信越本線・・・「SL・DL碓氷」撮影記 [鉄道写真撮影記]
今シーズンはまだ雪と鉄道を絡めた撮影をしていない。私は、引退する列車や国鉄形車両を追う傍ら、できれば四季折々の情景を一枚でも記録したいと考えています。先週月曜日には首都圏でも久しぶりにまとまった雪となりましたが、平日では思うような撮影はできず、かといって週末まで積雪が残っているわけありません。やはり前回の「ONE-shot」でも書いたように、ここは雪の多い地方へと足を運んで撮影したいところ。しかし今は時間的にも経済的にも東北や北陸へ泊まりがけの遠征に出かけられるほどの余裕は無い・・・。そこで今回は雪国としては比較的近場の上越線で、毎年恒例のスキー客を対象とした臨時列車「シーハイル上越号(大宮~石打)」を狙ってみたいと思います。雪深い上越国境で国鉄特急形183系を撮ることができる貴重なこの列車、私が撮影に向かうのは昨シーズンに続き二度目となります。
1月28日(土)
東京から「たにがわ401号」に乗って出発。
東北新幹線からは撤退してしまった200系ですが、
上越新幹線ではまだ元気に活躍しています。
東北新幹線 東京
シーズンまっただ中とだけあって、多くのスキー客を乗せたガーラ湯沢行きの「たにがわ401号」は定刻に東京を発車。昨シーズンの時も書いたように、ウチからだと朝7時に大宮を発車する「シーハイル」を上越線沿線で撮影するには、新幹線を使わないと間に合いません。今回私が目指すのは、新潟県側の越後湯沢ではなく群馬県側の上毛高原。そこから水上行きのバスに乗り継いで、渓谷の諏訪峡あたりで「シーハイル」を狙おうという考えです。水上では上越国境を越えた新潟県側ほど雪深くはないと思いますが、それでもここ数日の水上の天気は雪だったので、きっときれいに雪化粧した渓谷美が見られることでしょう。ところでこの日、北陸や東北の日本海側では大雪警報が出されており、夜行列車の「あけぼの」や「日本海」、「能登」などはすべてウヤ(運休)。テレビの映像などを見ても青森や秋田の積雪量はハンパ無く、これではウヤも止む無しか・・・などと思っていました。それでも、首都圏から越後湯沢(石打)へ向かう「シーハイル」は関係ないだろう。むしろ「スキー臨」が雪でウヤなんてことがあったら、お笑いぐさだ・・・なーんて、軽く考えていたのですが、停車中の大宮駅で電光掲示板に流れたテロップには・・・「本日(28日)発の快速「シーハイル上越号」は、上越線内での除雪作業の影響で、上下列車が全区間で運休となります」・・・と。
JR東日本の公式HPでも情報が・・・。
Σ(゚Д゚;)ハゥッ!!
・・・ま、まさかの「シーハイル」ウヤ・・・orz...
どうやら上越国境も私なんかが思っていた以上の大雪で、上越線・水上以北の除雪作業が追っ付かないらしい。せっかくいい雪に恵まれたのに列車がウヤとは、「シーハイル」を使う予定でいたスキーヤーはガッカリですね・・・って、スキーヤーの心配をしている場合ではありません。ど、ど、ど、どうしよう・・・アワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ これが出発前に解っていれば日を改めて出直すことができたものの、もう新幹線に乗ってしまって大宮を出た以上、後戻りできない。かといって、本命の「シーハイル」がウヤとなっては上毛高原まで行く理由がありません。いっそのこと長岡まで行って特急「北越」でも狙うか・・・? いや、信越・北陸線を通る「北越」だって正常に動いているとは思えない・・・。となると、あとは手前の高崎で降りてしまうか。高崎なら上越線の他に信越線、両毛線、八高線、そして上信電鉄などの選択肢がある・・・。もう雪景色の撮影は望めないけれど、致し方ありません。
東京0632-(たにがわ401号)-高崎0734
高崎で下車して在来線ホームへ。
停車しているのは信越線107系と両毛線115系。
信越本線 高崎
駅構内に鎮座していたのは真っ黒な「しろくいちダルマ」・・・。
行き先も定まらず、ふらふらと高崎駅の構内を彷徨っていると、目に留まったのはひとつの真っ黒い「ダルマ」。高崎のダルマは全国シェア80%を誇る特産品で、色が真っ黒なのは同じく高崎に所属している蒸気機関車「C61 20」をモチーフにしているからです(なので「しろくいち=C61 ダルマ」)。蒸気機関車・・・そういえば、たしかこの日は信越線でSLの運転があったハズ。すぐに高崎駅の時刻表を調べてみると、確かにデゴイチ(D51 498)が牽引する「SL碓氷(高崎~横川)」の運転日でした。よし!この日のターゲットはこれに決まり!・・・ということで、ここからはタイトル変更。「シーハイル」を期待していた方、ゴメンナサイ m(_ _)m。タイトル写真は昨年の写真を使ったフェイクです・・・(^^;)。では、改めまして・・・
さっそく「SL碓氷」の撮影地へ向かうため、乗り込んだのは信越線の横川行き。先月の長野遠征で10年ぶりに乗った信越線の盲腸区間(高崎~横川)へ、まさかひと月も経たないうちに、また乗ることになろうとは思ってもみませんでした。その先月の乗車時にも書いていますが、ここは長野新幹線開業で分断された信越線の南側に残された短区間で、SLの機関区がある高崎に近いことから「SL碓氷」のようなイベント列車が頻繁に運転されているのです。ところでSLと言えば、このブログは鉄道ブログと謳っておきながらSLの登場回数がとても少ない。過去のブログを振り返ってみても、乗り換えの合間に見かけた真岡のC12や、別列車狙いでたまたま撮れた秩父のC58をコラム的に紹介した程度。ブログを始めてから本命でSLを撮りに行くってことがなかったのですね。もちろん鉄ですから、SLがキライってワケではありません。でも、私が鉄道にハマったきっかけはSL全盛期よりも後の電車特急やブルトレ・ブームの頃。SLよりも485系や583系の国鉄特急形や「あけぼの」「北斗星」などのブルトレの方に憧れを感じてしまい、いつの間にか撮影に行くならSLよりも電車特急やブルトレ・・・となっていました。これでも昔は山口線や上越線へSL狙いで出撃したこともあったのですが、最近はめっきりご無沙汰で、昨年復活したC61はまだしも、磐越西線のC57ですら見たことがありません。今回は突発的な予定変更とはいえ、本当に久しぶりのSL撮影。いつもと違うグラウンドに立つような気分で、ちょっとドキドキ・ワクワクしてきました。撮影地の目星をつけ、下車したのは安中。
高崎0759-(信越125M)-安中0812
高崎から乗った四両編成の107系は学生さんで一杯でした。
ちょうど通学時間帯の電車だったのですね。
信越本線 安中
あまり信越線の撮影地など知らない私ですが、安中にはお立ち台ともいうべき有名な鉄橋を俯瞰する撮影地があります。はじめはそこを目指すつもりだったのですが・・・まてよ、あそこは安中駅の手前にあるポイント。安中に停車する「SL碓氷」は減速して、あまり煙をはかないんじゃなかろうか・・・との不安が頭をよぎりました。ここがフツーの電車とSL撮影の大きな違いで、SLの場合は煙のはき具合が重要なのです。やっぱり煙をもうもうとはいて走る力強い写真が撮りたい。そこで、安中よりも先にあるポイントを探すことにしました。そうすれば安中を出発する際に力行するSLは煙を多くはくはず・・・(ちなみに最近では、ファンが集まるお立ち台などはサービスで煙をはいてくれるらしいので、鉄橋ポイントでも煙が期待できるのだとか)。線路沿いを下り方向へ20分ほど進むと広い田園地帯に出ることができ、そこにはすでに何人かの先客がスタンバイしていました。挨拶をして私もそこへ加わります。
まずは107系の普通列車で試し撮り。
107系は165系の廃車から発生した主電動機や台車などを
再利用したちょっと変わり種車両。
信越本線 安中-磯部
本当は線路際ギリギリまで寄って、広角で仰ぎ見るような迫力あるアングルで狙ってみたかったのですが、同業者が大勢いるのにひとりだけそんなイレギュラーなアングルで構えることなどできません。ここはこのフレームのすぐ左に信号ボックスが設置されていて、意外と自由度が効かない撮影地なので、オーソドックスですがキッチリとした編成写真アングルに決めます。それにしても上州の空っ風が容赦なく吹き付けて、とても寒い。そしてこの風もSL撮影には大敵。強い風が吹くと煙がきれいに上がらず、変な方向へ舞ってしまいます。さらに不安要素がもうひとつ・・・それはいつものことながら、上空を流れる雲。強い風で晴れたり曇ったりを繰り返していて露出が安定しません。そんな状況のなか、やがて遠~くに見えてきたSLの煙。ちょうどその時は雲が取れて日が差しています・・・ああ、この状態で来て欲しい。しかしSLって煙が見えてもなかなか姿を現さないもの。安中を発車する大きな汽笛が聞こえた頃には再び雲がかかってしまいました・・・うう、この状態では来て欲しくない。取れそうで取れない意地悪な雲にやきもきしているところへ、ついにデゴイチの姿が見えてきてしまいました。雲は流れて取れかかっていますがまだ完全ではなく、このままではマンダーラ(まだら)になる・・・。
デゴイチの姿が見えたとき、線路上はまさにマンダーラ状態。
しかし・・・
雲が取れて影が抜けた!
