠れちゃっています。この撮影地に着いて最初にやってきた列車がこの485系だったこともあって、とりあえず撮ってみましたが、やはり思っていたよりもかなりススキがウルサイ。秋の風物詩とはいえ、何とかならないかなぁ・・・。
続いては、石川(JR駅)で485系と交換してきた
臨時快速「森吉山麓紅葉号」
弘前~角館を秋田内陸縦貫鉄道経由で走るこの列車には、
同鉄道のAN8900形「もりよし」が使用されています。
12.10.27 奥羽本線 大鰐温泉-石川(後追い)
逆方向からすぐにやってくる「森吉山麓紅葉号」まで撮って(コレもノーマークで同業者さんに教えてもらっちった^^;)、アングルを変更。このお立ち台はもう少し上まで上がることができます。高さを稼げば足回りがスッキリ抜けるかも。
山(公園)のてっぺん付近から撮るとこんな感じ。
たしかにてっぺん付近まで上がると、なんとかススキをかわせるようにはなりますが、先ほどよりも角度が正面気味になってしまいました。まっすぐ伸びる線路が見渡せるのはなかなか豪快だけれども、なるべくならブルートレインはサイドからの編成美を見せたいもの・・・。でも低めのサイドからはススキがウザイ・・・悩んだ挙句、ここははじめに撮った場所とてっぺんの中間に位置する、いわば「中段」で落ち着くこととしました。どっちつかずの真ん中は、時に両方の欠点を拾ってしまうこともありますが、果たしてどうなるか・・・。列車の本数が少なくて試し撮りができないまま、やがて赤い機関車に牽かれたブルートレインの姿が見えてきました。
東京・上野から一晩かけて走り続けた「あけぼの」を
津軽ののどかな景色が出迎えます。
「ふるさと行きのブルートレイン」、
願わくば、いつまでも走り続けてほしいものです・・・。
12.10.27 奥羽本線 大鰐温泉-石川
なるべく手前まで引き付け、機関車のフィルターがキラッと反射したところを撮影。ああ、やっぱり編成の長いブルートレインは俯瞰から撮ると絵になりますね~.。゜+.(´▽`)。+.゜。結局、足回りのススキはウマくかわせなかったけれど、この雄大な撮影地で「あけぼの」を撮ることができたので、じゅうぶんに満足のいく結果になりました。
さて、このあと当初の予定では、ひょっとしたら貨物列車の一本くらいやってくるかもしれないと、しばらくこの大仏公園での奥羽線撮影を続けるつもりでした。しかし貨物オンチで通過時刻などまったく解らない私にとっては、アテのない貨物などまさに雲をつかむようなもの(いちおう調べたら10時半頃に下りが一本あるらしいのだけれど)。それよりも、もっと撮りたいと思わせる列車・・・というより、情景が先ほど目に留まりました。それは行きに石川まで乗ってきた弘南鉄道・大鰐線の車窓から見えたリンゴ畑。ちょうど収穫期で赤い実をつけたリンゴを撮れるのは今の時期だけで、まさに津軽の秋の風物詩。せっかくこのタイミングで津軽にいるのならば、リンゴ畑のなかを行く大鰐線の写真が撮りたい。そしてできればその背景に名峰・岩木山なども入ったら最高・・・などと思ったのです。そこで予定を変更。貨物を待たずに大仏公園を後にして、大鰐線沿いを歩いてみることに。
リンゴ畑へ着く前に、大鰐線の列車が走ってきてしまいました。
とりあえず岩木山バック・・・のつもりで撮ってはみたものの、
思ったよりも車体で山が隠れちゃった・・・(^^;)
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 石川-石川プール前(後追い)
道沿いにはリンゴ畑が広がります。赤い実がいっぱ~い!