きれいな日差しを浴びたデゴイチが豪快な煙をはいて
駆け抜けてゆきます。
しんがりを務めるのはDD51 842。
SLとDLの豪華な競演です。
信越本線 磯部-安中(後追い)
ギリギリ雲が抜けてくれました~\(^O^)/ ゆっくり走ってきたSLだったからこそ事なきを得ましたが、おそらくフツーの列車だったらアウトだったのではないかと思われます。強い風に流されて、やや煙が右になびいてしまいましたが、自分的にはこのくらいでもじゅうぶんに満足。久しぶりに見た生きているデゴイチ。やはりその勇姿は電車には無い重厚感があり、素直にカッコイイと思いました。今度はもっと正面気味などから迫力ある画を狙ってみたいですね。
SLの撮影を終えて、安中駅へと戻ってきました。
群馬県南西部に位置する安中市の中心駅ですが、
駅から市街地へは2キロほど離れています。
信越本線 安中
鉄にとって安中といえば、
思い浮かぶのはやはり「安中貨物」。
安中駅の南側には東邦亜鉛の製錬所があり、
福島県いわき市からほぼ毎日、常磐線・高崎線を経由して
亜鉛焼鉱・亜鉛精鉱の貨物輸送が行われています。
安中の構内にはその安中貨物で使用される
亜鉛焼鉱用のタキ15600(左)と亜鉛精鉱用のトキ25000が
留置されていました。
信越本線 安中
東邦亜鉛専用線のDB301が倉の外で整備中。
この小さなスイッチャーがタキやトキを牽く姿を見てみたいものです。
後ろにそびえるのが亜鉛の製錬所。
子供の頃、信越線の車窓から眺めたこの製錬所の物々しさは、
まるで「悪の要塞」に見えたものです(笑)
今では「工場萌え」として人気が出ているとか・・・。
信越本線 安中
そんな「悪の要塞」のイメージがある安中駅(私だけ?)ですが、
実際は近くに学校があるらしく、
多くの女子高生が利用する華やかな駅だったりします。
信越本線 安中
安中から再び下り列車へ乗り、現在の信越線・盲腸区間の終端である横川へ向かいます。次に狙うのは今の「SL碓氷」の折り返しとなる「DL碓氷」。基本的にSL列車の場合、終点ではSLの向きを反転させる転車台が必要なのですが、この信越線の終点・横川には転車台設備がありません。そこで折り返しの上り列車は、先ほどお尻に付いていた赤いDD51ディーゼル機関車が先頭となります。なので「SL=Steam Locomotive」ではなく「DL=Diesel Locomotive」の「DL碓氷」というわけ。もちろん今の安中でも「DL碓氷」の撮影はできるのですが、通過まで三時間以上もあるので、列車が停留されている横川まで行ってみることに。
安中1234-(135M)-横川1255
115系の普通列車で横川へ着いてみると、
反対のホームには折り返しを待つデゴイチが停留中。
下り列車での任務を終え、しばしのお休みです。
信越本線 横川
上り列車の先頭に立つのは「デゴイチ」ならぬ「デデゴイチ」。
デゴイチの方に注目が集まりがちですが、
こちらも「ただのディーゼル機」ではありません。
実はこの842号機は数あるDD51の中でも、
ひときわ美しく整備された「お召し専用機」なのです。
ステンレス製の手すりや煙突カバー、ランボードの淵まわりなど、
各所が銀色に輝いているのが特徴。
信越本線 横川
横川でちょっと遅めの昼食。
さすがに名物の釜めしは先月に食べているので、
ここでは「きのこそば」で、体を温めます。
SLを横目にすする蕎麦は一段とウマい・・・?
先月も訪れた横川ですが、今回は「碓氷峠鉄道文化むら」には目もくれず、すぐに上り列車の撮影地探しです。今度は煙のはき具合などを気にする必要はないので、ふつうに抜けの良さそうなところを探しながら、線路沿いを歩いてゆきます。しかし、列車内から沿線を眺めていたところ、このあたりは柵が低くて線路かぶり付きアングルならどこでも撮れそうに見えたのですが、思ったよりも抜けが悪くて撮影地探しは難儀。駅近くにアウトカーブから正面気味に撮れる有名な撮影地はあるのですが、DD51はあんまり正面で撮りたくないしなぁ・・・。
撮影地探しの途中にはこんな第四種踏切も発見。
あれこれ吟味しながら一時間近く歩き続け、ようやく抜けのいいS字カーブへと辿り着きました。着いたときは私が一番手でしたが、後からお二方がいらっしゃったので、おそらくここも有名な撮影地なんでしょうね。まずはいつものように普通列車で試し撮り。
やってきた普通列車は115系。
午前中は107系が多かったのですが、午後は115系ばかりに。
信越線はそういう運用体系なのかな・・・?
信越本線 横川-西松井田
一時間に一本程度の信越線。この115系は貴重な練習電だったのですが・・・うはっ、ピン甘っ。鉄道写真、とくにこのような編成写真ではマニュアルフォーカス(MF)の置きピンが鉄則とされているのですが、私はこのようなS字やアウトカーブでの置きピンにイマイチ自信がないのです。そこでこの115系ではカメラの動態予測オートフォーカス(AF)を使ってみたのですが、見事にハズしてくれました・・・。今さら恥ずかしくてなかなか聞けない事なのですが、鉄道写真を撮られる皆さんはAF派ですか? 置きピン派ですか?? 最近のカメラはAFの精度が上がってきているとはいえ、本番でハズす恐れが全くないわけではありませんよね。今回の場合は本番でもハズされてしまうと目もあてられないので、MFの置きピンでDD51を迎え撃つ事にしました。しかしもう練習電は無いし、ちゃんと止めたい位置にピントが合っているのか、かなり不安・・・。そんななか、西日を浴びた真っ赤な機関車がS字カーブの線路上に見えてきました。速度はそれほど速いわけではないので、慎重に置きピン位置まで引き付けます・・・。
車体をくねらせる、栄光のお召し専用機DD51 842。
実用本意の無骨な凸形スタイルには
デゴイチにも負けない力強さを感じます。
く~っ、置きピン位置が手前で、カツカツになってしまった。やっぱりアウトカーブでの置きピンは苦手だなぁ・・・(´・ω・`)。まあ、フレームアウトしなかっただけヨシとしますか・・・。それにしても、ファインダー越しに見たS字を走りぬけるDD51の姿は実に美しかった。これが撮れただけでも横川まで来た甲斐があったというものです。乗客には当然「SL」の方が人気で「DL」の方は空席だらけでしたが、撮る方にしてみればSLとDLの一粒で二度美味しい(古っ ^^;)、PP(プッシュ・プル=両端に機関車が付く形態)の「碓氷」号なのでした。
ちなみにこのポイント、後追いには不向きのようです(^^;)
信越本線 西松井田-横川(後追い)
地図を見たらこの撮影地は
横川よりも西松井田の方が近かったので、帰りは西松井田へ。
結局、横川から西松井田まで5.8キロも歩いてしまった・・・。
でも下り坂が多かったのでそれほど苦にはなりませんでした。
信越本線 西松井田
西松井田1556-(150M)-高崎1622~1630-(快速アーバン)-上野1802
当初の目的とはだいぶ異なってしまった今回の撮影でしたが、久しぶりのSL撮影は存分に楽しめました。でも、やっぱり雪国で183系を撮りたかった・・・というのがホンネ。今年に入ってからというもの、富士山と「あさぎり」の時といい、今回といい、どうも狙っているものがうまく撮れていない気がします。あまり深くは考えないけれど、このイヤな流れは早く払拭したいものです・・・(^^;)。
ONE-shot 80 大寒の上京 [PICK UP ONE-shot]
二十四節気で最も寒いとされる「大寒」の日に運転された、
TDRへの団体臨時列車「わくわくドリーム号(青森~舞浜)」。
団臨とはいえ、今や首都圏に顔を出す貴重な583系使用列車です。
なんて思いながら撮影に出向いたものの、この日はあいにくの雨模様。
せめて、積雪の多い奥羽・羽越・上越線を夜を徹して走ってくる
残念ながら着雪もまったくありませんでした
横着せずに雪国へ行かないとダメですね・・・。
12.1.21 武蔵野線 東川口-東浦和
御殿場線・・・「あさぎり」撮影記 [鉄道写真撮影記]
長野への往復で三回目、四回目を使った、冬の「青春18きっぷ」。一枚で五回使用できるので、残りはあと一回。年が明けて一週間が経ち、そろそろ使用期限(1/10まで)も近づいてきました。はじめはこの一回を、毎年恒例の成田線で運転される初詣臨時列車(通称「成田臨」)の撮影に充てようと考えていたのですが、私には他にもうひとつ、この「18きっぷ」を使って撮りに行きたいと考えていた列車がありました。国鉄色183系の「成田臨」はもちろん魅力的なのですが、一昨年、昨年と二年連続で撮影に行っていることもあり、今回はもうひとつの選択肢の方へと向かうことにしました。果たしてこの選択は吉と出るのか凶と出るのか・・・。
1月8日(日)
今回の目的地へは、まず東海道線で西に向かいます。
乗ったのはおなじみの静岡行き321M。
この373系特急形車両を使う「オトクな普通列車」も、
今春の改正でE231(233)系の沼津行きに変更されてしまいます。
「18キッパー」としては、とても残念なことですね・・・。
11.12.10 東海道本線 東京(この写真は伊豆遠征時の再掲です)
東京から一時間強の国府津で御殿場線に乗り換え。
停車していた御殿場経由の沼津行きは、
ロングシートの211系とセミクロスの313系が併結された編成でした。
もちろんこれは313系の方へ乗車します。
東海道本線 国府津
東京から朝イチの東海道線で国府津へと向かい、そこで乗り換えたのは御殿場線。そう、今回の目的はこの御殿場線を走る、特急「あさぎり」の撮影です。「あさぎり」は都心の新宿と静岡県東部の沼津を、小田急小田原線・JR御殿場線経由で結ぶ特急列車。JRの新宿発着ではなく小田急とJR東海の直通運転とは面白い形態ですが、その歴史は古く、1959年には当時まだ非電化だった御殿場線へ、小田急のディーゼルカーが特別準急「朝霧」として直通運転(片乗り入れ)を開始しています。その後、御殿場線の電化により小田急ロマンスカー3000形「SSE」を使用した連絡急行「あさぎり」となり、さらに特急への格上げで小田急20000形「RSE」とJR東海371系を使用した現在の相互直通運転スタイルへ。しかし、その「RSE」と371系の体制も20年を越え、今春のダイヤ改正では新たに後継車となる小田急60000形「MSE」への置き換えが発表されました(直通形態は以前の片乗り入れに逆戻り)。そこで今回は置き換えにより引退となる「RSE」と371系、二種の「あさぎり」をしっかりと撮影したかったのです。まあ言ってしまえば、典型的な「葬式鉄」ですね(苦笑)。「あさぎり」自体の撮影ならば前述したように小田急線内でも手軽にできるのに、わざわざ御殿場線まで来たのは、富士山をバックにした「あさぎり」らしい写真を残したいと思ったからでした。しかし・・・。
国府津発車直後の車窓。
天気は悪くないものの、空には雲が広がっています・・・。
並走しながら離れていくのは、乗ってきた東海道線の373系。
御殿場線 国府津-下曽我(車窓から)
この日、御殿場の天気は晴れのち曇りで、午後から雲が広がるとの予報。これならば午前中順光になる定番の富士山ポイントは大丈夫だと思っていたのですが、すでに早朝の国府津発車時点で空にはイヤ~な雲が湧いています。先日のしなの鉄道「浅間山バック」を撮影した際にも書いたように、たとえ晴れていても山頂だけに雲がかかるなど、山の撮影は簡単なものではありません。しかも日本一高い富士山ともなれば、なおのこと・・・。それでも御殿場線が先へ進むにつれ、車窓には山頂までハッキリとした美しい富士山が映し出されるようになりました。
車窓からは、朝日に照らされた富士山の姿が!
御殿場線 駿河小山付近(車窓から)
うん、このぶんなら大丈夫。多少雲がかかっていても、きっと「浅間山」のときみたいに本番前にはスーっと消えてしまうさ・・・などと、何の根拠も無い自信を持って、予定通り撮影地の最寄り駅である御殿場で下車。
東京0520-(東海道321M)-国府津0635~0638-(御殿場2529M)-御殿場0723
御殿場線の主要駅・御殿場。
駅前には御殿場線で活躍した蒸気機関車「D52 72」が
保存されています。(タイトル写真)
御殿場線 御殿場
富士山を背景に「あさぎり」をきれいに撮ることができる、御殿場の有名撮影ポイント。私がここを訪れるのは実に21年ぶり。まさに前回は3000形「あさぎり」の葬式鉄でした(その頃はそんな言葉なかったケド・・・)。
雄大な富士山と、赤い3000形「SSE」時代の「あさぎり」。
91.2 御殿場線 御殿場-足柄(後追い)
見えなかった・・・orz
駿河小山付近ではきれいに見えていた富士山。しかし撮影地に着いてみると大きな雲が広がっており、その姿を隠してしまっています。しかも雲は次から次へと流れてきて、ほとんど全容を拝むことができません。それでも上空には青空が見えているので、天気予報的には「晴れ」で間違いじゃないのです。ホント、この辺が難しいところ・・・。
313系の普通列車が通過。
このポイントは午前順光で、晴れればいい感じになります。
御殿場線 御殿場-足柄
残念ながら富士山には雲がかかっているけれど、この順光ポイントで引退間際の現行「あさぎり」を撮影できるならいいか・・・と自分に言い聞かせるようにして、まずは371系「あさぎり2号」の通過を待ちます。ところが撮影条件はますます悪くなり、迎えた本番・・・。
富士の裾野(?)をゆく371系の「あさぎり2号」。
東海道新幹線のようなカラーリングと独特な卵形の先頭部は、
今みても斬新なスタイルだと思いますが、もう引退なんですね・・・。
撮影地付近も雲に覆われて、完全に陰ってしまった・・・(´;ω;`)。こうなると背景の富士山と手前の列車では露出に差がありすぎて、列車が露出アンダーで潰れるか、背景が露出オーバーでぶっ飛ぶかのどちらかになってしまいます。私の狙いはあくまでも「あさぎり」なので、仕方なく後者を選びました(前者を選ぶと二枚上の写真みたいになります)。でもこれじゃ上スカ、後スカのバランスが悪い、ただの編成写真に過ぎませんね・・・(;´д`)トホホ。もうなんだかすっかりやる気を失うも、30分後に逆方向からやってくる「RSE」使用の「あさぎり1号」をそのまま待ちます。
「あさぎり1号」の待ち時間に撮影した普通列車は
私が乗ったのと同じ、211系と313系の異形式併結編成でした。
御殿場線 御殿場-足柄(後追い)
「あさぎり1号」の10分前に通過した普通列車(2535M)は、再び晴れてきれいな光が当たりました。「あさぎり」にもせめてこのくらいの光があたって欲しいところ・・・しかし、悪夢再び。
こちらは小田急20000形「RSE」で運転されている「あさぎり1号」。
「RSE=Resort Super Express」は、小田急ロマンスカーの特徴だった
連接構造ではなく、371系と基本仕様を統一した造りとなっています。
またしても陰られて大撃沈 (T□T)。試し撮りの普通列車は晴れて、本番の「あさぎり」で曇る・・・ここまでツイていないと、逆におかしくて笑っちゃうほど・・・アヒャヒャヒャ(。A 。*) 。これが今年の撮り初めだったのに、なんともショッパイ結果となってしまいました (´;ω;`)。それにしても、こんな条件にも関わらずこのポイントには20人もの同業者が集まり、なかには大阪や滋賀ナンバーのクルマなども見られます。はるばる関西から夜通し走ってきたのにこの結果では、さぞかしガッカリしたことでしょう・・・。皆さん溜息まじりに撤収してゆきます。私も本当なら一日中御殿場線で「あさぎり」や富士山の撮影を楽しむつもりでいたのですが、残念ながらこの天気ではもう富士山を望むのは難しいと諦め、別路線の撮影へ転戦することにしました。御殿場線で国府津に戻り、東海道線へ乗り換えて、次にやってきたのは小田原のひとつ先にある早川。
御殿場0926-(2538G)-国府津1013~1038-(523M)-早川1048
早川まで乗った東海道線は、
最近急速に数を減らしつつある211系でした。
東海道本線 早川
早川と言えば、撮り鉄には相模湾を背景に走る東海道本線の有名な俯瞰撮影地(石橋集落)があることで知られていますが、今回は東海道の在来線ではなく、新幹線のほう。早川駅から歩いて15分ほどのところにある東海道新幹線の撮影地へ向かいます。ここでの狙いは、引退を目前に控えて運転本数の少なくなった、元祖「のぞみ」形新幹線・300系。さきほどの371系「あさぎり」だけでなく、300系も今春のダイヤ改正を前に姿を消すことが決定しています。しかも改正前日に一気に置き換える形ではなく、徐々に運用が減らされており、今となってはもう無計画で300系を捕まえるのは困難な状況。実はこれから撮影する「ひかり509号」も300系で運転されるのはこの撮影日の8日が最終日で、さらに一時間後の「ひかり511号」の方も翌日の9日までとなっています(以降は700系)。つまりこの日は日中の短時間で二本もの300系が撮れる貴重な機会なのです。
高い防音壁が障害となる新幹線撮影ですが、
ここは小高い山の斜面を上がると、防音壁をクリアできます。
まずはN700系で試し撮り。
東海道新幹線 小田原-熱海
さすがにそんな日なので同業者も多く、本来はもう少し高い位置の「お立ち台」から俯瞰撮影するのがここの定番アングルなのですが、そこはすでにいっぱい(・・・といっても、4~5人程度が限界)。やむなくお立ち台脇の通路から狙うことにしました。三脚を立てるスペースはなく、手持ちで一発勝負。本命「ひかり509号」の前走りとなる「のぞみ27号(N700系)」が通過すると、一気に緊張感が高まります。新横浜発車時点で「ひかり509号」は「のぞみ27号」の三分続行。でもN700系と300系の性能を考えると、ここは四分後くらいかな・・・などと考えていたそのとき、遠くに300系のライトが見えてきた! と、同時に手前の上り線を700系が通過!! ああ、カブった・・・いや、抜けた!!!
300系(J54)の「のぞみ509号」が700系の「こだま638号」と離合。
エアロストリーム形の700系に比べると、
300系は緩やかな曲線を描くシンプルなデザインです。
カブりかけ・・・? いや、これはウマく離合シーンが撮れたと喜ぶべきでしょう 。でも実際の心境はハラハラドキドキ、もう心臓はバクバクでした。写真では余裕があるように見えても、200キロ近いスピードでの離合はホントに一瞬の出来事なのです。ふう、なんとか撮れてヨカッタ・・・(^▽^;)。ちなみにデジカメの撮影記録を見てみると「のぞみ27号」と「ひかり509号」の差は3分15秒。さすがに新横浜からここまででは、それほど差は広がらないものですね。
引き続き同ポイントで一時間後の「ひかり511号」を待ちます。ところが今の「509号」撮影後、上のお立ち台にいた方々はみんな撤収してしまいました。あれ?「511号」は撮らないの? ひょっとしてもうすでに「511号」は300系が入らない・・・とか? ちょっと不安を感じつつも、せっかくなので空いたお立ち台へ移動して「511号」を待つことに。
最近はめっきり地味な存在となってしまった感のある700系を
山の中腹付近にあるお立ち台から撮影。
ここは見晴らしが良く、右奥には小田原城の姿も望めます。
東海道新幹線 小田原-熱海
かたや東海道新幹線の顔となったN700系。
たしかに700系よりも乗り心地がいいので、
私も出張などの際にはこのN700系を選びます。
デザイン的にも700系よりN700系の方が好み。
それにしても上空には相変わらずひっきりなしに雲が流れていて、露出が安定しません。上の700系とN700系の写真もわずか10分の間に撮ったものとは思えない日の当たり具合です。ここは晴れると顔にしか日が当たらないので、曇ってくれた方が車体側面はきれいに見えるのですが、曇って露出が落ちればシャッタースピード(SS)も遅くなる。高速で走る新幹線の撮影ですから、あまりSSは落としたくないところ。なのでシャッタースピードは固定(1/1600sec)してISO感度で明るさを調整しています(絞りは開放から一段絞りのf4.0で固定)。撮影毎に一枚づつISO感度を変えられるなんて、デジカメならではの技ですよね。そんな感じで慌ただしくISO感度を変えながら迎えた、「ひかり511号」の通過時刻。
小田原市内を後に緩やかなカーブを駆け抜ける
300系(J55)の「ひかり511号」。
元祖「のぞみ」として92年に華々しくデビューした300系も
いよいよお別れの時が近づいてきました。
不安視していた車両変更も無く、今度は無事にカブ・・・いや、離合することなく、300系の流れるような編成写真を撮影することができました。結局、日が出たことによりサイドは暗めですが、若干薄雲がかかっているおかげで700系の写真よりはコントラストが弱くなり、この状況下ではベストに近い明るさかと思われます。何より引退間際の300系を短時間で二本も、結果的に違うアングルから撮れたことに満足できました。この後は天気が良ければ石橋集落まで歩いて211系や185系を撮ろうかとも考えたのですが、午後になりますます雲が多くなってきたので、これにて撮影は終了。コッチ方面へ来たついでに藤沢で下車して、小田急線の大和にある親戚宅へと新年の挨拶に向かいました。
早川1248-(844M)-藤沢1324