こんな景色の中を歩くと、ちょっと幸せな気分になるのは何でだろう。
石川から弘前方向へ進むと、すぐに車窓から見えていた広いリンゴ畑へ出ることができました。その向こうには岩木山の姿も見えます。ここはまさに理想の場所・・・かと思いきや、実際にリンゴ畑へと近づくと、その木の高さによって線路も岩木山も見えなくなってしまいました。畑から離れれば岩木山も線路も見えるけど、リンゴの木は小さくなって赤い実が目立たない。さらに、畑の脇にある踏切からはリンゴと列車のコラボは撮れるけれど岩木山は入らない。線路にかぶりついた正面気味からだと列車の背景に岩木山は入るけれど、今度はリンゴが入らない・・・など、どこも一長一短。う~む、悩ましい・・・(´~`;)。いろいろ模索するも、アングルがウマくまとまらず、そうこうしているうちに列車の通過時刻が近づいてきてしまいました。日中の大鰐線は上下一時間に一本ずつ。決して本数は多くなく、時間に限りもあることから、一本でも無駄にはできません。ここはもう自分なりにひとつの結論を出しました。リンゴ、岩木山、列車の三種をムリに入れようと欲張るから、画がまとまらないのだ。鉄道写真である以上、列車はハズせないにしても、あとはリンゴか岩木山のどちらかを選んだ方がいいのではないか・・・と。妥協ともいえる見解ですが、まず一本目はこんなアングルで撮ってみました。
津軽のシンボル・岩木山に見守られて走る、大鰐線の7000系。
7000系にはこの赤帯と、朝に乗った青帯があるようです。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 義塾高校前-石川
青空広がる快晴のもとキレイな光線に恵まれて、岩木山がクッキリ、ステンレスの7000系はギラリ。リンゴは入らなかったけれど、これはこれでいい感じにまとまりました。ちなみに左下に見える濃い緑の木々はリンゴ。でもこの辺はもう収穫が終わっちゃったのか、実はほとんどありませんでした。ここに実がなっていれば「三点セット」が撮れたのに・・・でもリンゴが目立たないか。
とりあえず一本目は岩木山バックだったので、続いて逆方向から来る二本目はリンゴの木と絡めてみたいと思います。でも花と違って下にぶら下がる木の実を撮るって、案外難しいものなんですよね。畑の中から撮れば良さそうだけど、無断で入ることはできないし・・・。どこかいい場所はないものかと農道をふらふらしていると、ちょうど収穫作業をされていたお婆さんと目が合い、「あんだ~、どっがらぎたの(どこから来たの)?」と声をかけられました。そこで「東京から写真を撮りに」と応えると、さらに「東京から!?そ~れはまた、θ%ΛR★%$#&E$”・・・だわ~」との返し。・・・うぐっ、なまりが強くて途中から何を話しているのかサッパリ解らなくなってきてしまいました(・。・;)。方言の中でもとくにこの津軽地方のお年寄りが話す津軽弁はなまりが強いようです。とりあえず「う、うん・・・」と曖昧な相槌を打つも、話す内容の半分も理解できません。しかも列車の通過時刻が迫ってきているのに一向に話がやまない(なぜかマゴの話に・・・)。いや、でも待てよ、この出会いは千載一遇のチャンスかも。そこでためしに「リンゴ畑の中で写真を撮ってもいい?」と婆ちゃんにきいてみました。すると「いいよ、いいよ」との嬉しいお言葉。畑の中に入れるのならばアングルに幅が広がります。でもあまり場所を選んでいる余裕はなく(ハナシ長いんだもん・・・(´∀`;))、踏切はすぐに鳴り出しました。とにかくここは列車よりもリンゴを主にして、カメラを構えることに。
リンゴを大きく入れて、踏切を行く列車をサイドから。
丹精こめて作られた真っ赤なリンゴの実が、
秋の大鰐線沿線を彩ります。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 石川-義塾高校前
やっぱり脇の沿道からとは全く違う目線で見ることができ、リンゴ畑の中を行く大鰐線らしい一枚が撮れました~\(*^▽^*)/。ホント、協力してくれた婆ちゃんには感謝です。撮影後、その婆ちゃんにお礼を言って立ち去ろうとすると、「リンゴ食べるか?二~三個持ってきな。」と言って、何と大きなリンゴを差し出してくれるではありませんか!
獲れたてのリンゴをもらっちゃいました~!!