新年一発目の本格的な撮影にしては、何とも冴えない結果となってしまった今回の「あさぎり」撮影。371系・「RSE」の引退前にもう一度リベンジを果たしに行きたいところですが、残された日数を考えるとちょっと難しいかもしれません。まあ今回のことを教訓に、日頃から余裕を持っての撮影を心がけておくべきですね・・・。ダイヤ改正後に「あさぎり」デビューを果たす「MSE」も決してキライな車両ではないので、落ち着いた頃にのんびりと富士の裾野を走る「青いロマンスカー」でも撮りに来ようかと思っています。一方の300系新幹線は2月17日より引退を記念した特別装飾が施されるそうで、こちらもしっかり記録しておきたいところ。でも今回訪れた「お立ち台」などは、きっと入り込む余地がないほど混み合うのでしょうね・・・(^^;)。
信州04・・・アルピコ交通 上高地線 乗車記 [鉄道旅行記]
冬休みの「青春18きっぷ」を使った信州鉄道旅。前回からの続きです。
長野で迎えた二日目の朝は、おそらく私にとって最後のなるであろう長野電鉄(長電)・屋代線の撮影と乗車を堪能し、今春で廃線となる同線にしっかりと別れを告げてきました。その後、須坂から長電・長野線経由で戻ってきたのは、朝にスタートした長野。ここから再び信越線の上りに乗って移動します。
この日二度目となるJR長野駅からの出発。
「青春18」なので、もちろん乗るのは115系の普通列車。
11.12.29 信越本線 長野
信越線と言っても、乗った列車は長野から4つめの篠ノ井から篠ノ井線へと入ります。篠ノ井線(篠ノ井~塩尻)は長野県一、二の主要都市である長野市と松本市を結ぶ重要な役割を担う路線ですが、そのルートは山越えの高所に敷設されているために車窓風景は佳景。とくに途中駅の姨捨付近から見下ろす善光寺平は「日本三大車窓」の一つに選ばれているほどの絶景です。
急激な勾配上にある姨捨駅はスイッチバック構造。
右の本線を上がってきた列車は一旦停止し、
バックで左の駅へと続く線路を進みます。
11.12.29 篠ノ井線 姨捨付近(後方の車窓から)
その姨捨駅ホームから見えるのが
「日本三大車窓」のひとつ「姨捨からの善光寺平」。
この日は雪晴れという最高の条件で景色を楽しむことができました。
11.12.29 篠ノ井線 姨捨(車窓から)
ここで雄大な景色を背景に走る、特急「しなの」やEF64が牽引する貨物列車(今はEH200しか撮れないのかな?)を撮影したいところですが、今回の目的は篠ノ井線の撮影ではありません。そのまま下車することなく篠ノ井線に揺られ、私がやってきたのは松本。
長野1011-(篠ノ井440M)-松本1128
松本は国宝・松本城を中心とした歴史と文化の街で、
その玄関口となるのが、この松本駅。
11.12.29 篠ノ井線 松本
今旅で何度か触れてきたように、長野新幹線開業によって信越本線が分断されて以降、「青春18きっぷ」を使って首都圏から信州・長野へ行く、もしくは今回のように長野から帰る場合、この篠ノ井線の松本経由がもっともオーソドックスなルートと言えます。往路は長野へ行くまでに高崎・信越線、碓氷峠バス、しなの鉄道と乗り継いできましたが、帰りはこの松本から中央東線へ直通する普通列車に乗れば、乗り換え無しの一本で都内(最長で立川)まで到達できます。でもその帰京前に、私にはどうしても松本で立ち寄りたい路線がありました。それは広大なJR松本駅の隅っこに間借りしているような形で発着する中小私鉄、「アルピコ交通・上高地線」です。
松本駅のいちばん西端に位置する7番線が上高地線ホーム。
停車しているのは元・京王井の頭線の3000系。
右奥の6番線は信濃大町方面へのJR大糸線で、
115系の姿が見えます。
11.12.29 アルピコ交通上高地線 松本
so-netブログの仲間内では、ドラもんさんのブログ「今日の上高地線?」でおなじみの上高地線。私は過去に一度だけ、乗り潰し目的で松本~新島々の全線を往復しており、そのときの正式名称は「松本電鉄(松電)・上高地線」でした。しかし昨年4月、松本電鉄は「アルピコ交通」と社名を変更。上高地線は新たに正式名を「アルピコ交通・上高地線」となりました。実は勉強不足だった私は、鉄道会社の「松電」とバスや観光を主体としていた「アルピコ」は同系列の別会社(京成と北総のような関係)だと思っており、この名称変更を「松電がバス会社のアルピコに吸収合併され、経営移管された」と勘違いしていました。しかし実際には、もともとアルピコグループの鉄道部門であった松電が、同じアルピコ傘下の川中島バス、諏訪バスを吸収合併したことによる活動範囲の広域化で、親会社の「アルピコ」を名乗ることとなったのに過ぎないのです。鉄道路線の全線完乗を目指す私にとって、経営移管されて別会社となった路線は新規路線として新たな乗り潰しの対象にしており、今までもJRから移管された「青い森鉄道」や近鉄からの「伊賀鉄道」などの乗車記をブログでもとりあげてきました。しかし今回は経営移管ではなく社名変更。乗り直しの対象にするか微妙な位置付けですが、こういうケースは稀なので、気分も新たに「アルピコ交通」となった上高地線を再訪してみることにしました。ちなみに今でも上高地線の案内には、地域に根付いた「松本電鉄」の名が併記され、「松電」の呼び名も残されています。
3000系の車内。
形式板の下には「アルピコ交通株式会社」のプレートが
しっかりと付けられていました。
上高地線を走るのは、元・京王井の頭線3000系の現・3000系。松電に譲渡された車両はすべて中間車からの改造先頭車なので、井の頭線時代の特徴だった「ステンプラ」のレインボーカラーは見られませんが、先頭部の表情はパノラミックウィンドウに改良された晩年の京王3000系そのもの。本家の引退からそう月日は経っていないので、まだ「懐かしい」って感じではありませんが、第二の人生を送る3000系にはエールを贈りたくなります。そんな3000系に乗って、上高地線の旅はスタート。鉄としては先頭の運転席後ろにかぶりつきたいところですが、前扉を使用するワンマン方式の電車で前に立っているのは迷惑となるので、後ろの車掌室越しに後方の景色を楽しむことにしました。
松本の市街地を抜けると、のどかな景色が広がります。
四方を山に囲まれた松電らしい景色。
11.12.29 上高地線 渚-信濃荒井(後方の車窓から)
車両基地のある新村には、なにやらキニナル車両が・・・。
11.12.29 上高地線 新村(車窓から)
シブ~い木造駅舎が残るのは、森口駅。
駅舎だけでなく石段の構内踏切もいい雰囲気です。
11.12.29 上高地線 森口(後方の車窓から)
高台にある波田駅付近から眺めた山々。
この日はちょっと雲が多めで、
北アルプスまでは見えなかったのが残念・・・。
11.12.29 上高地線 波田(車窓から)
観光地の上高地はシーズンオフ。さらに学校などが冬休みということもあって乗客は少なく、車内は終始ガラガラの状態。そんななかで席に座らず後方を眺めている私は、きっと特異な目で見られていたことでしょう(^^;)。結局ずっと立ったまま30分間乗り続けて、終点の新島々に到着。ひとつ手前の淵東まで積雪はほとんど見られなかったのですが、新島々の路盤は薄い雪に覆われていました。ここは松本市内よりもちょっと標高が高いのかな・・・?
終点の新島々に到着し、折り返しを待つ上高地線3000系。
11.12.29 上高地線 新島々
松本1207-(上高地線19)-新島々1237
かな~り久しぶりに訪れた新島々。ぶっちゃけ、前回に訪れたときの記憶はほとんどなく、新島々がどんな駅舎だったか全くと言っていいほど覚えていないのですが、so-netブログ「絵画・文筆『人の生活がある風景』」でおなじみの画家、sonicさんが描いていた赤い三角屋根の駅舎が印象に残っていて、新島々は赤い三角屋根のカワイイ駅舎なのだとばかり思っていました。ところが・・・。
大きな三角屋根が特徴の新島々駅。
駅前には上高地や乗鞍方面へのバスターミナルが併設されていますが、
今はシーズンオフで駅前は閑散としていました。
11.12.29 上高地線 新島々
あれ? 確かに三角屋根だけれど、イメージしていたのとだいぶ違うなぁ・・・と、あたりを見渡してみると、その新島々駅の対面に絵で見たのと同じ、赤い三角屋根の建物がありました。その玄関には「旧島々駅舎」の文字が掲げられています。これは旧駅舎?
木造で赤い三角屋根の「旧島々駅舎」。
背景の山々とあいまって、いい感じに佇んでいます。
実はこの「旧島々駅舎」は新島々の旧駅舎というわけではなく、現在の終点・新島々よりもさらに先にあった、本当の終着駅・島々のもの。新島々から島々までの1.3キロは1983年の台風による土砂災害で不通となり、もともと利用客の少なかったこの区間は復旧されることなく、翌々年の85年に廃止となってしまった・・・とのこと。私が初めて訪れたときにはすでに廃止後だったので、そんな経緯があったとは知らず、上高地線は開業時から松本~新島々の区間だとばかり思っていました。その後廃止となった島々駅の駅舎は新島々前に移築されて保存。現在は上高地などの観光案内所となっています。小さなローカル私鉄にも、いろいろな過去があるものなんですねぇ・・・(ホント、勉強不足でスミマセン)。その旧島々駅舎の観光案内所はシーズンオフのためか開いていなかったので、外観だけを眺めてから新島々駅へと戻り、待合室で「えきなかギャラリー」などを拝見していると、「間もなく電車が発車しまーす」と駅員さんが呼びに来てくれました。
新島々駅待合室の「えきなかギャラリー」。
展示されているのは、sonicさんの作品です。
これでアルピコ交通となった上高地線を全線完乗したわけですが、せっかくなのでもう一カ所、途中下車したいと思います。松本へ向かう上り電車を降りたのは、新村。往路の車窓でちょっと気になる車両が見えていた、上高地線の車庫がある駅です。
新島々1250-(24)-新村1305
新村の側線に留置されているのは
凸形の古豪電機、ED301
残念ながらすでに車籍はなく、静態保存状態。
11.12.29 上高地線 新村
駅を出て車庫の裏手にまわると、
先ほどの車窓から見えていたキニナル車両を発見!
この電車は元・東急5000系の通称「青ガエル」。
現在の主力である3000系が導入される前に
上高地線で走っていた車両ですが、現在は全車が引退。
一編成二両だけが新村で静態保存されており、
昨年、東急時代の緑色に復元されました。
11.12.29 上高地線 新村
その「青ガエル」の前には古い歴史を感じさせる
木造の有蓋貨車が倉庫として活用されています。
11.12.29 上高地線 新村
当然、無許可で車庫内に立ち入ることはできませんが、お目当ての5000系「青ガエル」は車庫の裏手からその姿を眺めることができました。私が初めて松電を訪れたときに乗ったのは、白のボディに紺と赤の帯を巻いた松電カラーの5000系だったので、色は違うもののちょっと懐かしい・・・。さらに構内には、この5000系だけでなくED301や木造貨車なども解体されずに残されており、松電には歴史を重んじる精神が感じられます(そういえば、大宮の鉄道博物館に寄贈された、明治時代の木造電車「ハニフ1形」を長年保管してきた実績もありますね)。そんな長い歴史を有する貴重なものが、ここにはもうひとつ。それは車両ではなく、新村の駅舎です。
松電の前身である筑摩電気鉄道の開業時
1921年(大正10年)からこの地に立つ新村の木造駅舎。
玄関には当時の社紋が掲げられています。
11.12.29 上高地線 新村
現役の使用感がありながらも、懐かしい雰囲気が漂う待合室内。
掲示板になっている部分はチッキ(手小荷物)の窓口跡と思われます。
ニスが塗られ、飴色の鈍い光を放つ木製ベンチ。
さらに板張りの壁や木枠の窓、建付けの悪い扉など、
そこかしこに感じられる木造駅舎ならではの温もり・・・。
新村駅には自動の券売機はなく、
今でも窓口で硬券きっぷを手売りする昔ながらのスタイル。
「松本まで一枚。今日は寒いね。」
「いやぁ、雪が降らないだけマシですよ・・・はい、松本まで350円です。」
なんて会話のやり取りが聞こえてきました(実話)。
今回私は上高地線を往復するのに、あえて一日乗車券を使いませんでした。
それはこの新村の窓口で乗車券を買いたかったから。
乗車用に松本まで一枚、記念の保存用に新島々まで一枚を購入。
「手を添えた写真を撮ってもいいですか?」とお願いすると、
「こんなきっぷは珍しいからね。」と、窓口氏は笑いながら快諾。
懐かしさと温もりを感じる木造駅舎の情景。しかしそんな趣ある駅舎が今春、新駅舎への移行によりその長い歴史に幕を下ろすことになりました。新駅舎は現駅舎の横に併設される形で建設が進んでおり、現駅舎がすぐに取り壊されるというようなことはないみたいですが、窓口氏の話だと役目を終える現駅舎の処遇は現時点で未定なのだそうで、その行く末が気になるところです。歴史を重んじ、古いものを大切にする松電の精神に期待したいところですが、老朽化や維持費などを考えると、保存などの明るい未来はなかなか難しいかもしれません・・・。また、この新村駅のほかに往路で後方から眺めた森口駅の木造駅舎も改築される予定。松電の歴史を支えてきた二つの木造駅舎の引退で、地味ながらもまたひとつ、昔ながらの懐かしい鉄道情景が消えようとしています。利便性や安全性、時代の流れを考えると仕方ないことなのですが、やはり寂しいものがありますね。でも、改築前のこのタイミングで訪れることができて、よかったと思っています。
現駅舎の隣で、着々と建設が進む新村の新駅舎。
次に訪れるとき、この駅はどんな形になっているのでしょうか・・・。
11.12.29 上高地線 新村
新村に入ってきた、上り電車。
この電車に乗って松本へ戻ります。
11.12.29 上高地線 新村
今回は駅訪問がメインとなってしまった上高地線でしたが、
いつか北アルプスをバックに走るシーンなどを沿線で撮影したいものです。
11.12.29 上高地線 新村
新村1340-(26)-松本1354
戻ってきたJR松本駅で見かけたのは、E257系のこんな姿。
このJR世代の特急車両とは思えない簡素な造りの中間運転台を
一度撮影してみたいと思っていたのです(^^)。
まるで国鉄時代のサロ165のような顔立ちですが、
これでも一応形式上は「クモハ」が与えられています。
ただし本線上で先頭に出ることはなく、あくまでも併結時などの入換え用。
11.12.29 篠ノ井線 松本
「青春18きっぷ」を使い一泊二日でまわってきた信州鉄道旅も、この上高地線訪問ですべて終了です。横軽の面影を色濃く残す「碓氷峠鉄道文化むら」と信越線廃線跡めぐりから始まり、国鉄急行型電車の生き証人である「しなの鉄道169系」の撮影、廃線の決まっている「長電・屋代線」最後の乗車、さらに名称変更で新たなスタートを切った「アルピコ交通・上高地線」の乗り潰しと、その影で役目を終える木造駅舎の訪問・・・。今回の旅は寝台列車や特急列車などの華やかな撮影はほとんどありませんでしたが、現代という時代に翻弄される路線、車両、駅、それに携わる人たち、それぞれの生き様にちょっとだけ触れることができたように感じています。正直、今になって振り返ってみると、かなりシブい旅だったなぁ・・・とも思いますが、たまにはこんな鉄道旅も悪くないかな (^^)。
ラストランナーは中央線の115系。
帰省シーズンということで、この普通列車はたくさんの特急に道を譲りました。
まぁ、私は急ぐ旅じゃないし、のんびりと帰りませう。。。
11.12.29 中央本線 茅野
松本1425-(中央442M)-高尾1808
信州03・・・長野電鉄・屋代線 撮影記 [鉄道旅行記]
冬休みに行った、信州鉄道旅。前回からの続きです。
初日は「碓氷峠鉄道文化むら」や、しなの鉄道の169系などを撮影しつつ、旧・信越本線をひたすら鈍行列車と路線バスを乗り継いで北上しています。冬の陽は傾くのが早く、169系の撮影後に平原から乗った長野行きの普通列車が上田に着く頃には、もう薄暗くなってしまいました。こうなると鉄道の走行写真撮影は厳しいので、このまま今夜の宿を取ってある長野まで乗り通そうかとも考えたのですが、私にはもう一カ所だけ寄りたいところがありました。長野へ向かう前に途中下車したのは、屋代。
平原1542-(しなの鉄道2659M)-屋代1632
イルミネーションに囲まれた三角屋根の屋代駅。
11.12.28 しなの鉄道 屋代
屋代には、元・信越線の立派なホームを使用しているしなの鉄道の脇に、もうひとつ小さな一面のプラットホームがあります。そのホームに発着するのが、次の目的である長野電鉄(長電)・屋代線です。屋代線は、この屋代から須坂までの24.4キロを結ぶ長電の支線。かつては屋代線の全区間と現在の長電本線にあたる長野線(長野~湯田中)の須坂~信州中野、さらに02年に廃止された信州中野~木島の通称・木島線を合わせて、河東線(かとうせん・屋代~木島)という一本の路線名でしたが、木島線の廃止に伴い、須坂~信州中野が長野線に編入され(その際、信州中野~湯田中の山の内線も長野線に編入)、新たに一本化。残った屋代~須坂には屋代線の名が与えられました。もっとも、それ以前から運行形態は現在の長野線、屋代線、旧・木島線に分けられていたので、これは運行形態に合わせた路線名変更と言えるでしょう。そんなわけで、支線扱いとして細々と残った屋代線でしたが、サイクルトレインやパークアンドライドなどで活性化を図るも利用客減少の歯止めにはならず、ついに今春(12年4月)をもっての路線廃止が決定してしまいました。
しなの鉄道の上下線ホームを結ぶ連絡橋の先に、
木造の古めかしい通路が続いています。
この先にあるのが長野電鉄・屋代線のホーム。
11.12.28 しなの鉄道 屋代
私がこの屋代線を訪れるのは今回で三度目。一度目は全線乗り潰しを目指していた頃に。二度目は廃線となる木島線の惜別乗車の際に信州中野までのルートを行きと帰りで変えようという狙いから、片道に屋代線を選んだのです。もちろんこれが河東線全線を通しての最後の乗車にもなりました。そして今回はこの屋代線の惜別乗車・・・。しかし、最後(になる公算が高い)の訪問なのに、車窓風景の見えない日暮れ後に訪れるとはいかがなものなのだろう・・・と、思われるでしょう。実は屋代線の惜別乗車は翌日にあらためて来るつもり。でもここまで来たら、一枚くらい夜の屋代線も写真に残しておきたいと思ったのです。
人影まばらな屋代線ホームに佇む、長電3500系。
あれ?この3500系、赤帯が・・・無い??
11.12.28 長野電鉄屋代線 屋代
木造の連絡通路を渡ってホームへ下りると、屋代線の電車はすでに待機中。停まっていたのは、元・営団地下鉄日比谷線3000系の現・3500系でした。しかしよく見るとこの編成、長電3500系の特徴である窓下の赤帯が巻かれていません。オデコの「NAGADEN」ロゴも消され、その姿はまさに日比谷線時代そのもの。ここでまさかのリバイバルカラー出現とは・・・(無塗装だからカラーじゃないか ^^;)。これには懐かしい気持ちもあるけれど、私が記録しておきたいのは長電・屋代線の3500系。ちょっと複雑な気分です。
非冷房で残るこの編成は
車内も営団時代とほぼ変わっていません。
これは素直に懐かしさを感じます。
リバイバル日比谷線(笑)は、数人程度の客を乗せて発車。私が向かうのは屋代から三つ目の岩野です。私は今までこの屋代線に乗車したことはあっても、沿線で撮影したことはありませんでした。しかしそんな屋代線でグッと惹かれる写真を、so-netブログ仲間の「やまびこさん」が夏に撮影されていたのです。それは、枕木に夏草が生す線路と崩れかけたホームの小駅に停車する3500系・・・という、なんともローカルムード満点な一枚。その写真を撮られたのが岩野駅でした。当然今の時期は夏草など生い茂っているはずありませんが、ここは夜に訪れたらいい雰囲気になるんじゃなかろうかと思ったのです。
静まり返った夜の小駅に電車が到着。
乗る客も降りる客もいません・・・。
11.12.28 長野電鉄屋代線 岩野
しかし実際に撮影してみると、駅自体の照明は明るいものの車両の顔にまでは光はまわらず、思っていたほどいい感じにはなりませんでした。う~ん、難しいものだなぁ・・・(´・ω・`)。予定ではもう一本くらい撮影しようと考えていたのですが、底冷えする寒さに耐えきれず、この一枚だけ撮って撤収。屋代に戻って乗り換え、長野へと向かいました。
屋代1727-(屋代線422)-岩野1734
岩野1848-(425)-屋代1857~1904-(しなの鉄道673M)-長野1922
篠ノ井からJRへと入り、長野に到着した
しなの鉄道115系。
11.12.28 信越本線 長野
長野には前々回に紹介した
特急「あさま」用189系の生き残りが、
直江津行きの「妙高号」として停車していました。
長野名物の野沢菜をツマミに、
そば焼酎で冷えきった体を温めます。
そば焼酎と言えば本来、蕎麦を主原料とする
焼酎のことを指すのが一般的ですが、
ここでは甲類焼酎のそば湯割り。
蕎麦処の長野らしい飲み方を堪能しました。
(注.グラス半分ですが飲みかけではありません
濃いめがスキなので、1:1で割っているんです...^^;)
12月29日(木)
明けて翌日。長野駅で4回目となる「青春18きっぷ」に入鋏し、しなの鉄道直通列車で再び屋代へ。前日から同じ区間を行ったり来たりしていますが、乗車と撮影を考えた結果、長野から直接長電・長野線に乗るよりも、この屋代をまわった方が私の計画的には効率が良いのです。篠ノ井からの乗り越し料金を払い一旦改札を出て、屋代線へ乗るために長電のきっぷを買い直します。
長野0701-(3620M)-屋代0720
屋代駅の長電ホームには、昔懐かしい木造の待合室が残っています。
(タイトル写真も参照)。
かつてはこの駅を介して、国鉄と長電の間には
直通の急行列車「志賀」などが運転されており、
屋代線(当時の河東線)は、その重要な役割を担っていました。
11.12.29 長野電鉄屋代線 屋代
この日は赤帯の入ったフツーの3500系が待機中。
11.12.29 長野電鉄屋代線 屋代
朝早いものの、前日の夜よりは多くの客を乗せた(それでも15~6人ほど)須坂行きは、屋代を出ると右へ大きくカーブを切ってしなの鉄道の線路と分かれ、長野新幹線の高架下をくぐって進路を東へと取り、一路須坂を目指します。この日は惜別の全線乗車が第一目的ですが、夜だけでなく日中の走行シーンも記録したい。そこで途中下車したのは、またしても岩野。特別この駅に惹かれたというわけではないのですが、屋代線らしい撮影ポイントを探していたところ、たまたまそのポイントへの下車駅も前日に降りた岩野だったのでした。
屋代0729-(406)-岩野0736
前日夜に撮影した場所から見た岩野駅。
このくらいの明るさで撮った方がいい感じだったかも・・・?