畑の中で撮影をさせてもらったのに、さらにリンゴまでもらっちゃって・・・あつかましいけれど、これは嬉しくて大感激・゚+。*・。゚(゚´∀`゚)゚。・*。+゚。。とくにこの日は朝食を食べ損なっていたので、オナカが空いていたんですよね~。さっそく袖口できゅきゅっと拭き、その場でカプリと丸かじり。う~ん甘い!みずみずしい!シソーノーローじゃなくてよかった・・・(^皿^)。
時間的には上下もう一本ずつの列車が撮影できそうなので、婆ちゃんに再度お礼を言ってから、さらに少し先へと進みます。先ほどのリンゴ畑もいいアングルでしたが、欲を言えばもう少し列車が大きく入るところを探したい。ひょっとしたらこの先にリンゴ、岩木山、列車の三点が入るところがあるかもしれないし・・・。こういう撮影地探しは、案外楽しいもの。
歩き続けていると、
やがてリンゴ畑の中にぽつんと佇む
義塾高校前駅が見えてきました。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 義塾高校前
しかし石川から義塾高校前までの一駅間を歩いてきたものの、やはり「三点セット」をまとめるのは難しく、唯一みつけた三点が入る場所は、ちょうど線路が建物の影(朝なら撮れたかも)。ここでも岩木山かリンゴ畑のどちらかといった場所しか探せないうちに、次の列車が通過する時刻が近づいてきます。結局、今回も「三点セット」は諦めて、まずは先ほど同様に岩木山アングルから撮影。
岩木山をバックに築堤を行く赤帯の7000系。
日が高くなるにつれて少し霞んできましたが、
それでも均整の取れた美しい山容を見せてくれました。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 津軽大沢-義塾高校前(後追い)
順光で捕らえた岩木山と7000系。これも弘南鉄道らしい画になりましたが、オーソドックスでちょっとまとまりすぎる感じがしないでもありません。余裕があればもう少し工夫したかったところかな・・・。ちなみにカメラを構えて列車を待っていたら、今度はお爺さんが話しかけてきて、「ここから見る岩木山はキレイだけれど、電車(の架線や架線柱)が邪魔なんだよね(みたいな話を津軽弁で)」と言っておられました。でも私の場合、画の中にその電車がないと困っちゃうわけでして・・・(^^;)。それにしてもこの辺の方は本当によく声をかけてくださって、いい意味での人懐っこさを感じます。学生さんなども目が合うと必ず挨拶してくれるし。
さて、次はリンゴアングル。先ほどのこともあり、やはり沿道からよりも畑の中から撮りたいところ。そこで今度はこちらから、収穫作業されているおじさんに声をかけてみました。すると快く畑での撮影OKの返事。ここの畑は線路のすぐそばまで実のなった木がたくさんあり、迫力あるいい画が撮れそう。今度は慎重にアングルを決めて列車の通過に備えます。
たわわに実ったリンゴをかすめて走る青帯の7000系。
リンゴの収穫を終えると、津軽はまもなく厳しい冬の到来です。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 津軽大沢-義塾高校前
リンゴ畑を行く7000系。ここでは列車を正面気味に置くことができ、まさに狙い通りの写真が撮れました~ヾ(≧∇≦*)〃。同じ地区で栽培されているリンゴでも、先ほどの畑のものよりこちらの方がちょっと淡い色をしています。でも収穫を進めているところをみると、まだ熟れていないわけでは無さそう。品種が違うのかな・・・?リンゴも注意深く見るとなかなか面白いものです。そしてここでも帰り際におじさんからリンゴをいただいちゃいました! もう、カメラバックの中がリンゴだらけです(笑)。みなさん、本当に親切にしてもらってありがとうございました。初日の津軽鉄道に続き、またも人の温かさに触れた弘南鉄道の撮影。本来、二日目の午前中は「あけぼの」撮影をメインに考えていたのに、終わってみれば大鰐線のほうがずっと楽しくて、深く印象に残りました。なので今回のタイトルは「あけぼの 撮影記」ではなく「大鰐線 撮影記」となったのです。
さて、この日の午後は別路線で撮影する予定なので、名残惜しいけれど午前中で大鰐線撮影を切り上げます。最後に訪れた撮影地(リンゴ畑)は義塾高校前が最寄り駅なのですが、私は大鰐線を離れてJRの石川へ。ここから奥羽線に乗って移動します。
大鰐温泉と弘前のあいだにある奥羽線の中間駅、石川。
先に述べたように大鰐線の石川とは離れています。
12.10.27 奥羽本線 石川
石川から701系の普通列車に乗り込みます。
次に向かうのは・・・?
12.10.27 奥羽本線 石川
・・・続きます。