11.12.29 長野電鉄屋代線 岩野
その「屋代線らしい」撮影ポイントというのは、岩野から屋代方向へ歩いて15分ほどのところにあるトンネル「北山隧道」。実は長電の長野線には意外なことにトンネルが一カ所も存在せず(地下区間(長野~善光寺下)はありますが)、長電のトンネルは屋代線の二カ所だけ。屋代線が廃止されると長電にはトンネルが無くなってしまうことになります。そこで屋代線の記録として、このトンネルから列車が飛び出してくるシーンを狙いたかったのです。
石造りのトンネルから顔を出した、屋代行きの3500系。
元・地下鉄車両だけに、こういうシーンはよく似合うかも (^^)
11.12.29 長野電鉄屋代線 岩野-雨宮
さらに屋代線らしいという理由だけでなく、この北山隧道は古い歴史を感じさせる石造りの外観で、なかなか味のあるフォトジェニックな佇まいをしています。詳しくはわかりませんが、おそらく河東線の前身である河東鉄道が開業した1922年(大正11年)当時から存在するのではないでしょうか。朝早い時間で日は当たりませんでしたが、むしろこのくらいのトーンの方がライトの光が際立って、いい雰囲気になったのではないかと思っています。
岩野駅へ戻って、ホームの先端から乗車列車を撮影。
山あいで日の当たりづらいこのあたりには、
雪が多く残っています。
11.12.29 長野電鉄屋代線 岩野
下り列車で訪れて上り列車を撮影、すぐに駅へ戻って再び下り列車で移動します ε=ε=┌(; ̄▽ ̄)┘。慌ただしいけれど、本数の少ないローカル線などではウマく効率的にまわりたいもの。北山隧道で屋代線らしい一枚が撮れたことに満足し、ここからは一気に終点の須坂まで乗り通します。私は最終日間際のフィーバーぶりなどはあまりスキではないので、おそらくもう訪れることはなく、屋代線の景色はこれが見納めとなるでしょう。極力自分の脳裏にこの車窓風景や車内の様子を焼き付けておきたいと思い、ここからはあまり写真を撮らずにのんびりと屋代線の旅を楽しませていただきました。
雄大な北信五岳が広がる屋代線の車窓風景。
北信五岳は長野線の車窓からも見ることができますが、
角度的には屋代線からの方が美しいのだそうな。
11.12.29 長野電鉄屋代線 大室-信濃川田(車窓から)
90年もの長い歴史のなかで
様々な人たちの思い出を刻み続けてきたこの路線に
間もなく終止符が打たれる。
私は単なる旅行者のひとりに過ぎませんが、
もうこの鉄路を通ることは二度と無いのだと考えると、
とても胸が熱くなりました・・・。
「さようなら」とか「ありがとう」なんて、
毎日利用してきた地元の人たちのことを考えたら
私などが軽々しく言える言葉ではないけれど、
最後に一言・・・「おつかれさまでした、屋代線」。
11.12.29 長野電鉄屋代線 井上-須坂(後方の車窓から)
終点、須坂に到着。
私の屋代線の旅は終わりました。
11.12.29 長野電鉄長野線 須坂
岩野0819-(408)-須坂0848
須坂には懐かしいこんな電車が留置されていました。
新OSカーこと10系。今見てもなかなか斬新なお顔をしています。
「OSカーのOSって、オシャレ(O・Syare?)からきているんだよ」
って、昔の鉄道仲間言われたことがあり、本気で信じていました(^^;)
本当は通勤通学用として製造されたことから
Officemen & Students Carの頭文字から取ったのだそうです。
11.12.29 長野電鉄長野線 須坂
車庫の奥に顔を並べるのは、
元・「成田エクスプレス」の2100系「スノーモンキー」と
元・小田急ロマンスカーHiSEの1000系「ゆけむり」。
いざこうやって顔を合わせるとスゴい組み合わせですね。
HiSEも本家からの引退が発表され、ここでしか会えなくなります。
11.12.29 長野電鉄長野線 須坂
屋代線の終点で長野線との接続駅である須坂には、長電の車両基地が併設されており、駅のホームからもいろいろな車両を眺めることができます。そのなかでやはり気になるのは、長電オリジナルの特急車でファンの人気が高い2000系。本当はこの2000系が運転される日だったら、ぜひとも撮影したいと思っていたのですが、残念ながらこの日はお休みでした。引退間際の今は朝の一往復(須坂~長野)か、イベントくらいでしか動かないんですよね・・・。
人気の2000系はちょっと撮りにくい位置でお休み中。
もう一度、走行写真が撮れる機会はあるのかな・・・。
11.12.29 長野電鉄長野線 須坂
屋代線の惜別乗車&撮影を目的とした今回の長電訪問は、これにて終了。須坂から長野線の普通電車に乗って、長野へ戻ります。
須坂0858-(長電長野線102)-長野0923
地下にある長電の長野駅に到着した3500系。
うーん、これこそまさに日比谷線って感じ。(^^;)
帯無しのリバイバル車をここで見てみたいですね。
11.12.29 長野電鉄長野線 長野
・・・続きます。
信州02・・・しなの鉄道 湘南色169系 撮影記 [鉄道旅行記]
「青春18きっぷ」を使っての信州鉄道旅。前回からの続きです。
「碓氷峠鉄道文化むら」や信越線の廃線跡を堪能し、続いて向かうのは軽井沢。信越線の廃止以降、この横川~軽井沢は路線バスで結ばれています。運転しているのはJR系列のバス(ジェイアールバス関東)ですが「青春18きっぷ」は使えず、ここからは別料金。さらに軽井沢から乗る予定のしなの鉄道も当然「18」では乗れません。今さら昔のことを言っていても仕方ないけれど、信越線が一本に繋がっていた頃だったら、そのまま「18」だけで乗り続けられたのにな・・・などと思うと、ちょっとソンした気分。まあ、ウチの最寄り駅から横川までだけでも普通乗車券だと2520円かかるので、ギリギリ元は取れているのだけれど。
横川と軽井沢を結ぶ路線バス。
この便には高速バス用のハイデッカー車が使われていました。
ちなみに手前を横切るのは、かつての信越線の線路。
現在は横川駅と鉄道文化むらを結び、車両の搬入などに使用されます。
11.12.28 ジェイアールバス関東 碓氷線 横川駅
横川駅前の停留所にいたバスへ、軽井沢駅までの運賃500円を先に払って乗り込みます。発車時の乗車率は窓側席がすべて埋まるくらいで、混雑ってほどではないけれど、案外利用客は多い様子。普段はクルマを運転しないので道路に疎い私は、ひょっとしてこのバスは信越線・アプト時代の遺構である「めがね橋(碓氷第三橋梁)」の脇を通るのかな・・・と思い、進行方向右の窓側席に座ったのですが、めがね橋があるのは旧道沿い。バスはカーブが多い峠道の旧道ではなく、新道のバイパス線へと入り、残念ながら旧・信越線跡の見えないルートを進みます。それでも高いところを走るバイパス線からの眺望はなかなか雄大で、おそらく車窓風景は信越線の横軽区間よりも良いのではないかと思いました(横軽はけっこうトンネルが多かったしね・・・)。
軽井沢行きのバスが走る碓氷バイパスからの眺め。
妙義山をはじめとした山々が一望できます。
碓氷峠を越え、車窓に浅間山が見えてきたら、
まもなく軽井沢。
横川駅1200-(JRバス碓氷線)-軽井沢駅1234
避暑地、高級別荘地として名高い、軽井沢。
その玄関口となる軽井沢駅は三角屋根の駅舎。
11.12.28 長野新幹線 軽井沢
軽井沢駅に隣接した旧・軽井沢駅舎記念館にも、
ロクサン(EF63 2)が保存されています。
同様に保存されているEC40(10000形)アプト式電機など
中に入ってじっくり見たかったけど、
年末のせいか記念館はお休みでした。
なんとか柵からコンデジを突き出してロクサンを撮影(苦笑)。
その記念館の前には、
草軽電鉄の電気機関車、デキ12も展示されています。
案内板によると、
「この独特な形は鉱山のトロッコ用を改造したもので、
昭和37年に廃線となるまで、地元民の足として、
また旅行者の良き案内人として活躍した」
とのこと(一部を抜粋)。
軽井沢から乗るのは「しなの鉄道」。ご存知、長野新幹線の開業によりJR東日本から経営分離された旧・信越本線の軽井沢~篠ノ井を引き継いだ第三セクター方式の鉄道です。長距離利用客が長野新幹線に転移したことなどにより、経営状態の厳しさがたびたび取りざたされている同鉄道ですが、いろいろと工夫を凝らした方法で経営難を乗り切ろうと努力しています。そのひとつが169系の国鉄色復刻。信越線を引き継いだ際にJRから譲渡された169系は、現在では数少ない「国鉄急行形」の残党。譲渡された際に赤とグレーのしなの鉄道色に塗られましたが、その希少性に目がとまり、国鉄時代を彷彿とさせる湘南色へと戻されたのです(細かいことを言うと、最初はイベントのため08年から一時的に湘南色となりましたが、09年にしなの色へ戻され、さらに10年に再び湘南色となって現在に至る)。これにより、しなの鉄道へのファンの注目度は一気にアップ。イベントなども行われて増収入に繋がった・・・のかどうかは定かではありませんが、とにかくファンのために復刻色を走らせてくれるのは嬉しいこと。私が今回の旅先に信州を選んだ理由のひとつが、このしなの鉄道を走る湘南色169系を撮ることでした。
軽井沢に停車中のしなの鉄道115系。
この赤&グレーがしなの鉄道オリジナルカラーです。
11.12.28 しなの鉄道 軽井沢
軽井沢から20分の平原で下車。
平原の待合室は車掌車のヨ6000を改造した
いわゆる「貨車駅」。
北海道などではよく見かける貨車駅ですが、
関東甲信越では珍しいと思われます。
11.12.28 しなの鉄道 平原
軽井沢1305-(しなの鉄道767M)-平原1324
この日は朝から快晴。先ほどの軽井沢行きバスの車窓からも浅間山がきれいに見えていました。そこで、信越線・・・もとい、しなの鉄道らしい、浅間山などの山々が背景に入る撮影地で169系を撮りたいと思い、やってきたのは小諸のひとつ手前にある小駅、平原。昔から浅間山バックの有名撮影地というと信濃追分~御代田のあたりが有名なのですが、今回は駅から程近いところで俯瞰からの雄大な景色が拝める、この平原のポイントを選んでみました。
まずは115系で試し撮り。
眺望が開けて、光線状態も良好なのですが、
雲が・・・Σ( ̄ロ ̄lll)
11.12.28 しなの鉄道 御代田-平原
ところが撮影地に着いてみると、いつのまにか山は雲に覆われています。たとえ周囲が晴れていても山頂にだけ雲が湧いてしまうのはよくあることで、山の撮影とはなかなか難しいもの。富士山や磐梯山など、過去に何度も泣かされてきました・・・。しかし、突如雲が現れる場合もあれば、その逆になることもありえます。この日は風が強かったこともあり、山頂にまとわりついていた雲はみるみるうちに流れてゆき、そして迎えた本命169系の通過時刻・・・。
全容を現した美しい信州の山々。
その裾野を湘南色の急行形電車が駆け抜けてゆきます。
11.12.28 しなの鉄道 御代田-平原(後追い)
雲がとれ、山がクッキリの状態で169系を撮れました~\(^O^)/ 旧・信越線を行く湘南色169系、かつてここを走っていた急行「信州」というには三両の編成は短すぎるけれど、山バックで走る短編成169系の姿は、まるで長野電鉄に乗り入れた急行「志賀」を彷彿とさせて、これはこれでいい感じです。この撮影地だと浅間山は手前の石尊山(せきそんさん)に半分くらい隠されちゃうのですが、それでもここは美しい信州の山なみが存分に堪能できる撮影地です。ただし、どうにも気になるのは手前に続く白いガードレール。これさえなければもっと良いんだけどなぁ・・・と、いうことで、今の169系が折り返してくるまでの時間に、このガードレールがクリアできる撮影場所は無いか探してみることにしました。
ガードレールが途切れたあたりから115系を狙ってみましたが、
背景の家々が列車と重なるようになってしまい、
ちょっとうるさくなってしまったかも。。。
左下にガードレールの端が写っていて、
ここから左手には、ずーっとガードレールが続いています。
11.12.28 しなの鉄道 御代田-平原
いっそのこと俯瞰ではなく線路端へ。
ありゃ、山が見えなくなってしまいました・・・(^_^;)
11.12.28 しなの鉄道 御代田-平原
いろいろ試行錯誤してみたものの、徒歩で周囲を探すには限界があり、やはりそう簡単に良い撮影地など見つけられるものではありません。いっそのこと山を入れず編成写真にしようかとも思ったのですが、先述したように山がキレイに見えている好条件はなかなか狙っても撮れるものではなく、それを捨ててしまうのはもったいない・・・。結局、169系通過の10分前に最初の俯瞰ポイントへと戻ってきました。
再び姿を現れた湘南色は、西日に照らされて赤みがかっていました。
11.12.28 しなの鉄道 御代田-平原
同じポイントからの撮影ですが、今度はなだらかな浅間山の裾野を広く入れたアングルにしてみました。このくらいの方が、どっしりとした浅間山っぽいかもしれません。
振り返って、去り行く169系を。
半逆光に浮かび上がった湘南色もまた美しい・・・。
冬の冷たい空気の中、去り行く169系のモーター音は
いつまでもこだましていました。
11.12.28 しなの鉄道 小諸-平原(後追い)
逆向きのこちらも良い俯瞰アングルなのですが、大胆に横切る高圧線がちょっと気になります。空に電線だけ残すのは気持ちが悪いので、あえて左の鉄塔も入れちゃいました。ガードレールや電線には悩まされたけど、晴天できれいな山バックの169系が撮れたのだから、良しとしましょう。これで俯瞰の撮影地をあとにして、平原駅へと戻ります。次に乗る予定の下り列車を待つ間にもう一発、さらに折り返してきた上りの169系を駅先端で撮影。
平原駅へ入ってくる169系をローアングルから狙います。
湘南色のサイドにきれいな西日が当たった!
と、思ったら、信号機の影が車体に落ちていました・・・。
詰めが甘いなぁ・・・(´・ω・`)
11.12.28 しなの鉄道 平原
平原に停車中の169系をしっかり編成撮り。
やはり急行形らしいこの引き締まった塗り分けはカッコイイ!
とくに幕板部の斜めラインが秀逸だと思います。
11.12.28 しなの鉄道 平原(開いた構内踏切から撮影)
昨年(11年)夏ごろから、保安設備上の理由でJRの篠ノ井~長野間への入線が不可能となり、最近は一時に比べると動きの少なくなってしまった感のある、しなの鉄道169系。置き換えのウワサもチラホラと流れているなか、少しでも長く「最後の国鉄急行色」が見られることを願い、発車してゆく169系を見送りました。
・・・続きます。
信州01・・・碓氷峠鉄道文化むら 見学記 [鉄道旅行記]
年末年始は一週間ほどの休みが取れました。しかし年越しの家族行事や年始の挨拶まわりなどを考えると、この休みはGWや夏休みほどの自由はなく、せいぜい一泊二日の小旅行ができるくらい。さらに手元には伊豆編や久留里編で使った「青春18きっぷ」が、まだ3回分も残っている・・・。そこで今冬の休みは、この「18きっぷ」を使って近場での鈍行旅へ出かけることにしました。いろいろ考えた末、行き先は私がかねてから乗りたい、撮りたいと思っていた路線があり、距離的にも適度な信州方面に決定。信州の大動脈であった信越本線は97年の長野新幹線開業で在来線が分断、一部区間はJRから経営が分離されてしまい、せっかく「18きっぷ」を使ってもちょっとおトク感に欠けるのですが、そこは割り切って純粋に信州の鉄道旅を楽しみたいと思います。
12月28日(水)
旅のスタートは高崎線のE231系。
11.12.28 東北本線 上野
まずは上野から高崎線の高崎行きに乗って北上。中央線沿線のウチから高崎線へ入るには、新宿からの湘南新宿ラインで直通か、埼京線で赤羽へ出て高崎線へ乗り換えた方が早くて便利なのですが、何となく久しぶりの信越線旅ということで、上野駅からの始発電車に乗ってスタートしたくなりました。やっぱり上野や東京から出発すると、旅へ出るという高揚感が違うものです。沿線に大学や工業団地などが多く存在する高崎線。普段の朝は下り列車でもけっこう混雑しますが、この日は既に休みに入ったところも多いらしく、車内は終始ガラガラの状態。しかし高崎で接続した107系二両の信越線・横川行きは大混雑でした。どうやら何かのスポーツ大会に出る小学生の団体と乗り合わせてしまったみたい。高崎から横川まではせいぜい30分ほどなので、立っていてもたいしたことはないけれど、賑やかなこのコたちはどこまで行くのかな・・・と思っていると、早くも次の北高崎で下車。車内は閑散とし、席に座ることができました。
松井田を過ぎる頃には左手には鋭く切り立った
岩峰の妙義山が見えてきました。
横川まではもうすぐ。
11.12.28 信越本線 西松井田-横川(車窓から)
先にちょこっと触れたように、長野新幹線開業と同時に難所だった碓氷峠越え(横川~軽井沢、通称・横軽)が廃止され、分断されてしまった信越本線。かつては長野や金沢行きの特急がバンバン走っていたこの横川までの区間も、今ではすっかりローカルな盲腸線になってしまいました。もはや名前の由来である信州へも越後へも線路は繋がっていないけれど、「横川線」などと改名されずに「信越本線」のままで残されているのは嬉しいのか切ないのか・・・。しかしこの区間はSLの機関区がある高崎に近いことからイベント列車など頻繁に運転されていて、路線分断・特急廃止後の今でも鉄の姿は絶えません。ただし私はと言えば、あまりSLを撮らないこともあり、横川まで行くのはかなり久しぶり。路線分断直後に来て以来、もう10年以上は乗っていなかったんじゃないかな・・・。なので、今でも車窓左手に妙義山の姿が見えてくると、これから碓氷越えが始まるんだという錯覚に陥ってしまいます。もちろん現在の横川に峠越えの補機であるロクサン(EF63)の姿は無いのだけれど。
横川の構内配線を後ろの車掌室越しに一枚。
かつては右端の側線にロクサンが待機しており、
峠を越える列車が到着すると、すぐに連結作業が行われていました。
11.12.28 信越本線 横川(車窓から)
ここからは横軽廃止前に私が撮った過去の写真を織りまぜながら
進めていきたいと思います(白枠が過去の写真です)。
到着した列車に続いてホームに入ってきた重連のロクサン。
この連結作業により列車は横川で数分程度の停車時間があり、
その間に乗客は横川の名物駅弁「峠の釜めし」を買い求めるのでした。
88.4 信越本線 横川
高崎から乗った107系が現在の終点・横川に到着。
当然ながら駅名板に軽井沢の文字は無く、
下り方面の線路はここで途切れています。
11.12.28 信越本線 横川
撮影したホームは違いますが、
線路が繋がっていた頃に横川駅の軽井沢方で撮影した
「リゾートエクスプレス・ゆう」の団体列車。
峠越えのお供は晩年に茶色へ塗り変わった24・25号機でした。
97.7 信越本線 横川
上野0725-(高崎837M)-高崎0909~0913-(信越129M)-横川0946
線路が分断された横川から軽井沢までの区間は現在、直通の路線バスで運転されています。高崎から乗ってきた129Mはちょうどその軽井沢行きバスに接続する列車だったのですが、せっかく久々に横川まで来たのに、このまますんなりと進んでしまってはもったいない。ここで一本見送ると次のバスは二時間後で、私にはこの時間を利用して寄りたかったところがありました。それはこの横川にある鉄道の展示施設「碓氷峠鉄道文化むら」。ここを訪れるのは99年のオープン直後に友人のクルマで来て以来です。
97年の横川~軽井沢廃止後、
横川駅に隣接していた横川運転区の跡地に建設され、
99年にオープンした「碓氷峠鉄道文化むら」。
碓氷峠の歴史や資料、貴重な車両の数々が展示・公開されています。
11.12.28 碓氷峠鉄道文化むら
さっそくエントランスでは、
碓氷峠を越えて首都圏と信州を結んでいた
189系の特急「あさま」がお出迎え。
形式末尾の「9」は横軽でEF63との協調運転が可能な
車両に与えられていた数字でした(他に489系・169系など)。
ロクサンの現役時代に撮った横川運転所。
現在のエントランス付近には昔、多くのロクサンが集っており、
横川の町には常にブロアー音が響いていました。
97.6 信越本線 横川
屋内の車両展示館は当時の検修庫がそのまま活用されています。
中にいるのはもちろん碓氷峠の主・ロクサン!(EF63 10)
特徴的なジャンパ連結器周りをローアングルから狙ってみました。
ロクサンは急勾配の碓氷峠を越える列車の補助として連結されていた
機関車で、愛称は「峠のシェルパ(Sherpa=山の案内人)」。
碓氷峠を越える列車は電車・客車・気動車に限らず、
すべてこのロクサンを連結しなくてはならないために
ロクサンには複雑なジャンパ連結器が備わっているのです。
二台一組、重連で長編成の先頭に立つ姿は本当に迫力がありました。
横川運転所の検修庫で整備中のロクサン。
もちろん当時は検修庫への立ち入りは禁止でしたが、
これは一般開放のイベントで撮影したもの。
97.8 信越本線 横川
ロクサンの対面には、相棒のロクニ(EF62 54)もいます。
Co-Co軸配置の三軸ボギー台車が特徴的なロクニ、
私は新性能電機の中で、このロクニがいちばん好きな機関車でした。
ロクサンが横軽専用の補機だったのに対して、
本務機のロクニには汎用性があり、信越・高崎線はもとより、
東海道・山陽での荷物列車牽引や、晩年には団体列車を牽引して
常磐・成田線などにも入線した実績があります。
尾久の欧風客車「S.E.レインボー」を牽く、現役時代のロクニ。
補機であるロクサンは必ず横川方に連結されるので、
下りの客車列車はロクニとロクサンのPP状態になります。
97.7 信越本線 横川-軽井沢
逆に上りの客車列車には本務機であるロクニの前に
重連のロクサンが連結されるので、三重連となります。
横軽に客車が入線したときだけに見られる
迫力の三重連は、まさに機関車ファン垂涎のシーンでした。
この日に入線したのは品川の和式客車「江戸」。
97.5 信越本線 軽井沢-横川
展示館の奥の方に保存されているのは、アプト式電気機関車ED42 1。
もちろん私はED42の現役時代を知りませんが、
横軽が廃止される前には運転区横で屋外保存されており、
ロクサン撮影の際によく眺めていました。
その頃よりも今のほうがずっと保存状態がいいですね。
鉄道文化むらの園内にいたのは、189系「あさま」にロクサン、ロクニ・・・。思わず熱く語ってしまいたくなる、懐かしい面々です。当時の検修庫である屋内展示館は特に大きな手が加えられておらず、庫内に佇むロクサンの姿はまさに現役当時そのままの雰囲気。今にもロクサンの甲高いブロワー音が聞こえてきそう・・・なんて思っていると、本当に「ひゅをぉぉ~~ん」という聞き慣れたブロアー音が鳴り響いてくるではありませんか。思わず振り返ると、そこには動くロクサンの姿が!
これは過去の写真ではありません。
軽井沢方向からゆっくりと現れたのは、ロクサン!
非連結側にあたる横川方の顔(①エンド側)は、
シンプルなスカート周りです。
目の前を横切るロクサン。果たしてこれは夢か幻か・・・って、ちょっと表現がおおげさすぎですね(^^;)。実はこの鉄道文化むらでは廃線となった旧・信越線の一部を利用して、ロクサンの運転体験ができるのです。体験といっても単なるイベントやアトラクションではなく、かなり本格的なもので、学科実技講習だけでも三万円ほどの料金がかかります(運転体験は講習を受けた者のみが可能で、一回5000円)。私などにはとても払える額ではありませんが、運がよければこのように体験されている方が運転する「動くロクサン」の姿を間近に見ることができます。この日も数往復の運転が行われていました。
現在の運転体験線のあたりをゆく185系の上り普通列車。
この頃の横軽を越える普通列車は基本的に115系がメインでしたが、
深夜から早朝にかけての一往復のみ185系で運転されていました。
このロクサン+185が撮りたいために、横川でマルヨしたんだよなぁ・・・。
今見ると、後ろが巻いちゃって185系がよく解らない写真だけど(^^;)。
97.6 信越本線 軽井沢-横川
ロクサンと勾配票を絡めたこんなカットも
廃線間際には流行った撮り方でしたっけ。。。
そんな写真がこちら。
国鉄・JRで最大となる66.7‰(パーミル)の勾配票とロクサン。
66.7‰とは1000m進むと66.7m登ると言う意味で、
いかに横軽が急勾配だったかがわかります。
95.6 信越本線 軽井沢-横川
外へ出たついでに、このまま屋外展示の方へとまわりましょう。碓氷峠にまつわる車両がメインとされる鉄道文化むらですが、実はそれ以外の展示車両もかなり充実。これは元々、国鉄末期に高崎で建設計画のあった「電気機関車博物館」の収蔵用として全国から集められたものが、計画消滅によって当施設に保存されることになったのです。電気機関車の充実度なら、大宮の鉄道博物館にも引けをとらない・・・いや、むしろこちらのほうが上回っていると言っても過言ではないでしょう。ただし悲しいかな、屋外展示であるために車体の痛みが激しいのが残念ですが・・・。
青空の下に並べられた、貴重な機関車の数々。
機関車以外に客車やディーゼルカーなども展示されていますが、
ここには電車が一両もないというのが、面白いですね。
(電車の正式な展示はエントランスの189系のみ)
先ほどから登場しているロクサン(右)。
屋外にはトップナンバーがデビュー当時の茶色で展示されています。
左隣は、かつて東海道で「つばめ」や「はと」を牽いていた花形機EF53 2。
人気の高いEF58 172(右)と関門用のEF30 20。
172号機は完全状態で残る最後のブルー・ゴハチとなってしまいました。
EF30は昨年私が撮影したEF81 303の先輩に当たる、先代の「銀ガマ」です。
さらにその隣には懐かしい和式客車「くつろぎ」の姿も見えます。
通は「くつろぎ」と呼ばずに「高B」とか「B座」などと呼んでいましたね。
ラッセル車のDD53 1と操重車ソ300のスゴイ編成(笑)
排雪が本職のDD53ですが、私が撮影できたのは数年前に
磐越西線で運転された臨時の「ばんえつ物語」(DD53 2牽引)だけでした。
ソ300は一度だけEF65Fが牽引しているところを撮影した覚えがあります。
先日に久留里線で撮影したキハ30の仲間で、ステンレス車体のキハ35 901。
やっぱり私の中でのキハ30・35は、タラコ色がいちばんしっくりときます。
八高線での現役時代にこの900番台を撮りたいと思っていたものの、
結局一度も巡り会えませんでした・・・。
展示されている全車種を紹介してしまうと、これから訪れる方に申し訳ないのでこの辺にしておきましょう。ラストに旧・横川運転区の社屋だった碓氷峠資料館で当時の時刻表や機関車の図面などを眺めて、見学を終了。元々あった施設をそのまま活用している鉄道文化むらには鉄道博物館やリニア鉄道館にはない本物の臨場感があり、とても充実した展示内容でした。それにしても、冬休みなのに入場者が少なかったのがちょっと気がかり・・・。
もちろんお昼ゴハンは
横川の名物駅弁「峠の釜めし」。
駅前にある「おぎのや」の本店でいただきます。
☆☆☆☆・
鉄道文化むらを後にして「おぎのや」で昼食を食べ終えても、バスの発車時間まではまだ30分ほどの余裕がありました。そこでもう少しだけ周囲を散策することに。廃線となった旧・信越線の線路は遊歩道として整備されているので、それを歩いてみます。
鉄道文化むらの横が
廃線跡の遊歩道「アプトの道」スタート地点。
全長は「めがね橋」までの4.7キロほどありますが、
今回はそのさわりだけ歩いてみましょう。
この遊歩道からも運転体験の「動くロクサン」を眺めることができます。
今さらながら、単機のロクサンってなんだか違和感ありますね・・・。
信越線の廃線跡を活用した遊歩道「アプトの道」は、横軽の象徴だった赤レンガ造りの「丸山変電所跡」や雄大な「めがね橋」へと続いていますが、バスの待ち時間ではそこまで行くことはできず、今回はスタート地点から7~800メートルほどにある上信越自動車道の橋下で折り返します。それでもこのあたりの景色を見ているだけで、ふつふつと込み上げてくる懐かしさ・・・。と、いうのも、この上信道の下あたりは横川駅から手軽に到達できた撮影地で、もちろん当時も徒歩鉄メインだった私はこの近辺で撮影することが多かったのです。徒歩鉄のクセにやたら大きな三脚と長玉の入った銀箱を担ぎ、さらに駅で買ったばかりの釜めしを持ってくるのが定番スタイルでした。荷物はおそらく今の三倍くらいの重量があったのではないかな・・・。そんな機材を担ぎ、一度だけ頑張ってめがね橋まで歩いたことがありましたが、信号場のあった熊ノ平などは到達できずに終わってしまいました。
遊歩道となった上り線以外の下り線や架線柱などは、
ほぼ当時のままに残されています。
上を横切る高架橋が上信道。
このあたりが横川駅から徒歩圏内の「お手軽撮影地」で、
山を下ってくるロクサンをよくここで撮影したものです。
廃線後初めて訪れたけれど、周囲はあまり変わっていませんでした。
上写真の左に写るガードレール付近から撮った特急「あさま」。
189系の編成中央付近にかかっているのが上信道の影です。
ロクサン+189「あさま」は、横軽でもっともオーソドックスな組み合わせ。
それだけに、今になって振り返るといちばん懐かしさを感じさせてくれます。
95.4 信越本線 軽井沢-横川
撮影日は異なりますが、
同ポイントの振り返ったアングルで撮った「あさま」。
この色の189系は今でも現役で、臨時の「あずさ」などにも使われています。
この「あさま」が走っている上り線が現在の遊歩道。
97.9 信越本線 横川-軽井沢(後追い)
友達とおふざけで撮ったこんな写真も今となっては貴重な記録。
撮影地で峠を行く列車を眺めながら食べた釜めしの味は、また格別でした。
97.4 信越本線 軽井沢-横川
時間つぶしの軽い散策だったはずなのに、当時のことを思い出して、ついのめりこんでしまいました。こんなことなら昼食時間を削って、丸山変電所まで行くべきだったかな・・・。でも、この先はまたのお楽しみとしましょう。丸山変電所付近やめがね橋で撮った写真は、次に訪れたときお見せしたいと思います。
線路脇にはこんな鉄向けへの看板が、今でも残されていました。
廃止間際にはたくさんのファンが集まりましたものね・・・。
私もそのひとりですが。
思い出写真のラストは、横川駅に停車中の489系「あさま」を。
モスグリーンに塗られた長野の189・489系のイメージが強い「あさま」ですが、
一往復だけ「白山」の間合いで金沢の489系が使われていました。
傍らには次列車のために待機するロクサンと見守る鉄道員の姿。
今から15年前にはふつうに見られた、横川駅の日常でした・・・。
97.9 信越本線 横川
廃線跡散策に思ったよりも時間をかけてしまったため、急いで遊歩道を戻り、横川駅前のバス停へ。ここから峠越えのバスに乗って軽井沢に向かいます。
・・・続きます。
ONE-shot 79 習志野のタヌキ [PICK UP ONE-shot]
PICK UP ONE-shot 79 習志野のタヌキ
置き換えが近づいている常磐線の特急を撮って過ごそうかな・・・
などと考えていたところ、
意外な近所で「惜別運転」が行われていることを知りました。
それは新京成8000形の復刻色編成・8502F。
8000形自体が引退するわけではないのですが、
私は新京成といえばピンクとマルーンのツートンが思い浮かぶ世代。
復刻とはいえ、あの色が見られなくなる前に記録しておきたいと思い、
急遽、帰省途中に松戸から新京成へと入りました。
ツバメの「しんちゃん」が貼られていることから
「しんちゃん電車」とネーミングされているそうですですが、
この電車の風貌はどうみても「タヌキ」。
やっぱりファンから親しみをこめて呼ばれている
山へ帰るときが来たようです (くぬぎ山? ^^;)。
この電車の引退によって伝統のツートンカラーは
ONE-shot 78 謹賀新年 [PICK UP ONE-shot]
PICK UP ONE-shot 78 謹賀新年
2012年元旦 あおたけ
09.04.30 北陸本線 高岡-西高岡